帝都の変 3
皇城の大広間は、異様な雰囲気に包まれていた。急遽定例議会前に参加貴族に対し布告が出されることになったのだ。この布告に関して、ヨハネスを廃太子にするとの噂が流れていたため、自分たちの将来に直接影響する。貴族たちが緊張するのも頷ける。
「皇帝陛下、ご入場」
係の者から声が掛かると、参列する貴族たちは、一斉に姿勢を正し皇帝専用の入場口に向かい叩頭する。その中をヘンリーは、静かに進みひな壇に上がる。すかさずアントンが布告の巻物を持ってヘンリーの横に並ぶ。
「皆の者。早朝からの登城、大儀である。本日の定例議会の前に、皆に伝えることがあり集まってもらった。では、アントンお前より・・・」
「陛下。急ぎお伝えしなければなら無いことが起こりました」
タイミングを見ていたように広間に現れたヨハネスは、ヘンリーの言葉を遮りながら、ひな壇に駆け寄る。
「騒々しいぞ。ヨハネス。後にせい」
「いえ、緊急かつ重大な事態にございます」
「何じゃ」
「王国が、戦を仕掛けてきます」
「なんじゃと・・・」
ヨハネスの一言で、静まり返っていた広場が騒然となった。
「フランク。どういうことじゃ」
「いえ。私にはそのような知らせは・・・」
外相も兼務するフランクは、困惑した表情だ。
「陛下。我が国と接している王国の辺境伯領の領主が自裁した後、一時的な直轄地から強硬派の手に渡りますが、その引継ぎのため、騎士団と侯爵の従士団が駐留していることは、陛下のお耳にも入っているかと思われます。実は、それが欺瞞工作で真の狙いは我が国に攻め入るため戦力を結集していたとのことでした」
「お前は、それをどこで」
「昨年末の王国との会談で取り決めた連絡窓口の担当から、王国の様子がおかしいと報告がありまして、調べさせました」
「そのような事、信じられません」
「平和を望まれる、姉上の慎重論は理解できますが。ここは、遅れれば我が国にとって大きな痛手となります。・・・おお、エンリコ司祭殿。そこにいらしたか。教会でも何か王国の噂を聞いておらぬか」
「・・・穏健派の皇太子と強硬派の侯爵が何やら密談をしているとの話を聞きました。異例なこととは思いますが、それ以上の事は・・・」
ヨハネスはエンリコに大きく頷くと、再びヘンリーに視線を戻す。
「陛下。犬猿の仲の両派が手を取る。これはまさしく有事の対応。一刻も早く、国境を固める必要がございます。折角、姉上が育てたエーデヒーゲルの希望の光を、王国の者共に荒らされてはなりません」
「ヨハネス。それは・・・」
「皇太子殿下の仰る通りだ。ここは、早急に手を打たねば痛手は大きくなるぞ」
「そのとおりだ。今すぐに動くべきである」
幾人かの貴族から、ヨハネスに賛同する声が上がる。
広間の雰囲気が変わってゆくのを肌で感じたヨハネスは自信に満ちた顔つきで一歩前へ出る。
「姉上。ここは、私にお任せください。陛下。ご決断を!」
「・・・うむ。分かった。出兵を許す。ただし、国境を固めるまでじゃ。戦端を開くか否かは、その後の状況によって余自らが決める。良いな」
「御意。国境は旧大公領です。未だにヘルマン大公殿を慕う民が多数います。此度の出兵はヘルマン大公殿にお願いするのが良いかと。兵の士気も上がりましょう」
「よかろう。ヘルマン、頼んだぞ」
「はっ」
ヘルマンは、叩頭したが、その顔つきは苦々しかった。その後ろでは、マチルダが血の気の引いた険しい表情でヨハネスを見つめていた。
「やってくれたな」
「如何いたしますか。閣下」
「勅命だ、出ないわけにも行くまい」
「それでは、みすみすヨハネス殿下の策に嵌るようなものです」
「お前は、王国か仕掛けて来る話は偽りだと思っておるのか?」
「はい。今の状況で王国が出兵する理由が分かりません。第一に、タイミングが良すぎます。布告を潰そうとしたとしか見えません。閣下のお考えは違うのですか」
