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フレイミングフレイベル  作者: 風上 環
第1話 エンジェル・ミーツ・ワールド
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05 ここはどこ

 正直なところ、フレイベル・ベニーロは道に迷っていた。


 彼女は旧市街を目指していた。そこに行けばギルドの本部があると聞いたので早速向かってみることにしたのだが、そもそも旧市街とは何を指しているのか、どこにあるのかさえ分かっていないのであった。丘を降りて最初に見かけた第一街人(まちびと)から「ギルドなら旧市街にあるよ」と聞けた時点でなんだか満足してしまい、ありがとうございますと会話を切り上げたのが良くなかった。


 自分がどこに向かって歩いているのか分からない、なんて自覚した頃にはもう随分と歩いていた。この街に来て最初に降り立った展望台が遠くに見える。なるべく人目につかない方が良いだろうと思って選んだ場所だ。


 上から見下ろすのと、実際に歩いてみるのとでは街の印象も変わる。ほとんど屋根ばかりが見えていた建物は少しずつ高さが違う。壁に使われる材料も様々だった。


 軽装の衛兵や荷車を牽いた巨大な鳥とすれ違っている間に、フレイベルはマーケット地区に辿り着いた。

 野菜や果物、手製のアクセサリーに衣服まで様々なものを売る露店がたくさん並ぶその場所を行き来する人々は肌の色も多様で、この街がいろんな国から来た人間によって成り立っているのだというのを思わせる。


 通りは活気に満ちていた。人混みも喧騒も、なんだか心地よかった。


 が。


「待てコラーッ!」


 怒鳴り声だ。声のした方に視線を向けると、十歳前後の少年がこちらに向かって走ってくるのが見えた。マーケットを行き交う大人たちの間をすり抜けるように駆ける少年は磁器製の皿を手に持っており、幼い顔には焦りと興奮が混ざったような感情が浮かんでいた。


「誰か捕まえてくれ!」

 おそらく皿を盗まれたのだろう、男の声が再び聞こえてきた。


 助けを求める声には応えるのが天使というもの。

 フレイベルはその場から一歩も動くことなく、自分の横を駆け抜けようとする少年の服の腰辺りを掴むと、そのままひょいっと持ち上げてしまった。

 彼女は力が強かった。


「ぐえっ」

 掴まれた少年は、フレイベルの腕一本に吊るされた状態で手足をじたばたさせている。


 暴れる少年を持ち上げたままぼんやり突っ立っている彼女のもとに、先ほどの声の主であろう男が駆け寄ってきた。少年を捕まえようとして彼自身も走ったためか、少し息が上がっている。


