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冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる  作者: パラレル・ゲーマー


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第37話 電気を出せない電撃使い

 玲奈が柴崎圭吾との一対一の企業代理戦に勝利してから、数日後。


 俺たちFIELD WORKSの事務所では、いつものように次の企業代理戦の準備が進められていた。


 玲奈は、自分のデスクでネクサス・マッチングから送られてきた正式な試合記録のデータを眺めながら、まだ少しだけ嬉しそうに口元を緩めていた。


「……本人への命中弾ゼロ。でも、勝利。……うん、やっぱり悪くない響きですね」


 そこへ、水瀬が新しい依頼の資料の束を抱えてやって来た。


「さて。次の依頼ですが。……形式は一対一。代表選手は、佐伯直人さんです♡」


 玲奈が、俺の方をチラリと見て言った。


「今度は、代表の番ですね」


「なんだその、夏休みの宿題を日替わりで交代してやるみたいな言い方は」


 俺が苦笑して返すと、水瀬がメインモニターへ対戦相手のプロフィールを表示した。


 槙野修司まきの・しゅうじ。四十一歳。


 所属は《京浜電設保安株式会社》。


 登録評価Tier4。保有異能は二つ。《身体能力強化》と、《導路どうろ》。


 玲奈が、その「導路」という見慣れない能力名を見て首を傾げた。


「これ、どういう能力ですか? 電気系、電撃系の能力者ってことですか?」


 水瀬は、笑顔のまま答えた。


「一般の代理人の間ではそう呼ばれていますが。正確には、少し違います♡」


「違う?」と俺も聞き返す。


 水瀬が、能力の核心を簡潔に突いた。


「この人は、自分自身では電気を一切作れません」


「……え? 電撃使いなのに?」


 玲奈が目を丸くする。


 俺は、その言葉の意味を考えた。


     ◆


 水瀬の詳しい説明によると。


 槙野自身は、ゼロから雷を生み出したり、指先からビームのように電撃を飛ばしたりする『発電所』のような能力者ではないのだという。


「分かりやすく例えるなら、彼は発電所ではなく……『配電盤』です♡」


「……その説明、本業の俺にはものすごく分かりやすいな」


 つまり、すでに存在している電気に対して、「どこへ流れるか」の経路を指定し、因果的に優先させる能力だ。


 電池がなければ使えない。発電機がなければ使えない。電源が落ちていれば、彼は実質的に何もできない。


 玲奈が、呆れたように言った。


「じゃあ、相手が持ち込んでる腰のバッテリーを壊せば、それで終わりじゃないですか?」


「理屈の上では、そうです」と水瀬。


「そう簡単にいくなら、あのおっさんが企業代理戦で勝ち残れているわけないだろ」


 俺は、昼間の建物管理の仕事で、配電盤、ブレーカー、漏電調査、非常電源などの電気設備に日常的に関わっている。


 電気を増やせない。切れている場所(断線)は越えられない。絶縁も無視できない。


「……能力としては、かなり物理法則に忠実で、真面目だな」


「使っている本人も、かなり真面目な現場の職人ですよ♡」


     ◆


 俺たちも、当然事前に対策を講じた。


 いつもの重い金属手甲ではなく、外装が絶縁性の高い複合素材で作られた『防護手甲』を選択する。


 靴も、電気設備エリア向けの絶縁性の高い安全靴を用意した。


 ただし、どちらも『完全な断線』を作る装備ではない。


 電気を流れにくくして被害を減らすための防護であって、能力上の経路そのものを消してくれるわけではないのだ。


 《導路》が、わずかでも物理的な導通の残る経路へ電流を偏らせられるなら、靴底や防護手甲の抵抗だけを当てにするのは危険だ。


 汗。服の金属部品。湿気。予期せぬ二点接触。肌の露出部。


