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27.小さな決心

次の週の月曜日の朝、田中真理愛は、学校に行く事にした。


護心術セミナーは、小学生の真理愛には、少し難しいところもあったが、理解できる範囲でも充分、試してみる価値がある様に思えた。


しかし、いざ家を出て、学校に近づくに連れ、やはり緊張し始めた。


真理愛は、風雅の事を思った。


そして、セミナーの後、風雅と共に家に帰ったのだが、留守番していた父親の康雄が、風雅を一目見て蛇に睨まれた蛙の様に固まったのを思い出して、少し笑った。


風雅を初めて見た時、真理愛は、自分の好きな狼のキャラクターがもし人間だったら、きっと、こんな感じじゃないか、と思ったのだった。


そう考えると、何だかどきどきして、セミナーの最中も風雅から目が離せなくなった。


人見知りの真理愛からすれば、ちょっと考えられない事態だった。


それだけではない。


真理愛は、セミナーが終わるとすぐ、自分から風雅に話し掛けたのである。


同い年の男子とも、まともに話せない彼女が、大人の、それも天を穿つほどの大男に自ら声をかけた。

その時の真理愛は、怖さを微塵も感じていなかった。


ただ、何となく、風雅が、深く傷ついている様に思った。


母親の美咲は、始めは反対したものの、いざ風雅を家に上げると、まるで親しい身内にする様に、彼をもてなしてくれたのだ。


腰が抜ける寸前だった康雄が、風雅の事情を聞くと何の疑いもなく、美咲と共に彼を歓待してくれたのも、嬉しかった。


何とその夜は、風雅が真理愛の家に泊まったのだ。


楽しかった…。


4人とミニチュアダックスのくーちゃんとで、遅くまでおしゃべりして、本当に、奇跡の様な1日だった。


その暖かな記憶のお陰で、真理愛は、学校に行く決心がついたのである。


「貞子だ。貞子が来た」

何とか教室の入り口までやって来た真理愛だったが、そこでばったりと、濱口流星と目が合ってしまった。


彼は悪気なく、大声でクラスの皆に呼び掛けた。

クラスメイトの視線が、全て真理愛に注がれた。


まず、急いで自分の席に着き、体勢を整えるつもりだった真理愛は、一気に恐慌に陥った。


喉の奥がつっかえて、上手く息を吸う事が出来なくなった。


半ばパニックになり、護心術の事が、頭から吹き飛んでしまった。

真理愛は、無言で踵を返し、その場から逃げ出した。


無理だ。

無理、無理。

到底、自分には教室に入る事など、出来はしないのだ。


そう思うと無念で、悔しくて、涙が出そうになる。


真理愛は、取り敢えず保健室に退避する事にした。

保健室には、真理愛の事をよく知る、スクールカウンセラーの橋詰弥生がいた。


彼女は、真理愛に椅子を薦めると、ホットココアを作ってくれた。

それを一口飲むと、動悸が少しだけ治まった。


「学校に来れただけですごいわ。田中さんの事、私は尊敬する」


臨床心理士の弥生は、優しい声で真里愛を癒した。

真理愛は、信頼している弥生に、セミナーの事を話して聞かせた。


「…それでね、風雅さんを撫でてあげた」


と、真里愛は答えた。


「どうして?」

「風雅さん、いっぱい傷付いてたから」


そして、迷った後、真理愛は、風雅の身の上を弥生に話して聞かせた。


弥生は、暫く考えてから、


「私も、その風雅さんに会いたいな」


と言った。


「…うん。考えとく」


真理愛は、ただ、自分より遥かに大人で綺麗な彼女を風雅に合わせるのは、何か嫌だった。

そんな、持て余す自分の感情を隠す様に、真理愛は言った。


「セミナーの先生と話したいので、電話借りてもいいですか?」


弥生は、自分のスマホを取り出すと、意外にすんなりと真理愛に渡した。


ランドセルから、セミナーでもらった冊子を取り出す。


叡山は、何か問題が起こったら、いつでも電話してくるよう言ってくれたのだ。


澄岡道場に電話すると、事務員の女性が出た。

自分がセミナーの参加者である旨を伝えると、すぐに叡山に繋いでくれた。


「真理愛さん。叡山です。電話してくれてありがとう。

今、何処にいるのかな?」

「学校です」


真理愛は、そう答え、状況を出来るだけ詳細に話した。


「…そうですか。

よく頑張りましたね。

上出来だと思うよ。

今日はこれで終わりにして。家に帰りましょう」


真理愛は、叡山の言葉に、拍子抜けした。

てっきり、叡山から、護心術のアドバイスが貰えるとばかり思っていたのだ。


さっきは、軽くパニックになり掛けたが、落ち着いて考えてみると、まだ頑張れそうな気がしていた。


「私…もう一度教室に行ってみようかなと、思って」


真理愛がそう言うと、叡山は少しの間沈黙して、


「大丈夫ですか?無理は禁物です。少しづつ慣らして行けばいいんですよ」


と、言った。

でも…と、真理愛は思う。

風雅の事を考えると、自分がまだ、恵まれているのだと思えるのだ。


両親がいて、くうちゃんもいる。

暖かい家族。

さっきはもう無理、出来っこないと思ったものの、風雅の流した涙を思い出すと、何故かもっと自分は頑張らねばならないと感じた。


「あと、一回だけ挑戦してみる。駄目ならすぐ帰ります」


真理愛の決心に、やがて叡山が折れた。

そして、アドバイスをくれる。


「教室に入る前に、立ち止まって、お腹で深呼吸して下さい。


それを10回。

自分のお腹の中がどんな様子になっているかをよく観察します。


固いのか、痛みはあるのか、調べて下さい。

そこで行けそうなら、周りの事は一切気にせずに、喋り掛けられても無視して、自分の席につく事。


大切なのは、自分の中に意識を置くと言う事です。クラスメイトの事を考えると、陰の気が出てしまいますから。


席に着いたら、敵はいない、と唱えて、腹式呼吸を繰り返しましょう。


そして、何か楽しい事を思い出す。

家族の事とか、昔の思い出とか…。

とにかく、自分の内側に向きあう。


授業なんかどうでもいいので、その事だけ、ただひたすら追いかけてみましょう。

そこまで、出来そうですか?」


真理愛は、強く頷いて、


「やってみます」


と、答えた。

電話を終えようとすると、弥生が、自分とスマホを交互に指差して、代われとジェスチャーしてくる。


叡山に、スクールカウンセラーに代わると言って、弥生にスマホを返した。


弥生が熱心に話し始めたので、真理愛は、彼女に手を振って保健室を後にした。


もうすぐ、一限目のチャイムが鳴る頃である。

再び、教室の手前まで歩いて行った。

廊下に、教室のざわざわした気配が漏れてくる。

真理愛は、叡山に言われた事を思い出して、実行に移した。

















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