エトゥ草原の宴
会議の場はあっという間に宴の場に変わった。
広場の中央には複数のたき火。
その上に大小さまざまな鍋が乗っけられてぐつぐつと煮込まれている。
さらには鳥やウサギの肉もたき火にあぶられていた。
「ようし、つまみは行渡ったか?じゃあ乾杯だ。
まずは我らを一日照らしてくれた太陽に!
次に今照らしてくれる月に!
そして、我らを住まわせてくれるこの地の精霊に!」
族長の胴間声が大きく響き、彼の髭も揺れる。
族長は何事か呪文を言うと、地面に酒を垂らし、そして残りを自分で飲み干す。
『乾杯!』
皆が杯を掲げ、大きな歓声と共にトウモロコシ酒を飲み干した。
「……うまい!」
トウモロコシ酒は淡く黄色い粥のような濁り酒だ。
コーンの香ばしい香りにもろもろとした食感、発酵のせいかブドウのような酸味がする。
そこにアルコールの香気が混ざり合い、独特の身体に染みいる酒となるのだ。
呑んでいると言うより、食っていると言った方が正しいのかもしれない。
「さあさあもっと呑むのだ!世知辛い話の後は呑むに限るでよ!」
「ありがとう、オッタル」
オッタルが陶器の瓶で酒を勧めてきた。
私はありがたく礼をすると、またゆっくりと飲み始める。
鼻にアルコールが抜けていく。うまい。
「オッタル、宴はいつもこんな感じなのかね?」
「まあだいたいこんな感じでよ、良い感じに酔いが回ってきたら適当に歌うのだ。
そしたら、不思議にその頃には良い感じに料理が焼けてるのだ」
それは多分女性達が焦げない程度の所で火から外してくれているのだろう。
しかし、歌か……どんなモノだろう。ぜひ聞いてみたいものだ。
「なるほど歌か……懐かしいな」
「コートマンも宴では歌うのか?コートマンの歌もぜひ聞いてみたいのだ!」
「いや、笛やギターくらいならば多少はできるが、さてどうだろうな。あまりに久しぶりなもので上手く出来るかどうか」
少し離れた所ではバロネスが保存用のお菓子をもう食べている。
女性達に囲まれ、可愛がられているようだ。
実際、その容姿は少女のようである。
「笛か、それなら多分コートマンが吹けそうなのがあるよ。開拓民の笛を手に入れたんだけど、誰も吹き方が解らなかったんだ」
「おう、あの笛か。ちょうど良い、コートマン。おめえ余興に吹いてみろ」
族長が合図すると、ヤツィがさっとテントまで駆けていって小さな笛を私に渡してきた。
まっすぐで、飾り気のない縦笛。ああ、コレも懐かしいものだ。
小鳥が歌うように高い音を響かせるこれは、ヤハガムでかつて吹かれていた。
まだ街が健全だった頃に、こんな風な賑やかな酒場で。
「……解った、久々なので調子が外れても笑ってゆるしたまえよ」
「おう、気にすんな」
そして、笛に息を吹き込んで、演奏が始まった。
足でタップを刻み、のびやかに笛の音が明るい音楽を奏で始める。
楽しげな、とても幸せそうな音色が響く。
「ああ、それはとても懐かしい歌なのです。皆、それはこう手拍子を送る歌なのです。できれば、やって欲しいのです」
バロネスがこちらを見て手を叩き始める。
賑やかな手拍子が聞こえ始める。
ああ、本当に懐かしい。そういえば、こんな楽しいときもあったのだ。
かつて確かにあった楽しい時間を、なくしてしまったのは私自身のせいなのに。
「ヒャッホー!楽しいのだ!楽しい歌なのだ!」
「踊りもあるのです、簡単なものだからまねして見るのです」
「こう?こうなのだ?」
「こうじゃないかな、あなた。いっしょに踊ろうよ」
「解ったのだ!ヤツィ、いっしょに踊るのだ!」
だからなのだろうか、こんなにも楽しいのに、なぜか涙が出てしまうのは。
「フン、太鼓をよこしな。ちと速いが合わせてやる」
族長の力強い太鼓が響き渡り、大草原に歌が響き渡る。
私は、帽子を目深に被りなおし、皆に涙を見せぬままに演奏をやりきった。
「……いかがだろうか?耳に合わなかったらすまない」
「いや、ちと騒がしいが悪くねえ。ようし皆!いつもの奴やるぞ!