 そこまで全部を完璧に防げるわけではないし、槙野が両手の電極を俺の身体へ『直接』押し当ててくれば、靴の絶縁など全く意味をなさない。


「対策したからといって、完全に安全だとは絶対に思わないでくださいね♡」


「分かってる。建物管理の現場で一番危ない言葉が『たぶん大丈夫』だからな」


     ◆


 試合会場は、ネクサスが認定した『旧電設技能訓練棟』。


 元々は、電気工事士の訓練や、配電盤作業、高所配線作業などに使われていた巨大な施設だ。


 現在は高圧系統の商用電源は完全に遮断されており、企業代理戦向けに転用されている。


 玲奈が、会場の内部を見回して顔をしかめた。


「……金属だらけですね」


 模擬配電盤、鋼製のケーブルラック、金属製の手すり、床の鋼製グレーチング、鉄骨の架台。


 電気設備保守のベテランである槙野にとっては、自分の庭のように戦いやすい環境だろう。


     ◆


 リングエリアの中央で、対戦相手と対面した。


 槙野修司。


 派手な戦闘服ではなく、耐摩耗性の地味な作業ジャケットに安全靴。


 腰の後ろには小型の『通電ユニット(バッテリー)』を装着し、両手にはそれぞれ別極へと接続された『電極手甲』を嵌めている。


 槙野が、俺へ向かって丁寧にお辞儀をした。


「佐伯直人さんですね。本日は、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 槙野は少しだけ困ったような、申し訳なさそうな顔で言った。


「一つだけ。……試合の映像なんかでは、私のことを『電撃使い』なんて大仰に呼ぶ人もいますけど。あまり、正確じゃないんですよ」


「電気を作れないからですか?」


「ええ。お恥ずかしい話ですが」


 槙野は、自嘲気味に笑って続けた。


「私はただ、電気が『流れる道』を決めているだけですから」


     ◆


 試合前の、装備検査。


 八咫烏とネクサス側の技術者が、槙野の通電ユニットを厳密にチェックする。


 電源容量、最大出力、通電時間制限、自動遮断機構。殺傷に至らないよう出力上限が厳格に制限された、ネクサス規格内の試合用装置だ。


 俺は、その検査の様子をジッと見ていた。


 特に目を引いたのは、腰のバッテリーの外側に付いている、真っ赤な『物理式の主電源遮断レバー』だ。


 安全規則上、本人が気絶した時など、第三者からでも緊急に電源を切れる位置に設けなければならないものだ。


 俺は、その赤いレバーの位置を、しっかりと頭の片隅に焼き付けた。


     ◆


 距離十五メートル。


 ブザーが鳴った。


「試合開始!」


 俺と槙野は、同時に《身体能力強化》を発動させた。


 俺はすぐには突っ込まなかった。槙野も、俺の出方を窺うようにジリジリと横へ動くだけだ。


 セコンド席から、玲奈が不思議そうに呟く声がインカムで聞こえた。


『……あれ? 雷とかビーム、飛んできませんね』


『飛ばせませんから♡』と、水瀬が即答した。


     ◆


 俺が、鋭く踏み込んだ。


 普通の左ジャブ。


 槙野はそれを左手の電極手甲で外へと弾き払い、そのまま右手で俺の肩を狙って伸びてきた。


 俺は右へのステップでそれを回避する。


 だが。


 槙野の左電極が俺の左前腕に触れ。右電極の先端が、ほんの一瞬だけ、俺の右上腕に触れた。


 二点接触。


 バチィッ!!


 強烈な電流が、俺の両腕の間を駆け抜けた。


「ぐっ……!」


 俺の両腕の筋肉が、一瞬だけ完全に意思を無視してビクッと硬直し、俺はたまらずバックステップで飛び退いた。


 通電時間はほんの一秒未満。殺傷能力はない。


 なのに、両腕がジンジンと激しく痺れ、拳に上手く力が入らない。


 槙野は無理に追撃してこず、静かに姿勢を整えて構え直した。


     ◆


 俺は、荒い息を吐きながら理解した。


(……今のは、左右の電極が『両方とも』俺の身体に触れた瞬間だけ、俺の身体を通って回路が完成して、電気が流れたんだ)


