11 『降臨』
よっぽどの暇人か地域愛に溢れた者でもない限り、街の中心部から離れた隅っこのエリアにギルドのバスターが居座っていることはあんまりない。パラズマの出現を知らせるアラームはエリア内の魔針盤にしか届かないため、場所によってはすぐに駆け付けられないのがこのシステムの欠点だ。
「その腕輪で場所が分かるのですね」
「まあね」
それはそれとして、リュードたちは魔針盤の矢印に従ってパラズマの出現地点に来ていた。天気塔のセンサーを頼りにパラズマの居場所を知らせる仕組みになっているが、パラズマの変身者がその変身を解いて立ち去った後でも最初の位置情報を残しておける。
場所は教会。一面の芝生に囲まれた中にぽつんと聖堂が建っている。言うまでもなく、そこはラザム教の施設だ。
建物の入り口付近に人だかりができている。黒い服を着た男女と衛兵が何人かだ。例によってバスターはいない。
彼らが集まって見ていたのは天使像だった。大理石の真っ白な彫刻は鎧を纏った大男の姿をしていたが、腰の辺りから綺麗に切断されて上半身が地面に転がっていた。落下の衝撃で首まで取れてしまっている。
全部合わせたら人間よりも巨大な像だろうが、道理で人影で見えなかったわけだ。
「これはまた罰当たりな」
きっとマチェーテの代わりに大鎌をあの家から持ち出したリッキーがやったのだろう。
そう思って呟いたリュードに反応して、司祭服を着た男が振り向いてきた。宗教者らしい落ち着いた雰囲気の中年の神父はこちらがギルドの人間であると認めると、
「来てくれましたか」
と握手を求めてきた。
これに応じようと手を伸ばしたリュードだったが、神父が手を差し出した相手は隣にいたフレイベルであった。当然といった様子で握手をする二人の横で、リュードは宙ぶらりんになった手を何でもない風に降ろした。
フレイベルは握手を解いて崩れ落ちた天使像の頭部を拾い上げる。丸みを帯びた兜は、まるで鳩の頭のような造形をしていた。
「ああグレイハート……こんな姿に」
信仰がないと言っていた割には詳しそうな彼女だったが、リュードもその天使の名前はさすがに知っていた。
(グレイハート、天界のメッセージを地上に伝える者か。それにしても、天使はみんなこういう姿をしているのか?)
真紅の鎧を纏った例の天使が一瞬だけリュードの頭の中を通り過ぎて行く。
「悪霊が教会に現れては誰も安心できません、退治してきてくれませんか」
神父はその場の全員を代表するように頼み込んできた。
もちろんフレイベルに対して、だ。
リュードはそんな二人に背を向ける。ふと視線に入った庭の芝生は、最後の手入れから時間が経っているのか好き放題に伸びていた。
「約束しましょう。ただし、わたくし一人ではありません」
後ろの方でそんな声が聞こえた。
「彼も一緒に戦います。ですからどうか、我々を信じてください」
リュードは無言のまま、振り返らずに歩き出した。
すぐに追いついたフレイベルが彼の横に並ぶ。
「やる気だね」
「ええ、当然です。人々のために力を振るう。そのためにこの街へ来たのですから」
あなただってそうでしょう、とフレイベルはなんだか誇らしげに言った。
「別に、僕は君とは違う。自分の力がどこまで通用するのか、それを試したいだけだ」
「同じですわね」
「同じなものか」
そんな高潔な志で戦っているわけではない。
リュードは自嘲気味に笑うが、自らの言葉を反芻してある考えに思い至り立ち止まった。
「いや、同じか」
「ほら、やっぱり」
「君に言ってない」
きっぱりと否定する。
驚いて動きの固まったままのフレイベルにリュードは説明する。
