12.忍耐
山鹿鉄工という、従業員50人程度の小さな工場に就職した風雅は、初日からやらかしてしまった。
配属初日、風雅は、国枝恭平という24歳の従業員に案内され、工場内の様々な仕事の説明を受けた。
合間には、恭平が、彼の大きな体を羨ましがったりして、割と打ち解けた感じで、会話も弾んだ。
恭平は、中途採用の風雅に気を遣って、丁寧語で接してくれたのだが、風雅はここで致命的な失態を犯す。
「色々有難う。国枝君」
ひと通り説明が終わり、休憩所でコーヒーを奢ってもらった風雅は、そう言って頭を下げた。
一瞬、恭平は動きを止め、平坦な目になって風雅を見た。
「…いいすよ。仕事なんで」
恭平の態度が急に素気なくなる。
しかし、風雅はそれに気付かず、友達のような馴れ馴れしさで会話を続けた。
「色々と迷惑掛けるかも知れないけどよろしく」
自分としては相手が年下ということもあり、最大限、気を遣って会話しているつもりである。
風雅は言ってみれば世間知らずなのだ。
恭平は確かに24歳で年下だったが、彼は18歳で山鹿鉄工に入社し6年、今や会社にとって欠く事の出来ない主力社員になっていたのである。
そうでなくとも後から入った者が、先輩を、君、呼ばわりするなど、言語道断である。
しかし、風雅には思いもよらない。
「…了解っす」
恭平が、半笑いで敬礼のポーズを取った。
次の日から、全従業員の態度が一変した。
初日に笑顔で迎えてくれた女性事務員達すら、ただならぬ気配を漂わせて、風雅とは目を合わそうともしない。
恭平は明るい性格で、目上の者を立て、後輩の面倒見もよく、誰からも好かれる会社のムードメーカーだった。
だから、恭平から話を聞いた後輩社員は、正しく忖度し、風雅の傍若無人な態度を、皆に触れ回ったのである。
風雅の大柄な体格も、話の信憑性を高めてしまった。
何が何だかわからない。
風雅の正直な感想である。
どうして社員みんなが、自分に対して冷たい接し方をするのだろう。
仕事で大きなミスをしでかした覚えもない。
というか、風雅は仕事と呼べるような作業をさせてもらえなかった。
確かに、機械類や工具を扱ったり、溶接したりできるわけではなかったが、与えられた仕事は、大箱一杯の大小様々な種類のネジや釘、ボルトなどを選別して奇麗に整頓するというものだった。
大箱は8個あり、一日中やっても終わる気配もない。
朝8時から夕方5時まで、工場の裏の薄暗い倉庫の中で、風雅は、黙々と選別した。
誰も様子を見に来ることは無かった。
3日目、山鹿鉄工の社長が現れて、風雅を社員達の元へ連れて行き、仕事を教えるよう命令した。
社長の山鹿紳助は、風雅の身の上を知り、採用を決めてくれた恩人だった。
風雅に、どうでもいい仕事を押し付けた班長を、山鹿は、皆の前で嗜めた。
工場内に重苦しい空気が漂う。
社長が去った後、班長は、風雅にも仕事を割り振ったが、使う工具も、材料の部品も、彼には馴染みのない名称で、もっと詳しく教えて欲しいと告げた。
すると周りにいた1人の若い作業員が、顔の前で大きく手を払い、
「虫がいる」
と、言った。
すると、隣にいた作業員も大袈裟に腕を振り回して、
「本当だ。結構、でかいやつだ」
と、同調した。
流石に風雅も、その悪意に気が付き、憮然となった。
結局、班長は、風雅に詳しい説明をする事なく場を離れて、他に誰も教えてくれる者もおらず、彼はその日、終業時間までずっと掃除をして過ごした。
その夜は、風雅の歓迎会が会社の近くの居酒屋で行われたのだが、乾杯の後は、誰も風雅に話しかけてくる者はいなかった。
まあ、いいか…。
風雅はどうでもいい気分になり、ひたすら独りで食べビールを飲み続けた。
トイレに行こうと席を立ち、座敷の入り口で靴を履こうとしたが何故か自分の靴が見当たらない。
仕方がないので靴下のまま用を済ませて、戻ってから入念に探してみると、座敷の反対側の別の入り口に、風雅の靴が脱ぎ捨ててあった。
何者かが、トイレの際に風雅の靴を使い、別の入り口から座敷に戻ったのだろう。
巧妙な嫌がらせだった。
よく、思いつくものだと感心した。
風雅は、これまでの人生、他人を痛めつけることはあっても、自分が標的になった事など一度もなかった。
2、3人殴ろうか…。
風雅は、冷めた頭でふとそう考えた。
風雅が本気を出せば、勝てる者はここにはいない。
風雅は、昔から無意識のうちに他者を見下す癖があった。
彼は冷血な訳ではなく、祖父母には優しい孫だったし、弱い者には手を差し伸べた。
しかし、その根底には、紛れもなく強者故の傲慢さがあったのだ。
風雅は頭を振り、自分の瞑い衝動を振り払った。