 水瀬が、インカムで確認の報告を入れた。


『通電時間、一秒未満。……槙野選手のバッテリーから、実際に電力の消費を確認しました』


 つまり、異能で魔法の雷を作ったのではない。本当に腰のバッテリーの電気を、ただ流されただけなのだ。


『なんか、能力者というより、ただの「二刀流の高性能スタンガン」ですね……』


 玲奈が呆れたように言うと、水瀬が冷徹に訂正した。


『そのスタンガンが、現場で二十年以上鍛え上げられた電気設備技師の頭脳と格闘術で、正確に動いてくるんですよ♡』


     ◆


 俺は、槙野の正面を避け、側方へと素早く回り込もうとした。


 槙野が、それを追う。


 俺は距離を切るため、無意識に右手で横にあった鋼製の『手すり』へ触れ、それを支点にして方向転換しようとした。


 その瞬間だった。


 槙野は、俺ではなく。


 左手で別の金属ラックに触れ、右手で足元の鋼製グレーチングへと触れた。


 俺と槙野の間には、数メートルの距離がある。


 《導路》。


 バチンッ!!


 俺が手すりに触れていた右腕から、胴体、そして床のグレーチングに接している脚へと向かって、目に見えない強烈な電流が一直線に突き抜けた。


 絶縁性の高い安全靴が抵抗にはなっていたはずだ。


 だが、あれは能力上の『完全な断線』ではない。


 槙野は、靴底を含めてわずかに残っていた導通を出口として選び、本来なら金属側へ逃げるはずの電流を、俺の身体へと強引に偏らせてきたのだ。


「ガァッ……!」


 一瞬、全身の筋肉が完全に硬直し、俺は手すりから弾き飛ばされるようにして床へ転がった。


     ◆


 玲奈が、セコンド席で思わず立ち上がって叫んだ。


『えっ!? 今、直接触ってないですよ!? なんで感電したんですか!』


 水瀬が即座に、現場の金属構造を解析した。


『佐伯さんは今、「手すり」と「足元の鋼製グレーチング」の二か所で、この会場の金属ネットワークへ接触していました』


「……」


『槙野選手は、別の二点から電流を送り……その金属ネットワークの経路の途中に、佐伯さんの身体そのものを「回路の一部」として無理やり組み込んだんです』


『……佐伯さんが、ただの配線ケーブル代わりにされたってことですか』


 玲奈が、ドン引きした声で言った。


 俺も、床から立ち上がりながら、全く同じことを考えて絶望していた。


     ◆


 普通なら、金属の構造物の方が、人体よりも圧倒的に電気を流しやすい。


 わざわざ抵抗の大きい俺の身体などを通らず、電流はすべて金属の側だけを通って逃げるはずだ。


 だが、《導路》の能力は違う。


「ここを流れろ」という経路を、因果的に強制的に優先させるのだ。


 物理的に導通さえしていれば。本来なら流れにくい人体側へと、電流の大部分を偏らせることができる。


 つまり。


 俺の身体と会場の導電ネットワークとの間に、『入口』と『出口』になる二つ以上の導通が成立した瞬間。


 俺は槙野から直接触れられていなくても、同じ回路の中へと引きずり込まれてしまうのだ。


     ◆


 ここから、俺のこの戦場に対する『見方』が根本から変わった。


 俺は、槙野本人を見るのと同じくらい、自分の周囲の『導体(電気を通すもの)』を警戒するようになった。


 床のグレーチング。金属の手すり。鉄骨の柱。ケーブルラック。むき出しの配管。


 逆に、コンクリートの壁や床、木製の作業台、そして床に敷かれた絶縁ゴムマットは、俺にとっての『安全圏』だ。


(……俺は今、目の前のおっさんとだけ戦っているんじゃない。この会場全体の「回路」と戦っているんだ)


