家出 2
「マルグリットは遅いな。もう着くころだろうに」
ルアンの領館の執務室で、執務の区切りに紅茶で一息ついてサイモンが呟く。傍らで、仕事を手伝っていたジュリアがそれに応えた。
「あの子。ルアンによらずルアール領に行きましたよ」
「どう言うことだ」
「アリスが知らせたようです。急使が来たその日に飛び出したままです」
「何故、連れ戻さない?」
「叱られるのが嫌なのでしょうが、何か他にも理由がありそうなんですよ・・・」
「はっきりせんな」
「あの子のことを予想するのはとても難しいです」
「確かにな」
「一応尾行のベテランを付けていますが、どこまで通じるか。ルシィと言う隊長の子も、相当鋭いですから。ホントに厄介な子たちです」
「その割には、楽しそうだな」
「サイモン様。からかわないでください」
「何をしでかすか分からぬから、しっかりと見張っておいてくれ」
「畏まりました」
「名付きの地竜討伐か・・・これで、全ての民にマルグリットのことが知れ渡るな」
「ほんとに何を考えているのか、エマ様の守りは如何してしまったのかしら」
「なに、もう皇太子妃になったのだ、それほどうるさいことは言わなくてもよいだろう。それに、これだけ目立ってしまえば、何かあってもエマに目が行くことはあるまい」
「承知しました。それより、ブロンシュ様のことお願いしますね。マルグリットが戻るのを大層楽しみにされていらっしゃるご様子でした」
「おい。ジュリアそれは無いだろう」
「では、私はこれで下がらせて頂きます」
「おい・・・」
ジュリアは微笑みながらサイモンの執務室を後にした。
予想通り、ルアール領主であるセリアの父アントナはとても恐縮した。アカデミーの同級で親しく交流を持っているとはいえ。上級貴族のご令嬢が、男爵家の娘を自ら家まで送り届けてくれたのだ。
コルマーレの町を見学したいと告げて、物資の買い出しに向かおうとすると、セリアが案内すると言って、自分の荷物を降ろすと旅装も解かずに同行してきた。
「肉はもう二日ぐらい熟成しないといけないんでしょう。うちに泊まってゆけばいいのに」
「ポーションも心もとないから補充したいし、肉もちょっと焼くだけでいいように低温調理まで進めておきたいんだよね。さすがに泊めてもらいながら錬金術出来ないでしょう。町で宿とってもバレたら気まずいでしょう。だから、食糧とか補充したら町を出て野営しながらやるよ」
「あそこまで目立ったら、今更じゃない。メグちゃんなら何でもありだよ」
(私は何なの!)
「私は付いて行っちゃダメなんだよね・・・」
「キケロモがどんな子か分からないし。何かあったときにニゲルの深層から自力で戻れる力がないとね」
「やっぱりそうだよね・・・」
その後、買い物を済ませ、セリアを送り届けた後、コルマーレを出た。
「ロジェ、馬車をお願いね。真っ直ぐルアンに帰るのよ。護衛にお金をケチっちゃダメよ、必ずCランク以上を雇うのよ」
「承知しております」
「こういうとこメグ様は、細かいよね」
「おかんだな」
「じゃあね、私たちの分までしっかり怒られておいてね」
「お嬢様、それはちょっと・・・」
「こういうとこメグ様は雑だよね」
「おとんだな」
(外野がうるさい)
準備が整い、恵たちはいよいよニゲル向かう。アリスの魔王の噂の調査は完了していた。大半が他愛のないうわさに過ぎないが、中には”物凄い魔力が近づくのを感じて逃げた。すると後ろから笑い声が追いかけて来る”と言うモチーフで細部が少し異なるが噂が幾つかあった。
(まるで都市伝説だね。しかし、笑い声といかにも魔王っぽい。いや、この場合の魔王は、魔獣の王だったか)
それらを書き出してみると、噂が立っている地域に偏りがあった。怪しいのは、ルアール領より西側の地域のようだ。恵たちは、コルマーレから更に西に向かいカディーヌ伯爵領でマゴニア河を越えてニゲルに入って行くことにした。
「ルシィさん気付いてる」
「後ろの尾行者ですね。三人でローテーションしながら尾行してます。かなり訓練されていますね。えっ、アリスさんどうしたのです。眉間にしわ寄せて」
「ルシィさんなら仕方ないことかもしれませんが。交替している人数までしっかり把握されるようでは、失格ですね」
「えっ」
「ジュリア母様が付けた里の人だよ。帰ったらアリス姉がしごくんだろうな・・・」
「あぁ・・・、でもどうするんです」
「このまま、ニゲルに入るだけだよ。今回は深層まで行くから、付いて来ないと思うけど。無理して来るようだと危ないから助けてあげないとね。ルシィさんも注意しておいて」
「アリスさん。頭抱えないで」
「尾行が、対象者に気を使われて、どうするのですか」
恵たちは、魔の森ニゲルを進んで行く、三キロメートルほど潜ったところで、オルニトミムスから降りて徒歩となる。尾行者は二キロメートルほど付いてきた後は、諦めて帰って行った。アリスの話しでは、その辺の魔獣なら彼らでも問題ないらしい。
遭遇する魔獣は、オークやフォレスト・ウルフでルアンの近くと変わりがない。ゴブリンやオークはどこにでもいるが、それ以外の傾向では、南はウガルルや窮奇などネコ系の魔獣が多く、北の地はフォレスト・ウルフやガルムなどのオオカミやイヌ系の魔獣が多いようだ。森の感じも随分違う。こちらでは針葉樹の割合が多い。先ほどから、メルキオールが盛んに植物のサンプルを集めている。