「パラズマの行動パターンだよ。最初は普通に庭の草刈りをしていた彼は次々にその対象を変えていった。本格的にパラズマ化したのはマーケットで食器だかなんだかを破壊したときだろうが、おそらくその前にヤシの実、そして今回の天使像だ」
「少しずつ切りにくそうなものに狙いが移っている……ということですわね。確かに、彼はあの時お店の人に壊せるかどうかを訊ねていました」
「なるほどね。パラズマに取り憑かれた人間は己の衝動を抑えきれなくなる。歯止めが利かなくなってエスカレートしていくんだ。次はもっと大きなものを標的にするだろう」
「そうですか……しかし次に狙われそうなものに心当たりはあるのですか? 天使の像よりも切り甲斐のありそうなものなんて」
「あるよ」
即答だった。
「この街で最も頑丈で、決して壊してはいけないものが」
リュードが言うと、フレイベルもある可能性に気が付いたのか目を見開いた。
「そうと決まれば出発だ、フレイベル」
「ベルで良いと言ったのに……とにかく急ぎましょう! えっと……」
「どうした?」
「まだ……名前を聞いていませんわ」
そんなことか、と少年は息を吐いた。
「リュードだよ。リュード・ジャーガル」
○
天気塔は各エリアの中心にある。と言うより、天気塔から発生する結界の範囲こそが一つのエリアとして定義される。
天気塔の設置された場所は広場になっていることが多い。街のトレードマークが立つその広場は、集会や楽器の演奏など幅広い目的で使用されている。
リッキーという男が目指してやってきたのも、そんな広場の中心であった。建物に囲まれ大きく開けた石畳の空間の真ん中に、ひときわ背の高い方尖柱が聳え立ち存在感を放っていた。
リッキーの手に握られた大鎌が、彼が歩くたびに石畳の上を引きずられてガリガリという音を立てた。ローブを纏い大鎌を携える死神めいた男の姿に、通行人たちは関わるまいと距離を置きながらも意識を向けずにはいられない。
彼は天気塔の前に立ち、表面をそっと撫でる。霊鳴石なる金属を素材とした塔は太陽の光を受けて少しだけ熱を帯びていた。
塔に刻まれた文字が橙色に光っていた。結界を発動するための魔術的な意味を持った文字列だ。天界から降り注ぐエーテルを原動力としているため、エーテルの供給が断たれない限り天気塔は恒久的に稼働し続ける。
街を守護する大きな魔法道具。魔物の出現を阻害する結界を張り巡らせ、レグナンテスで暮らす誰もがその恩恵を授かっているそれがひとたび壊れてしまえば、街にどんな被害が出るかなど想像に難くない。
天気塔というシステムに頼る現代において、それは最大の禁忌。
だからこそ、彼は衝動を抑えきれない。
リッキーは腰を落として大鎌を地面と水平に構えた。
彼のやらんとすることを人々が理解した時にはもう遅い。
ガィン!! という横薙ぎの刃が天気塔に激突する音が広場に鳴り響いた。金属と金属のぶつかった衝撃が柄を伝って彼の手のひらをじりじりと痺れされる。
「…………なぜだ?」
静まり返った広場の中心で、リッキーは怒気の籠った声で呟いた。
彼が苛立った理由は極めて簡単。
天気塔は無傷だった。
リッキーの振るった大鎌は傷一つ与えられずに停止していた。
パラズマに取り憑かれた人間は変身を解いた状態であっても力の一部を使うことが出来る。そうやって放たれた渾身の一振りであってもなお、天気塔は決して傷つくことなく変わらずに街を見下ろしていた。
「天気塔はただの金属の塊じゃない」
呆然と立ち尽くし、突き刺すような周囲の視線に晒されているリッキーに近づいて声をかける者がいた。
