お嬢様の暮らし 2
話し合いが終わり、恵は自室に案内された。
今日のところはアリスも男爵令嬢として客人扱いなのでゲストルームに泊まるが、明日からは恵の部屋と扉続きの付き人の部屋が彼女の部屋になる。恵付きのメイドとなるが裏の仕事もあり、普通のメイドとは違う。恵に付いている以外の仕事は無い。先ほどまでは、天蓋付きのベッドや猫足のコンソールテーブルに恵のテンションが上がりまくり、アリスはうんざりしていたが、今は恵と一緒に寛いでいる。
「ちょっと教えて。ライアン兄様って、皇太子殿下とはアカデミー時代のお友達で宰相候補として今は王都でお勉強しているでしょう。それなら、皇太子殿下はもう国王派って決まってたんじゃないの。今更エマ姉と婚約したからって変わらないんじゃないの」
「それは全然違いますよ。そうですね・・・宰相は政治的なパートナーでも突き詰めれば宰相個人との主従契約です。宰相の仕事量はとても多く、王都に常時詰めていて領地経営が出来ないので、嫡子でなく次三男がなることが多いのです。そのため宰相が実家と反目しあうこともあります。一方、婚姻は家と家との契約です。王権譲渡後の若い王は、新しい方針をお示しになり、路線を変えることは良くありますので、同じ派閥の中で古参の重臣と衝突することもあります。若き王の力の背景は王妃の実家の力で、思う通りの治政を貫くには欠かせないものです。世間の一般的な目には王妃の実家の派閥と映るのです。ライアン様は嫡子ですので、頭首が宰相になりますが、その時はまだお元気なサイモン様が実質的な領地経営をするでしょう。形はライアン様が領主となっても、サイモン様の発言力は強い。領地の益を損ねても国政に力を入れるような決定は出しにくいですよね」
「でもお嫁さんの実家だって、自領の利益を取るでしょう」
「王妃の実家の頭首とは、宰相のように身近にいて苦楽を共にするわけでないですから、ドライに協力の代わりに見返りは求めるでしょう。だからこそ、王妃の実家の派閥として見られるのでしょう」
「でも、それって傀儡だよね」
「ご自身のやりたいことを、どうしたらできるかと苦慮されているのは、良い王ですよ。周囲に流されているだけの方が、楽なことが多いですから。何かあっても誰それが言ったからと、自分に責任はないと自己弁護できますし」
「でもその時は、最終的な責任は王にあるとして、頭を挿げ替えられるんだろうね。王様業も大変だ」
「そうですね。でもそんなことは王に限らず、何処でも起きているでしょう」
「そういえば、さっきの話し合いでは、ジュリア母様だけ話して、マルセル父様はほとんど黙っていたけど大丈夫なの」
「問題ないでしょう。いつもそうですよ」
(いいのか父よ)
アリスは、そんな恵の顔をちらっと見て。
「何を言っているのです。お父様はあれで剣の腕は立つし、領地経営もしっかりしている。お母様が、外向きの仕事に専念できるのは、お父様あってです。何より娘から見ても恥ずかしいほど夫婦仲がいいじゃないですか」
「それは、凄く感じている」
やがて、エマたちの帰宅が告げられた。
「メグ様、行きましょう」
「どっこいしょ」
「その口癖はいかがなものかと」
「えっ、何か言ってた」
「自覚なしですか」
晩餐は、スフォルレアン家とジラール家の当主と夫人が揃ったものだが、初めから堅苦しいものではなく、家族ぐるみで付き合っている友人同士のような雰囲気だ。先程の話し合いではほとんど口を開かなかったマルセルも今はサイモンと狩りの話で盛り上がっている。女性陣は、これから揃えてゆく恵のドレスやアクセサリーの話で盛り上がりっていたが、好みを聞かれてアクセサリーのデザインの話を恵が話すと盛んに感心された。恵は前世でインテリアの輸入もやっていたので、関連知識としてアクセサリーのことも耳にしていたのだ。喋りすぎたと反省した。
