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6.母性

瀬里奈の母親の鈴香は、娘の異変に、随分前から気づいていた。


明らかに食欲が落ち、表情も乏しく精彩を欠いて、ずっと何かを思い悩む様子であるにも関わらず、呼びかけると不自然なくらいに明るい返事を返してくる。


鈴香は、これは病気などの類いではなくて、学校で何らかのトラブルに巻き込まれているのだろうと当たりを付けた。


そうかと言って、直球で問いただしても、瀬里奈が自分から話してこない以上、素直にすべてを打ち明けてくれるとも思えなかった。


信頼関係は、固く結ばれていると思う。

母親の鈴香には言いにくい何かがあるのだ。


娘が日記を付けていることを、鈴香は知っていた。

しかし、彼女に内緒でそれを盗み見することは、鈴香には躊躇われた。

だからといって、向こうから話すのを待つという選択はないのだ。

自分に出来ることをやろうと、鈴香は決心した。


学校や教師に頼るのは、あまり得策ではない気がした。


瀬里奈の抱え込んでいるトラブルがいじめなら、根本的な解決はまず望めないし、藪蛇のおそれもある。


鈴香は最初に、夫の春樹と相談して、今後の方針を決めた。


瀬里奈が学校を休みたいと言って来たら、理由を聞かず、休ませる。


春樹の知り合いに心療内科の医師がいるので、カウンセリングを受けてもいい。


娘には、明るく接して暗い顔をしない。


私たちはあなたのことが大好きだよと毎日伝える。


人間関係やいじめに関する情報を、兎に角、片っ端からかき集める。


そして鈴香は、クラス名簿を調べた。


今、娘に何が起こっているかをもっともよく知るのは、瀬里奈のクラスメイトだからである。


鈴香は、瀬里奈と同じクラスに、小学校からの同級生がいることに気づいた。水沢あかり。

鈴香は、瀬里奈の小学校時代は、PTAの役員をするなど積極的に学校と関わっていた。

あかりの母親とは、学校行事で何度か一緒に活動したことがあった。


「…私は分からないです。ごめんなさい」

クラスメイトの水沢あかりは、そう言って頭を下げた。


水沢家の玄関。


あかりとは目線が合わなかった。

彼女は何かに怯えるように、自分の両腕を抱いていた。

やはり、何かがクラスで起こっているのだ。

鈴香は半ば直感で思った。

つらい事を抱えているのに、1日も休まず登校する愛娘。


聡明で明朗な瀬里奈が、いじめの対象になるなど俄には信じられないが、もしそれが本当なら、彼女はまさに今、孤独の戦いを敢行しているのだ。


私は瀬里奈の母親として、あの子に、一体何をしてやれるのだろう…。


鈴香は、その場で靴を脱いだ。


そして、躊躇いなくしゃがみ込み、正座すると、両手をつき頭を下げる。

「あかりさん。どうか、御願いします。瀬里奈に何があったか、教えてください」

鈴香の突然の土下座に、あかりの母親は驚いて、自分も玄関に膝をついた。

「青井さん、頭を上げてください」

「御願いです。あかりさん」

恥も外聞もなく、鈴香は頭を下げ続ける。

あかりは、虚を突かれたように目を見開くと、ワナワナと唇を震わせる。

「私、…。知らない」

消え入るような小さい声で、あかりは言った。


そして、踵を返し、家の中に入ってしまう。

「青井さん、ご心配なお気持ちはよく分かります。あかりにはわたしのほうから、きちんと話を聞いてみます」

あかりの母親は、真摯な眼差しで鈴香を見た。


あかりにしてみれば、一歩誤れば告げ口の汚名を着せられ、今度は自分が瀬里奈にとって変わる可能性もあるのだ。

鈴香は、あかりの心情を慮り、それ以上の追求を控えて、水沢家を後にした。


鈴香は悩み続ける。


やはり一度学校に出向いて、瀬里奈のクラスの実情を調べてもらう方が良いのかも知れない。


しかし、いじめは巧妙に隠匿されるものだ。

教師が現場を押さえてないのなら、解決は絶望的である。


もし頼ったとして、学校は本当に親身になって相談に乗ってくれるのだろうか。


夫の春樹は、自分が学校に出向いて担任と話してくると今にも乗り込む勢いで言ってくれたが、それは最後の手段であり行くなら鈴香も一緒に行くからと宥めた。


そんな悶々とする日々が暫く続いて、ある時手紙が届いた。

宛先も差出人の記載もないその封筒には、ただ、「瀬里奈さんのお母様へ」と、書かれていた。


中の便箋の冒頭に、クラスで起こったことを書きます、という一文を見た時、鈴香は、あかりもまた、深い悔恨の中にいた事を知った。


彼女も瀬里奈のために悩み続けていてくれたのだ。

鈴香はあかりの勇気に感謝してその便箋を読んだ。


鈴香は知った。

自分の命よりも大切な娘の身に降りかかった災厄を。


その便箋には、首謀者の名こそ書かれてなかったが、いじめを受け続ける安達美音という生徒を瀬里奈が庇ったことからすべてが始まったのだと記されていた。


いじめの内容は克明に記録されており、読み進めながら鈴香は我知らず涙を流していた。


辛かったろう、逃げ出したかっただろう。

瀬里奈の母親として、何をどうするのが正解なのだろう。

学校へ行かせないことが果たして正しい事なのか。


でも、迷っているうちに瀬里奈の身に取り返しのつかない事が起きてしまったら…。


いじめに関する書物を有りったけ手に入れたが、どれも、鈴香のこの焦燥を消してはくれなかった。


鈴香は、あかりが教えてくれた安達美音という生徒のことを調べ、彼女の母親を訪ねた。

安達の母は、シングルマザーで、深夜までやっているスーパーで働いていた。


鈴香は、家族が寝静まった後、ひっそり出掛けて、彼女に会いに行った。

互いの娘達に起こった出来事を、共有してほしいと思ったのだった。


安達という女生徒の母は、鈴香が訪ねた時は生鮮食品売り場で商品に値引き札を貼っていたのだが、会いに来た理由を手短に説明すると、バックヤードに案内された。


そして、鈴香に深々と頭を下げた。

「うちの子のせいで、娘さんに大変な苦労を掛けてしまっていたんですね。何にも知らずにいて本当に申し訳有りませんでした。母親失格です」


安達の母は、化粧気のない口元を両手で押さえ、うっすら涙を浮かべた。

女手1つで3人の子を育てているとの事だった。

鈴香には想像に及ばない苦労がある事だろう。


2人は、連絡先を交換し、もし青井夫婦が学校に出向く際には、安達母も同行する事を取り決めた。


そして、

瀬里奈が流血の大怪我をするほんの2日前。


鈴香は、スマホで「A県、いじめ、解決」のキーワード検索をかけた。

自分達の住む県名を検索のワードに含めるのはこれが初めてだった。

羅列される文章をスクロールしていくと、何となく鈴香の心に響く一文と出会った。


それは、

「いじめを受ける我が子を救ってくれた道場」

という見出しだった。

鈴香は、導かれる様に、その一文に触れた。





















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