第37話『魔素に満ちる街と飢える人々』
王都の大路は、朝から声で満ちていた。
楽師の笛、荷車のきしみ、行商の呼び込み。香辛料と焼き立てのパンの匂いに、鉄と油と香水が折り重なる。
だが、その華やぎの端に、静かな影が伸びていた。
「見て、あれ」
ミリエルが指さした先、石造りの堂の前に長い列ができていた。
青い旗に金糸で《王立施療院》の紋。入口の脇では書記が木札を配り、額に「予診券」と記している。
列の途中で、粗末な衣の女が必死に懐を探り、銅貨を数えては首を振られていた。
「予診券は今日すでに売り切れだ。明朝、鐘が一つ鳴る前に来い」
門番が吐き捨てる。女はうなだれ、小さな子の手を握り直した。子の咳は乾いて、力がない。
ラティナが目を細める。
「施療院の入口で『予診券』を売るなんて、王都は相変わらずね。表向きは慈善、実態は抽選と前金。これじゃ“金で順番を買う”のと同じよ」
カイルは列の最後尾で立ち止まり、堂の奥を見据えた。建物の内側には、魔晶灯の白い光が揺れている。魔素の流れは確かに豊かだ。
だが、その川面に浮かぶ影が見える。──届かない人々の影だ。
通りを離れると、今度は石橋の袂で露店が並んでいた。
色とりどりの小瓶がぎっしりと台の上に並べられ、店主が声を張る。
「王都規格! 澱みなし! 痛み・熱さまし、一本銀貨一枚!」
木札には《王都鑑定印》の焼き印がある。丸い輪の内側に王冠の図。
だが、その印が押されているのは瓶ではなく札だけだ。
「触ってもいいか?」
「ダメダメ! そうやって盗む奴は多いんだ! 買ってからにしとくれ!」
店主の剣幕にカイルは、それもそうか、と銀貨を差し出し、一本を手に取った。
瓶の口をわずかに開けると、湿った空気の中に淡い匂いが広がる。
舌に一滴触れさせる。喉の奥にひっかかる鈍い残渣。
「……果物の汁が入っているだけか」
小さくつぶやいた声に、ラティナが肩で笑った。
「王都名物、《王都規格》の看板だけ本物ってやつ。鑑定印が“札”に押されてれば、庶民は安心する。いわゆる、効いた“気がする”ってやつね」
ミリエルは唇を噛んだ。
「こんなものを病の人に……」
「“本物”はちゃんとあるわ。貴族街の薬舗と施療院の倉にね」
ラティナは慣れた調子で続ける。
「販売は資格が要る。仕入れと卸の権利も限られてる。だから末端はそれっぽい物で利幅を作り、貧民はそれっぽい効果を得た気になる。──王都の『公平』は、こうやって帳尻が合っているの」
フィノが珍しく腕を組んで怒っている。
「……つまり、金のある者は本物を独占し、金のない者は“気休め”を飲むしかない、ってこと? 魔法を研究する者としては、腹が立つ話だよ。効かない薬ほど罪深いものはない」
その時だった。露店の向こうから、焼け焦げた布を巻いた男がふらつきながら現れた。
炭焼きの仕事着。右手は腫れ、指先が赤黒い。
男は瓶を掴み、震える声で問う。
「……これ、効くか」
店主は即答した。
「効くとも! 王都規格だからな!」
男が銅貨の袋を取り出す。だが札の額には届かない。
迷いは、一瞬だった。
カイルは男の前に進み出て、静かな声で言った。
「その手を見せてくれ」
布を解くと、皮膚はただれ、熱がこもっている。
カイルは懐から小瓶を一本取り出した。旅の途中で携行していた、自らの魔素水──ミリエル印の小さな瓶。
「少し、使っていいか」
男が戸惑いながらうなずく。
カイルは一滴、患部に落とした。
きしむような熱が、ふっと静まる。皮膚の赤が目に見えて退き始め、男の呼吸が整った。
「……あ、あんた、今のは……!?」
「ただの応急処置だ。深いところまでは届いていない。今夜は冷やし続けて、明日も診せた方がいい」
露店の周りで小さなざわめきが起きた。
「見たか」
「手が……」
「ほんとに効いてる」
引き寄せられる視線。寄ってくる手。
「頼む、うちの子にも」
「膝がもう何年も」
一瞬で、お願いの言葉が重なった。
ラティナが素早くカイルの腕を掴む。
