山の民 6
ここは、山頂付近の開けた平らな場所で、ところどころ雪が残っている。空は雲一つない青空で、眼下にはカドーの地が広がり、霞むようにニゲルの森が見渡せた。手前のロアーヌ河が陽の光をキラキラ反射している。皆が、朝の準備に掛かろうとしていた。
「何か来る・・・大きい」
ルシィが護衛達を集め戦闘態勢を取らせる。カルロスもそれに合わせて戦士たちを集めた。
それは、ゆっくりと頭上から舞い降りてきた。大きな個体と一回り小ぶりにした二頭の古龍であった。大きい方の古龍が恵たちの前に二本足で立ち、辺りを睥睨するように見回す。
(魔力量が、半端ないねぇ。こんなの、アフィア様以来だわ)
「何やら、騒がしいと思ったら。フェンリルではないか」
大きい方の古龍の腹に響くような声に、応えるようにアクセルが前に出る。古龍の目がアクセルを捉える。
「アトゥル様とお見受け・・・」
「あんたが、アトゥルだね」
アクセルを押しのけてキケロモ前へ出て話し始めてしまった。
「ちょっと、キケロモ」
「メグ、あたしに任せな」
「いかにも儂が、アトゥルだ。このような所に何用だ、若きフェンリルの娘よ」
「アタイは、アフィアの姐御の妹分でキケロモだ」
「おぉ、アフィアの所のものか。婆さんは元気にしているか」
(婆さんとか・・・)
「あぁ、元気にしてるぞ。次に会えばその胸の傷より大きな傷をつけるに違いねえな」
見ると、黒龍の胸には大きな古傷があった。
(昔遣り合ったって言ってたやつか)
「フフフそうか、面白いことを言う。して、何しに参った」
「ビカスって奴のことで文句を言いに来た」
「あ奴の事か・・・それでドワーフがおるのか」
「ああ、ビカスがドワーフのとこで・・・迷惑?・・・あれ。メグ、ビカスって、ドワーフに何したんだ?」
「えっ」
「えっ?」
「えぇ〜」
(こいつ、何にも知らずにここまで来たんかい。確かに、説明も詳しくしてなかったけど・・・)
「キケロモ、交渉は私がするから後ろで見てて」
「おっ、おう。ここは任せた。アタイは、メグの交渉の後ろから見させてもらおう」
キケロモは、偉そうにそう言うとすごすごと護衛達の後ろに回って座り込んだ。
「何やら、おぬしも大変そうだな・・・」
(交渉相手から同情された・・・ちょっとはずい)
「え~、アトゥル様。人族のマルグリットです。隣にいるのは、私の婚約者でアクセル様です。彼は、その昔、アトゥル様に助けて頂いたガブリエル様の子孫です」
「ほー、あ奴の・・・そういえば、魔力に面影があるの」
「その関係もありまして、先日ビカス様にドワーフ国から別の場所へと移って頂きたいとお願い上がりました。その折にビカス様が、交渉したいならば先ずアトゥル様に話を通せとの仰せで、ここに参上した次第です。出来ましたら、アトゥル様からもビカス様が立ち退くようお口添えいただきませんか」
アトゥルは、恵を暫く睨んでいたが、おもむろに口を開く。
「あ奴のことなど知らん。こちらに来られても迷惑」
「何で、ドワーフ国に籠っているのですか?それだけでも教えてください」
「あなた、ビカスがこの子に伝えたと言うなら話してあげて」
それまで、横に控えていたもう一頭も古龍が、話に入ってきた。アトゥルの番らしい。
「お前は、黙っていろ」
「いいえ黙りません。何時もそう言って、何もしないじゃないですか。あの子が渡りに失敗したのだって・・・初めての渡は、親が付き添うのが習わしでしょう。貴方が行けなくて、オムが補助を買って出てくれたのに、見栄を張って断ったのはあなたですよ」
「わしは、古龍の長だ。いついかなる時でも、皆に威厳を示していなければならん。些細な事でも弱みを見せる訳にはいかんのだ」
「それが、引きこもった息子に何もしないでいる理由ですか?」
「では、お前は何をした。お前が甘やかして食事を届け続けているから、出てこなくなっているだけだろ」
「あなたは知らないでしょうが、初めは一節季の間飲まず食わずで籠っていたのですよ。子供の様子も見もしない。逃げてばかり。その何処に古龍の威厳があるのです。昔はあんなに可愛がっていたのに」
「煩い。儂が決めたこと。女子供はだまっておれ」
「あの子は何時だって、あなたにあこがれて、期待の応えようと一所懸命頑張って来たじゃないですか。あの時も、初めての渡を任されて不安そうにしていたのに、あなたが補助を断ると、父の決めたことだと言って従ったのですよ。貴方はそれを見なかったことにして」
古龍はドラゴンを家畜のように管理していた。頭数の管理や交配の関係で何十年かの一度、繁殖地間でドラゴンの一部を入れ替える。これが渡りで、若手の古龍が中心にドラゴンをまとめ上げ移動させる。ビカスは四年前に初めてこの任を受けたが、途中で一頭の若いドラゴンがコースを外れ地上にブレスを吐いた。ビカスはこれを止められず、渡の管理に失敗した。本来、初めての渡では、親が付き添うのが慣例であった。だがそのとき、アトゥルの体調が思わしくなく付き添えなかった。そのとき、次代の長と言われるオムが付き添いを買って出たが、アトゥルはこれを断っていた。自分の地位を脅かすオムに、一度弱みを見せればズルズルと長の地位を渡し、息子に引き継がすことが出来なくなると考えたらしい。
恵が感じた通り、アトゥルとシーラは歳の離れた夫婦で、元々は高齢で授かったビカスを溺愛し、地位を継がせたかったのだ。
(若い嫁貰って、子供が出来て溺愛していたのに、世間体とか気にして親としてきちんと子供に向き合って来なかったんじゃないの。一度の失敗に、手を差し伸べずに、長になるものはそんなんじゃいけないなんて、当人が一番落ち込んでいたのに、追い打ちを掛けたも同然だよ。ビカスが引きこもって当然かも知れない。今考えると、あいつはドワーフ達を威嚇はしたけど、それ以上に攻撃的なことはしていない。本当は繊細でいい子なんじゃないの?)
