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第33話『隠し部屋の呼吸』

 開いた隙間は、人が一人通れる程度。中は暗く、奥行きは分からない。

 冷気に混じって、鼻の奥を痺れさせるような、焼けた墨と鉄と湿った土の匂いがした。


「……隠し部屋……ほんとにあったんだ」


 ミリエルが息を呑む。


 ラティナが短剣を構え直す。


「私が先に行く。カイルは二番、ミリエルは灯り、フィノは後衛で記録と分析。リシェルさんは……」


「ここで待ちます」


 リシェルは唇を噛み、しかし揺るがない声で言った。


「邪魔はしたくない。でも、何かあれば呼んでください」


「うん、必ず! ──『灯光(トーチ・ライ)』」


 ミリエルが微笑んで頷き、手のひらに小さな光を生む。

 白ではなく淡い金。眩しすぎず、闇を滲ませない色が灯る。


 四人は縦列を組み、隙間へと身を滑り込ませた。


 通路は狭い。片側は素の石壁、もう片側は木板で塞がれ、ところどころに錆びた金具。

 足音が吸い込まれ、喉の奥だけが詰まる。


 数歩、数十歩。やがて、通路は小部屋へ開けた。


 そこは、()()だった。

 粗末な作業台、焼き焦げた坩堝(るつぼ)、灰になりかけの羊皮紙の束。壁には細い釘に吊るされた糸と玉、床には円環の痕。

 そして、作業台の中央に──、()()()()


 黒褐色に艶があり、墨ではない何かで文字が刻まれている。

 見たことのない文字。曲線と棘、そして意味を持つ“間”。

 カイルの皮膚が粟立った。()()()()()()()()()()()()()()


「……これ」


 フィノがそっと近づき、灯りを落として斜めから覗く。光の角度で文字の彫りが浮かぶ。


「印刷じゃない、刻印。紙というより、()()。……どの国の体系にもない。少なくとも私の書庫にあった群とは完全に別」


 ラティナが周囲を警戒しながら問う。


「契約文書、ってやつ?」


「“約定”の反復構造がある。甲乙丙みたいな主語が()()()()()けど、“代償”“拘束”“発動”の語形が繰り返されてる」


 フィノの声は低い。


「……ただ、人の“言葉”の組み立てじゃない。節と節の結びが……なんというか、()()()()()()に近い」


 ミリエルは息を呑んだ。


「やっぱり、呪いはここで?」


 カイルは、作業台の端に指を置いた。冷たさの下に、微かな鼓動がある。

 部屋そのものが、()()()()いる──。


(これは、人の我流じゃない。()()だ。誰かが与えた“手本”……)


 視線が紙へ戻る。黒褐の面に、光が滑る。

 読みたくない。けれど、読めてしまいそうな気配が、脳の奥を掻く。


「カイル、離れて」


 フィノが鋭く言う。


「こういうのは“読む”だけで縛られる可能性がある」


「そうだな、わかった」


 カイルは半歩退く。

 そのとき――


 ()()


 空気が裂ける。

 何の前触れもなく、部屋の奥から()()()()が走った。


 ミリエルの灯りが揺れ、ラティナが身体を捻ってカイルの肩を引く。

 弾は作業台の端を抉り、黒い粉が霧になって散った。


「隠れてるわ!」


 すかさず、ラティナが短剣を構える。


「前よ!」


 空間の裂け目。その向こうは闇。

 その闇から人影が現れ、裂け目が閉じる。


 細身、ローブ、仮面。おそらく男。


 口元は見えない。代わりに、胸の前にある両手が、明確な敵意を示していた。

 組まれた指。──おそらく“印”。


 その“印”の手前、黒い輪が浮かび上がる。


 フィノが短く叫ぶ。


「呪詛式、発動前段──!」


 男の両手のひら合わさり、ぱん、と音がする。


 次の瞬間、足元から壁、天井まで、小部屋全体がゴゴゴと低く唸り──

 本棚の奥、通ってきた通路側まで振動が伝播する。


「まずい、()()()()動く!」


 ラティナが叫んだ。


 カイルは反射で一歩踏み込み、手のひらの魔素水を盾状に変える。

 それを傘のように皆の上に広げ、守る。


 ミリエルは灯りを収束させ、フィノはミリエルに抱きつく。


 ゴゴゴゴゴ──

 世界が、ずれていく。

 床が揺れ、壁が回り、闇が開く。


 《つづく》


お読みいただき、ありがとうございます。

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一緒に作品を育てていただけると嬉しいです。


※最新話は【毎日12時10分】更新予定です。

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