「ここで配り始めたら、今日のうちに王都の『牙』に噛まれるわよ! 場所を移しましょう!」
ミリエルも周囲を見回す。
人垣の後方、革の帳面を片手にした男がこちらを観察している。
衣の袖口には細い銀糸の刺繍──王立研究院の紋。
カイルはうなずき、炭焼きの男に小瓶から手のひらいっぱいだけ注いだ。
「これで今夜を凌げる。明朝、施療院に行け。──それと、ここでは『王都規格』の札を信じすぎるな。中身を確かめる術を、必ず身につけろ」
男は何度も頭を下げ、涙をこぼした。
「ありがとう……ありがとう……」
三人は人の波を抜け、石造りの回廊へ身を寄せた。ひんやりした影の中で、息を整える。
ミリエルが小さく拳を握る。
「もどかしい。助けられるはずの手が、こんなに近くにあるのに」
フィノも頷く。
「私も同じ気持ち。本物を“知らない”ことを逆手に取ってる」
ラティナは淡々と言った。
「怒りは正しい。でも、ここは“仕組み”が敵。感情だけでぶつかれば潰される。まずは地図を描くのよ。誰が利権を握り、誰が印を押し、誰が札を配ってるか。──それを掴めば、穴は見つかる」
カイルは回廊の柱にもたれ、さきほどの露店を思い返す。
「王都のどこかに、“調合場”がある。印札と併せて回ってる。……辿れるかもしれない」
独り言に近いその声に、ミリエルとラティナの視線が集まる。
ミリエルの瞳に、真っ直ぐな光が宿った。
「辿ろう! ちゃんとすべての人に、“本物”を届けよう!」
フィノも微笑んで言った。
「知識で道を切り拓くのが、研究者の役割」
ラティナは小さく笑う。
「地図を描く係は任せて。商人の耳と足、舐めないでよね」
回廊の影から抜け、王都の裏通りへ踏み込む。大路から一本入れば、石畳は欠け、建物の間に湿った風が溜まっている。
裏手の路地では、別の露店が《訳あり品》を並べ、子どもたちがパンの端を分け合っていた。
ミリエルは腰を落とし、子どもたちと目線を合わせる。
「大丈夫? どこが痛い?」
女の子が膝を見せる。擦り傷は浅い。ミリエルは清潔な布と水で手際よく拭い、『癒光』で傷を癒す。
「お姉ちゃん、貴族さまみたい」
女の子は目を見開きながらも、まっすぐな言葉を投げかける。
ミリエルは小さく首を振る。
「ふふ、昔はね。でも今は、ただの旅人よ。──それでも、できることはある」
そのとき、路地の奥で乾いた靴音が止まった。
先ほどの銀糸の袖口──王立研究院の紋の男が立っている。歳は若く、目は鷹のように鋭い。
「珍しい治癒反応だ。──あなた方、どこの施療師だ?」
言葉は丁寧だが、響きに選別の色が混じる。
ラティナが一歩前に出て、笑顔を作った。
「旅の一座よ。街の良いところを見学に来ただけ。王都は見どころが多いわね?」
男は視線だけをカイルに滑らせ、薄く笑った。
「王都には“規格”がある。良いものは歓迎するが、無許可の“良すぎるもの”には、興味深い質問が増える」
そう告げて踵を返す。去り際、彼の視線がカイルの懐の小瓶にひっかかったのを、誰もが見た。
沈黙が落ちる。
ミリエルが息を呑んだ。
「今の人、研究院……」
ラティナは短く頷く。
「匂いをつけられたわね。でも、悪くない。向こうから門を開けてくれるなら、堂々と中へ入れる」
カイルは王都の空を見上げた。塔の尖りが灰色の雲を突く。
魔素はこの街に満ちている。光も、力も。
それでも、満たされないものがある。
腹。掌。心。
通りの向こうで鐘が鳴った。昼の合図。人の波がまた動き出す。
「行こう」
カイルが言う。
「川の上流へ。印を押す手のところまで」
三人は再び歩き出した。
王都の華やぎの下で、見えない川筋を探るように。
やがて彼らが辿り着くのは、王都の“牙城”。
──商人たちの城であり、規格と資格と鑑定印が積み重なった塔。
そこから先が、魔素流通の本当の入り口になることを、彼らはもう感じ始めていた。
《つづく》
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