彼はゆっくりと振り返る。そこにいたのは二人組の男女だった。男の方は深緑色の髪をした少年、もう一人は……さっきマーケットで見かけた紅い髪の女だ。殺すつもりがあったわけではないが、あれだけ派手に投げ飛ばされておいて平然としているのは驚きだ。
「天気塔は魔物のコアの形成を阻害する結界、パラズマの出現を知らせるセンサーという二つの魔法を発動する魔法道具だが、それ自体にも強力な防護魔法がかけられている。魔物の攻撃を食らった程度で壊せるわけがない。悪霊に取り憑かれてちょっと力が強くなっただけの人間の一撃なんてなおさらだ」
少年はただ天気塔のシステムについて述べているだけだったが、今のリッキーにはその姿がひどく嘲笑的に見えていた。そして湧きあがる感情をパラズマに憑依されている彼は制御することができない。
「仕方がない」
バチバチ、という音。
リッキーの全身に電撃が走ったかと思えば、彼の姿は見る見るうちに青い外殻に覆われていく。そしてあっという間に、彼はパラズマへと姿を変えてしまう。
天気塔がパラズマの出現を感知し、少年の左手首に巻かれた魔針盤が大きなアラームを鳴らした。彼がパラズマへと変貌する様を目撃した通行人が一拍遅れて悲鳴を上げ、広場から我先にと逃げ出していく。
「代わりにお前たちを切ることで我慢してやろう」
だん! とパラズマが地面を蹴って駆け出した。強化された脚力による踏み込みで、あっという間に二人との距離を詰めていく。
「やっぱり素体パラズマか……もっと違う姿になってることを期待していたんだけどね」
「見た目が変わるものなのですか?」
迫りくる魔人を前にして二人はあくまで自然体。さすがはギルドに所属する魔物退治のプロと言うべきか。もしくはただの暢気か。
「あれなら僕一人で充分だ、君は見ているだけでいいんじゃないか?」
「いえ、ここはわたくしに任せてください」
少年の前に躍り出た彼女は武器らしいものを持っていない。
パラズマが大鎌を振るう。あらゆるものを刈り取る刃が丸腰の彼女の眼前に迫る。
そして、金属がぶつかり合う甲高い音が鳴った。
そう、金属音だ。彼女が一瞬のうちにどこからともなく取り出した剣が、大鎌による一撃を受け止めていたのだ。
一緒にいたはずの少年でさえ驚いて彼女を注視している。
彼女は剣を握る手に力を込め刃を押し返し、パラズマが仰け反って空いた胴を素早く切りつけた。それだけで魔人の巨体が地面に倒れてしまう。
仰向けになったパラズマが起き上がろうとしている隙に紅い髪の女は次の行動に移る。
彼女が手にしたのは鍵だった。持ち手の部分が鳥の羽根の形をした、小さな羽根ペンのような見た目の鍵を剣の鍔部分に開いた鍵穴に差し込むと、その剣を右手に持って切先が上を向くように、鍔の部分が胸の前に来るようにして構えた。
両足を揃えて真っすぐに立ち、静かに敵を見据える。
そして、鍵を回す。
「『降臨』」
次の瞬間、彼女の剣が音を立てて燃え上がった。鍔の先から真っ赤な火柱が勢いよく吹き出し、螺旋を描いて何本にも枝分かれしていく。それぞれの炎の渦は空中で軌道を変え、群れをなした獣が獲物に飛びかかっていくように紅い髪の女の全身を覆いつくした。それから剣を一振りする。それだけで彼女の身体を包んでいた炎が一瞬で吹き飛んだ。
炎が消えた時、彼女はまったく違う姿に変わっていた。
その姿を少年は見た。
リュード・ジャーガルは見た。
(……あれは)
真っ赤な鎧だった。ところどころに金をあしらった真紅の鎧に、翼を模した漆黒の仮面と一体化した鎧と同色の兜。男にも女にも見える中性的な佇まい。
忘れるはずがない。
巨大な魔物を一刀のもとに切り捨て、翼を羽ばたかせ飛び去って行った真紅の天使。
その姿だった。