もう深層と呼ばれる領域に入っている。この辺りでは、グレート・ウルフなど強い魔獣も出始めたが、今の恵たちには問題は無かった。恵たちは変わらぬペースで更に進んでゆく。そのまま、夕暮れ近くまで潜ると開けた場所に出た。
「もうすぐ、日も落ちるし。ここで野営しましょう。そうそう、アフィア様からもらった毛玉だすね。この辺ではどのくらい効くか分からないけど、中層の魔獣なら来なくなるって言うし、見張りも少しは楽になるよ」
恵がマジック・バッグから、毛玉を出すとアフィアの魔力の残滓が徐々に周囲に広がり出す。人族にはあまり感じられないが魔獣同士はこの魔力残滓から強い魔獣のテリトリーを冒したかどうか分かるようだ。
食事を済ませ、身体を休める。このくらいの魔獣であれば問題は無いが、注意を払いながらの行動は普段より疲れがたまる。身体は休める時に休めておきたい。恵も、しっかりと眠った。
またしても、即死クラスの爪の攻撃が来る。気配が揺れたときには、もう攻撃が来ている。危険察知も追いつかない。殆ど勘だ。逸らすシールドといなしを組み合わせながら瞬歩で移動して回避する。その上で、パワー・スタンとインパクト使いキケロモの次の動きをけん制する。
「ははは、やるじゃねえか。流石は姐御が寄越しただけはある。なら、これはどうだ」
その瞬間、まるで衝撃派のような魔力を込めた殺気を受け一瞬身体が硬直しそうになる、その中で無意識に構えた剛力の短剣に凄まじい衝撃が伝わり、恵の身体が吹き飛ばされる。そのままくるり身体を回転させ着地し、腐葉土を削り取るように滑りながら勢いを殺す。
「これも、ダメか。スゲェな!」
(なんでこうなった・・・)
時間を暫く戻す。明け方、物凄い魔力の気配で恵は目を覚ました。見張りが警告を出すとかのレベルでない、全員が飛び起きた。それだけ強烈な魔力だ。
「この感じ、経験あるよね」
「アフィア様と初めて会ったときは、一瞬で目の前に来ましたが、今度はゆっくり近づいてきますね。間違いなくフェンリルですね」
「もの凄い気配がゆっくりと近づいて来るのも結構堪えるね」
それでも、恵たちは手早く野営地を片付ける。気配は直ぐそこまで迫っていた。
「懐かしい気配と思って来てみれば、人族か・・・」
予想通り、現れたものはフェンリルだった。アフィアより少し小柄だが。それでも大した迫力だ。
「おまえら、鈍感なのか。逃げなくていいのか?」
「あなたは、キケロモさんですか」
恵が一歩前に出て語りかける。
「アタイのことを知っているのか?」
「お久しぶりです。キケロモ姉さん。私のこと覚えてます?」
「メルキオールじゃねえか、懐かしいな。元気そうだな」
「はいお陰様で。姉さんは」
「まぁ、気楽にやってるよ。時々人族脅したりしてな。あいつらちょっと脅かすと泡食って逃げやがって、思わず笑っちまうんだ」
(あっ、噂にあったパターン。迷惑な奴)
「こちらが、マルグリット殿で、一時期は母の村にも滞在していました」
「姐御の遣いってことか・・・」
(あれ、気配変わった?)
「はい。こちらです」
恵はアフィアの毛玉を出す。
「腹の毛か・・・信用されてんだ・・・それで、姐御は何て?まだ、アタイのこと文句あるってか?」
「違います、違います。懐かしがって、暫く会ってないからどうしているか心配して・・・」
「嘘だ、嘘だ。姐御は怒ると怖いんだぞ。それもやらかしたこと何時までも覚えてるんだ」
(どうなってるの)
「キケロモさん。落ち着いて・・・」
「これが落ち着けるか・・・姐御が来るかもしれないんだぞ・・・」
(二百年前の喧嘩って、そんなに・・・あぁ、でっかい池が出来てたっけ)
「ほんと、本当に怒って無いって。メルキオール殿からも言ってよ」
「マルグリット殿の仰る通り、母はもう怒ってませんよ」
「ほんとか・・・今一つ信じられない・・・」
「確かに、母は怒ると昔のことを何時までもあれこれ言ってきますが、今回は・・・」
「やっぱりそうじゃねぇか。姐御はああ見えて結構執念深いんだぞ」
「メルキオール殿、余計なこと言わない!キケロモさんも落ち着いて。本当に怒ってたらこんなまどろっこしいことしないでしょう」
「ううううう・・・よし、勝負だ。お前が勝ったら信じてやる」
(おい、どういう理屈だ。っていきなり)
キケロモの爪が恵みを引き裂くように炸裂する。とっさに瞬歩を使ってよけるが、離れず追ってくる。“ドン、ドン、ドン、ドン、ドン”、瞬歩で移動しながら連続でショットを撃つ。
「いて、いて、いて・・・コンニャロ」
ショットは、次々にキケロモの顔を捉えるが、痛がっている割には大して効いていないようで、鋭い爪の反撃か襲う。身体を捻るように回転させながら攻撃を避け、躱しざまパワー・スタンを仕掛ける。バチバッチと音を立てながら青白い火花が連続で瞬く。
「いてぇー」
キケロモがビクッとした、僅かな時間で距離を取って構える。
恵とキケロモの戦いは、突然始まり、そして現在に至る。