「あのリーヌスのことだ。ただ出まかせを言っている訳ではなかろう。王国になにやら仕掛けているが、殿下の思い通りには進んでいないと言ったところではないか。まあ、殿下にとっては、王国のことは関係なく、決起するときに邪魔な我らが帝都から離していればよいだけであるからな。しかし、遺族たちからも声が上がったと言え、陛下も不甲斐ない。流されるように決断をされて。いや、お歳を召されたと言うべきか」
「心の底では、未だに廃太子にすることを迷われていたのでしょうか」
「かもしれぬな」
「それでは、如何いたします」
「殿下は、この帝国を収める器では無いとの思いは変わらぬ。なにより策に乗って道化を演じるのは面白くない。殿下に近しい第二騎士団は決起に使うであろうから、帝都に残すはずだ。出兵の命は、第三騎士団に下るであろう。監視役だけを切り離せば、第三騎士団を従わせることは出来る。そうだな・・・出兵後、本体はビーレハイムに留め、先遣隊と称して殿下に通じている者を国境へ向かわせよう」
「ビーレハイムならば騎兵であれば一日で帝都に戻れますね。それでは、何かあれば直ぐに知らせが行くよう、幾つか手立てを取りましょう」
「事を起こすときは、帝都は閉鎖されるぞ」
「承知しております。知らせを送るだけであれば問題ございません」
「うむ。それは、お前に任せよう」
「皇女殿下は、如何いたしますか。当然、狙われるはずです。近衛である第一騎士団は数が少のうございますし、陛下を優先して守るでしょう。閣下が直ぐに帝都に戻るとしても、害される可能性は大きいものと」
「マチルダ様の才は惜しい。このところのマチルダ様の働きは、目を見張るものだ。今は我が領ではないといえ、古巣フルフトバールの施策には恩義も感じている・・・」
「では」
「・・・いや。マチルダ様に天意が下るか否か、此度のことが試練のように思える・・・儂が帝都に戻るまでは手は出すな」
迷いながらではあったが、ヘルマンは言い切った。
「マチルダ様に天意が下らなければ、閣下がお立ちください」
「そこは、申すな」
「承知しました」
「明日朝には、正式な命が下るであろう。来週には出陣する。出来るな」
「お任せください」
予想通り、翌朝第三騎士団にヘルマンを総大将とした正式な出兵命令は下った。翌日には、帝都市民にも布告され、街は騒然とした。
アレクシスの執務室の前で、エマは入口を守る騎士と押し問答している。
「急ぎの御用ですのに、どうしてお会いできないのです」
「何人も通すなと命じられております。たとえ皇太子妃様と言えどお通しするわけにはまいりません」
「せめて、取り次いで頂けないでしょうか」
「そう仰られましても・・・」
二名の騎士は、後ろに控えるアデルの強い殺気を感じ、青くなりながらも答えている。
「騒々しいですね。どう致しました」
「王妃陛下・・・」
ルーズが、クロエ、セリア、ステラと護衛騎士を従えて、ゆっくりと威厳を放ちながら近づいてくる。
「日頃から節度を守ってきた妻が、急ぎ夫と話したいと訴えているのですよ。何故聞き届けられないのです?」
「それは・・・殿下の命がありまして・・・」
「私からも、命じます。ここをお開けなさい」
「・・・はっ」
騎士たちは逆ほっとする様子で、扉を開きルイーズたちを通した。
「どうしたのだ、エマ・・・母上まで」
「おお。アレクシス殿・・・ユリス殿もおられたか。ちょうどよい、ちと話を聞きたくて参ってしまった」
執務室には、アレクシスの他、ライアン、ティモテとヴォロンテヂュール侯爵がいた。応接テーブルは様々な資料が拡げられており、討議の最中であったことをうかがわせた。
「母上。お話ならば、この後時間を幾らでもとりましょう。暫しお待ちいただきたい」
「私の話しはユリス殿にも関係があってな」
「母上・・・」
「まさか、本当に出兵するつもりではないですよね」
「・・・ご存知でしたか」
