番外編⑨『レオンの目覚め』(レオン視点)
重い。
まるで石の下敷きになっているかのように、身体が動かない。
目を開けると、漆喰の天井が滲んで揺れた。
頭蓋の奥で鈍い痛みが脈打ち、吐き気が喉を焼いた。
「……ここは……」
見慣れた自室の天井。
だが、静かすぎた。従者の足音も、侍女の気配もない。
窓辺のカーテンは乱れ、机の上の燭台は倒れたまま。
普段なら一刻と置かずに片づけられているはずなのに。
上体を起こそうとした瞬間、右腕が痙攣して崩れ落ちた。
力が入らない。握ろうとした指は白く震え、まるで他人の手のようだった。
左の脚も同じ。力を込めれば込めるほど痺れが走り、震えが止まらない。
「っ……!」
息を荒げながら思い出した。
──公開審査。
白と青が衝突した舞台。
己の剣を木切れで弾き飛ばされ、膝をついた瞬間。
あの無表情の少年──カイル。
「カイル……ッ!」
掠れた声が、虚しい空気に溶ける。
怒りで熱くなるはずの胸が、いまはただ重苦しく、息をするだけで苦痛を伴った。
その時。
扉が軋み、数人の足音が室内に踏み込んだ。
父、そして兄たち。
その眼差しは冷たく、言葉は氷よりも鋭かった。
「──面汚しが」
「名門エルヴァン家の名を、地に落とした」
「ち、違う! あれは仕込みだ! 商会も研究院も、すべて俺を──!」
「黙れ!!」
父の声は一閃の剣のようだった。
「王都の広場は《白》の話題で溢れている。お前が膝をつき、民の前で敗北した映像が幻影師によって映し出されている。どんな言い訳も、もう通じぬ」
兄が続ける。
「お前の婚約は破談となった。相手の家は“異端の血”との縁を望まぬ。さらに、王都議会の議席も剥奪されるだろう。お前の愚行のせいでな」
「やめろ……やめろ……俺は、エルヴァンの剣だ……!」
「剣? 剣を握れぬ者が?」
兄が嘲笑を浮かべた。
震える右手を見下ろす。痙攣しているだけで、柄を握る力はない。
自分が誇ってきたものすべてが、舞台の一戦で剥ぎ取られたのだ。
父が吐き捨てる。
「お前はもう、エルヴァンの剣ではない。ただの失敗作だ」
その言葉は、刃より鋭く胸を裂いた。
家族の背は冷徹に遠ざかり、扉が音を立てて閉ざされる。
残された部屋には、重苦しい沈黙だけが広がった。
シーツを掴む。指の震えが止まらない。
嗚咽が漏れ、額が濡れた枕に沈んでいく。
「……俺は……」
思い出す。
幼い頃から“選ばれし者”と育てられた。「力こそすべて」「貴族は導く者」──それだけを信じ、誰よりも高みに立つと疑わなかった。
それが今はどうだ。
膝を折り、家からも切り捨てられ、剣すら握れない。
悔しさが、焼けつくように広がる。
脳裏に、カイルの静かな瞳が浮かんだ。
あの日、自分を射抜いたあの視線。
恐怖と嫉妬を思い出し、唇を噛み切った。血の味が広がる。
「認めん……! 絶対に……認めん……!」
その時。
窓辺のカーテンが、風もないのにふわりと揺れた。
視線を向ける。
燕尾服の男が立っていた。
紫の瞳が、淡く光を帯びている。
闇の中に自然に溶け込みながら、そこだけが異質な存在感を放っていた。
「……誰だ……!」
声は震え、掠れていた。
返答はない。
男はただ、静かに微笑んでいた。
憐れみでも侮蔑でもない。
ただの“観察”。
息が詰まる。
自分の弱さを、すべて見透かされているようで。
「俺は……まだ終わっていない……!」
レオンは震える声で吐き出す。
「必ず、奪い返す……! カイル……お前さえいなければ……!」
紫の瞳がわずかに細められた。
それは感情ではなく、記録する者の所作。
次の瞬間、男の影はかき消えるように消えた。
残されたのは、揺れる白布のカーテンと、冷たい夜気だけ。
レオンは血のにじむ拳を握りしめた。
だが、痙攣は止まらず、拳はすぐに開いてしまう。
嗚咽とともに、誓いの言葉が零れ落ちる。
「……奪い返す……必ず……」
誰にも届かない、哀れな呟き。
だが、その言葉は確かに“観察者”の耳に届いていた。
◇ ◇ ◇
夜の王都。
広場では白き滴の話題で人々が熱狂し、笑い、歌い、未来を語っていた。
誰も、エルヴァン家の一室で一人の男が崩れ落ちていることを知らない。
だが、魔人ヴァルザ=レヴェラは知っていた。
観察者の記録に、“没落する者の声”が一つ加わったのだ。
それは物語を進めるための小さな種火にすぎない。
だが、燃え上がれば──人も、街も、制度さえも呑み込む。
紫の瞳が、夜空の彼方で淡く瞬いた。
《つづく》
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