第43話『火傷の刻印 ―贖罪の始まり―』
鐘が三度鳴り響き、研究院講堂の大扉が開かれた。
広大な空間は、すでに熱を帯びている。観客席には貴族、商人、学者、市民が入り混じり、色とりどりの衣が重なり合った。
ざわめきは海鳴りのように渦巻き、「噂の魔素水は本物か」「規格外は危険だ」──その声は互いにぶつかり、熱を増幅させていく。
舞台中央、観測台座には白布が外され、光を宿した水晶が据えられていた。
その床を縁取る三重の測定陣は、いまや檻のようにも見える。
王都の秩序を守るための舞台装置。
だが今日、それは新しい波を受け止める器になりえる。
「ただいまより、《公開小審査》を開始する」
進行役を務める白衣の研究員が高らかに宣言する。声が魔晶拡声器を通り、観客席に響いた。講堂はしんと静まり返る。
観客たちはそれぞれが違う呼吸をしながらも、視線はただ一つに集まっていた。
舞台中央に立つのは──セリーヌ・ラフィネ。
白布の庇帽は取られ、素顔を晒していた。
栗色の髪をまとめ、頬はこわばり、唇は乾いている。
けれどその瞳だけは、揺れながらも前を向いていた。
「本日の被検者、セリーヌ・ラフィネ。王都在住、礼拝堂に登録あり」
進行役の研究員が声を響かせる。
観客席からざわめきが漏れた。
「ラフィネ家……まだ残っていたのか」
「没落寸前と聞いたが」
その言葉は刃のように突き刺さる。セリーヌは身を強ばらせ、それでも逃げなかった。
(逃げない。今度こそ──)
ラティナが舞台袖から小さく囁いた。
「始まるわよ。落ち着いて」
ミリエルが両手を胸の前で組み、祈るようにセリーヌを見守っていた。
フィノは観測器を固く抱きしめ、震える指先で鈴の調整を続ける。
◇ ◇ ◇
「まずは偽瓶から」
セリーヌは差し出された右手を温熱板に近づける。
じり、と熱が皮膚を舐めたが、痛みはすぐに増した。
「うっ……!」
額に汗が滲み、肩が震える。
机に並べられた瓶の一本が開封され、透明な液体がセリーヌの右手に垂らされた。
観測水晶は鈍色に揺れただけで、すぐに沈黙。
観客席から笑い声と呆れ声が散る。
「やっぱり偽物か」
「効く気がするだけだ」
セリーヌは唇を噛み、手を離そうとした──が、思い出す。
あの日。仲間を前にしながら、一歩を踏み出せなかった自分を。
手を板に押しつけた。再び焼けるような痛みが走る。爪の先が白くなり、喉の奥から声が漏れそうになる。
だが彼女は堪えた。
◇ ◇ ◇
「次、王都正規品」
淡い青の液体が同じように垂らされる。
液体が右手に触れた瞬間、より熱く感じたものの、痛みが和らいだ。
観測水晶は整然と波紋を広げ、陣は青白く光る。
観客席からは拍手が湧いた。
「やはり正規品だ」
「これが規格の力」
セリーヌは安堵の息を吐く。だが、すぐに再び熱が戻ってきた。
板の温度が──高すぎる。
さっきまでの検証用とは違う。
汗が滝のように流れ、手の甲が赤く膨れ上がってゆく。
「熱……っ!」
声が漏れ、体が震える。
観客の何人かは目を背けた。だが進行役も、査察官も動かない。
ラティナが袖で握り拳を作る。
「……ぬかった……! まさか温熱板が細工されるなんて……!!」
「セリーヌ!」
ミリエルが駆け寄ろうとする。
だがセリーヌは左手でこちらに静止を促し、右手を離さなかった。
「まだ……っ、まだです……!」
目には涙が浮かび、歯がきしむ。
それでも彼女は耐え続けた。
(もう二度と……逃げないっ……!)
◇ ◇ ◇
「続いて塩水」
進行役の声が淡々と響く。
無色透明の液体。効果はなく、痛みだけが増す。
「や、やめろ……!」
観客席のどこかから叫び声が上がる。
「見てられん!」
「煙が上がってるぞ!」
ざわめきは混乱に変わり、観測水晶は無反応を示し続ける。
セリーヌの手は赤黒く腫れ上がり、皮膚がひび割れ始めていた。
涙が頬を伝い、呼吸は荒く、声がかすれる。
「……あ、あの日も……助けられなかった……だから……今度は……」
観客のざわめきの中、彼女の声は小さく。
ミリエルは両手を口に当て、涙を浮かべた。
フィノは観測器を抱きしめ、必死に「止めて」と呟いている。
ラティナの目は鋭く、だがその奥に悔しさが宿っていた。
そしてカイルは──動かなかった。
動かず、ただ見つめていた。
その苦しみが贖罪であるなら、彼女が逃げないと選んだなら──見届けるのが自分の役割だと、胸に刻みながら。
◇ ◇ ◇
「ここまでで検証終了──」
進行役が口にした瞬間、観客席のあちこちから怒号が飛んだ。
「こんなの虐待だ!」
「証明にならん!」
「もうやめろ!」
セリーヌは膝をつき、燃えるような手を抱え込んだ。
呼吸は乱れ、声は掠れている。
けれど、その瞳だけは前を向いていた。
「次は……カイルの……水を……」
涙と汗に濡れたその顔は、かつて裏切った少女のものではなかった。
罪を背負い、それでも立ち上がろうとする──ひとりの人間の顔だった。
会場が凍りついたまま、進行役は声を失っていた。
誰もが次を待っている。
その一滴が落ちる瞬間を。
《つづく》
お読みいただき、ありがとうございます。
【今後に期待!】と感じていただけましたら、
ブックマークやリアクションをいただけますと今後の執筆の励みになります。
一緒に作品を育てていただけると嬉しいです。
※最新話は【毎日12時10分】更新予定です。
頑張って書いていきます。【お気に入り登録】していただけると嬉しいです。