 男は呼吸を整えてから言う。

「いやあ助かったよ、この歳になると走るのも一苦労だ」

「この子はどうしましょうか」


 いくら暴れても仕方がないと悟ったのか、少年は大人しくなっていた。


「とりあえず、盗んだものは返してもらう。それから衛兵に突き出してやる」

 少年が持っていた磁器製の皿を取り返した。

「まったく、目を離した隙に盗んでいきやがって、このっ」


 男はそう言って少年の頭を小突こうとする。


 フレイベルは腕を振って男の拳骨が当たらない位置に少年をずらした。空中で身体を揺らされた少年が「うっ」と小さく呻く。


「暴力はいけません、相手はまだ子供ですわ」

「でも盗みは盗みだ。こういうのは子供の内からちゃんと怒ってやらなきゃいけない」

「確かにそれは大事かもしれませんが、この子はどうしてもこのお皿が欲しくて仕方なくやってしまったに違いありません。ここはわたくしに免じて……」

「あんたに免じたらどうなるってんだよ」


 男は呆れたように言う。


「大体、俺は金に困ってやったようには見えないね。きっと仲間同士で盗みを競い合ってるんだろう、どうせ。誰が一番大物を盗んでこれるとか、そんなだ」

「そ、そんなんじゃねえし」ようやく少年が口を開いた。

「悪い方に考えすぎですわ。それにしても、よくそのような発想が」

「俺に聞くな」男は咳払いした。「……で、本当に欲しかったのか?」


「いらねえよ、もう!」

 少年が叫ぶ。


「ま、どのみち貰えるわけでもないし、くださいとか言ってもしょうがねえわな」

「諦めてはいけませんわ。そうです、わたくしが代わりにお金を出すというのはどうでしょうか?」

「えっ」

「なんだ、あんたが買ってくれるのか」

「ええ、もちろん」

「なら良いや! うちの店はこっちだ」

「いらねえって言っただろ! なんで買う流れになってんだよ、ていうかそろそろ降ろしてくれよ!」

 男についていくフレイベルに吊るされながら少年が叫んだ。


 往来をしばらく行った先に男の店はあった。二階建ての建物の一階部分が店になっており、道路側に少しはみ出るように置かれたテーブルに商品の磁器が並べられていた。大中小の皿や一式のティーセット、花瓶などの磁器にはすべて花柄の模様が描かれている。


「好きなのを選ぶといい、どれも成形から絵付けまで丁寧にこなした自信作だ」

「とてもよくできていますわ、ですが、今は彼の分を優先しなくては」

「あぁ別に追加で買ってくれるわけでもないのね」


 店主の男があからさまに声のトーンを落とすのを意に介さずに、フレイベルは今まで片腕の力で持ち上げていた少年の身体を地面に降ろした。着ていたジャケットの懐に手を差し込み、数枚の銀貨を取り出して男に渡す。


「それではこちらで」

「あいよ」


 フレイベルは銀貨と引き換えに男から小皿を受け取ると、そのまま少年に手渡した。

「はい、どうぞ」

「うん……」

 少年は完全に興味を失っていたが、善行を働いていい気になっている彼女に気圧されて小皿を手に取ってしまう。ぼんやりとした目つきで小皿を眺めている。


 役目を終えたフレイベルは得意げに鼻を鳴らし、改めてギルドに向かうという本来の目的を果たすためその場を離れようとしたが、


「ちょっと待った! これじゃ買えねえよ」

「えっ」


 男に呼び止められ、彼女は足を止める。


「金額が足りませんでしたか?」

「そうじゃなくて」


 男はフレイベルに渡された銀貨を彼女に見せる。王様らしき誰かの横顔が彫られた、少しくすんでいるが確かに銀貨だ。


「この銀貨古すぎ。これって旧大陸でずっと昔の時代に使われてたやつじゃないか? コレクションとして欲しがるやつに渡せばちょっとは金になるかもしれないが、この街の買い物には使えないね」

「なるほど、そうなのですか。このお金はお父様が使っていたそうなので、わたくしも使えると思ったのですが……」

「あんたの親父、いつの時代の人間だよ」


 店主の男は首をかしげ、呟くように言いながら銀貨をフレイベルに突き返した。そして少年からも小皿を返してもらい、テーブルの、それが元々置いてあったであろう位置に置き直す。

「悪いがこれは売ってやれないね」


「結局買えねえのかよ!」

 茶番に付き合わされた少年はフレイベルの脛を蹴っ飛ばしてどこかへ行ってしまおうとする。だが、少年は振り返った先に立っていた客の存在に気付かなかったようで、そのままその人にぶつかってしまった。


 その客は長身で、真っ黒なローブに身を包んでいた。目深にかぶったフードからわずかに覗く顎髭やローブ越しの体格から、男であることは分かる。


 ローブの男は己にぶつかってきた少年の存在を気にも留めず、店主の男に訊ねた。

「それは……磁器だな」

「ああ、そうだが」

「硬いのか?」

「硬いのかって。まあ、結構壊れにくいって評判だな」

「そうか」

 そう言って、彼は纏っていたローブの中から何かを取り出す。それが草木の伐採などに使うようなマチェーテであると周囲の人間が気付いた時には、ローブの男は次の行動に移っていた。


 テーブルに並ぶ磁器目掛けて、マチェーテが勢いよく振り下ろされた。


 フレイベルはマチェーテの軌道上にいた少年を咄嗟に抱えて避けるので精一杯だった。鼓膜を貫くような甲高い音がマーケットに鳴り響き、売り物の磁器がテーブルごと真っ二つに切断された。

