07 ギルド
「こことここ……あとはこの辺り。まあこんなところかな」
レグナンテスの街を詳細に描いた地図の上に、エミリー・ブルームは三つの向日葵の種を目印代わりに置いていく。
その様子を見て、リュードは渋い顔で言った。
「他に置くものないの?」
「こんなのなんだっていいでしょ」
彼女は素っ気なく返事をした。
事件現場からギルド本部に戻ってきたリュードはホール内の一室にいた。『マップルーム』と呼ばれるこの場所はその名の通り、レグナンテスの地図が部屋の中心を大きく陣取っている。地図には建物や旧外壁、街を横切る川などが正確に縮尺されており、向日葵畑や山のような周囲の地形も一緒に描かれている。
地図は基本的に平面だったが、あちこちに細長い四角柱が立てられている。それらは街中にある天気塔の位置を示していた。
「案外少ないな」
向日葵の種が置かれた地図を見てリュードは言った。
「まあ鍛冶屋、特に農具専門のってなるとね。で、犯人の持ってたっていうマチェーテを作った鍛冶屋がこの中にある」
「そうなるね」
「特定できるの?」
「できる」
即答だった。
「破片が僕の霊気に反応したことで、あれが霊鳴石によって作られたものだと分かった。ただの武器ならともかく、ああいった農具に使われることはまずないと言っていい」
霊鳴石は霊気や魔力などに反応する特殊な金属で、街に普及する魔法道具や衛兵の使うメイスなどにも広く使われている。リュードの短剣もこれを鍛えて作ったものだ。
「まずは霊鳴石製の農具を作った鍛冶屋を特定し、そこからマチェーテを入手した人物を調べていく。犯人の顔は……まあ彼女なら分かるんじゃないかな」
リュードは面倒くさそうに部屋の角に視線を向ける。
そこには椅子に座って待っていた例の赤い女が……
いなかった。
「なんだよ……」
『マップルーム』のドアが開いているのを見てリュードは思わず悪態をついた。廊下を抜けてエントランスへ行き、そこでようやく彼女を見つけた。
いつの間にか部屋を抜け出していた彼女は建物の中を照らすスズラン型の照明や受付嬢の背後にあるスコアボードなどを興味深そうに眺めていた。周りにいた人間も流石に彼女の存在に注目してしまっている。
じっとしていられない性格なのかもしれない。
リュードについてきたエミリーが訊ねる。
「あの子が?」
「悪霊になった人の顔を見ているかもしれない。あとなんかギルドに入りたいとも言っている。なるべく早くそっちに預けたいんだよね」
元々パラズマに関して何か情報を聞き出せればそれで充分だったのだが、ここまで案内する羽目になってしまった。
「できれば部屋で待機してほしかったんだけども」
食堂から流れてくる匂いに釣られてそっちに行こうとしている彼女を呼び止めるように、リュードは言った。
彼女はハッとしてこちらに向き直る。
「ごめんなさい、ギルドというものは初めてなのでつい」
「まあそれはいいとして」
エミリーが「近くで見ると背高いな……」とか小声で呟いているのを無視してリュードは続けようとするが、
「それで、君は……」
そういえば名前を知らない。
リュードが言葉を詰まらせている理由を向こうも悟ったのか、彼女は胸に手を当て、口元にわずかな笑みを浮かべて言った。
「フレイベル・ベニーロ。ベルとお呼びください」
ふわっとした雰囲気に反して、名乗る姿は凛としたものだった。
「分かった。ところでフレイベル」
「……」赤い女改めフレイベルから笑みが消えた。
「君はギルドに入りたいんだったね」
「ええ、きっとみなさんの役に立てると思いますわ」
「そんな立派な心がけを持っているなら、もちろん推薦状は持っているわけだ」
「推薦状? まさか、それがなければギルドには入れないと」
フレイベルが神妙な顔で言う。
なるほどね、とリュードは肩をすくめる。
「そのまさかだ。推薦状は、君もそうだろうが『外』から来た人間がこの街のギルドに入れてもらうために必要なものだ。元いた国でまず実力を認めてもらえないと、こっちのギルドには所属できないようになっている。変な奴が入ってこないようにね」
変な奴、という言葉に反応したエミリーが何か言いたげにこちらの顔を覗き込んでくるのをリュードは徹底的に無視する。この女の言いたいことは分かっている。
「そうだったのですね。わたくし、ギルドについてはこの街に着いてから知ったので……」
「地元の人くらいじゃないかな、ここで初めて存在を知るのは」
エミリーがなぜが脇腹を小突いてきた。
会話が途切れる。
しばらく沈黙していた三人に声をかける者がいた。
「どうかしたのか?」
その男は『マップルーム』などのある方の通路からやってきた。がたいの良い中年の男で、口元に濃い髭を生やしている。
「ボス」
エミリーがそう呼んだ男は、まあその呼び名の通りこのギルドの責任者である。ギルドマスターというもっともらしい役職名もあるが、大体はボスで通っている。
