02 太陽の街
多様な人種が集まるこの街で、少年の存在はかえって浮いていた。
新大陸の都市レグナンテス。
昼下がりの大通りを行き交う老若男女は肌の色も様々だ。クリームのような白、肥沃な大地を思わせる暗褐色に、栗の皮のように赤みがかった褐色と、濃淡の豊かな肌を持った人々が賑わう中を一人歩くリュード・ジャーガルの肌の色は、しかしそのどれにも当てはまらなかった。
霊郷の出身である彼の顔や腕はすっかり日に焼けて小麦色をしていた。ただ衣服から露出していない部分はまだ少し白さが残っているだろう。この街に来て二年になるが、同じようなエリアから来たという人間にあまり会ったことがない。
多様な人種と言ったところで、一番多いのは何だかんだ教会圏の人間だ。
魔物退治の任務を終え、街に戻ってきたリュードは街の大通りを粗い歩調で突き進む。世界中から寄せられた建築様式が混ぜ合わさったような建物の並ぶ現代的な街並みには目もくれない。
途中、道の向こうから歩いていた通行人にぶつかりそうになったのをギリギリで避けた。舌打ちと共に、睨むような視線を背後から向けられる気配を感じるが、リュードは完全に無視して歩き続ける。
とにかく機嫌が悪かった。
原因があの天使にあることは分かっていた。魔物と戦っていたリュードの目の前に現れ、巨大な魔物を一刀のもとに切り伏せたその姿。ところどころに金をあしらった真紅の鎧に、赤と黒の二色の翼を生やした異様な存在が、彼の脳裏に激しく焼き付いていた。
あれがラザム教の伝承に登場する天使だということは、信仰を持たないリュードであっても理解できた。それとは無関係の、ただの背中から翼を生やした何かが別にいても困る。
天使についてぐるぐると考えを巡らせながら意味もなく苛立ちを募らせていると、リュードの前に大きな壁が姿を現した。大通りを抜けた先にあるそれは、蜂蜜色の煉瓦を高く積み上げて造られた旧外壁と呼ばれるかつての街の外側だ。高さにして十メートルほどの壁は巨大な円を描くように聳え立ち、レグナンテスを魔物の侵入から防ぐ役割を担っていたが、時代を重ねていくうちに街は壁の外までその面積を増やしていった。その結果、何倍にも拡がった都市はいつしか外壁を必要としなくなり、今ではすっかり落書きとアートと自己表現の場となっている。
壁の四方にはアーチ状の門が開かれており、リュードのいる南門は正門にあたる。かつては頑丈な扉も設置されていたが、街の拡大と共にいつしか取り外されてしまったらしい。理由としては「邪魔だから」だそうだ。
壁の向こうからやってきた走り鳥が数人のバスターを乗せたワゴンを牽引しているのとすれ違うようにして門をくぐる。これから任務のために街の外へと出発するのだろう。白い羽毛に覆われた、鳥とトカゲの中間みたいな外見の大きな生物がリュードを横切った。
門を通り抜けた先に目的地のギルド本部はある。
街の中心部に構える本部はバスターたちの活動拠点だ。任務を任された者はそこから魔物の退治に向かい、帰還してはその成果を報告する。リュードもその一人だ。
門を抜けると、街は少しだけ時代を遡る。
白や橙の建造物と敷き詰められた灰色の石畳で構成されたレグナンテスの旧市街の街並みは、新大陸に渡る以前のラザム教会圏の建築様式が採用されたものだ。建物の屋根や柱に施された精緻な装飾には旧大陸から来た彼らの信仰が込められている。
一階部分が食堂やら酒場やらになっている集合住宅が軒を連ねる道を越えるとようやく広場に出た。広場の中心に立つ天気塔がまばらに行き交う人々を静かに見下ろしている。
広場を囲う建造物の中でも特に異彩を放っているのがギルドの本部だ。白亜の建物は一見すると何の変哲もないギルドホールのようだが、その屋根には向日葵の形をした巨大なオブジェが中から天井を突き破ったようにして生えていた。三輪も。
リュードはそんな陽気というより暢気なデザインのギルドホールの扉を開けて中に入る。
無駄に力を入れて扉を押したため、ばん! と大きな音を立ててしまった。建物内にたむろしていた同業者たちの視線が一斉にこちらを向くが、何事もなかったようにリュードから意識を逸らした。
ホール内には柱や天井にスズランの花みたいな形をした魔法道具が一定の間隔で設置されており、そこから放たれる光が部屋全体を照らしていた。正直、少し暗い気がする。
入って正面、他のバスターたちが談話をしている、椅子とテーブルが適当に置かれたエントランスには任務の受注と報告を行う受付カウンターがあり、向かって右の廊下は所長室や会議室に繋がっていた。向かって左の廊下の先にあるのは併設された食堂で、こっちの方が人の行き来が圧倒的に多い。
