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9.諦観

真理愛は毎朝、早起きしてミニチュアダックスのくーちゃんと一緒に散歩に出掛ける。


最弱の魔物が魔王になる物語が、真理愛のお気に入りで、その中に登場する狼の魔物を、彼女は特に愛していた。


だから、本当は、シベリアンハスキーが欲しかったのだが、家の間取りを考えると、大型の犬を飼うことは難しかった。


母親の美咲の説得で、泣く泣くミニチュアダックスにしたのだが、くーちゃんは賢く真理愛を癒し、すぐに仲良しになった。


朝6時30分。


部屋の空気は冷たい。


くーちゃんは規則正しく目覚め、定位置の真理愛の足元で伸びをし、短い足を器用に動かして彼女の顔まで辿り着くと、ぺろぺろ舐めた。

「…分かった。起きるから、舐めないで」

真理愛は、くーちゃんの長い胴に腕を回して抱き抱えると、ベッドに座ってしばらくぼうっとした。


枕元の縫いぐるみの頭を撫でて、おはよう、と声を掛ける。


真理愛の大好きな狼のキャラクターを模した縫いぐるみである。

縫いぐるみとミニチュアダックス。

この子達が、今の真理愛の心の支えだった。


着替えをし、くーちゃんを抱いて階段を降りてゆく。

そのままキッチンに行って朝食の支度をする母親の美咲におはようと声を掛けた。

「おはよう。今朝は0度よ。道、凍ってるかも知れないから、気を付けるのよ」


美咲は、いつもの優しい笑顔を娘に見せて言った。

確かに今日は一段と冷えている。

「分かった」

真理愛は頷いた。


家では、普通に喋ることができる。


あれから、担任の女教師は何度も家に来たが、美咲は決して真理愛に合わせようとはしなかった。


病院では、心因性のストレスが原因の胃潰瘍だと診断された。

娘の話から、担任のせいなのは間違いないと美咲は結論づけた。


たった11歳の子供に胃潰瘍を作らせる学校など、もう行かなくてもいい。

美咲は学校に見切りを付けたのだった。


ニット帽を被り、ダウンジャケットを羽織ると、真理愛はくーちゃんと共に家を出た。

冷気が、早歩きの真理愛の頬を刺した。


吐く息が白い。

雨の日も、風の日も、雪が降りそうな凍てつく朝も、1日も欠かすことなく、真理愛はくーちゃんを連れて散歩に行く。


日課の言葉どうり、真理愛は己に規則正しい行いを課したのである。


家から歩いて20分程の距離にある、町立の公園を目指して歩く。


くーちゃんとは、真理愛の不登校が始まって一ヶ月が経ったころ、近所の商業複合施設のペットショップで出会った。


透明なアクリル板の向こうには5匹の幼いミニチュアダックスがいたが、差し出した真理愛の手に興味を示したのは、くーちゃんだけだった。


彼は、アクリル板越しに真理愛の指を舐めようと、前足でかりかり引っ掻いたり、体を擦り寄せたり、とにかく必死な様子で彼女を求めてくる。

その小さな存在に、真理愛は癒されたのだった。


最初の頃はくーちゃんを抱いたまま散歩していた。

2ヶ月くらいすると、片道なら自分の短い足で歩ける様になった。


そして、最近になってようやく全ての道程を、真理愛とともに歩き切る事が出来る様になった。

「くーちゃん、速く歩けるようになったね」

歩きながら真理愛がそう話しかけると、くーちゃんはちらっと彼女を見上げて、まんまるの目でウインクした。

くーちゃんの癖なのか、本当にウインクするのだ。


そんな彼の仕草を、真理愛は心から愛していた。

公園のアスレチックで折り返して、なだらかな下り坂を歩いて家路についた。


そして、それが起こった。


家まで、残り10分というところで、いつも挨拶する壮年の男性と会った。

向こうは、真理愛に気がついて、

「おはよう。いつも早いね」

と、声を掛けてくれる。

いつもは真理愛もお辞儀をして挨拶するのだが、今日は無理だった。


「あれ、貞子?」


壮年の男性と連れ立って歩いていた男の子が、大きな声でそう言ったのだ。


真理愛の心臓がどくんと脈打った。


その場から、一歩も動けなくなった。

教壇に立たされている自分がフラッシュバックした。

自分を見詰めるクラスメイトの、

目、目、目、目…。


「パパ、この子だよ、前に話してた不登校の子。血を吐いたって言ったでしょ」


彼は、真理愛が吐血した時、クラスにいた濱口流星という男子生徒だった。


真理愛は慌てて口元に手をやった。

自分の鼻と口から血が溢れてくる様な錯覚を感じたのだ。


くーちゃんが、真理愛の前に出て低く唸り声をあげ、親子を威嚇した。


息苦しい。


真理愛の呼吸が浅くなり、段々速くなっていった。

誰かの笑う声が大きくなっていくので、耳を押さえた。


フラッシュバックの映像の自分が血を吐く。

その血の赤で、クラスの人や物が真っ赤に染まってゆく。


目がぐるぐる回り、内臓が石にでもなったように重く、固く締まる。

真理愛は耐え切れなくなり、しゃがみ込んだ。


助けて、誰か、助けて…。

真理愛は無意識のうちに右手を伸ばしたが、それは何に触れることもなかった。

そして真理愛はそのまま意識を喪失した。








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