ルイーズの鋭い気迫に、派閥を預かる侯爵ともあろうものが思わず声を漏らしてしまった。
「ユリス!」
「殿下。王妃陛下は此度のことご存じなのか」
「帝国では、既に第三騎士団の出兵が決まり、国境に駐留することが決まったようですよ」
「なんですと。殿下、話が違うのではないですか。帝国は、エーデヒーゲルを奪った後に来るのではなかったのですか」
「違う。私は、まだ返事を出していない」
「それが、親書とやらの中身ですね」
「・・・」
「あなたが、手を取ろうとしている相手が、どのような者か知らないわけではないしょうに。聖都でクロエやエマを襲った黒幕ですよ」
「別に手を取るつもりではありません。ヨハネスは焦っている。利用してやるまでです」
「あなたの思惑通りにも運んでいない様ではないですか。相手が待ち構えているとなると被害が出るばかりですよ。しかも、総大将は帝国でも猛将として名高いヘルマン大公殿と聞きました」
「何処で母上はそのような情報を・・・。ティモテどうなのだ」
「王家の守りは、その情報を得ていません。帝国の出兵は何時の話しなのですか」
「正式に出兵の命が下ったのは四日前のことです。明日にでも帝都を出陣するでしょう」
「あり得ない。どうしてそんな最新の情報・・・通信板が帝国にもあるのですか?・・・協力者がいるのですね。しかも、帝国の中枢の情報を知る立場の者に。父上が話していたのはこのことか・・・」
「殿下。どういうことですか?」
「ユリスも耳にしたことは無いか。遠方の出来事を時を置かず伝える方法が開発されたことを」
「あの、益体もない噂は事実だったのですか」
「父上が差配して、試験運用が始まっていた。”通信”と言う技術だ。近く貴族たちにも公開される。出所は、マルグリットだ。どうやら母上は、一足先に通信板を実用化していたようですね」
「カドー開拓の情報が、妙に素早く伝えられると思っていましたが、そのような事情があったのですな」
「私は、また道化となったわけだ・・・。お話しましょう。ヨハネス皇太子から、国境を越えステリライズコルリスの麓で一定時間帝国軍を釘付けにしてほしいと伝えてきました。見返りはエーデヒーゲルの割譲です。エーデヒーゲルは、これまでは荒れ地として価値は低いとされていましたが、現在は開拓が進み数年後には穀倉地帯に出来ると。確認するとそれは事実のようでした」
「それで、ユリス殿を引き込んで、ミュールエスト領の統治交替を理由に、騎士団とユリス殿の従士団、ミュールエスト領の元従士団が集まるように画策していたのですね。なんでも、皇帝陛下が出兵を決めた理由は、強硬派と穏健派が組んでミュールエスト領に戦力を集めているという証言のようです。ヨハネス殿にとっては貴方が密約を受けようが受けまいがそれにつられて何か動けば、それを口実にするつもりだったようですね。アレクシス殿。貴方ならこの程度の事は予測できたのではなくて?」
「私の王位継承が決まってこのかた、私の打つ手立ては尽く上手く行かず。クロエの施策はそれを上回る成果を上げてきた。確かに、マルグリットという、イレギュラーな存在があったのかもしれないが、このままでは、新王として皆を率いては行けない。何か、私を王としての軽んじられぬような成果を得たかった・・・」
「焦りましたね。こちらから密約を受ける話を返さなかったのは幸いです。ヨハネス殿は、力で帝国を奪うつもりのようです。それに手を貸し、彼が皇帝になれば将来の王国にとって良いことは無いでしょう。これまで彼が仕掛けてきたことがそれを証明しています。実は、マチルダ皇女殿下がエーデヒーゲルの開拓で成果を上げた背景には、クロエの支援も大きいようです。マチルダ皇女殿下は、戦の道具として送り込まれたエーデヒーゲルの民を救いたいと取り組まれたようです。将来の隣人としては、そのような方がふさわしいと思いませんか」
「協力者は、皇女殿下だったのか・・・。私は王となる器では無いな・・・」
