09 ろうそく売りの症状
まさか広場のど真ん中に舞い降りるわけにもいかず、レグナンテスの外周から少し離れた場所に着地したフレイベルは『歩いて帰ってきた感』を演出しながら街に戻った。戦闘時はともかく、平時に無闇に天使の姿を晒すのは避けておきたい。それは流儀に反する。
もう夕方だ。沈みかけの太陽は分厚い雲に覆われてどこにあるかも分からず、紺色の空模様がいつまでも続いている。天界にいた頃は知らなかった空だ。
オレンジ色の街灯に照らされた大通りをフレイベルは歩く。この街灯、辺りが暗くなったタイミングで自然と点灯する仕組みになっていて、明るいうちに蓄えておいたエーテルを解放しているのだとトトゥーナが解説していた。
そういえば彼女はまだ『センパスチル』にいるだろうか。帰る前に寄っておきたい。食事は別々でも良いことになってはいるが、今日はなんとなく一緒が良かった。
『これ以上僕に付き纏うな』
あの少年の言葉が頭の中に残っていた。
彼はなぜあそこまで自分を避けたがっているのか。訊きたくもあるが、普通に一蹴されて答えてくれない気もする。
素直に従って、関わらないでいるべきだろうか。
たぶんそれが一番楽な選択肢だ。
でもリュードはせっかく地上でできた知り合いでもある。なんとなく放っておけない。
「すみませ~んちょっとお時間いただけないでしょうか? 実は今とっても良い話があるんですよ~」
頭の中が緑髪の少年と『センパスチル』への道順でいっぱいになっていたフレイベルは、その声が自分に向けられていると遅れて気が付いた。
フレイベルに斜め後ろから話しかけていた声の主は、歩みを止めた彼女の前に立ち塞がるように現れた。
若い男だった。彼は淡い黄色の蝋燭を提示しながら、
「すごく簡単に稼げる方法があるんです。まずはこの蝋燭を買って、他の人に紹介するだけ。買ってもらった時点で紹介報酬としてお金を受け取れる仕組みになっているんですすよ!」
「はあ……お金の話には興味がありませんわ」
「まあそう言わずに、あなたは見たところギルドの人間だ。魔物なんかと戦ってないで稼げるならそっちの方がいいじゃありませんですか」
張り付いた笑顔で迫ってくる男にどう返したものかとフレイベルが悩んでいると、誰かが二人の間に割り込んできた。ゆったりしたシルエットの服を着た青髪のその女性は「はいはいそこまで!」とフレイベルの腕を掴んで引き離した。
「エミリー」
「絶対に買っちゃだめだからね!」
ああちょっと、と男が呼び止めるのを無視してエミリーはフレイベルを連れ、大通りの建物と建物の隙間に逃げ込んだ。
男が追いかけてきてないのを確認してから、エミリーはフレイベルに向き合う。
「リュードは一緒じゃないの? ……まあいいや」まだ何も言っていないのに、エミリーはこっちを制止するように手をかざした。「ベル、一応聞くけどまだ誰からも買ってないよね?」
「何をですか?」
「蝋燭」
エミリーは建物の陰から顔を出して「ほら」と大通りを行き交う人々を指さした。
さっきは気が付かなかったが、ほとんどの通行人がその手に蝋燭を持っている。そして彼らは蝋燭を持たない者に声をかけてはエネルギッシュにプロモーションしていた。
「蝋燭を買った人はみんなああなっちゃうんだよ。さっきまで蝋燭なんて少しも興味なさそうだった人たちまでがさ、購入した途端に他の人にまで蝋燭を売るようになる。気が付いたら街中があんな人たちで溢れてんの」
「ふむ……」
「おかしいと思わない? これってたぶん……」
「パラズマ、ですか」
うん、とエミリーは頷いた。
「ギルドの中でも蝋燭を買った人が結構いるみたい。このままどこまで広がっていくんだか」
「パラズマに取り憑かれた人に心当たりは?」
「まだ出現報告がないから分かんないけど、最初に蝋燭を売り出したのはマイリーっていう蝋燭屋の子だって聞いた」
マイリー。
名前はともかく、昼間に見かけた少女の姿が脳裏によぎる。
「ではそのマイリーを探しましょう」
「私も? いや置き去りは困るけどもっ」
建物の陰から躊躇なく飛び出したフレイベルの後をエミリーが追った。
○