     ◆


 だが、槙野は俺が金属に触れるのをただ待っているような男ではなかった。


 俺が金属から離れて警戒していると、彼は《身体能力強化》を活かして、普通に距離を詰めて殴りかかってきた。


 彼自身も、現場仕事で鍛えた体幹と、企業代理戦での経験から、組み付き、手首の制御、押し込み、足払いといった実戦的な格闘術を十分に身につけている。


 ただし、格闘の専門家ではない。彼の狙いは常に一つだ。


『左右の電極を、俺の身体へ二点同時に接触させること』。


 殴って倒す必要はない。一瞬でも通電させて俺の身体を痺れさせ、その硬直した隙に倒して制圧すれば、彼の勝ちだからだ。


     ◆


 俺は当然、彼の最も分かりやすい弱点である『腰の通電ユニット(電源)』を狙った。


 槙野の背後へと回り込み、これまでコピーしてきた複数の格闘技能を組み合わせて、彼の腰へと手を伸ばす。


 だが、槙野はそれを完全に読んでいた。


 身体を鋭く反転させ、右手で俺の伸びてきた手首をガシッと掴む。


 そして、空いた左手で、俺の肘の関節付近へと電極を押し当てた。


 二点接触。


 バチィッ!!


 今度は、俺の右腕全体へ、先ほどよりも強烈な痺れが走った。


 右手の握力が完全に抜け、力がダランと抜ける。


 槙野が、そのまま肩で俺の胸をドンッと押し、俺を安全に突き放した。


     ◆


 槙野が、少しだけ口元を緩めて笑った。


「電源を狙うのは、電気の基本として大正解です」


「……」


「ただ。通電中の危険な設備を触る時は……先に、主電源を『遮断オフ』してからにしてくださいね」


 俺は、右腕をブラブラと振って痺れを散らしながら、苦笑して答えた。


「……ごもっともで」


 インカムから、玲奈の呆れた声が聞こえる。


『代表。命懸けの試合中に、なんで敵から「正しい電気安全教育」を受けてるんですか』


『……うるさい。俺だって今、身を以て学んでる最中なんだよ』


     ◆


 俺は、短期決戦を狙って《無拍子》を一度だけ使った。


 予備動作の認識を完全に抜き去り、槙野の横へと一気に踏み込む。


 槙野自身は、俺のその踏み込みには完全には対応できていなかった。


 だが。


 俺が踏み込んだ右足が、『鋼製のグレーチング』へ乗った。


 さらに急な方向転換で身体を支えるため、左手が脇にあった別系統の『鋼製ケーブルラック』へ触れてしまう。


 二点。


 槙野は俺に直接触れなかった。


 右の電極を足元のグレーチングへ。左の電極を、俺の左手が触れているケーブルラック側の金属架台へ。


 《導路》。


 次の瞬間。


 右足から入り込んだ電流が、脚、胴体、左腕を抜けてケーブルラック側へ走った。


 ビリィッ!


 俺の全身の筋肉が痙攣し、強制的にその場へ足を止められてしまった。


(……速く動いても駄目か!)


 相手の反応速度を抜いても、俺自身が二つの導体を橋渡しした瞬間に回路は完成するのだ。


     ◆


 槙野が、壁際にあった『三本に分岐した模擬配線架台』の給電側と戻り側へ、左右の電極をそれぞれ触れた。


 三本の配線は、どれも物理的には完全に導通している。その途中には、訓練用の小さなパイロットランプがそれぞれ一つずつ直結されていた。


 普通なら、電気は抵抗の法則に従って、三つの経路へと分散して流れるはずだ。


 しかし。


 槙野が《導路》を発動させた。


 一本目のランプ――ほとんど光らない。


 二本目のランプ――ほとんど光らない。


 三本目のランプだけが、パァッ!と明るく点灯した。


 俺は、その『本来なら複数へ分かれるはずの電流が、一つの経路へ異常に偏った現象』を、自分の肉眼でハッキリと直接目撃した。


 しかも三本目の配線の先は、俺が次の踏み込みで手を掛けようとしていた金属架台へと繋がっている。


 俺は寸前で手を引き、そこへ触れるのをやめた。


     ◆


 俺の視界の《ライブラリ》が、青白い光を放って反応した。


『未知の因果律改変現象を確認しました』


『既存の電流における、経路選択に対する因果的介入を確認』


『《導路》を登録します』


『正式登録異能数:二十一』


 前回の柴崎の《反響標》の時は、彼が頭の中で何を感じているのかを直接観測できなかったため、コピーできなかった。


 だが今回は違う。


『本来なら分散するはずの実在の電流が、一本の経路だけへと異常に集中して流れる』という外部の物理現象を、俺のこの目で直接目撃し、さらにはこの身体で痛いほど味わったのだ。


