番外編⑥『レオン・エルヴァンの疑念』(レオン視点)
森の奥に、獣の断末魔が遅れて落ちた。
風が吹き、血の匂いが湿った土と混ざる。レオンは剣先を軽く振り、黒い滴を払う。
刃はまだ吠えている。主の腕は、吠えたまま静かだった。
「……終わりだ」
踏み荒らされた落ち葉の向こうに、角を持つ狼〈ホーン・ウルフ〉が四頭、重なる。依頼書には二頭とあったが、現れたのは倍だ。しかも、最初の一頭を落とした瞬間、残りが一斉に散開し、こちらの陣形を切り崩しにかかった。
「ひ、ひぃ……お、終わったっすか……?」
サイラスが木陰から顔を出し、膝を笑わせる。杖を握る手は汗で滑り、目はどこも見ていない。
その隣で、マリーナが蒼白な顔で立ち尽くし、詠唱の一節を何度も舌の裏で噛み直していた。最後まで、一本の矢も、一本の正確な術も飛んでこなかった。
レオンは鼻で笑う。
「終わりも何も、始まってもいない。お前たちが動いていないせいでな」
「だ、だって……数が違……っ」
「予想外を“想定”して動くのが冒険者だ。紙に書いてある数だけ数える仕事がしたいなら、会計でもやっていろ」
後方で腕を組んでいたガルドが、面倒そうに肩をすくめる。
「まあ、レオン様がいればこの通りだろ。誰も死んでねぇ」
「俺がいなければ、誰も残っていない」
言い切って鞘に納める。剣の鍔に滲む血、左肩に走る鈍い痛み。楽勝ではなかった。連携としての最適解など、程遠い。
──そこで、一瞬だけ、あの男の手つきが脳裏を掠めた。
戦い始める前に地を撫で、風の向きと獣道の交差を読み、静かに位置を指先で示す、あの癖。
レオンは舌打ちで、脳裏の像を叩き落とす。
(くだらん。奴の名を思い出す価値など、どこにもない)
折れた角を拾い集め、皮袋に詰める。
◇ ◇ ◇
街に入る頃には夕刻、広場には暮色と灯火が混ざり、屋台の呼び声が空に跳ねていた。
冒険者ギルドで面倒なやり取りを終える。証明角は規定数以上、だが補助の痕跡が乏しいと窓口は渋い顔をした。
レオンは無言で視線を落とし、紙に判を押させた。勝ちさえすればよい。過程など、勝者の前では瑣末だ。
「にしても、すげぇ人だかりだな」
ガルドが通りの先を顎でしゃくる。
「なんだか、瓶が光ってる……?」
マリーナが目を細める。
「おや、知らないんすか」
サイラスが耳ざとく拾った噂を嬉々として口にする。
「最近流行りの“ミリエル印”ですよ。魔素水。どの属性でも扱いやすいって話っす。ギルドや酒場に樽で卸してるとか」
レオンは足を止めるつもりはなかった。だが、人波の隙間にちらりと見えた水面に、無意識に踵が返った。
澄明。光の粒がばらけず、線を描いている。瓶を持つ商人が動いても、内部の魔力の筋が乱れない。
“澱み”がない。
「……安っぽい“印”だな」
レオンは口角を歪めて言う。
「こういうのは見せかけだけは派手にする」
近くの商人の袖を掴む。
「それは何が売りだ」
「へい、旦那。揺れないんですよ、魔力が。注いでから少し置いても均質のまま。属性の尖りも少ないから、術者を選ばない。しかも供給が途切れない。酒場にも樽で卸し、ギルドにも置き始めてね」
「誰がこんな真似を」
「さぁ……“印”の名はミリエル。作り手は直接は見ないんで。間に入ってる商会が上手いのかもしれませんが」
商人は誇らしげに瓶を掲げ、底の刻印を見せた。
可愛らしい意匠、“M”の字を飾った印。
レオンはふんと笑い、手を払う。
「均質だの揺れないだの、耳障りのいい売り文句だ。魔素は生き物だ。均せば均すほど死ぬ。“扱いやすい”などと言う時点で、二流の発想だ」
「けど実際、術の立ち上がりが速いって評判でね」
「評判は、いつだって最初に踊る。沈むのはその後だ」
吐き捨てて背を向ける。
