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26.寂寥と慈愛

叡山は、香妻風雅がどういう人物なのか知らない。


一般の参加者には、アンケートも取らないので、風雅がどの様な事情を抱えてセミナーに参加を決めたのかは不明だ。


しかし、圧倒的な体躯とその運動性能の匂いに、叡山は嫉妬を覚えてしまう。


宗家だ何だと持て囃されているが、一皮剥けば、嫉妬もするし、色恋にも惑わされるただの若造である。

その事をひた隠し、宗家を演じる自分が、時々無性に薄っぺらく思えてしまう。


セミナーが終わり風雅が、橘女史の勧めに応じて道場への入会手続きを行っている。

田中真理愛も、入会を決めた様だ。


護心術セミナーは、無料である。

対人関係に悩む人々から金を取る事に抵抗を感じた叡山は、父親の再三の要求にも決して折れなかった。

道場運営には金が掛かるという事は、勿論、理解している。


だが、護心術を商売の道具にすることで、自分の伝えたい事柄が歪められ、説得力を失うことを恐れたのである。


セミナーの参加者には、必ず道場への入会を勧める、という建前で、何とか父親と折り合いを付けたのである。


叡山は、周りをきょろきょろと心細そうに見渡している風雅に近寄って声を掛けた。


風雅は、どこか心許ない目をしていた。

見上げて喋っていると、その堂々たる身体に、畏怖を抱きそうになり、嫉妬を纏う陰の気が、足元から背筋を這い上がってくる。


叡山は、丹田を緩め、腹で呼吸して自分の中を見詰めると、陰の気を払った。

手前味噌だが、護心術は、非常に便利なのだ。

腹の中が軽くなった。


叡山は、腹の座った状態で、風雅と会話した。

「空手の全国大会で優勝は凄いですね」

叡山の賛辞に、風雅は、

「全然、大した事、ないです」

と、謙遜ではなく、心底そう思っている様子で答えた。


覇気がなく、自分に自信がない感じ。

この一見、畏れや不安とは無縁に思える巨漢にも、人知れず思い悩む事情があるのだろうか。


ふと、犬の縫いぐるみを抱えた田中真理愛が、まじまじと風雅を見上げていることに気づいて、叡山は、彼女を側に呼んだ。


「真理愛さん、ちょっと並んでみて」


2人の対比が面白いと思ったのだ。

急に声を掛けられ、真理愛は、一瞬、びくっと身体を震わせたが、叡山の笑顔を見て表情を緩めた。


素直に風雅の隣に歩いてくる。

山の様な大男と小柄な少女の対比に、周りから感嘆の声が上がる。


「お母さん、写真撮って」


真理愛が母親に、少し上擦った声で言った。


「は。写真?」


母親は、当惑したが、あまりに娘が真剣な顔で懇願するので、おずおずと風雅にその許可を求めた。

風雅も、戸惑った様子だったが、子供の願いを受け入れる。


「叡山先生」

と背後から声を掛けられた。

瀬里奈が、小走りに叡山の元にやってくる。

入会の報告と今日のお礼を口にする。

丁寧に対応し、瀬里奈達を見送った後で、再び風雅と真理愛に目を向けると、何やら揉めている雰囲気を感じた。

橘女史に小声で事情を尋ねる


「真理愛さんが、急に香妻さんを家に連れて帰ると言い出して…」

「えっ。なんで」

「さあ…。私にもさっぱり」


橘女史も、困惑気味である。

叡山は、真理愛と母親のやり取りに耳を傾けた。


「風雅さん。ご飯を食べてないの。お腹空いてるの」

「あなた、犬猫じゃあないのよ。そんな事、できる訳ないでしょう?」


真理愛は終始、おどおどした印象の女の子だったのに、急に人が変わったかのような、使命感に満ちた表情を浮かべていた。


「風雅さんにだって、ご家庭があるんだから、我儘言わないで。迷惑でしょう?」


母親がそう言うと、それに風雅が答えた。


「自分には家族はいません…」


周りが、水を打ったように静まり返る。

風雅は、その場に腰を下ろすと、姿勢良く正座した。

そして、躊躇いつつも、静かに身の上話を始めた。


4歳で、両親と死別した事。

育ての親だった祖父母が、相次いで他界した事。

兄弟も、頼れる親戚もなく、天涯孤独の身である事。

そして更に、最近入った会社では、誰からも相手にされず、どうでもいい仕事ばかり振られて、精神的にかなり追い詰められていることを、赤裸々に語ったのである。

恥も外聞もなく、今日初めて会ったばかりの人々に、心の内を全て曝け出した。

そして、話しながら、風雅は涙を流した。


叡山は、風雅の涙に驚いた。

そして、その時初めて、彼の抱えている苦悩を、真摯に受け止めたのだった。


田中真理愛が、さめざめと泣く風雅の頭に手を置いて、撫で始めた。

風雅は、それを大人しく受け入れている。


大の男が、小さな女の子に優しく宥められている姿は、滑稽と言えなくも無かったが、風雅の抱える孤独を思うと、簡単には笑いとばすことは出来ない。


真理愛の母親は、暫く何事か考え込んでいたが、意を決して、風雅に優しく語り掛けた。


「…もし、お嫌でなかったら、家に寄って行きませんか?

何のお構いも出来ませんけど、これも、何かの縁ですので。

…先生、勝手言って申し訳ありません」


母親が叡山に頭を下げた。


「風雅さんさえ良ければ、うちとしては問題ないですが…」


今日初対面の見ず知らずの大男を家に上げるというのは、どうだろう。


風雅は、今のところ悪い人間には思えなかったが、害があるか否かは結局、長い付き合いの中で判断するしか方法がないのだ。


ただ、田中真理愛の母親が言った、縁、という言葉。


確かに…。


と、叡山は思った。


今日この場に居合わせた者達は、まさしくその、縁、によって集められ、引き合わされたのである。

そう考えれば、風雅が、田中親子に害をなす存在である筈がなかった。


「風雅さん。田中さんがここまで言って下さるのだし、この際、何かの縁だと思って、甘えてみてもいいんじゃないですか?」


叡山が、そう後押しすると、風雅は、


「…はい。ありがとうございます」


と、迷子の子供のように頷いたのだった。


























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