森の村 1
それから街道を三日間北上して、恵たちはアヴィニールに到着する。街の周囲には豊かな水田が広がっていた。午後の日差しの中、農民が草取りに精を出している。ここでは身分を明かして入城となる。一行が貴族門に入ると、エステェを見た門番たちが騒然とし”姫様がお戻りになられた” と口々に話し始めた。
「さすがご領主さまのお嬢様ですね」
「代官ですけどね。お恥ずかしいことに、ここでは姫などと呼ばれているです」
「もしかして、ジュリア母様も?」
「昔は姫と呼ばれていたそうですよ」
「メグ様、お母様にそれを言うと、ご気分を害されますよ。子爵家の娘を姫などと大仰にと」
「王家の守りの使命は、外部とは一線を引かねばならないですし、一族の結束は固く、王家を守るということでプライドも高いですから・・・そのような気風からだと考えています。王都で暮らすようになってからは私もちょっと思うところはあるんですが・・・」
「エステェ様が、クロエお姉様を”姫様”って呼ぶのもその辺の思いからですか?」
「さあ、どうでしょう。自分でも良く分からないまま定着しちゃいました」
一行の入場検査はあって無きがごとく進み、あれよあれよと言う間に、代官の屋敷に迎え入れられた。代官屋敷には、王家の守り先代の頭首であるヘクターが一行を出迎えた。六十歳半ばと聞いていたが、白髪ながら肌艶が良く、背がピシッと伸び、きびきびとした印象だ。
「おじい様。ただ今戻りました」
「おぉ。エステェよく戻った。それに、アリスか。久しぶりだ。大きくなったな」
「お久しぶりでございます。十歳のとき以来なので七年ぶりでございます。おじい様も息災で何よりです」
「わははは。元気だけが取柄でな。足のことは聞いた。よくぞ使命を果たした」
「ありがとう存じます」
「してそこの御嬢さんが王女殿下からお話を頂いた・・・」
「ガルドノール伯爵が次女、マルグリット・スフォルレアンでございます。お目に掛かれて光栄です」
恵はカーテシーをして傅く。
「そう畏まらんでも良い。家系で言えば祖父でもあるしのう。わしのこともおじい様で良いぞ」
「ありがとう存じます。ヘクターおじい様」
「うむ。聞いておるぞ。アデルに負けぬやんちゃぶりとか」
「お恥ずかしいばかりです」
(なんで、比較対象がアデル姉なの)
ヘクターはニコニコと頷いている。このあと、セリアが挨拶をして、旅装を解くことになった。恵とアリス、セリアは代官屋敷の客間を宛がわれ、護衛達は隣接する使用人の建屋に部屋を用意してもらった。驚いたのは、アリスはまだしも、恵もジュリアの娘と聞くと特に年配の使用人たちの態度がセリアへのものと明らかに違った。
「これって、身内認定されたってこと?ジュリアお母様って凄い慕われてたの」
「お母様と訪れたときの歓待ぶりは凄かったです。子供の頃はそれが当たり前なのかと思っていましたが、今思うと普通では無いですよね」
「でも、なんか分かるよね。ジュリア母様ならありそうだ」
その晩は、歓迎の宴が開かれた。今日の宴会では、アリスもお嬢様としての列席を強要されている。そして恵に対しても身内認定は間違いないようだ。距離感がとても近い。
(昔、地方の友達の結婚式に出たときを思い出す。周りは、主役の関係ない宴会状態で、小父さんやおばさんに若い子が”そうか、○○のところの娘か”とグイグイやられてたっけ。あのときは、私は”東京の大学時代の友達”で浮いていたけど、今はグイグイ来られていて、ちょっとうざいんですけど)
「アリス姉、これ何とかならないの」
恵が小声でアリスに話しかける。
「成人してからの訪問は私も初めてなので、戸惑っています。今もようやく私の知らない親戚からの縁談を断ったところです。ちなみに二件目です」
「縁談って。アクセル殿下のときは貴族の手順じゃ無いって大騒ぎしてたけど・・・」
「ここでは、関係ないみたいです」
珍しくアリスは、うんざりした顔を隠そうともしなかった。
「お嬢。おはようっす」
「お嬢様、おはよう」
「メグ様。おはよう」
