引越しの手伝い 4
それは突然やってきた。恵たちがそろそろ王都に行く準備を考え始めた朝だった。目が覚め支度を終えたそのとき、領館から北北西、ニゲルの森で殺気を伴った巨大な魔力が爆発した。
「メグ様、今のは」
ここから三十キロメートル程距離は有るだろうか、その距離でも魔術師ならば感じ取れるほどの強い魔力である。
(キケロモ!・・・まさかこれが合図。やばい、やばい)
「アリス姉。これヤバイ」
恵はアリスと共に直ちにサイモンの私室に駆け込んだ。部屋には、サイオンとブロンシュが朝のひと時を過ごしていた。
「お父様!」
「なんだ、騒々しい。いきなり部屋に飛び込んできおって」
「大変です。スタンピードが起こります。私のミスです。至急領民の避難と防衛の配備を」
「ゴブリンの一斉調査であれば、この春に完了し問題は出ていない。今回は不正も無く行ったぞ」
「ゴブリンだけではありません。あらゆる魔獣がニゲルより溢れ出します。お父様は感じられませんでしたか、先程の魔力の爆発を、とても大きな規模です」
「どういうことだ。先ほど自分のミスと言ったな」
「詳細は落ち着いてからお話しますが、フェンリルのキケロモが、このあたりの魔獣を排除するため殺気を込めた魔力の咆哮を発しました。ここから北北西に約三十キロメートルのところです。森のかなり南寄りです。そのため、大部分の魔獣はこちらとは反対側に逃げると思われますが、こちらにもかなりの数が・・・おそらく四千頭は下るまいと。オークやフォレスト・ウルフなど中層の魔獣、グレート・ウルフなど深層の魔獣も多く含まれると予測します」
「なんと・・・。だが何故こんなところでフェンリルが暴れる。住み家はもっと西ではなかったのか」
「ニゲルの魔獣を何とかならないかと・・・キケロモに・・・」
「馬鹿もん!」
そのとき、ドアをノックする音が響く。
「入れ」
現れたのは執事のソラルに連れられた、従士団団長のクロードと部下の魔術師だった。
「閣下。お寛ぎのところ申し訳ございません。至急お耳にお入れしなければならない事態が生じました」
「構わん。何だ」
「ただ今、部下の魔術師よりミゲルに異変が起きたと報告が入りました。フロラン、報告しろ」
「先程、ニゲルにおいて大きな魔力爆発が起きました。ここ一帯の魔獣が混乱している模様です。すぐさま調査隊を編成し、何が起こったか確認すべきです。ルアンに大きな禍が訪れる可能性もあります」
「フロランは優秀な魔術師で、探査に長けております。確実な情報と思われます」
「それは、フェンリルだ。フェンリルが周囲の魔獣を排除するため魔力の咆哮を放ったらしい」
「その情報は・・・マルグリットお嬢様でしたか。さすが、名付き地竜を討伐された戦乙女」
「こやつが、余計なことをフェンリルに言ったようだ」
サイモンは、苦いものを吐き出すようにいう。
「それは・・・」
「お叱りは、後で幾らでも受けます。今は急ぎ外にいる領民を城壁内に避難させてください。フェンリルは襲ってきませんが、フェンリルに怯えた四千頭を超える魔獣たちニゲルから溢れ出します。オーク、フォレスト・ウルフ、バジリスク、グレート・ウルフなど中層から深層の魔獣も多くいるでしょう」
「何と!」
「クロード、直ちに外にいる領民達を城内に避難させろ。それと、従士達には下手に戦わず領民を守ることに専念させよ。ソラル、冒険者ギルドに行き状況を伝え緊急招集を要請するのだ」
「「はっ」」
サイモンが、矢継ぎ早に指示を出し、クロードたちが退出するのを待っていたように恵が話しかける。
「お父様、私も出ます」
サイモンが、恵を見つめる。
「あぁ。後でたっぷりとお仕置きしてやる。今は、お前の為すべきことを為せ。街のことは任せておけ」
「メグちゃん、必ず帰るのですよ」
ずっと黙っていたブロンシュが溜まり兼ねたように声を掛けた。
「はい、行ってまいります」
玄関には、ジュリア、アリス、護衛隊が集まっていた。
「みんな聞いて。ルシィさんから状況を聞いたと思うけれど。先程のは、キケロモが私への合図のためにやったと思われます。中層、深層を含む四千頭を超える魔獣がニゲルから溢れ出してくると予想されます。完全に私の対応ミスです。私は、これより一人でも多くの領民を救うため、打って出ます。皆にも助けてほしいけど・・・この状況では命の保証が出来ません。でも、私一人の力では・・・」
「何言ってるっす。お嬢。こういう時は、”死んで来い”の一言で良いっすよ」
「ニコラ」
「俺は、一度死刑を言い渡され、お嬢様に助けられた身だ。これまで生きてきたのはオマケみたいなもんさ。最高の舞台を用意してもらったぜ」
「エギル」
「メグ様。皆の気持ちは同じです。さすがに死んで来いは無いですが、一言”私に続け”と仰ってください」
護衛隊の皆は、こんな時だと言うのに笑顔を恵に見せている。
「私をのけ者にしないでくださいね。姉として妹のけじめに付き合います」