「はぁ。私は育て方を間違えたのかしら・・・」
「いえ。母上には感謝しているのです。腹を痛めた子ではない私を、分け隔てなく、そして厳しく、ここまで育てて頂いた。私には母オリヴィアの記憶は無い。私の母上と言えばあなたなのです。凡庸な父上と違い、周囲をまとめ上げ自分の護りたい存在を護りきる。私はあなたを見て進んできたのです・・・」
「アレクシス。一つ大きな勘違いをしていますよ。私がこの様に振舞えるのは、陛下がいらっしゃるからです。派閥が争う難しい治世で、国が大きく乱れなかったのは、私やサイモン殿が自由に動けるように陛下が差配されたからです。何も王自身が前へ出て才覚を示さねばならないわけではないのですよ。確かに、マルグリットの企てたことは尋常ではなく、エマを思ってか、クロエに影響されたのか、あなたを警戒していたこともあったようですが、良く御覧なさい。好き勝手に動いているように見えても、あの子たちは、あなたと目的を違えたわけでは無いでしょう。何より、誰もあなたが王になることに異を唱えてはいません」
「それでは、私自身の価値は・・・」
「アレクシス様。私は疎く、政治的な駆け引きは出来ません。社交界の事も、王妃陛下やクロエ様に従っているだけです。ですが、私がここに居てもいいと思えるのは、アカデミー時代から変わらず私にお声を掛け続けて頂いているからです。皆そうです。あなたがここにいるから、安心して自分の信じた道を進んでいるのです」
「それならば、少しは私にも何をするのか話してくれても・・・。いや、分かっていたのだ。君たちが、何をしでかすかは分からずとも、何をしたいかは、初めから知っていた。・・・そうか。・・・私は、母上とエマに良いところを見せたかっただけかもしれない・・・」
「殿下・・・」
「ライアン様。アカデミー時代の皇太子殿下とライアン様とのエピソードを幾つも伺いました。ライアン様は、政策面だけでなく、アカデミー時代のように、もっと皇太子殿下のお心に寄り添ってくださいませ。メグは、少し考え無しに行動することがありますが、私が間に入って貴方を支えましょう」
「ステラ・・・」
「ユリス殿。貴方も、マリウス殿と良く話し合いを持たれては如何か。私の下にいるシャーリーがマリウス殿と幾度か交渉をしたが、彼女の報告では、未来への見通しも確かで、なかなかの傑物とののこと。ユリス殿は、良き者を後継者とされたと思っている」
「確かに、マリウスは此度のこと反対のようでした・・・。年甲斐もなく焦っていたようです。あ奴からは、クロエ殿下の動きに注意を払うようにと、忠告まで貰っていたのですが・・・。でも、よろしいのか、甥が派閥を率いると手ごわいですぞ」
「なに、それは兄上の仕事だ。ハハハ」
「ユリス、ライアン。聞いての通りだ。このままヨハネスの思惑に乗るのは面白くない。直ちにミュールエスト領から騎士たちを引かせ、ミュールエスト領の引渡しは滞りなく進んでいると皆に広めよ」
「「御意」」
集まっていた者たちが、退室すると執務室は俄かに静かになる。残されたアレクシスとライアンは、冷めた紅茶を口にすると、合わせたかのように大きなため息とついた。
「まいった。しかし、ここまでされたというのに、心は軽い。今まで、不味いことを強引に進めていたと心のどこかで思っていたようだ・・・」
「申し訳ございません。このようなときこそ私が冷静に周囲を見て諫言しなければなりませんでした」
「全くだ。今のお前は、私の口にした事をただただ、上手く進めようとする。これからは、アカデミー時代のように待ったをかけてほしい。お前の、諫言ならば私は聞き入れると誓おう」
「殿下・・・」
「しかし、お前。既にステラ嬢の尻に敷かれているようではないか。嫁については、私の勝ちだな」
「なにを、仰ります殿下・・・」
「よし、気は乗らぬが父上に話しに行くぞ。ライアン、お前も付き合え」
「はっ」