 だから、登録の条件が満たされた。


     ◆


 戦闘中なので、俺は完全な説明のテキストを読んでいる暇はなかった。


 だが、最低限の解析結果だけが視界の端へ流れていく。


『観測済み確定情報:


 外部の電源エネルギーを必要とする。


 電気そのものを無から生成しない。


 物理的に導通した経路が必要。


 電流の通過経路を因果的に偏らせる。


 完全に絶縁された経路は選択できない。


 物理的な断線(空間)を飛び越えられない』


『高確率の推定:


 使用者の回路構造への理解度が、能力の精度へ大きく影響する。


 電源出力以上のエネルギー増幅は行われない』


 俺は、その情報を見て一瞬だけ(……取れた)と思った。


 しかし当然ながら、俺がここで《導路》を使うわけには絶対にいかない。


 つい今まで槙野しか使っていなかった現象を、観察した直後に俺まで同じように使えば。


『佐伯は、見た異能をその場で再現できるのではないか』と疑われる、あまりにも強い材料になりかねない。


 周囲が今まで俺について抱いている『複数の現象を使うらしいが、仕組みは分からない』という曖昧さを、俺自身の手で狭める必要はない。


 そもそも、俺には槙野のような専用の電源装備もないのだ。


(持っていても、外部の電源がなきゃ何もできない能力か)