もう恵の眼は真っ赤になっている。
「皆有難う。私と一緒に来て」
「「はい!」」、「「おお!」」
「ジュリア母様、申し訳ございません。私の浅慮でこのような事態を招いてしまいました。これよりけじめを付けるために行ってまいります」
「経緯を聞いていながら、私も思い浮かびませんでした。あなたばかりを責められないでしょう。私も出たいところですが、サイモン様とブロンシュ様をお守りしなければなりません。外のことは任せました、存分におやりなさい」
「承知しました」
「アリス。これをお持ちなさい。マルグリットをしっかりサポートするのですよ」
「これは、・・・お母様の剣。良いのですか」
「あなたの剣と同じレッド・バイソンのものですが、これにはドワーフの秘術が込められています。あなたの剣の半分の魔力で、アダマンタイトを超える硬度になります」
「有難うございます」
「預けるだけです。必ずあなたの手で返しに来るのですよ」
「はい、お母様」
「総員、出動」
恵たちは、オルニトミムスに騎乗し、領館を発った。からりと晴れた夏の朝の風が、恵の髪の毛を靡かせていた。
恵たちは、西門から外へ出た。急使を受けた門番が街の外へ出ようとする人々を止め始めていた。恵たちも、街道をゆく人を見つけると、スタンピードが起こっていることを伝え街に避難するように告げながら進んだ。
街道から逸れて森の手前に広がる草原に向かうと、冒険者パーティーに出会う。
「従士隊か、あんたらも森の様子が気になってきたのか。こりゃかなりやべえぞ」
「何かありましたか」
先頭にいたルシィが話しかけてきた冒険者に確認すると、異変を感じて真っ先に来てみたが、彼らが着いたとき、ホーン・ラビットの大群が西の方向へ駆け抜けて行き、その後も森のざわめきが治まらないと言う。
「浅層にいた足が速くて弱い魔獣が、真っ先に逃げ出したんだろう。直ぐに、あぶねえ奴らが飛び出してくる・・・っておい、戦乙女のお出ましか」
「スタンピードが起こっています。直ぐに街に戻ってください。それと、街道に人を見つけたら避難を手伝ってあげてください」
「あんたらは、どうする」
「魔獣たちの足止めをして、領民が避難する時間を稼ぎます」
「この感覚は、相当やばい。そいつは無謀・・・済まん、こりゃマギア神に魔法を解くようなもんだったな。了解した。領民の避難は任せろ」
そう言うと、冒険者たちは街道に向かって走りだした。
城門が開いたばかりの時間なので、まだそれほど外へ出た領民はいないはずだ。しかし、スタンピードは目前に迫っている。領民の避難する時間を稼ぐために、魔獣たちを足止めしなければならない。
「ルシィさん、そろそろね」
「えぇ。だいぶ混乱しているみたいですね。逃げるゴブリンの一群がブラックドッグの群れに追いつかれ襲われています。更に、その後ろから、フォレスト・ウルフが追い立ててきますね。森を出るときは、団子状態ですね」
「これが第一波かな。その後ろにはオークやバジリスクが控えている。この辺りが先頭集団だけど、その後は広がるから、抑え込むのは難しいか。発信源に近い西側に来たけど、東側でも同じだろうね」
ルアンはロアーヌ河により、東西に分かれている。川幅は五十メートルあるので、魔獣たちも渡るのは簡単ではない。恵は魔力咆哮があった西側に来ていた。
「第一波は、団子状態で種族ごとに互いに殺しあっているので、数は減っていますね。上手く第一波の足止めをできれば、後続のオークたちと争いさらに時間は稼げるのですが・・・」
「そうね、奴らの混乱を利用して足止できればいいよね・・・何かないかしら」
「しかし、フェンリルってのはとんでもねえな。一声でここまでの事を引き起こしちまうんだぁ」
「もうニコラは、何を暢気なことを言っているの。ちょっとは足止めの方法考えなさいよ」
これから死地に飛び込もうとしているというのに、護衛達からは緊張が感じられない。
「それだ!私もキケロモみたいに魔力に殺気を込めてぶつけてみる」
恵は、オルニトミムスを進めて先頭に出ると、大きく深呼吸して魔力を練り始める。
(最大の殺気を放つには・・・よし)
第一波が森から飛び出しタイミングを図る。
(今だ!)
「クズ男、滅びろー」
魔の森から飛び出した魔獣の内、先頭集団の百頭以上の足が止まる。浅層の弱い魔獣は意識を失い、中層の魔獣も棒立ちになる。そこへ、後続の魔獣が押し寄せ混乱が激しくなる。
「今のは・・・」
「私が最も殺気を放てる言葉」
「胸を張られて仰られても・・・」
「さあ、飛び出してきたやつを叩いて次に行くよ。悪いけどちょっと休ませて、今ので四割くらい魔力を持って行かれた」
「総員、飛び出してきた魔獣に一当てして、次の集団に移動する。掛かれ」
ポーションを飲む恵を追い越して、護衛達が魔獣に突っ込んで行く。護衛達は混乱を抜けてきた魔獣たちを攻撃して押し返し混乱を助長させる。
「よし。移動する」