「何で分かってくれないんですか」
「ええい煩い。あんな軟弱者など儂の子ではない」
「おまえ、親として言ってはいけないことを口にしたな」
「なんだ小娘」
「このバカ親が・・・グレート・ショット」
「うがっ・・・」
放たれた、グレート・ショットはアトゥルの顔面を捉える。大きな衝撃に顔が後方に傾く。しかし、さすがに歳を経た古龍、強化砲弾の砲撃でも僅かに傷を付けた程度だ。しかし、その運動エネルギーは確かにあり、殴ったような効果があった。
「メグ様!」
「メグが切れた」
「おのれ、儂の顔に向かって何・・・オッ」
しかしその時には、恵は瞬歩で飛び出し、開いたアトゥルの口にショートソードを突き刺していた。
「パワー・スタン」
「あががっ」
「子供はね、たっぷりと愛情を注がないとダメなのよ!」
恵は、古龍の首筋を足場に、今度は引き抜いたショートソードをアフィアの付けた古傷に突き刺す。魔力をたっぷりと注ぎ込んだショートソードが古傷に突き刺さる。
「ぐわっ」
恵は、突き刺したショートソードを手放し、次の攻撃に移ろうと古龍から離れる。それをアトゥルが、前脚で襲う。恵は、その鋭い爪にかろうじて短剣を合わせるが、空中の恵にその勢いを消せるはずはなく、そのまま地面に叩きつけられる。咄嗟に魔力を体に巡らせ、ホーリー・シールドを掛けたが、衝撃は消しきれない。背中を強く打って息が止まる。
「小娘が・・・」
アトゥルが恵を右足で踏みつけようとしたとき、一斉に護衛達が飛び出す。リュカが盾でジョシュアがホーリー・シールドで恵を庇い、エギル、ニコラが迫る右足に斬りつける。二人ともここぞとばかりに付与のブーストを掛けていた。硬質の古龍の鱗が斬撃に耐え兼ね割れる。右足が一瞬止まったその瞬間、ルシィの”グレート・ショット”がアトゥルの腹を捉える。弾は弾かれるが衝撃はしっかりと伝わる。彼は、右足を上げたまま後ろにのけぞった。それを待っていたように、アリスとカミーユが飛び出し瞬速の抜刀術で踏みしめる軸足を切りつける。驚くことに、アリスの斬撃は、古龍の鱗を斬り肉まで達した。
アトゥルは、上げていた右足を引いて辛うじて転倒せずに留まる。その程度で古龍が止まるはずはない。今度は息を大きく吸った。ブレスの体制に入ったのだ。
「皆、ありがとう」
起き上がった恵が、矢のように飛び出すと身体を回転させ後ろ蹴りの要領で、古傷に突き立てたショートソードの柄を踏み込む。
「インパクト」
ショートソードさらに深く突き刺さる。
「グッ」
アトゥルが顔を顰めるが、堪えてブレスの予備動作を続ける。
恵は、柄を踏み込んだ反動を利用して離れる間際に。
「パワー・スタン」
「ぐがぁ」
半分口の中で爆発した中途半端なブレスが、虚空に消えて行く。
「凄い!マルグリット様が足で魔法使ったぞ」
恵は、護衛達の下に着地すると、そのまま短剣を構えてアトゥルを睨みつける。
「小さな人族にやられて悔しい?少しは、痛かった?でもね、ビカスは、もっとく悔しく、心の傷はこんなものじゃなく痛かったはずよ。あんただって分かっているでしょう。世間体ばかり気にして、なぜ子供に向き合わないのよ・・・私は、もっともっと息子に愛情を注ぎたかったのに、もうできなくなったのに・・・」
恵はボロボロと涙を流しながらアトゥルを睨む。
「・・・そうか、お主の魂は・・・」
アトゥルは、そう呟くと恵の迫力に気圧されるように、口を噤んだ。
「もう見ていられねぇ。これ以上やるならアタイが相手だ」
「あなたもうやめてください。キケロモさん、マルグリットさんも抑えてください」
「・・・ああ、分かった。矛を収めよう」
アトゥルは、その場にどっしりと腰を下ろすと、大きく息をついた。恵も構えてを解いて、護衛達にも剣を収めさせた。
「メグ今のは・・・」
「アクセル様、皆。これまで、伝えていなかったことがあります。私には、前世の記憶があります。前世では、母一人、息子一人で暮らしていました。息子を無事成人まで育てましたが、息子の行く末を、結婚や孫の誕生を見ることなく死んでしまいました。生まれ変わり、今は良い人々に恵まれ、幸せに暮らしていますが、息子の事は今も私の未練として心の中にあります。アクセル殿下。こんな私です。婚約を破棄して頂いても構いません」
「メグ。その未練も含めて、全てがメグなのだ。私は、そんなメグを愛した。何故婚約を解消する必要がある」
そう言って、アクセルは恵の手を握り優しく微笑む。恵の目には、先程の悔し涙とは別の熱い涙で潤んでいた。
「やはり、メグ様の中身はおばさんでしたか」
「お嬢が・・・おばん・・・」
「母ちゃんと話しているようなときがあったが、それだったか」
(なんで皆、今いい場面だよね)