     ◆


 俺は、戦場の端にある『大型の絶縁ゴムマット』の上へと移動した。


 元々、配電盤の作業訓練で感電を防ぐために敷かれていたものだ。俺と槙野が二人で動くには十分な広さがある。


 これは俺の安全靴とは違う。


 会場で使用を許可されている試合用通電ユニットの最大出力を前提に、床側との導通が成立しない厚さと材質で作られた訓練用の絶縁設備だ。


 槙野も、俺を追ってマットの上へと乗ってきた。


 だが、ここでは。


 床から俺の身体へと、見えない回路を作ることはできない。


 手すりもない。金属ラックもない。コンクリートの壁からも離れている。


 槙野の得意とする、周囲の金属ネットワークを利用した《導路》の使い方が大幅に制限される空間だ。


 玲奈が、インカムで安堵したように言った。


『……ここなら、安全ですか!?』


「いや」


 俺が短く答えると同時に、槙野が俺へ向かって飛び込んできた。


 左の電極のパンチ。俺が右腕で外へ払う。


 右の電極。俺の肩を狙う。俺が首を振って避ける。


『本人が二点で直接触ってくれば、普通に回路が完成して感電する!』


 俺が叫んだ。


 ゴムマットは、周囲の金属ネットワークを使えなくしただけだ。槙野本人の両手の電極という脅威は、完全に残ったままなのだ。


     ◆


 だが、ここで俺の本当の攻略が始まった。


 槙野の、左右の手。


 両方触れられたら、回路が閉じてアウト。


 それは逆に言えば。


 この絶縁マットの上で、俺が他の導体に触れていない限り。


『片方の電極だけなら、回路は閉じない』ということだ。


 俺は、槙野の『右腕』へと狙いを絞った。


 右手甲の電極面には触れない。


 耐摩耗性の作業ジャケット、その袖越しに肘より上を両手で挟み込み、「二対一」の状態で完全に制御する。


 俺のガードががら空きになったため、槙野の左手の電極が、俺の左肩へとベタッと触れた。


 しかし。


 何も起こらない。


 一極だけ。


 もう一方の極が、俺の身体へ接触していない。回路が閉じていない。


「このマットの上なら、片方だけでは――」


 俺が言うと、槙野の表情が少しだけ変わった。


電撃スタンにはならない!」


     ◆


 ここからは、異能の魔法の派手さが完全に消え失せた。


 槙野もすぐに対応し、俺から右腕を取り戻そうと必死に足掻く。


 膝蹴り。肩での体当たり。足払い。


 俺も、これまでにコピーしてきたレスリング、柔道、総合格闘技の体捌きを総動員して、絶対に彼の右腕を離さないようにしがみつく。


 ただの、『一本の腕を巡る泥臭い格闘戦』へと変わったのだ。


 槙野が強引に右手を取り返し、左右の電極を同時に俺の胸へと押し当てようとしてきた。


 俺が身体を極限まで捻る。


 二センチ。数センチ。ギリギリのところで、第二の接触を避ける。


     ◆


 槙野も馬鹿ではない。


「このゴムマットから俺を押し出せば、また周囲の環境(金属)を使える」と完全に理解していた。


 彼は俺と組み合ったまま、俺をマットの外周へと向かって力任せに誘導し始めた。


 俺も、それが分かっている。


 ゴムマットの端まで、残り一メートル。


 五十センチ。


 槙野が一気に押し込んでくる。


 俺の踵が、ゴムマットの縁からハミ出しそうになった。


     ◆


 その瞬間。俺の視界の端に、あるものが入った。


 俺を押し込もうとして、槙野が身体を強く捻った瞬間。


 彼の腰の後ろ。通電ユニット。


 その側面にある、真っ赤な『主電源遮断レバー』。


 俺は、バッテリー本体を直接見なかった。


 槙野本人の顔も見なかった。


 ただ、その小さな赤いスイッチだけを、鋭く見据えた。


 そして、俺はふと思い出していた。


 前回の試合。


 玲奈は、最初の二発で柴崎本人への直接射撃が不利だと見切ると、その後は一発も本人を狙わなかった。


 標識。固定具。排水蓋。


 彼女は、相手が戦うための『環境(盤面)』を撃って、勝利したのだ。


(……そうだ。俺も、こいつ本人を直接狙って殴る必要はないんだ)


     ◆


 俺は、槙野の腕を押さえていた左手をスッと離し、その指先を彼の腰の横へと伸ばした。


 狙うのは、腰のバッテリーを破壊することではない。


 その横にある、小さな赤い遮断レバーだ。


 《圧縮射出》。


 パァンッ!