その辺を歩いていた蝋燭売りにマイリーの居所を聞き出した二人は蝋燭のセールスをほどほどに躱し、まっすぐと彼女のもとに向かった。道中、蝋燭売りの彼らに声をかけられたフレイベルが良心の呵責に耐えかねて話につい乗ってしまうことが幾度かあったが、そのたびにエミリーが無理やり引っぺがした。こちらに笑顔を見せる相手に背を向けるのは心が痛んでしまうものの、奴らはそういう善意に付け込んでくるのだと彼女は言った。
言われたところで割り切るのは簡単じゃない。
フレイベルは天使で、エミリーは人間だった。
天使と人の違いはともかく、それにしたって街中が蝋燭売りだらけで一人ひとり回避するのも大変だった。声をかけてくる人間はすべて『そう』だと思った方がいい。エプロン姿の中年女性に楽器を持ったソンブレロの男、衛兵に修道女に小さな子供、挙句の果てには大剣を担いだ同業者のバスターの男まで……年齢、性別、肌の色問わず誰も彼もがその手に持った蝋燭を他者に売りつけようと夕暮れ時の街を彷徨っていた。
一見バラバラな彼らは共通して、光の宿っていない虚ろな目をしていた。生気がなく、意思も感じられない。それこそ何かに取り憑かれたかのように、蝋燭を売ることだけを目的としていた。
これもパラズマの仕業なのだろう。初めに戦ったのが『素体パラズマ』と呼ばれるプリミティブな個体だったフレイベルは知らなかったが、パラズマには特殊な能力を備えた個体もおり、能力は取り憑いた人間の精神や衝動が反映されていることが多いようだ。
仮にこの光景がパラズマの能力によるものだとして、それは本当に宿主の望みが叶ったと言えるのだろうか。
「いた」
情報通りの場所に到着し、そう声を上げたのはエミリーだ。
とあるエリアの公園だった。カラフルな花と背の高い木々が草原と組み合わさった、レグナンテスという都市の一角に区切られた人工的な自然の空間。大通りに比べるとまばらな本数の街灯に照らされた、レンガ製の細長い園路を辿った先が目的地だ。すり鉢を半分こにしたような、階段状に窪んだ半円の最下段が小さなステージになっている。
音楽の演奏やダンスを披露するのが本来の用途なのだろうステージの中心にその少女は立っていた。見た目は十五歳前後、黒髪にスカーフを巻き、ワンピースを着た彼女は確かにフレイベルが日中見かけた蝋燭屋の娘だ。
ただし、スカーフに挟んだ二本の蝋燭が頭から生えているおまけ付きだが。
蝋燭屋の娘・マイリーは何かを熱心に語っていた。それを聞く、客席になっているすり鉢の階段部分に詰め合って腰かける聴衆の、虚ろな目とは裏腹な薄っすらと笑みを浮かべた表情ははっきり言って不気味だった。
「あっ! あなたは」
いまいちピンと来ない演説をしていたマイリーがこちらの存在に気が付いて話すのを止める。
「マイリー……これ以上蝋燭を広めるのはやめてください」
客席と客席の間のより細かく分けられた段差をゆっくりと降りてフレイベルは言う。背中に引っ張られるような感触があるのは、後ろでエミリーがジャケットの裾を摘まんでいるからだ。
傍から離れないようにしているらしい。実際、上で待っていればいつ蝋燭を買わされてしまうか分からない。
「どうして?」
マイリーが首をかしげ、わずかに微笑んだ。そこには自らを理解しない者への軽蔑の感情が込められている。
「私の蝋燭はこんなにも多くの人に手に取ってもらっている。それを今更売るのをやめろだなんて、冷やかしのつもりなら帰ってくださいな」
「あなたは悪霊に取り憑かれています。あなたにとって大切な蝋燭を、そのような方法で広めるのは間違いですわ」
「間違ってなんかない!」
マイリーが叫んだ。それと同時に、彼女の頭のスカーフに差し込まれていた二本の蝋燭が「ぼうっ」と青く燃え上がった。
「あなたは何も分かってない! 蝋燭は人を幸せにする、魔法道具にはない温かみがあるんだ!」
彼女の声とその奥の感情に呼応するように、揺らめく青い火が明滅している。
「大体、あなたはあの時だって蝋燭を買ってはくれなかった」
静かな声でマイリーは言った。少しずつ、彼女の笑みが消えていく。
「それは……」フレイベルは言葉を詰まらせてしまう。
「まあいいでしょう。これから買わせてしまえばいいだけ……そしてどんな方法だって構わない……! 私はこの蝋燭をみんなに届けるんだ!!」
激昂するマイリー。蝋燭の青い火が一層勢いを増した。
それだけじゃない。