 地面に散らばった商品はどれも綺麗に一刀両断されていた。皿もティーセットも花瓶も、たった一振りでそうなったとは思えないほどたくさんの磁器が見事に二等分されて転がっていた。


 マーケットが静まり返る。

 人々の視線がローブの男に集中する。当の本人は素知らぬ顔で破壊された磁器を眺め、その場を立ち去ろうとした。


 店主の男は膝から崩れ落ち、半分になった磁器の一片を震える手で拾い上げて「なんてことだ……」と悲しげに呟いたが、それから決意したように破片を握りしめて立ち上がった。


「待て……よくもやってくれたな!」


 店主の男は磁器の破片をローブの男に投げつけた。

 破片が背中に当たり、ローブの男は立ち止まって静かに振り返る。


 その状況に、それまで静観していた周囲の人々も乗っかってきた。

「なんだなんだ」

「こりゃひどい」

「危ないやつめ」

「とっちめてやろう」


 などと次第にヒートアップしていき、彼らもその辺にあったゴミや小石なんかを拾ってはローブの男に向かって投擲し始めた。


 民衆の怒りが一人の人間に集中していく。

 その様子を見ていたフレイベルは、ついローブの男を庇う形で彼らの前に立ちはだかってしまう。


「みなさん落ち着いてください!」

「そこをどいてくれお嬢ちゃん。そいつはここにいちゃいけねえ」

 店主の男は言った。

「ですが……」

「そいつは『悪霊』に憑かれてるんだ!」


 悪霊。

 確かに聞こえたその言葉に、フレイベルはしかし戸惑ってしまう。


 その言葉が何を指すのか。

 なんてことを考えたり、訊ねたりしている余裕はなかった。

 なぜならこの時、彼女越しにローブの男を睨みつけていた民衆たちの表情が少しずつ青ざめていくのが見えたからだ。


「お、おい……後ろ」

 店主の男は恐る恐るといった様子で彼女を、厳密には背後にいる何かを指さした。


 空気が一変する。

 バチッ、という静電気が走るような感覚がフレイベルのうなじの辺りを駆け巡る。太陽が雲に隠れた時のように、わずかに身体が冷える感じがした。


 フレイベルはただ振り返ることしかできなかった。

 がしっ、と彼女の頭が鷲掴みにされ、すべての動きを封じられてしまった。


「なっ……」

 頭を掴む力はとても強い。ぎりぎり、と頭蓋骨が悲鳴をあげる。


 目の前にいたのはローブの男ではない。

 真っ青な外殻に覆われた魔人がそこに立っていた。


 彼女の視界に最初に飛び込んできたのは六つの目だ。昆虫の複眼のような、感情の全く読めない三対六つの黒い球体が青い顔面に縦に並んでいる。その相貌に鼻や口にあたるパーツは存在せず、ただ闇のような眼球がこちらを冷たく見つめていた。

 次に確認できたのは頭部から生えている一本の長い触角だった。ポニーテールみたく腰の辺りまで伸びたそれは外殻と同じ青い色をしているが、一定の間隔ごとにある節のように出っ張った部分だけが黒く変色している。


 そこまでだ。

 そこまで理解できたところで、青い外殻に覆われた魔人は恐ろしい腕力でもってフレイベルの身体を真横にぶん投げた。


 頭を掴まれて投げられるまで、ほんの一瞬の出来事だった。


 ガッシャアァ! という何かが盛大に壊れる轟音と共に、フレイベルの身体は近くの別の店の中へと勢いよく突っ込んでいく。


 悲鳴が聞こえる。


(なぜ……)


 どこかの店の、結構奥の方まで飛ばされたのだろう。掠れる視界の中で魔人の姿がずいぶん遠くに映っている。


(街の中では……魔物は出ないと聞いてたけど……)


 頭を打った、などという表現では足りない衝撃を全身で受けた彼女は、朦朧(もうろう)とし、薄まっていく意識の中で、そんなことを考えていた。

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