 見えない空気の衝撃波が、数センチの至近距離から、真っ赤なレバーだけをピンポイントで叩き弾いた。


 カチンッ。


 レバーが、『ON』から『OFF』へと倒れる、小さな音がした。


 ピッ。


 槙野の腰の電源表示ランプが消灯した。


 同時に、彼の左右の電極手甲の通電表示のランプも、フッと消え去った。


     ◆


 槙野の目が、驚愕に大きく見開かれた。


 セコンド席で、玲奈がインカム越しに叫んだ。


『えっ!? 今、レバーが……何したんですか!?』


 水瀬は、目の前で起きた結果だけを冷静に確認した。


『主電源、OFFを確認。バッテリー本体に損傷なし。……遮断レバーだけが落ちています♡』


 俺は、呆然としている槙野へ向かって言った。


「電気屋さんに、さっき言われたからな」


「……?」


「通電中の設備を触る時は……先に、主電源を遮断オフしろって」


 槙野が、その言葉を聞いて、一瞬だけ自嘲するように苦笑した。


 電撃使いから、電気が完全に失われた瞬間だった。


     ◆


 だが、ここで重要なのは。


 槙野は、「電源が切られたから、ハイ俺の負けです」とあっさり降参するような素人ではないということだ。


 彼にはまだ、《身体能力強化》の異能が残っている。電気設備作業員として二十年以上鍛え抜かれた屈強な身体と、企業代理戦での格闘経験。


 ただの殴り合いになっても、彼はまだ十分に戦えるのだ。


 槙野は、即座に自分の腰のスイッチへと右手を伸ばし、電源を再投入しようとした。


 俺は、当然それを全力で阻止する。


 純粋な、能力なしの近接格闘戦へと雪崩れ込んだ。


     ◆


 槙野の右手が腰へ伸びる。


 俺が、その手首をガシッと取る。


 槙野が空いた左肘を俺の顔面へ落としてくる。俺は右腕のガードで受ける。


 槙野が、俺の足を掛けて転ばせようとする。俺は重心をスッと外して透かす。


 槙野は、一瞬でも右手を自由にできれば、腰のレバーをすぐに戻せる。


 俺は、その一瞬を絶対に与えない。


 俺は再び、彼の右腕を二対一で完全に制圧した。


 背後へと回り込み、腰を深く制御する。


 槙野が、強引に力任せに前へと出ようとした。


 俺は、正面からの力比べはしない。彼のその「前へ出ようとする力」を利用して、身体を横へと流すようにして脚を掛けた。


 ドスンッ!


 槙野が、ゴムマットの上へと背中から倒れ込んだ。


 俺は背後に回り込んだまま、彼の右腕を完全にロックし、首ではなく、肩と上腕を使った安全な関節の制圧ポジションを完成させた。


 槙野は、《身体能力強化》の力で強引に一度起き上がろうとした。


 俺も《身体能力強化》を全開にして押さえ込む。


 数秒間の、ギリギリの力比べ。


 だが、関節を完全に極められている槙野は、どう足掻いても自分の腰の電源へと手を伸ばすことはできなかった。


 最終的に。


 槙野は小さく息を吐き、空いた左手でゴムマットを二度、静かに叩いた。


 タップ。


 試合終了。


     ◆


 レフェリーが、即座に間へ割って入った。


「試合終了!」


「勝者、FIELD WORKS――佐伯直人!」


 俺は、槙野の関節のロックを解き、解放した。


 二人とも床に座り込んだまま、ゼェゼェと荒い息を整える。


 槙野が、自分の腰の後ろへと手を回した。


 赤いスイッチ。


 OFF。


 彼はそれをしばらくの間、ジッと無言で眺めていた。


 やがて、彼は苦笑しながら言った。


「……まさか、自分の電源スイッチを切られて負けるとは思いませんでしたよ」


「電気設備の専門家相手なら、これ以上俺が感電しないための、一番安全で確実な止め方でしょう?」


 俺が答えると、槙野も納得したように頷いた。


「そうですね。……通電している活線のままの相手に、バカみたいに素手で触り続けて力比べをするよりは、よっぽど正しくて合理的な判断です」


 俺たちは二人とも、根本のところで『設備仕事側の人間』なので、その安全第一の決着方法に妙に納得し合っていた。


     ◆


 試合後の控室。


 俺は、右腕の痺れをさすりながら、着替えを終えた槙野へ尋ねた。


「あの《導路》の能力、表の電気設備の仕事では、普段どうやって使っているんですか?」


「戦闘と違って、すごく地味ですよ」


 槙野は、少し照れくさそうに答えた。


「設備の試験用の低電力回路で、複雑な複数の導通経路がある時、試験電流を『今、どの系統へ通しているか』を確実に選んで確認したり。あるいは、災害時などの緊急の仮設配線に対して、『今、どのルートの電源を最優先で生かすべきか』を、絶対に間違えずに選択する時なんかに使います」


 ただし、と槙野は真面目な顔で付け加えた。


「自分の能力だけを過信して、安全確認を省略するような手抜きは絶対にしません。能力があろうがなかろうが、電源を切るべき時は必ず物理的に切りますし、検電する時は必ず検電器を使います。それが電気屋の基本ですから」


