24.休息の宴
翌日は快晴だった。
朝のうち、A連峰から降りてくる風は、厳しく冷たかったが、昼に近づくにつれて徐々に収まり、日差しを暖かく感じることができた。
瀬里奈と美音は、ダウンジャケットを着込むと、両親が買い出しに出掛けている間、バーベキューコンロを組み立て、折りたたみの椅子やテーブルを並べ、タープテントを建て、野菜や果物を仕込んだ。
「広い庭ー!」
ひと通り用意し終えて、2人は休憩した。
「これなら、100人くらい、余裕でパーティー出来ますね」
美音の言葉に、瀬里奈は苦笑する。
「そんなに来たら、身動き取れないよ」
春樹の趣味で、庭は、広さ40坪ある。
今は芝生が冬枯れして色味が薄いものの、良く手入れされて小綺麗に整えられていた。
青井家があるところは街中ではなかったが、この辺りの人々は大抵、車で移動するので、腕が確かであれば歯医者の需要は充分にあるのだ。
暖かいカフェオレを淹れて、用意した椅子に腰掛け、一息つく。
外で飲むカフェオレはまた、格別である。
「瀬里奈様」
と、美音が改まって言った。
「私決めました。瀬里奈様と同じK高受験します」
瀬里奈は、カップをテーブルに置いて、
「それはいいけど、もう、2か月切ってるよ。点数、足りてるの?」
と、尋ねた。
美音が同じ高校を目指すのは嬉しかったが、K高は、地域で1番の進学校である。
美音は、ドヤ顔のまま器用に固まっていたが、暫くして、
「瀬里奈様ー。助けてくださぁい…」
と、泣きついてくる。
瀬里奈は溜め息をついて、詳しく話を聞いてみた。
美音の5教科の得点は、400点くらいだか、英語が壊滅的だった。
しかし、逆に言えば、英語さえ人並みに得点出来れば、充分、合格圏内に入ってくる。
「分かった。教えてあげる。でも、美音も頑張らないと駄目だよ」
「了解しましたー」
美音は、敬礼のポーズを取った。
春樹と鈴香が戻ってきたので、早速、バーベキューの始まりである。
松坂牛A5ランクフィレ肉。
春樹は、充分に火力の出た備長炭の上に網を置き、慣れた手つきで極上肉を並べた。
肉の焼けていく音と匂いが食欲をそそる。
黒胡椒を満遍なく振りかけ、じっくり待ってからトングで裏返した。
美しく焼け目の乗った牛フィレ肉。
まさに絶妙の一言。
瀬里奈と美音が歓声を上げた。
瀬里奈の好みの焼き加減を熟知している春樹は、ここぞというタイミングで火から下ろし、手早くマイ包丁で捌いた。
鈴香が、阿吽の呼吸で2人に、特製ダレの入った小鉢と箸を渡す。
「さあ、召し上がれ」
有能なシェフのゴーが出た。
瀬里奈と美音は顔を見合わせてから、
「頂きまーす」
と、綺麗にハモると、芸術品の様な一切れを頬張る。
その瞬間、ぶわっと、肉の旨味と香りが、口いっぱいに広がった。
(美味しーい!)
流石はA5。
瀬里奈は、感嘆の唸り声を上げた。
美音は、目を閉じて咀嚼していたが、急にプルプル震え出すと、バッと立ち上がって踊り出した。
「う、ま、い。う、ま、い」
「美音、分かったから。溢れるよ、ちょっと、気をつけて」
瀬里奈は、何とか美音を座らせる。
美音は、座ったまま、肉を口にする度、足をバタつかせた。
「そんなに喜んで貰えると、こっちも焼き甲斐があるよ。美音さん、沢山食べてね」
春樹が笑いながら言った。
「ありがとうございます。お父様。私、こんな美味しいお肉、生まれて初めて食べました!」
美音が、両手を合わせて春樹を拝んでいる。
大袈裟だなあ、と瀬里奈は思ったが、美音の嬉しそうな顔を見ていると、何だかこっちまで幸せな気分になる。
それから、4人で、心ゆくまでバーベキューを堪能した。
夕方が近づくと、気温が下がり始め、ぼちぼち片付けを始める。
タープテントを収納していると、美音が、
「月曜日は、本当に行くんですか?」
と、聞いてきた。
瀬里奈は、収納袋のチャックを閉めて、言った。
「午前中に、病院に行くよ。美音も、一緒においで。学校には午後から行くつもり」
美音が、ニヤリと笑う。
「決戦、ですね」
「美音は、平気なの?」
「わたしにはもう、怖いものがありません」
何だか美音が、頼もしい。
「護心術、上手くできるかな…」
叡山には、自信ありげに言ったものの、実際にあの教室の入り口に立った時、自分は、平静でいられるだろうか…。
「若先生は、信頼に足る漢です」
どこから目線だよ…。
瀬里奈は、吹き出した。
でも、笑えた事で、気分が軽くなった。
それから美音に、腹式呼吸を教えて、2人で何度も繰り返し練習した。