03 降り立つ者
フレイベル・ベニーロは丘の上の展望台からその街を眺めていた。
正円を描く壁に囲まれた城郭都市を中心に、カラフルな建物が放射状に広がっていくレグナンテスという街の姿は、まるで大陸に咲いた一輪の花のようであった。花びらを構成する建物の一つ一つに色んな人間が暮らしていて、それぞれの生活や人生があるのだろう。そう思うと何だか愛おしく思えてくるし、自分がここへ来た意味を強く再確認する。ところで壁は魔物の侵入を防ぐためと聞くが、壁の外にも人が暮らしているのは大丈夫なのだろうか。
風が吹いていた。
乾いた空気が彼女の頬を撫でる。緩やかにウェーブした紅い髪が炎のように揺らめいた。
地上に来るということで気合を入れて長袖のジャケットを選んでしまったが、この気温なら着替える必要もなさそうだ。暑さには強いという自信がある。
風で崩れた前髪を直していると、バサバサバサ! と何やら騒がしい羽音が背後から聞こえてきた。
展望台に人はおらず、ただ大量の鳩が群れているのみだった。その鳩の群れが一斉に羽ばたき、大きな柱のようなものを作り上げていた。
柱から、人影が姿を現す。
するり、と。宙に留まりながら羽ばたきを繰り返す鳩たちの間をすり抜けるように、誰もいなかったはずの空間から現れたのは光沢のない灰色の全身鎧を纏う大男だった。
羽ばたきが止み、灰色の鎧がゆっくりと近づいてくる。鳩の頭部を模した丸い兜を見て、フレイベルは特に驚く様子もなくその名を呼んだ。
「グレイハート、わざわざ会いに来るなんて珍しいですわね。いつものあなただったら鳩を寄越すだけですのに」
「わざわざ会いに来なければならない事態だということだ。勝手に天界を出ていくとは何を考えてる、天使が地上に降りることの意味を理解してるのか?」
「ええ、よく考えましたわ。そして決めたのです、わたくしは地上で、人々の役に立つべきだと」
「そうか、それは良い心がけだ。独断で行動に移すところはお前の父によく似ている」
グレイハートは兜越しのくぐもった野太い声で言う。
「ありがとうございます」フレイベルは胸に手を当てて頭を下げる。「実はここに来る途中で人間を一人救ったばかりですの」
「……魔物を切ったか」
「その通り! もしかして見てました?」
「お前のやりそうなことだ」
両手を合わせて表情を明るくする彼女に、グレイハートはため息交じりに答えた。
「向日葵畑の真ん中で魔物に襲われそうになっていたのを見かけたので、わたくしが助けてあげましたの。ちょっと大きな爆発を起こしてしまいましたが、きっと無事でしょう。正しき力を正しく振るう、天使として当然の行いですわ」
「その人間は助けを求めていたと思うか?」
「え?」フレイベルはきょとんとした顔になる。
「必要ない者にまで力を貸す意味はないということだ」
口を半開きにして固まる紅髪の天使に、もう一人の天使はさらに続ける。
「知っているか、地上では一部の人間はギルドというものに所属して魔物と日夜戦っている。彼らはバスターと呼ばれ、人々の平和を守っているのだ」
「ギルド……」
「聞け、『炎の子』よ。確かに我々は人間を守ることを使命としてきたが、彼らだって自分たちの命を自分たちで守れるぐらいには強くなった。かつては天使が地上へ降りて戦うことも多かったが、今はそういう時代ではない」
「そうですか……」
フレイベルは神妙な顔つきで黙り込んでしまう。これで彼女が考え直し、天界へ戻ってくれると思ったが、
「では、わたくしもそのギルドに入ろうと思います!」
あまりにも元気よく宣言され、グレイハートは流石に言葉を失った。
「俺の話を聞いていたのか?」
「そうと決まれば早速街へ向かいましょう。『伝える者』グレイハート、わたくしはこれからこの地上で人々のために戦います、天界には戻らないと皆にお伝えください」
「……聞いてないな」
グレイハートは小さく息を吐く。兜の下でどんな顔をしているかは誰にも分からない。
「言っておくがお前は天使だ、あまり目立つような真似はするなよ」
「もちろんですわ。どうか見守っていてくださいな、伯父様」
「それと」
彼は最後に一つだけ付け加えた。
「地上が、お前を求めているとは思わないことだ」
グレイハートが身を翻し、一斉に飛び上がった鳩の群れに覆いつくされた。灰色の鎧が完全に隠れ、鳩が去った後に彼の姿はどこにもなかった。
彼方へと飛び去る鳩を眺めながら、フレイベルはグレイハートの残した言葉の意味をしばらく考えた。