「おはようございます。マルグリット様」
「皆、おはよう。朝からどうしたの」
「昨日の歓迎会で、模擬戦をしようってことになって・・・」
「そうか、皆は別で歓迎会やっていたんだよね。あれ、ルシィさんは?」
「・・・部屋で自粛するって・・・」
「へっ」
「・・・いや~。歓迎会でちょっとあってな・・・」
「いやー。凄かったよ。さすが隊長」
「よせ。カミーユ」
「ちょっと何があったの」
「それがな。・・・ここの連中も悪気があってのことじゃねぇんだ。むしろ、親しみを持ってったってたって言うか?」
「何、はっきり言いなさいよ。エギル」
「おおぅ。実はな、宴会でここの連中がお嬢様を、“ジュリア様の娘”とか“ジュリア様に見込まれた養女”とか言ってな。俺は半年の間、里で修行させてもらって、直接ジュリア様からも剣の手ほどきを受けたんで、連中がなんでそんな言い方をするか分かるんだ。ただ、隊長とかは里の雰囲気とかあまり知らねえんで・・・」
「で、どうしたの」
「初めは、良かったんだが。酒が進んでいったとき、隊長がキレてな。”ジュリア様の娘ではない!マルグリット様だ!”と叫ぶと、ここの連中を無詠唱のインパクトでバッタバッタと投げ飛ばして・・・まぁ、そんなところだ」
「えっ!」
「さすがに、出力は抑えていたようだし、ここの連中も皆ただもんじゃねえんで、特に怪我人が出たとかじゃねえんだが・・・なぁ」
「なぁ、って言われても・・・それで、自粛なわけ」
「マルグリット様。気になさることは無いです。宴会では良くあることですから」
「エステェ様、知ってたんですか」
「今朝。報告を受けました。大したもんですよ、うちのベテランも結構投げ飛ばされたみたいで」
「申し訳ありません」
「いえ、謝ることではありません。それより、魔術師連中からはヒロイン扱いですよ。複数の剣士相手に接近戦で投げ飛ばすのを目の当たりにしたものですからね。私も、ルシィ殿の実力は相当なものだとは思ってましたが、まさか里のベテラン剣士を投げ飛ばすとは、愉快です」
「愉快って・・・」
「あとで、ルシィ殿に良くやったぐらい言ってあげてください。さあ、行きましょう。地竜をギルドで解体してもらうんですよね」
「・・・えぇ」
エステェは何事もなかったように、冒険者ギルドへ案内をしてくれる。
街が動き始めようとするこの時間は、職場に向かう人々で通りは混んでいた。市民は、エステェを見つけると姫様、姫様といって挨拶をよこしてくる。エステェもそれに応えたり軽く手を振ったりと忙しい。
「ところで、セリア様は?」
今日は珍しくアリスだけで、セリアが同行していない。
「セリアちゃんは女の子の日です」
「?・・・。あぁ、巡りもですか。マルグリット様は時々面白い言われかたをされる。ところで、セリア様は、クリーンはお上手か」
「?」
「体質にもよるのでしょうが、以前生活魔法が不得意な女性冒険者が、巡りものの匂いで魔獣に追い回わされ散々な目にあった話を聞いたことがありまして」
「なにそれ。最悪ですね。どんな魔獣です」
「ブラックドッグと聞いています」
「見つけ次第殲滅ですね」
「その意見には同意ですが、セリア様は確か初めてお会いしたとき・・・お披露目会でドレスを汚されてメイドがクリーンを上手に使えなかったとかではありませんでしたか」
「えぇ。あの当時のセリアちゃんはまだ生活魔法を使えませんでした。私と魔力操作術の訓練を励んでいると使えるようになりました。魔力操作術のランクを上げてきているので結構上手に使えてますよ」
「それは良かった。あの手のことは人に頼みにくいですから・・・。でも生活魔法を使われているのをお見かけしませんね」
「ルシィさんや私が、詠唱破棄とかでポンポンやってしまうからでしょう。彼女には、しっかり詠唱してもらっていますし」
「詠唱破棄は訓練されていないのですか」
「たぶん彼女の素養なら出来るようになると思いますが、鑑定の発現条件が遠のくのです。セリアちゃんとも相談したのですが、やはり鑑定を極めてみたいと言っていました」