用があるのは当然カウンターである。床と一体化でもしていそうな、重量感のある木製の長机の向こう側で椅子に腰かけた三人のギルド職員たちがそれぞれ受付仕事に務めていた。
いや、真ん中の一人だけは思いっきり寝ていた。
ゆったりとしたシルエットの服に身を包む二十代半ばの青髪の受付嬢(受付の仕事をしているのだから、そうなのだ)は、両サイドの同僚二人が真面目に働いているというのにもかかわらず、頬杖をついて堂々と眠りこけていた。
誰も彼女を起こそうとはしない。優しさからか、関わるのが面倒なだけか。
顔の前で手を振ったり机をトントンと叩いてみるが、彼女は変わらず舟を漕いでいる。
「…………」
なので。
リュードは彼女の頬杖を払った。支えを失った顔が机に激突する鈍い音と、「うっ」という呻き声が聞こえた。肩まで伸びる青い髪が広がってタコみたいになっている。
ぎゃあとか言いながら青髪の受付嬢が飛び起きた。周囲の人間が彼女をちらりと視線を向ける。覚めたばかりの目を丸くしてあたりを見回していた彼女は、目の前に突っ立っているリュードが自分を起こした張本人だと確信するとあらかさまに表情を歪ませた。
「エミリー、魔物の出現情報はある?」
「その前に何か言うことがあるんじゃないのか?」
エミリー・ブルームは額をさすりながら言う。
「おはよう」
「違う」
「じゃあ……」リュードは顎に手を当てる。「ただいま」
「おかえり、だから違う!」
優しげな声は一瞬で消えた。
「眠りを妨げてごめんなさいと言えッ」
「そっか……エミリー、魔物の出現情報はある?」
「無視かよ」
エミリーは背もたれに寄りかかって唇を尖らせた。
「大体、今帰ってきたばっかでしょ? なんでまた行こうとするかね」
「納得がいかない」
「納得って。魔物を倒してくるだけのことに納得とかある?」
「ある!」
リュードはわざとらしく人差し指を立てる。
「あんなレアな魔物と戦うせっかくのチャンスがふいになったんだ」
「別にレアじゃないけどね。まあいいや、話してみな」
そう言って、エミリーは指をくいっと倒すジェスチャーをしてみせる。
手を出せ、ということらしい。リュードは素直に従い、自身の手、厳密には魔針盤の装着された左の手首を彼女の前に差し出した。
それからリュードは己の身に起きたことを語り始めた。向日葵畑に現れたヨーギの群れ、こちらに襲い掛かる奴らの一体一体をいかに華麗な動きで葬っていったか、残骸が集まって生まれた巨大なヨーギを一刀のもとにで切り伏せ、そして飛び去っていった謎の赤い天使の存在。
彼の話を聞き流しながらエミリーは自分の仕事をする。
まず彼女は右手の人差し指に指輪を嵌めた。爪の先までを金属の板が覆うような変わった形をしたその指輪は、これから行う作業に必要な魔法道具だ。
エミリーがその『爪の指輪』を嵌めた指をリュードの魔針盤に近づけると、魔針盤から細長い菱形をした橙色の光が浮かび上がった。全部で二十七個、つまり彼が撃破したヨーギと
同じ数の(一体は例の天使によるものだが)菱形が魔針盤の上に円を描いて整列する。
それからエミリーは指を振って自分の背中の方に向けた。すると菱形の光は彼女の指の動きに沿ってエミリーの背後にあるスコアボードに吸い込まれていく。ボードにはギルドに所属するバスターの中でも上位者の名前が並べられており、その横にはトータルの撃破スコアが表示されていた。
スコアは魔物の強さや数などから算出される。弱い魔物を五体倒すより、より強力な魔物を一体倒した方が多くスコアを獲得できることもある。
ランキング形式で並ぶスコアボードの中にリュード・ジャーガルの名前もある。そこまで高いわけではない位置にいる彼の横に表示された数字が菱形の光を吸収して変化する。インクで書かれているはずのその数字は、今回得たヨーギ退治のスコアを取り込んで少しだけ増え、それに連動して彼の名前の位置もランキングの上にいた他のバスターと入れ替わった。こういう技術もまた魔法道具によるものだ。
リュードのランキングが変動するのと、彼が語り終えるタイミングはほぼ同じだった。
「とにかく天使だ。あの赤い天使さえいなければ僕はもっと良い気分で帰ってこれたんだ」
「でもあんたが倒したことになってんだからいいんじゃない?」
「いいもんか。僕は戦いの中に生きてるんだ、自分で戦わないと意味がない。魔物と刃を交えることで生の実感を得る、僕はそういうところに意義を感じている。だからわざわざこの街でギルドなんかに属してるんだよ。分からない?」
「分からない」
きっぱりと返された。
二人の間に沈黙が流れる。
「まあ、君にとってはどうでもいいことか」
「そゆこと」
「なるほどなぁ」
それだけ言って、リュードは踵を返そうとする。
「お昼? 食堂行かないの?」
「今はそういう気分じゃない」