第35話『誓いの別れ』
屋敷の廊下は、夜の深さとともに冷えていた。
足音だけが響く。
カイルはリシェルの肩を支え、ミリエルが前を照らし、ラティナとフィノが背を守る。
部屋に入ると、母の寝台は静かに呼吸を刻んでいた。
だが、その周囲からは、もうあの嫌な黒い靄は立ち上っていない。
「……消えてる」
フィノが低く呟く。
「やっぱり術者の死で、呪詛が切れたんだ」
ミリエルが小走りに近づき、両手を母の額と胸の上にかざす。
淡い光がじわじわと広がり、色を失っていた頬にわずかな赤みが戻る。
「魔力の流れは……回復し始めてる」
ミリエルは深く息を吐いた。
「大丈夫、目を覚ますはずよ」
しばらくして、母の指先がわずかに動いた。
まぶたが震え、細い声が空気を震わせる。
「……リシェル?」
その一言で、リシェルの膝から力が抜けた。
涙が零れ、彼女は母の胸元へ飛び込む。
「お母様……! 本当に……本当に……!」
母は弱いながらも腕を回し、娘を抱き締めた。
しばし二人は言葉もなく、ただ互いの温もりを確かめ合った。
カイルは視線を外し、窓の外の夜に目を向ける。
(……間に合った。けれど、これで終わりじゃない)
ラティナは黙って部屋を見回し、フィノは兄が残した仮面の欠片を布に包んで懐にしまった。
やがて、母はカイルたちに向き直る。
まだ青白い顔で、それでも微笑を浮かべた。
「あなた方が……助けてくださったのですね。心から感謝します」
「礼は要らない」
カイルは首を振る。
「俺たちは、放っておけなかっただけだ」
母は静かに頷き、リシェルの頬を撫でる。
「この子が……あなた方と出会えたこと、それがきっと、神の導きなのでしょう」
その夜は、看護と短い休息だけで過ぎた。
◇ ◇ ◇
──翌朝。
庭に面した回廊に、カイルたちと母娘、そして数人の使用人が集まった。
「もう歩けるなんて、さすがですね」
ミリエルが笑う。
母は「まだ杖は手放せませんが」と返し、リシェルは隣でそっと腕を支えている。
「これからも、母を支え、領地のために尽くします」
リシェルは真っ直ぐに言った。
「昨日までの私ではなく……これからの私として」
母は娘の言葉に目を細め、「その覚悟を忘れないで」と優しく告げる。
そして、カイルたちに向き直った。
「もし何か困難があれば、必ずお知らせください。私も、リシェルも、できる限りの力になります」
「……はい、心強いです!」
ミリエルが微笑みを返す。
見送りの言葉と共に、屋敷の門が開かれた。
外に出ると、朝の光が強く、昨日までの重苦しさが嘘のように空気は澄んでいた。
カイルは歩きながら小声で言う。
「放置できないな。兄の術も、契約も、どこから流れてきたのか……必ず辿るべきだ」
「同感」
ラティナがすぐに応じる。
「情報を集めるなら、王都が一番ね。私にも少しツテがある」
「もちろん私も行く」
フィノがカイルの袖をぎゅっと掴みながら言う。
ミリエルは空を見上げて笑う。
「じゃあ、決まりね。次は王都へ向かいましょう。カイルの元仲間もいるんでしょ?」
「……ああ」
カイルは頷く。その瞳には、決意の色があった。
王都へ──それぞれの真実を求めて。
一行は新たな道へと足を踏み出した。
《つづく》
《第7章・王都編 開幕》
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