──それでも、胸の奥に小さな棘が刺さって残った。均質、揺れない、供給が途切れない。
かつての旅路で、あの男はいつも、焚き火の薪を太さごとに揃え、食事の塩ひとつまでも均していた。
乱雑を嫌い、安定を愛した。
戦いの最中でさえ、呼吸と歩幅を揃える事を怠らなかった。
《《均し過ぎる》》性質──それは、あの男の気味が悪いほどの“真面目さ”に、似ていた。
(……まさか、な)
レオンは内心でその二文字を叩き潰し、靴音を強く鳴らした。
◇ ◇ ◇
宿へ戻り、粗末な料理をつつく。
ガルドは肉を頬張り、サイラスは酒を弱く舐め、マリーナは匙を碗の縁で止めたままうわの空だ。
窓の外、夜の市場はまだ明るい。人の気配に混じって、カチリ、と盃が触れ合う微かな音がする。
レオンは卓を指で二度叩き、立ち上がる。
「明朝、王都に戻る」
三人の顔が一斉に上がる。
「えっ、戻るって、まだ地方の依頼が……」
「予定は変わる」
レオンは一拍も置かない。
「情報は王都に集まる。あの“印”がどこから来たか、上を辿れば嫌でも見えてくる」
サイラスが不安げに笑う。
「でも、レオン様。あの水が本当にいいものでしたら、俺たちにとっても得じゃ──」
「“本当”という言葉ほど安っぽいものはない」
レオンは冷たい目で切って捨てた。
「価値は俺が決める。他人の舌でなく、俺の目で。──そして、俺の足で踏み潰す」
マリーナが思わず息を飲む。
「踏み潰す、って……」
「市場の泡は、早めに掻き消すに限る。そうだろう?」
ガルドだけが曖昧に笑い、「王都なら、旨い肉が食える」と軽口で場を繕った。
サイラスはうつむき、マリーナは口を結んだまま、火の揺れに視線を落とした。
レオンは窓辺に立ち、夜の街を眺める。遠くでまた、盃の触れ合う音がする。
(均質。揺れない。減衰しない。供給が途切れない──)
一本の線が、頭の内でゆっくりと繋がっていく。
商人たちが売り文句にする「術者を選ばない」という噂。道中の村で聞いた「酒場で飲めるようになった“水”」の話。ギルドの掲示板に貼られた、なぜか「医療系の事故件数が減っている」という注意喚起。
つながる。意味が、静かに形を取る。
(いや──)
レオンは自らの思考に刃を当てる。
“もしも、奴だったら”。
その仮定は、彼にとって敗北に等しい。
奴の生を許すことは、自分の選択の否定だ。
裏切りの日、剣先を向け、背を向けさせ、誰一人振り返らなかった自分の“正しさ”を、根こそぎ揺さぶる。
窓枠を握る指が白くなる。
レオンは静かに息を吐き、冷ややかに笑った。
「──確認して、否定する」
独り言は、炎のぱちぱちという音に紛れて誰にも届かない。
一縷の可能性すら、焼き切るために。
王都は、そのために行く。
◇ ◇ ◇
翌朝、まだ薄暗い街路に蹄の音が鳴った。曇天の下、四騎が列を組む。
ガルドは肩を回し、サイラスは鞍にぎこちなく跨がり、マリーナは口を結んで無言のまま手綱を握った。
レオンは先頭で馬の首を撫で、街の門を冷たく一瞥する。門の外には、まっすぐな街道が王都へ伸びている。
「ついて来られない者は、ここで降りろ」
誰も降りない。降りるという選択肢を、この男の前で口にできる者はいない。
「なら、走るぞ」
拍車。
馬が土を蹴り、朝の冷気が頬を打つ。
背後で、遠く小さく、瓶の触れ合う音が最後に鳴った。カチリ。それは妙に、記憶に残る硬質さだった。
(待っていろ)
心の内だけで呼びかける。
名は呼ばない。呼べば、喉が焼ける。
待っていろ、カイル。
もし生きているなら──王都で、俺が否定する。
レオンは視界の端で、雲間のわずかな光を睨みつけた。
その目は、獲物の影に爪を立てる獣に似ていた。
《つづく》
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