 俺は、彼のその実直な職人としての矜持に、かなり強い好感を持った。


     ◆


 玲奈が、横から槙野へ言った。


「でも、さっきの試合では、完全に恐ろしい『電撃使い』でしたよね。あんなにバチバチ火花を散らして」


 槙野は、困ったように頭を掻いた。


「ですから、あれは私が背負っていた『装備バッテリー』が電気を出していただけなんですよ。私自身からは、一ボルトの電気も出ていませんから」


「……」


     ◆


 帰宅後。


 俺は自室で一人になり、《目録解析》を開いた。


『《導路》Tier4』


『外部に実在する電気エネルギー(電源)が必ず必要』


『使用者自身には、発電能力は一切なし』


『物理的に導通している経路が必要』


『接触した導電ネットワーク内で、特定経路への電流配分を因果的に偏らせる』


『電源が供給できる総エネルギー量以上へ、威力を増幅することはできない』


『完全な絶縁、断線、空間(空隙)を飛び越えることはできない』


『使用者の回路構造に対する理解度が、能力の精度に大きく影響する』


『他者の身体を経路へ含めるには、その身体が導電経路のネットワークの一部として物理的に成立している必要がある』


 《ライブラリ》内の正式登録異能、二十一種類目。


 当然だが、新たな機能拡張の通知は出なかった。二十個の時にも何も起きなかったので、俺も今回は最初から期待していなかった。


 俺は《導路》の項目を見ながら考えた。


 これを戦闘で使おうとすれば、「電源がなければ使えない」という条件は、かなり不便でリスクが高い。


 だが、能力そのものの性質だけを見れば。


 非常用電源の切り替え、仮設電源の確保、設備試験、電気設備事故での安全確保、災害時の特定系統への電源供給など。


 昼間の建物管理に近い場面で、極めて有用になる可能性はある。


 もちろん、だからといって昼の職場で気軽に使えるわけではない。


 俺が《導路》を使えると知っている人間はいない。


 電気設備の前で突然こんな現象を起こせば、俺について説明できない情報を、また一つ周囲へ増やすだけだ。


 同時に。


 使い方を間違えれば、建物の配線をショートさせたり、火災を起こしたりする非常に危険な能力でもある。


「……これは、適当に家の中で家電相手に試すような能力じゃないな」


 俺は即決した。


 前に《荷重移送》を狭い事務所で試して床をギシギシと軋ませた反省もある。


 もし実験するなら、八咫烏の無人訓練区画など、誰にも見られず、電気設備を安全に隔離できる環境を確保できる機会が来てからだ。


     ◆


 今回の契約の決着。


 FIELD WORKS側の依頼企業が勝利したことで、大型データセンター群の『非常電源・配電設備更新工事』について、無事に優先交渉権を獲得した。


 槙野は、普通に自社の業務へと戻っていった。


 俺たちに対する怨恨もない。彼も決して悪役ではない。ただ、会社からの仕事として、真面目に俺と戦っただけなのだ。


     ◆


 帰路につく前。


 会場の駐車場に停めた車の中。


 水瀬は運転席に座っているが、まだエンジンはかけていない。


 後部座席の玲奈が、助手席の俺へ声をかけてきた。


「代表」


「なんだ」


「……電撃使いと戦った感想は?」


「二度と感電なんかしたくない」


 俺が心底ウンザリした声で答えると、玲奈がクスクスと笑った。


「でも、あの人は自分では電気を一切出せないんですよ?」


「知ってるよ。嫌というほどな」


 運転席の水瀬が、停車したままタブレットを操作して言った。


「では、ネクサスへ提出する本日の試合報告書の代表の負傷欄には……『佐伯直人、試合中に複数回感電』と書いておきますね♡」


「……それは普通に事実だから書いてくれ。労災みたいなもんだ」


「なんか、能力者の死闘の記録にしては、すごく地味でリアルですね」と玲奈が笑う。


 水瀬がタブレットをしまい、そこで初めてエンジンをかけた。


 俺は、まだ微かに痺れの残る右腕を揉みながら、夜の窓の外を眺めた。


 槙野修司は、最後まで自分では一ボルトの電気も生み出していなかった。


 それでも俺は、その日、人生で一番たくさん感電したのだった。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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