メニューはガルドノール特産の肉料理が中心だがどれも上品に仕上げられものばかりだ。毎週地の日にはここにきて晩餐を共にしていたが、今日は恵の養子縁組が整った祝いとして豪華なものだった。
食事後も居間に移動して、歓談が続いた。今度はエマの婚約が話題の中心だ。エマは初め恥ずかしがっていたが、恵が食いつき気味なのを見て話し始めた。
(おばさんだって、コイバナありだよ。聞くの限定だけどね)
エマと皇太子のアレクシスは王都のアカデミーで知り合った。エマがアカデミーに入学したとき、兄のライアンは最上級生で生徒の副代表をやっていた。この時の生徒代表がアレクシスで、ライアンの親友でもあり、顔を合わす機会はすぐに訪れた。当初ライアンはアレクシスにエマを合わせようとしなかった。エマの天然ぶりは奥向きや社交界を仕切る上級貴族の婦人として資質に欠けていると言わざるを得ない。ライアンは父親のサイモンに似て頭が切れて権謀術策にも長けていた。妹のエマことは可愛がっていたし、その性格も人としては好ましくも思っていたが、貴族として隙のない自分を示し続けていたライアンとしては、親友への見栄のような青臭い感情があった。しかし、隠せば見たくなるのが人情で、アレクシスはかえって親友の妹に興味を持ちライアンの抵抗も長く続かなかった。
アレクシスも初めはエマのことを、日頃からすまし顔の親友をからかうネタにしようと思っていた。しかし、その頃から貴族の勢力争いの只中にいて、各家の先兵としてやってくる令嬢を見続け女性不信になっていた彼にとって、エマは正に劇薬であった。上級貴族の令嬢なのに身分に対し分け隔てがなく、お人好しですぐ人を信じる。その癖、何かあれば身を挺して他者を守る。そんなエマの危うさを感じたアレクシスは、自分が彼女を守らねばと積極的に近づくようになった。周囲がエマを“聖女”と呼ぶようになる頃には、アレクシスと親しい者は、そのべた惚れぶりを生暖かい視線で見ていた。
この婚約にはもう一つ、王妃ルイーズの後押しがある。アレクシスは亡くなった前王妃オリヴィアの子で、ルイーズと血は繋がっていない。元々体の弱かったオリヴィアは産後の肥立ちが悪く命を落としたのだ。オリヴィアとルイーズは、国王のジャンが皇太子のときに嫁いだ。このとき、ルイーズは側妃として召されていた。派閥争いのバランスの結果である。オリヴィアは中道派でルイーズは穏健派だ。激しく争っていたのは強硬派と穏健派だったが、強硬派の候補はスキャンダルで脱落してしまった。勢いのあった強硬派は、そのまま次期王妃の座を穏健派に渡すことを良しとせず。次善策として中道派の候補を推して、穏健派の重しとしたのだ。
しかし、オリヴィアは皇太子妃になると、女たちが男たちの派閥争いに振り回されることに抗った。積極的に側妃ルイーズとの関係を持ち、穏健派が劣勢で風当たりが強くなっていたルイーズを庇ったのだ。幸いにも、オリヴィアは中道派のため側に使える者も強硬派の影響を受けず、思うように立ち回れた。ルイーズもこれに応えオリヴィアを慕い良い関係を築いていた。オリヴィアに恩を感じているルイーズは、彼女の忘れ形見であるアレクシスを可愛がり、特に第二王子のアクセルを産んでからは、自身の子と対立が起きないように、積極的にアレクシスを立太子とするよう王に働きかけた。
そのアレクシスが身内と言える姪のエマを気にいったのである。嬉しくないはずはない。妹のブロンシュに輪をかけておっとりしていると耳にしていたが、自分の目の黒いうちは守り通すと決めこの話を後押しした。
恵は、エマのアレクシスに対するポワポワした感想を嬉しそうに聞き入っていた。




