第11 話
白い塔を下りる。
大きな扉を開く。
まぶしい光が目に飛び込んできた。
そのとき。
「やあ、リリ。どこ行くんだ?」
振り返ると、フィンが立っていた。
リリは、無言で歩き出す。
「おいおい、シカトかよ」
フィンは苦笑した。
「最近レストラン来てないって聞いてな。心配してきてやったんだぜ」
「誰も来てくれなんて言ってません」
リリの声は固かった。
「じゃあ、どこ行くんだよ」
「星に帰ります」
「は? なんでだよ」
「あなたには関係ありません」
怒りを含んだ声。
フィンは肩をすくめた。
「ははは、その格好で帰るのか? 超恥ずかしいぞ」
リリははっとする。
「あっ……元に戻してください。戻すって言いましたよね。リリの卒業旅行はもう終わりです」
「卒業旅行?」
フィンは首をかしげた。
「お前、卒業式出てないのか?」
「卒業式?」
「まさか……最後の授業のあとに届いた手紙、読んでないとか?」
リリの胸がざわつく。
「あ……なんか、手紙が来てた……」
フィンは吹き出した。
「出てないなら、卒業してないぞ。リリ」
腹を抱えて笑う。
「天然だとは思ってたけど、ここまでとはな。ぎゃははは」
リリは、その場にへたり込んだ。
全身から力が抜ける。
フィンは笑い終えると、真顔になった。
「今のままじゃ、帰れないぞ」
「……なんで?」
「俺もそうだったからだよ。星に帰ろうとしても、飛べなかった。オルフェンに言ったら、謝っても無理だってな」
リリは、地面に額をつけた。
「どうして……」
しばらく沈黙が流れる。
「ひとつだけ方法がある」
「えっ……?」
フィンは塔を指さした。
「お前、もともと真実の塔の三十二階だったよな」
「うん……」
「今、何階か見たか?」
リリは振り返る。
塔の壁面に浮かぶ数字。
40
「えっ……」
「気づいてなかったのか? お前、何もしなくても上がってたんだよ」
リリは目を見開いた。
「……ほんとだ」
「五十階になれば無条件で卒業だ。お前、もともと優秀だったんだよ」
信じられない、という顔。
「五十階に行くには……?」
フィンは一言だけ言った。
「地球に行くしかないな」
リリは黙り込んだ。
逃げたい。
でも。
考え込んだ末、ぽつりと言った。
「……考えてみる」
そしてリリは塔へ戻っていった。
フィンはその背を見送りながら、もう一度塔を見上げた。
数字が、ゆっくりと変わる。
43
「今ので三階も上がったのか……」
小さく笑う。
「リリは、神に愛されてるな」
ふっと視線を落とし、
「俺も見習わなくちゃな」
そう呟いて、どこかへ消えていった。
部屋に戻ったリリは、扉を閉めると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
仰向けになり、天井を見つめる。
塔の上階にあるこの部屋は、窓の外にいつも雲が流れている。
それなのに、今日はなにも見えなかった。
――地球に行くしかない。
フィンの言葉が、何度も何度も、頭の中で反響する。
「なんで?」
声に出してみると、部屋の中に虚しく響いた。
「なんで地球に行かないと卒業できないの?
地球に行って、なにをしろって言うの?」
答える者はいない。
リリは目を閉じた。
自分は、命令されて地球へ行ったのではなかった。
――自分で、生きたいって思った。
あの日。
三十二階の部屋から外を見て、胸がざわついた。
じっとしていられなくて、魔法手帳を抱えて飛び出した。
そうだ。
あれは義務じゃない。
罰でもない。
課題でもない。
私は、自分で行った。
リリはゆっくりと体を起こし、ベッドの端に腰かける。
そして、記憶をたどりはじめた。
地球に来た、最初の日。
人間の野球選手と出会った。
大きなグラウンド。
土の匂い。
夕日に染まるユニフォーム。
初めて、魔法を使った。
ほんの少しだけ。
風を整えただけ。
勇気を、ほんの少しだけ押しただけ。
すると、いつも負けていたチームが勝った。
あの瞬間の歓声。
肩を抱き合って泣いていた選手たち。
「ありがとう!」と叫んだ少年。
――楽しかったなあ。
思わず、リリの口元がゆるむ。
でも。
次の試合で、リリは魔法を使わなかった。
それでも、彼らは勝った。
リリは引き出しを開け、魔法手帳を取り出す。
そっと開くと、ページが自動でめくられた。
淡く光る文字。
【その後、連戦連勝】
静かに記録されている。
リリは、その文字を指でなぞった。
「……私は、なにをしたの?」
勝たせたのは魔法だったのか?
違う。
最初の一勝で、彼らの目が変わった。
「勝てるかもしれない」
そう思えた瞬間。
それが、連勝の始まりだった。
リリは、はっと息をのむ。
「私は……勝たせたんじゃない」
勇気を、少しだけ押した。
もともと、強かった。
負けると思っていたから、負けていただけ。
リリは、ゆっくりと立ち上がる。
部屋の壁に浮かぶ数字を見る。
43。
小さく、静かに光っている。
「えっ……?」
さっきは40だった。
三つも上がっている。
私は、なにかした?
フィンの言葉が蘇る。
――五十階になれば無条件で卒業だ。
そして、もう一つの事実。
――リリは、まだ卒業していない。
「あ……」
胸の奥で、なにかが繋がった。
真実を知った。
卒業していないこと。
階数の意味。
地球に行く理由。
「この塔は……だから真実の塔なんだ」
まだ、真実が残っている。
まだ、知らないことがある。
そして。
「あっ、あー……」
リリは両手で顔を覆った。
「私、魔法使いじゃないのに“魔法使いリリ”って名乗ってる……」
それは、冗談のようで、でも確かな事実だった。
「ダメダメ。嘘はダメ」
小さく、でもはっきりと言う。
「やっぱり、私は魔法使いにならなければいけない」
それは、見栄でも意地でもない。
本当に、なりたい。
勇気を押すだけじゃなく、
真実を知ったうえで、
人間と向き合える魔法使いに。