「なるほど。実は見かけによらず、セリア様は度胸がおありで、戦闘職でも結構いけるかななどと考えていました」
「それ、私も考えていました。出会いのときも敵派閥に一人で乗り込んできましたし。もともとそのようなところが有ったと思います」
「あそこです。冒険者ギルド、見えてきましたよ」
ギルドで地竜解体の依頼をした。エステェが同行してくれたせいで話はスムーズに進んだ。初めは、地竜の素材を出した恵たちにやや引き気味だったが、恵とアリスがジュリアの娘に当たると知ると、妙に皆納得してしまった。
(ジュリア母様ってどんだけよ)
解体依頼を済ませ、代官の屋敷に戻るとヘクターが待っていた。
「おぉ、マルグリット戻ったか」
「ただいま戻りました。ヘクターおじい様、何か私に?」
「実は昨日のお前の護衛隊長の話を聞いてな。ちと面白そうだと思って、模擬戦を覗いたのだ。アリス、マルグリットよくぞあそこまで護衛を鍛えた。大したものだ」
「過分なお言葉です」
「そのようなことは無いぞ。それぞれのタイプは違うが、よく長所を伸ばしている。下手に短所を直そうとしてこじんまりと纏めるよりよっぽど良い」
「ありがとう存じます」
「そこで頼みがあるのだが、ぜひここの者と合同訓練を行ってもらいたい。あれだけタイプの異なる猛者が揃うことは先ず無いのでな」
「おじい様。彼らを単なる練習台として扱うことは反対です」
「いやいや、エステェ。そのような真似はせん。王家の守りの戦い方もしっかり見せる。護衛たちにとっても、良い経験になるはずじゃ」
「それは願ってもないことです。ですが、日にちは限られるかと存じます」
「そもそもここへ来た目的は、魔獣狩りであったな。だが四六時中魔獣を狩っている訳ではあるまい。ここへ戻ってきているときだけでよいのだ」
「それであれば、ご希望に添えると思います」
「すまぬな。して、本当にマンティコア狩るのか。お前さんの護衛は確かに強い、しかし儂の見立てでは、あの人数でマンティコアの相手はかなり厳しい。エステェお前はどう見る」
「マルグリット様が入らねばそうでしょう。地竜のときも、初めはマルグリット様が入って勝てる道筋を作られましたから。今度もそのようにされるでしょう」
「ほう。そうであったか。ならば良いかの。それと、決してエルフ領に入るでないぞ」
「はい、エルフとの不可侵条約は存じ上げております」
「それだけでなくての。フェンリルのことじゃ」
「あぁ、エルフの森をマンティコアなどの強い魔獣から守っているのでしたね。でもそれならば気性は穏やかな魔獣なのですよね。エルフ達も神獣と崇めていると聞きましたが」
「飽く迄も、エルフにとってだ。我ら人族をどう見ているかは分からぬ。ただ、分かっていることは、エルフも神域として彼らの住む場所には近づかぬし、何よりフェンリルが桁外れな存在であるということだ」
「そんなに、凄いのですか」
「儂らが入植する前からここに住む一族の伝承なのだが、二百年ほど前にエルフの森で、フェンリルと邪神の使いが争ったというのじゃ。その争いは凄まじく、大地が大きく削られ、このアヴィニールまで戦いの音や揺れが伝わり、魔の森ウンブラの多くの魔獣が南の端まで逃げたという。激しい戦いの末、邪神の使いはフェンリルに退けられ、北へ逃げたという。その途中で見つけた魔獣を手当たり次第に食い殺したというから、その邪神の使いも大概じゃ。この地の代官としての危機管理もあったのだろうが、儂の父がこの話に興味を引かれて調べたのだ。父は、事実と判断した。更にニゲルの魔王は、この逃げた邪神の使いであろうと言うてな。こちらは推量のようじゃが」
「フェンリルとは、それほどまでの存在ですか」
「うむ。邪神の使いを退ける正に神獣。しかし、それは荒ぶる神なのだ」
「良いお話を伺いました。肝に銘じます」
その後、恵は引きこもっているルシィを連れ出し、合同訓練を討伐の間に加えるよう計画立案を指示した。ルシィは”一生お酒は飲みません”と実現しないことで有名な誓いを立てていた。




