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1.暗転

家のドアを後ろ手で締め、瀬里奈は深く溜息をついた。


隣のクラスの担任である女教師は、沢山の生徒が残っているにも関わらず静寂に包まれた教室を不審に思い、

「早く帰りなさいよ」

と、声を掛けた。


そのおかげで、教室の閉塞感が薄れて、皆帰り支度をはじめた。

流れで、瀬里奈も教室を後にしたのである。


どうやって家まで帰ってきたのか思い出せない。

ふと気づいて玄関を開けると、定位置に自転車があった。

ちゃんと自転車に乗って帰ってきたのだ。


瀬里奈は茫然としてしまって、思考が停止なのか混乱しているのかも分からない。

こんな状態で、事故を起こさずによく無事で帰れたものだ。

「瀬里奈?帰ったの?」

家の奥で、母親の声がした。スリッパでパタパタと歩いてくるのがわかる。


咄嗟に瀬里奈は我に返った。


いつもは、開口一番、ただいまと大きな声で帰宅を告げていたのだ。


声を上げようとして、一瞬、喉が詰まる。

自分の身体がおかしい。

内臓が多臓器不全を起こしているかのように重く固まって、きりきりと疼いた。

こんな事態は生まれて初めてのことだった。

瀬里奈は苦労して明るい声を作った。

「ただいま〜」


言葉の持つ潜在的な陽の因子が、瀬里奈を蝕んだ。


自分の身心の状態と相反する声を出すことが、こんなにも辛く、苦しいものだとは思わなかった。


それでも、と瀬里奈は思った。

今日起こった出来事を母親の鈴香に話すわけにはいかない。

まだ、本当の災厄ではない。

不必要に彼女を惑わせたくなかった。


鈴香は瀬里奈の事が大好きで、瀬里奈もそのことを一片の曇り無く信じる事が出来たし、自分も同じだったから。


今日教室であった事を思い出すと、明日からが全く見通しが立たない。

どうなるだろう?沙織のあの様子だと、そう簡単に落とし前がつくとは思えなかった。


(笑顔、笑顔)


瀬里奈は呪文のように唱えると、強張った頬を包むようにさすった。

「おかえりー」

鈴香は満面の笑みで瀬里奈をハグした。

いつものようにハグで返し、その背をポンと柔らかく打つ。


一息ついて目が合った時、鈴香がうっすら怪訝な表情を作った。

「ん。学校で何かあった?」


超能力者か。

母性というものは凄いな。


瀬里奈は他人事のように思った。

娘のどんな些細な変化も見逃さない。


一般的な感想だったが、そうではない親もまた、多く存在する事に瀬里奈はまだ思い及ばない。


瀬里奈は幸せなのだ。

聖域があるのだから。


この世には、聖域を持たない子供が大勢いるのである。


瀬里奈は美しく、聡明で、庭でバーベキューが趣味の父は歯科医を開業し、娘に負けず劣らず美人の母は書道の先生である。

兄弟はいないものの、両親の愛情をたっぷりと享受し、これまで、何の不安も痛みもなく生きてきた。


だからこそ、どうして良いのか、分からなかった。


「お腹すいたぁ。ママ、夕飯なに?」

努めて無邪気に瀬里奈は言った。食欲など全く無かったが。

「ハンバーグよ」

と、気を取り直し、笑顔に戻って鈴香は言った。

「やったあー。着替えてくるね」

瀬里奈は、なるべく自然な様子を取り繕って、階段を駆け上がった。

母親の鈴香が、自分の後ろ姿を真剣な表情で見上げていたことには気付かない。
























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