11.風雅
香妻風雅は、26歳にして初めて就職することになった。
その体躯は190センチを優に超え、体重は100キロ、しかも鍛えあげられ引き締まっていた。
均整の取れた体つきで、知らない人が彼を見るとプロ野球の選手や、プロレスラーを連想した。
人類の誰もが羨む、理想的な身体であった。
風雅は、中学時代、空手で全国制覇している。
才能もあっただろうが、特に頑張らなくても、持ち前の身体能力で、相手を圧倒できた。
空手道場を営む風雅の祖父は、その才能に惚れ込み、ゆくゆくはオリンピック代表も夢ではないと目を細めた。
だが、高校時代は、なかなか思うように勝てなくなっていった。
ライバル達も徐々に身体が成長し、身体能力のメリットを活かせなくなっていったのである。
それに加えて、風雅は、稽古ぎらいだった。
年少の頃より、努力しなくても、周りの人間を軽く上回ることが出来たせいで、その才能に胡座をかいてしまった。
天才と呼ばれた男が、落ちぶれて転落していくのはあっという間で、風雅は、高校時代を最後に幼い頃から続けていた空手を呆気なくやめてしまったのである。
そんな風雅に、祖父は何も言わなかった。
内心では大きく落胆していたことだろう。
風雅は、高校を卒業したあとしばらくは、就職もせず、時々アルバイトをするくらいで、のんびり暮らした。
しかし、そんな生活は長く続かなかった。
風雅の実の父と母は、彼が4歳の時、交通事故で他界した。
その後は父方の祖父母に引き取られ、育ててもらった。
風雅が高校に入学した年に祖母が亡くなり、そして今度は祖父が、息を引き取ったのである。
風雅は、天涯孤独の身となってしまった。
祖父の葬儀が終わり、それ程大きくはない家の中で1人になった時、風雅は、生まれて初めて(寂しい)と感じた。
両親が死んだ時は、風雅はまだ幼く、確かに悲しかったものの、祖父母が心から自分を愛おしみ、大切に育ててくれたので、寂しいとは感じなかったのだ。
その後は、祖父の空手道場を引き継いで、アルバイトもしつつ、何とか生活していたのだが、ここ最近は道場の門下生も減少し、流石に立ち行かなくなっていった。
仕方がなく、風雅は、ハローワークに行き、仕事を探した。
働いた経験のない風雅が入れるような会社は少なかったが、幸い、就職先は程なくして見つかった。
風雅は、就職先の鉄工会社で、生まれて初めての、いじめを体験する事になる。