バリバリバリ!! と彼女の全身を青白い稲妻が駆け巡った。視界を埋めつくすような電撃の中から姿を現したのは青い甲殻に覆われた魔人……ではなかった。
一言で表現するなら白い巨人。どろどろに溶けた蝋によってコーティングされた体躯は宿主たるマイリーの体より一回りも二回りも大きく、見上げる高さにある顔もまた蝋に包まれている。両目に当たる部分からそれぞれ突き出した、ねじれのついた蝋燭はカタツムリの触角を思わせた。
極端に肥大化した右腕は巨大な蝋燭と一体となっており、騎馬兵が使うランスのように長く鋭く尖っていた。左腕や両脚、胸や腰回りに装着された真鍮色の防具はどこかアンティークの燭台めいている。
「すべての人間に……もれなく蝋燭を買わせてやるーっ!!」
蝋燭の魔人・キャンドルパラズマに姿を変えたマイリーは蝋燭型のランスと同化した右腕を天高く突き上げて叫んだ。
上着に入っている魔針盤がけたたましいアラームを鳴らした。対象は目の前にいるのだから、わざわざ取り出して確認する必要もない。
フレイべルの右手の少し先に大きな炎の塊が音もなく現れた。真っ赤に燃える火球に躊躇なく手を突っ込んで引き抜いた時、彼女の手には既に銀の剣が握られていた。『降臨』にも使う、鍔部分に鍵穴の開いた剣だ。
火球の『鞘』から抜いた勢いを利用して、居合の要領でキャンドルパラズマに一撃を与えようとするフレイベルだったが、すんでのところで相手が跳躍し躱されてしまった。一度のジャンプで客席さえも易々と飛び越えたキャンドルパラズマは、すり鉢状のステージから抜け出して聴衆たちの後ろに着地する。
「待っ……!?」
すかさず追いかけようとして振り返るフレイベルだったが、しかし目の前の光景に声を失った。
そもそも、誰もパラズマの出現に悲鳴を上げず逃げようともしない時点で違和感に気付くべきだった。
客席の聴衆たちが、一斉に立ち上がってその首をガクガクと震わせ始めたのだ。目の焦点の定まっていない彼らの頭頂部から、一本の蝋燭が角のように生えてきたと思えば、マイリーのそれと同じ青い火が灯る。
「売ります」「ろうそく……」「ろうそく、売る……」
頭から蝋燭を生やした蝋燭売りたちが両手に蝋燭を持ってフレイベルとエミリーの二人に迫った。彼らは蝋燭を売ろうとしている。
キャンドルパラズマの能力で操られているのかもしれない。だが相手は人間だ。剣を振るうわけにもいかず、腕の力でどうにか蝋燭のセールスを押しのけながらキャンドルパラズマに近づこうとするフレイベルだったが、背後から小さな悲鳴が聞こえてきた。
エミリーだ。彼女のところにも客席から降りてきた蝋燭売りたちが群がっており、今にも蝋燭を買わされそうになっている。
目の前の蝋燭売りたちを無理やりどかして階段を上がればキャンドルパラズマのもとへは行けるかもしれない。しかしその間にエミリーが蝋燭を買わされてしまえば、彼らと同じ蝋燭売りになってしまう。
選択肢は二つ。
誰かを見捨ててまで誰かを追うか。
誰かを見逃してまで誰かを救うか。
悩む理由なんてなかった。
フレイベルは迷わず剣を手放した。宙に投げ出された剣が炎に包まれて虚空に姿を消すのを見届けている暇もない。エミリーに群がる蝋燭売りの一人をタックルで突き飛ばし、彼女の肩を掴んで引き寄せる。
「何やってんのアイツを追って!」助けられた当人は不服そうだ。
「そういうわけにもいきません、一緒に逃げましょう!」
階段の上からこちらの様子を眺めていたキャンドルパラズマは、人助けを優先したフレイベルをあざ笑うように肩を揺らすと、くるりと身を翻した。そのまま階段の向こうに姿を消してしまう。
言い合っている場合じゃない。
エミリーはその辺の切り替えが早いらしく、自身を庇う形で前に立つフレイベルの肩越しに、「逃げるなら本部に行って」と提案した。
フレイベルは頷き、近づいてきた蝋燭売りの一人を胸倉を掴んで思いっきり投げ飛ばした。大の男が軽々と浮き上がって後ろの仲間に激突、密集していた彼らはドミノ倒しのように連鎖的に倒れてしまった。
なぎ倒された稲のようになっている蝋燭売りに心の中でひっそり謝って、フレイベルはエミリーを連れて階段を駆け上がる。
公園にキャンドルパラズマの姿は見当たらない。包囲網を抜け出した二人はギルドの本部がある旧市街を目指して走り出した。




