第1話 「無加護者の少年」
薄暗い森に朝もやが漂い、小さな小屋にかすかに差し込む光。その光は、木漏れ日の模様を変わるがわる作り出していた。
その小屋の中で、少年レイは朝食の準備をしていた。
薪をかまどにくべ、くすぶる炎が小さな鍋を温めている。スープの香りがふんわりと立ち上り、空腹を優しく包むように広がっていった。
「ふう、今日も静かだな……」
レイは、ほんのわずかに微笑を浮かべて呟いた。しかし、その瞳にはどうしようもない寂しさが揺れている。彼の心に住み着いたこの静寂は、一人きりの生活が続くたびに重く、冷たく染み込んでいた。
レイは生まれながらに「無加護者」と呼ばれる、左手に刻まれるはずの加護の証「タグ」を持たない存在だった。
この世界ではタグを持たない者は異端とされ、忌み嫌われる。
それはまるで、この世にいてはならない者だと断罪されるかのように……
彼はその宿命ゆえに、産まれてわずか3年で家族に捨てられた。
魔獣の巣窟である森に、置き去りにされたのだ。
しかし、そんな彼を拾い育てたのが、大魔道士と呼ばれるメイベルだった。
強大な魔力を持つ彼女は森に隠れるように住んでおり、誰も近寄らないその場所で、ひっそりと暮らしていた。
「ねえ、レイ。魔法ってのはな、ただの力じゃない。意志がこもって初めて意味を持つんだ」
そんな言葉を彼女が口にした日のことを、レイは今でも鮮明に覚えている。
師匠であるメイベルは、修行に関しては厳しい人だったが、いつも優しい眼差しを忘れなかった。
彼女の背中を追いかけながら、何度も教えを受け、叱られては笑顔で慰められた。
レイは魔法を学ぶ日々を幸せに感じていた。無加護者の自分が、誰かに必要とされている……そう感じられたからだ。
だが、そんな平穏な日常は、突如終わりを告げた。
メイベルが忽然と姿を消したのだ。まるで風に溶け込むように、気がついたときには姿が見えず、それ以来一度も戻ってきてはいない。
「今日も帰ってこない……か……」
窓の外に目を向け、ぼんやりとつぶやく。
外の景色は変わらず、森の木々が揺れ、小さな畑にはレイが育てた野菜が青々とした葉を揺らしている。
レイは数年間、自ら耕した畑を大切にしてきた。メイベルがいなくなった後も、彼はその生活を支えるために畑を管理し続けていた。
幸いそのような知識はメイベルが与えてくれた書物に残っていたため、特に困ることもない。
水やりの魔法、防虫交換を付与する魔法、土を豊かにする魔法……そんな魔法を使うことも、師匠との修行のうちの一つであった。
スープが煮立つ音に気づいて、レイはあわててかまどの火を調整した。誰もいない小屋の中で一人、朝食を整える手は慣れたものだ。メイベルは魔法以外はからっきしだ。そのため、自然とレイがその役目を担うようになっていた。
初めて料理を振る舞ったときの彼女の表情は、今でも忘れることができない。
「今日は、ちゃんと味が決まってくれるといいんだけど」
独り言を呟きながら、スープに少しだけ塩を足す。静かすぎる空間に自分の声が響くのは、いつものことだとは言っても、慣れるのにはまだ時間がかかりそうであった。
それほどまでに2人での生活は、長く、大切なものであったのだ。
日々が平穏であるほどに、レイの心に染み込むのは寂しさだった。
メイベルがいなくなってから、一人で生きていく日常に少しは慣れたはずなのに、どうしても心が埋まらない。
その孤独は、まるで見えない霧のように彼の胸に広がり続けた。
「ねえ、師匠……どうして僕を置いて行ってしまったの?」
ふと呟いた言葉は、虚空に消えていった。
当然だが、誰も答えてはくれない。
そのことが胸を締めつけるように苦しくて、レイは拳を握りしめた。
メイベルは無加護者である自分を特別に見てくれていた。
忌み嫌われる存在の自分に、無常の優しさを与えてくれた、唯一の人だった。
「僕がもっと強ければ……」
自分を責める気持ちは、幼い頃からの習慣のようになっていた。
家族に捨てられた記憶が、心の奥深くで響いている。
『お前なんて生まなければよかった』
そんな言葉が、今でも鮮明に蘇ることがある。3つのときの記憶の筈だが、悪夢のように脳裏にこびりついているのだ。
無加護者であることは、ただ存在しているだけで呪われた存在とされる。そんなレッテルを貼られた自分は、どうやって生きていけばいいのか。……分からない。
◇◇
満月の夜、月の光が煌々と小屋を照らしていた。他に明かりのない森の中では、月は自分が一番であると主張せんばかりの輝きで、木々を色付けている。
「……探しに行こう」
レイは、小さな決意を固めた。
もう何年も経ったのに、メイベルが戻ってくる気配はない。
ずっと待っているだけでは、何も変わらないのだ。
しかし、外の世界は怖い場所だと、彼は師匠から聞いていたし、自分で経験もしていた。町の人々は無加護者を恐れ、時には排除しようとする。
それでも――
「もう、待つだけなのは嫌だ」
畑を耕し、スープを作り、時には修行をして、過去を思いながら日々をやり過ごすだけの生活に、彼は終わりを告げることを決めた。
師匠がどこに行ったのか、どうして自分のもとを去ったのか。その理由を知りたいという気持ちが、彼の中で燃えるように膨れ上がっていた。
レイは小さな荷物をまとめ始めた。旅に必要なものは多くない。食料、簡単な薬草、そしてメイベルが教えてくれた内容がビッシリと刻まれたノート。
それらを丁寧に包み、背中の小さな鞄に詰め込んだ。
「怖くない、怖くない。何年修行をしてきたと思ってるんだ」
自分に言い聞かせるように呟くと、彼は深呼吸をした。
まだ10歳という年齢にしては、その背中はどこか覚悟を持っているように見えた。
無加護者として生まれた自分に、どれほどのことができるのかは分からない。
けれど、メイベルが教えてくれた魔法は、決して無意味ではないと信じたかった。
◇
外はまだ薄暗く、森の中には朝の冷たい空気が漂っている。
大きな木々が並ぶその道を見つめると、自然と胸が高鳴った。外の世界へ一歩踏み出すことに、期待と不安が入り混じっている。
「師匠、待っててね。僕は、僕の力で答えを見つけに行くから」
そう言ってレイは、一歩前に踏み出した。
冷たい風が彼の頬を撫で、心の中の決意を試すかのように吹き抜ける。
外の世界はまだ知らないことばかりで、彼を恐怖と危険が待ち受けているだろう。
それでも、師匠を探し、真実を知る旅は、今ここから始まるのだ。
小さな足音が草を踏みしめる音を立て、森の中へと消えていく。
その後ろ姿はまだ幼い。
しかし、確かな希望を胸に秘めていた。
初めての作品投稿です。拙いところは多いかと思いますが、よろしければ楽しんでいってください。