第29話『貴族の街の依頼』
馬車は街道を外れ、広く整備された並木道へと入っていった。
揺れが和らぎ、窓の外に整然と並ぶ街灯や、白壁の建物がちらほらと見え始める。
「……ここが、グラディア伯爵領の中心街か」
カイルは窓越しにその景色を眺め、思わず小さく息を漏らした。
石造りの大通りには、貴族らしい華やかな衣装をまとった人々や、手入れの行き届いた馬車が行き交っている。商人らしき者も多く、地方の街とは思えない賑わいだ。
「意外と栄えてるのね」
ラティナが少し驚いた声を上げる。
「そうだね。没落気味って聞いてたから、もっと閑散としてるのかと思った」
ミリエルが窓の外を見ながら答える。
「外から見える姿が、必ずしも中身と同じとは限らないけどね」
ラティナが軽く肩をすくめながら言う。
馬車が街の中心へ向かうにつれ、建物の高さや装飾は豪奢になり、路地裏にも衛兵らしき影がちらつくようになった。
明らかに“権力者の街”という空気が漂っている。
(……どうしても構えてしまうな)
カイルは内心で呟く。
自分はこの世界で、貴族と向き合うたびに、どうしても身構えてしまう。
対等に話せる相手など、ほとんどいなかったからだ。
やがて馬車は一際広い石畳の前で止まり、御者が扉を開けた。
「到着いたしました。こちらが伯爵家の屋敷でございます」
視線を上げた瞬間、その規模に思わず息を呑む。
白壁と深緑の屋根、正面には噴水があり、庭には色とりどりの花が咲き乱れている。
豪奢というよりも、手入れの行き届いた静かな威厳が感じられる建物だった。
「立派……だね」
フィノが小さく感嘆の声を漏らす。
「さて、どんな言いがかりをつけられるのやら」
ラティナが小声でつぶやくと、カイルは苦笑した。
「縁起でもないこと言うなよ……」
しかし、屋敷の玄関が開き、整った制服を着た執事が深々と一礼したことで、その予想はわずかに外れる。
「遠路はるばるお越しくださり、誠にありがとうございます。伯爵家当主代理より、皆様を丁重にお迎えするよう仰せつかっております」
案内されるままに玄関をくぐると、磨き上げられた大理石の床と、壁にかけられた油絵が目に飛び込んでくる。
どこか緊張感を孕んだ静けさの中、使用人たちが一行を恭しく見送りながら廊下を進む。
(……丁重すぎる。逆に不安だな)
カイルの胸中は、警戒で満ちていた。
やがて、二枚扉の広間に通される。
大きな窓から差し込む光が、部屋の中央のソファを照らしていた。
「初めまして。グラディア・アールシュ伯爵家の娘、リシェルと申します」
そこに立っていたのは、カイルと同じくらいの年頃の少女だった。
薄い金髪が陽光を受けてきらめき、澄んだ青の瞳が真っすぐこちらを見ている。
高価なドレスを着ているが、その表情はどこか焦燥を帯びていた。
「私はカイルです。こちらは──」
カイルが仲間を紹介しようとすると、リシェルは軽く首を振った。
「お名前は伺っています。皆さんのことは……ある方から聞いておりましたので」
「ある方?」
ラティナが目を細めるが、リシェルはそれ以上は答えず、ソファを勧めた。
使用人が紅茶を用意する間、リシェルは少し迷うように視線を伏せ、それから真剣な声で口を開く。
「単刀直入に申し上げます。どうか──母を救ってください」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
「……お母様が、何か?」
ミリエルが身を乗り出す。
リシェルは唇を噛み、かすかな震えを押し殺すように続けた。
「数日前から、原因不明の昏睡状態に陥っています。王都の神殿から司祭を呼び、祈祷を受けましたが……効果はありませんでした」
彼女の瞳に、迷いと恐怖が浮かんでいる。
「私の家は、名門でもなく、政治的にも孤立しています。だから、助けを求められる相手が限られていて……」
ラティナが低く問いかける。
「つまり、普通の病じゃない。そういうこと?」
リシェルは、はっきりと頷いた。
「母は──“呪い”をかけられているのです」
その一言が、部屋に冷たい影を落とす。
フィノが眉をひそめた。
「呪い……? でも、呪術を扱える人間なんて、今はほとんどいないはず」
「ええ。だからこそ、恐ろしいのです。誰が、どうやって……そして、なぜ母を狙ったのか」
リシェルは両手を膝の上でぎゅっと握り締めた。
わずかな沈黙の後、その瞳がカイルをまっすぐ射抜く。
「あなた方の魔素水の力を、どうか……母に。もう、あなた方に頼るしかないのです」
カイルは言葉を失い、仲間たちを見渡した。
誰も軽々しく口を開こうとはしない。
ただ、外から吹き込む風がカーテンを揺らし、微かな冷気が部屋を撫でていった。
その風に乗ってきたような、得体の知れない気配が、カイルの背筋をぞくりと走らせる。
(これは……ただの病気じゃない)
その直感が、確信へと変わるまで、時間はかからなかった。
《つづく》
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