10 草刈り真っ青
「惜しかったね、弟なら今さっき帰ってきたけどまたすぐ出て行っちゃったよ」
そのコテージの玄関ポーチに立つ男はザックと名乗った。肌は白く、年齢はだいたいエミリーと同じくらいだろうが、顎周りに生やした髭もあって彼女よりは歳をとっているように見える。正直、人の年齢を外見から予想するのはあまり得意ではない。
リッキー(と、兄のザック)の家に辿り着くころにはレグナンテスのかなり北のエリアまで来ていた。この街は壁で囲まれた旧市街を中心に面積を拡げていったためか、外に行くに連れて丘のような盛り上がった地形や生い茂る木々が目立ってくる。
一応、天気塔の結界の中にあるので魔物が出てくる心配はないが、街の外から侵入してきた魔物が塔のセンサーに反応して衛兵や暇なバスターが出動することが時々ある。
「しかし弟が悪霊に取り憑かれていたなんてね。最近ちょっと様子が変だったからまさかとは思っていたけれど」
「おかしくなったのは、やはりあのマチェーテを買ってから?」
リュードが訊ねた。フレイベルはというと、歩き回って家の外観や庭に生えた草木なんかをキョロキョロ見ている。かなり自由だ。
「マチェーテを新調したのが三日前だったかな。その時は何ともなかった気がする。切り心地が最高だとか言って楽しそうに草刈りをやっていたよ。あいつは一つのことに集中しやすいタイプだから、ずっと草ばかり切ってるのはいつものことだと思って特に気にしてなかったんだ」
家の周りに生えている植物はどれも綺麗に手入れがされており、放っておけば頭の上まで伸びてきそうな草もくるぶしの高さに刈られていた。
「でも昨日になって近所から苦情が来てね。どうやら余所の庭の草まで勝手に切って回っていたらしいんだよ、普段はうちの庭しか草刈りはやっていなかったのに」
「歯止めが利かなくなっていたわけですね」
悪霊に取り憑かれた者は一つのことに執着するようになる。それの対象は人や物、思想など様々だ。
体内に宿った魔物のセルが増殖していくにつれて行動もエスカレートし、やがてはパラズマへと姿を変えてしまうのだ。
「見つけましたわ」
と、さっきまで歩き回っていたフレイベルが何かを抱えて二人のもとに戻ってきた。その手には刃の一部が欠けたマチェーテが握られている。
「彼が使っていたのはこれで間違いありません」
フレイベルはマチェーテを動かしながら言った。刃の向きが変わるたびに反射した日の光がチカチカして眩しい。
「犯人が確定したのは良いとして、どこから持ってきたんだ? それ」
「農具は向こうに置いてるんだ」
リュードの問いにザックが代わりに答えた。彼はフレイベルが歩いてきた方の、細かく言えばここからは見えない家の壁を見ながら、
「リッキーの奴、これを戻しに来ていたのか」
と言った。
「しかし、悪霊とやらの影響とはいえ凄い集中力ですわね。これだけで庭中の草を刈るなんて大変な作業だと思いますが」
「まあ普段はほとんど大鎌で手入れしてるんだけどね」
それはそうだろう。背の低い庭草の処理はリーチの長い大鎌で行った方が効率も良いし腰への負担も減らせる。
だが。
「鎌?」フレイベルが怪訝そうな顔をする。「そんなものは見ていませんが」
「見てないって、置いてあっただろう?」
ザックは首を傾げながら家の裏に向かった。リュードとフレイベルも彼に続く。
そこは彼の言った通り農具置き場になっていた。壁に固定された木の板から飛び出した棒状のパーツにスコップや熊手などの農具を引っかける形で保管されているが、そこには確かに大鎌と呼べる道具は置いてなかった。
「おかしいな……ここに置いてるはずなんだけどな」
ザックの口振りからして元から無いなんてことはないだろう。どこかのタイミングで誰かが持っていったと考えるのが妥当である。
可能性としては……。
「リッキーが持ち出したのか?」
リュードの思考を読み上げるように、ザックがぽつりと呟いた。
そもそも彼がここに戻ってきたのは刃こぼれしたマチェーテを戻すためだ。パラズマ化し、何かを切ることに取り憑かれた彼が道具を持たずに手ぶらで出かけてしまうとは考えられない。
一度帰宅した彼が、大鎌を持って再びどこかへ行ってしまったとしたら。
彼はどこへ向かい、何をするつもりだ?
「まずいな……」
リュードが呟く。
「彼が行きそうな場所に心当たりはありませんか?」
ザックが何かを答えるよりも先に彼は言葉を続ける。
それくらいには焦りを感じていた。
「急いであの男を探し出さないと、じゃなきゃ大変なことに―――」
ジリリリリリ!! と。
リュードの声を遮るように、彼の手首に装着された魔針盤が激しい鐘の音を鳴らした。
魔針盤のアラームが鳴り止み、辺りに沈黙が訪れる。
ザックとフレイベルがリュードの顔をじっと見つめてきた。
リュードは二人に視線を返し、魔針盤の巻かれた左手を彼らに見せる。魔針盤の上に浮かび上がった矢印のような模様がある方向を指し示しながら橙色に光っていた。
彼はゆっくりと息を吸い、そして吐いた。
「…………今なった」




