第36話『王都の門をくぐる』
長い街道の果てに、灰白の巨壁が空を切り取っていた。
陽を受けて白く耀く石は幾層にも積み上がり、尖塔が針のように空を刺す。近づくほどに壁は視界のすべてを占め、風に乗って鉄と油の匂いが濃くなる。
「わああ……っ!」
最初に声をあげたのはフィノだった。銀色の髪をきらきら揺らしながら、彼女は目を丸くして壁を仰ぐ。
「すごい、すごい! あれ全部、魔力障壁を組み込んであるはず! 塔の先端から展開される防御陣……計算するだけで何年かかるんだろう!」
早口で畳みかける解説に、隣のラティナが苦笑する。
「防御陣を気にするのは研究者くらいよ。普通は『おお、でかい!』で終わりなの」
「で、でも! 知の都だよ!? 王立学院、研究院、魔導図書館……!」
フィノの頬は赤く染まり、落ち着きなく手帳をめくる仕草を繰り返す。
「……王都、懐かしいな」
ミリエルが小さく息を呑んだ。金の髪が風にほどけ、瞳には懐かしさと緊張が同居する。
「幼い頃、父に連れられて来たことがあるの。でも──こんなに大きく見えるのは初めて」
カイルは黙って列の流れを目で追った。荷を積んだ行商、槍を肩にした兵士、巡礼の一団、辻占い師、見世物小屋の呼び込み。門前の広場は、祝祭のような熱に満ちている。
だがそこに並ぶ顔は一様ではない。良い外套を纏う者は胸を張り、布の擦り切れた旅人は足元ばかり見つめている。
「ふふ、やっぱりね」
ラティナが肩をすくめた。
「門を一つくぐるだけで金貨が動く街。出入りの税、積荷の税、車輪の税。──ここでは空気を吸うにも相場があるのよ」
「うわ……商人は大変だぁ」
フィノが目を丸くする。
「でも、その仕組みを作り上げた人たちの頭脳は、ちょっと尊敬します……いや、ちょっとだけ!」
「尊敬するところがずれてるのよ、あなたは」
ミリエルが笑い、場の緊張が一瞬和らいだ。
列はじわじわと進んだ。前で揉める声が上がる。年季の入った荷車の男が、兵に積み荷の半分を取り上げられている。
「規定量を超えてる。没収だ」
「そんな、これがなきゃ村に戻れねえ!」
兵は鼻で笑い、背後の役人が手帳に朱の印を押した。赤い印は乾いた血のように鮮やかで、ひとつ押されるたびに、男の肩が一つ分落ちた。
「次、そこの四人」
鋲打ちの手甲がこちらを指す。金属の音が近い。
カイルは一歩前に出て、用意しておいた小袋を差し出した。旅の途中で整えた通行税分の銀貨。
兵は袋を受け取ると、わざとらしく天秤を取り出し、銀片を一枚ずつ乗せては目を細めた。
「足りんな。四人でこの額ではないはずだ」
ラティナが一歩進み、門票の掲示板を指差す。
「王都関門規定、今月の改訂。『旅人一名につき銀貨一枚、荷車なしは半額免除可』──ね? 殿方。ほら、あそこにちゃんと書いてあるわ」
その声は甘いが、言葉の端に刃がある。
「それとも、改訂前の古い相場で徴収なさる? 記録係に差異を書き留めていただきましょうか。今日の日付と、担当者のお名前つきで」
兵の喉仏がわずかに動く。背後の役人がわずらわしげに咳払いをした。
「……規定どおりでいい。通れ」
「さっすがラティナ……」
フィノが小声で感嘆する。
「こわいもの知らず」
「商人は怖がってたら負けなのよ」
ラティナは涼しい顔で答えた。
◇ ◇ ◇
四人が門の影をくぐった瞬間、世界がひらけた。
鼓動のように石畳が連なり、両脇には石造りの館。陽に赤い瓦が映え、色鮮やかな旗が風に鳴る。
高い場所では水道橋が銀の糸のように光り、広場の鐘が時を告げた。
人の波は絶えない。香水、焼いた肉、インク、鉄——匂いが幾重にも重なって胸に満ちる。
「この空気、この匂い、全部が研究対象……!」
フィノは目を輝かせ、通りの建物や街路樹にまで視線を走らせる。
「落ち着け、フィノ」
カイルが苦笑する。
だが、その華やかさに酔う暇もなく、カイルの視線は路傍に沈む影を捉えた。
大路の端、石段の影でうずくまる子供たち。硬いパンの欠片を争う細い指。手の甲には古い傷。
すぐ横を、金の飾り紐を垂らした馬車が駆け抜けた。車輪に跳ねた水が、子供の頬に冷たく散る。馬車の窓には天鵞絨が垂れ、そこに座る誰かは、石段の影を見もしない。
カイルは足を止めた。
ミリエルもまた、動けなくなった。
「……変わっていないのね」
彼女の声は、過去の自分を責めるように細かった。
「華やかさの影は、昔からここにあった。──私も、その側にいた」
カイルは静かに首を振る。
「罪を数えるために来たんじゃない」
彼は腰の袋から銅貨を取り出し、露天のパン屋に差し出した。焼き色の浅い小さなパンを幾つか受け取ると、子供たちの前にしゃがむ。
「ほら、手を出して。今日はよく噛むんだぞ。腹が痛くなる」
驚いた目がいくつもカイルを見上げ、やがて恐る恐る指が伸びる。
ミリエルはそっと膝を折り、子供の頬についた泥を布で拭った。
「少し待って。……はい、これで目に入らないわ」
フィノはそんな二人を見つめ、唇を噛んだ。
「……魔法じゃなくても、人を救えるんですね」
「魔法があるからこそ、魔法以外の救いも忘れちゃいけないのよ」
ミリエルが静かに応える。
ラティナは周囲の視線を素早く測り、商人らしい距離で見守っていた。
「目立ちすぎるのはよくないけど、今のは良い“投資”よ」
「投資?」
カイルが眉を上げる。
「ええ。人の心に残る取引は、あとで一番の利回りになるの。──いつか、あなたがこの街で何かを始めるときにね」
子供の一人が、パンを胸に抱えたままぽつりと呟く。
「ありがとう、お兄ちゃん……」
その声は小さく、けれど確かに街の喧騒を割って届いた。
《つづく》
お読みいただき、ありがとうございます。
【今後に期待!】と感じていただけましたら、
ブックマークやリアクションをいただけますと今後の執筆の励みになります。
一緒に作品を育てていただけると嬉しいです。
※最新話は【毎日12時10分】更新予定です。
頑張って書いていきます。【お気に入り登録】していただけると嬉しいです。