「お前たちが部屋にいなかったのでな」
ボスは自分が来た通路の方を指さした。
フレイベルに『マップルーム』で待機してもらおうとしていたのは、そもそも彼を呼ぶためだ。
「彼女が件の加入希望者です。まあ、推薦状はないみたいですけど」
リュードが告げると、ボスは顎に手を当ててフレイベルの方を見た。
「ふむ……悪いが、推薦状がないとなるとギルドに入れることはできない。改めて己の国で発行して出直してきてもらう必要があるな、何日かかるかはともかく」
「それでは困ります! わたくしはこの街に現れた魔物を一刻も早く探しにいかなくてはなりません、そのために来たのですから」
「それがこのギルドのルールだ。残念だが、今すぐというわけにもいかない」
ボスははっきりと言った。ギルドの責任者というだけあり、素性の知れない者をそう易々と引き入れるわけにもいかない。
フレイベルは「そうですか……」とだけ言って目を伏せる。落ち込んでいる様子だった。
そんな彼女を見ながら、エミリーがまた脇腹を小突いてくる。
「(ねえ)」
「(なんだ)」リュードは気だるげに反応する。
「(あの子ちょっと可哀そうじゃない?)」
「(別に。僕は関係のない話だ)」
「(自分が連れてきたんでしょうが)」
「(あっちが勝手についてきただけだ。それに、仮にギルドに入って正式にバスターになったところで、僕は彼女と協力して戦うつもりもない)」
バスターは強力な魔物に対抗するため、チームを組んで活動することが多い。
だがリュードは一人で活動していた。今回のようにエミリーに調べ物という形で協力してもらうことも度々あるが、外の魔物や街中に現れるパラズマに立ち向かうときは一人で充分だった。チームでいるとメンバー同士の連携が求められてしまうが、そのような作業を必要としないいわゆる『ソロ』の方がリュードの性に合っていた。
だから、ギルドにバスターが一人増える増えないなど、彼にはどうでも良かった。
同業者はあっても、仲間ではない。
そういうものだった。
だったのだが。
「そうだ、じゃああれ使いましょうよ! 『隣人制度』」
流れを変えるように、エミリーがそう言った。
「なんだっけ、それ」リュードが訊ねる。
「あれだよ、一緒に任務に参加してもらって、その活躍次第で適性があるかどうかを決めるってシステム。今あなたが追ってる犯人の顔も、この子はなら分かるかもしれないんでしょ? タイミング的にちょうど良いと思うんだけどな」
「それだと彼女がバスターになるべきか判断するのは僕になるじゃないか」
「いいじゃん」
「どうして僕がやらなきゃいけないんだ」
面倒くさそうにリュードは言い返した。
「確かにその制度があったか。あまりに誰も使わないのですっかり存在を忘れていた」
ボスが言った。
「ほんと、よく覚えてるよね」リュードが続ける。
「そりゃあ私はギルドの一員だし、そういう制度やらを知っておくのは当然でしょ? こういう時に役に立つんだから。あなたたち相手に笑顔を振りまいてるだけが私の仕事じゃないってコト」
「…………そんな仕事してる?」
「してるよ~いつも」
「笑顔を振りまくお仕事をされているのですか?」フレイベルが訊いた。
「してねえよ!」
エミリーが叫んだ。さっきと言ってることが違う。
「……いいか」ボスがわざとらしく咳をした。「フレイベルと言ったな、そういうわけで君にはこれからこの男に同行してパラズマを追ってほしい。君がギルドに相応しいかどうかは彼が決めることになる。彼は優秀なバスターだ、判断に狂いはないだろう」
「はい、ありがとうございます!」
フレイベルは弾んだ声で返事をした。
面白くないのはリュードだ。何やら勝手に話が進んでいる。
「ボス、確かに僕は優秀ですが……」
「お前の実力を見込んでのことだ。任せたぞ」
それだけ言って、ボスはその場を去っていった。悠々と歩く上司の背中をぼんやり見送っていると、エミリーが肩に手を置いてきた。
「ま、頑張りなよ。あなたに天使が降りてきたと思ってさ」
「今天使の話をしないでもらえるかな」
リュードは向日葵畑で見た、真紅の鎧の姿をつい思い出してしまう。
「何の話でしょうか?」
「あなたはこいつにとっての天使って話」
割り込んできたフレイベルに、エミリーは適当なことを口走った。
それを聞いたフレイベルは、なぜか憐れむような顔をした。
「お言葉ですが、天使とは地上に生きる人々を等しく見守る者。誰か一人のための存在ではありません。わたくしがあなただけの天使になることはございませんわ」
それでは参りましょうか、とフレイベルは出口に向かって歩き始めた。
取り残されたリュードの横でエミリーが吹き出した。
「…………何かな」
「いやぁ~残念、フラれちゃったねぇ」
にやにや笑いを抑えきれずにいるエミリーに、リュードは溜息を吐いた。
そして言った。
「笑顔を振りまくお仕事、お疲れ様です」
脇腹をどつかれた。