コートマンおめえもやれ。俺らに合わせて叩きゃいい」
私は今度は太鼓のバチを渡される。
涙はこっそりとぬぐった。
「ありがとうヤツィ。この笛はお返しするよ」
「いや、それはあなたが持っていた方が良いよ。誰にも吹けなかったんだ。
使える人の手にあった方が笛も幸せだろう」
「……ありがとう」
そうして、男達は皆で太鼓を囲んで集まる。私とオッタルも族長や村の男達と共に太鼓を囲む。
「よし、いくぞ……ハーエイヤー!」
「エイヤー!」
ドンガ、ドンガ、ドンガ、と淡々としたしかし力強いリズムが叩かれる。
それは原始的で削りで、だがそれ故に魂をつかむリズムだ。
そこに朗々とした野太い歌声が重なる。
それは漁師町などで歌われる古い古い漁の歌に似ていた。
「エイヤエー!ハイヤーヤエー!エイヤッ!」
「えいやえー!よいしょっ!なのだ!」
歌詞の意味は分からないが、それでも勇猛で心を揺さぶられる。
気づけば、私もいっしょに力強く吠えるように歌い、祈るようにリズムに乗って太鼓を叩いていた。
「……まあ、こんなもんだ。どうだ?」
「悪くない、むしろ私の歌はいささか場違いではなかったかね?」
族長が私に乾杯を求めてくる。
私も持ってきた杯に手近にあった瓶から酒を酌み交わし、呑む。
「気にすんな。たまにゃああいうのも悪くねえ。そうだろ?」
「ああ、悪くない」
歌の熱狂もさめやらぬまま、静かに私と族長は酒を飲み、笑い合った。
そして族長は立ち上がり、宴を宣言した。
「さーて、皆、呑め!歌え!今を楽しめ!宴だ!」
「おおーっ!」
「おめえも好きにやんな。腹が減ったら、そのへんのもんは適当に食え」
「ああ、ありがとう族長。少し食べに行かせてもらうよ」
「ああ、行きな」
たき火の近くにより、料理を提供している場所に行く。
語り部の老婆、エイミング・クロウが火の番をしていた。
ぐつぐつと良く煮えた鍋の良い香りがする。
「おや、ようやく食べに来たかい。適当によそってやるから食いな」
エイミング・クロウが木の皿によく焼けた肉や豆の煮物をよそってくれた。
なかなかの山盛りだ。こんもりと煮豆が山になっている。
「ありがとう、クロウ。いやいや、そこまではいらない」
「ハッ、あんた痩せてるんだからたくさん食わなきゃ駄目だよ。身体を作るのは食事だ、おろそかにするんじゃないよ」
なんだか、まるで祖母にでも叱られている気分だ。
だが、悪くない。暖かい言葉だった。
「……ああ、わかった」
「それでいい」
けっこうな山盛りの料理を持ち、オッタルたちの輪の中に入る。
「入らせてもらっていいかね?」
「もちろんなのだ!今このホワイト・レイヴンとコートマンの話をしていたところでよ!」
オッタルと話をしていたのは、少しなよっとした青年だった。
線は細いが、知的で意志の強い目をしている。
「よろしくお願いします、コートマン。僕はホワイト・レイヴンと言います。
コートマンさんはすごいですね。良かったら、僕にも狩りを教えてくれませんか?」
「ああ、オッタルさえ良ければ構わない。よろしく、レイヴン」
いきなりの申し出で戸惑ったが、それでも礼儀正しく誠意ある若者なのは立ち居振る舞いからなんとなくわかる。
「ありがとうございます!これで……!」
「レイヴンは次の大部族会のお祭りで狙ってる娘がいるのだ!そのために強くなりたいのだ!」
「オッタル、それは……」
レイブンが恥ずかしそうにオッタルを見る。
なるほど、恋か……単純にモテたいと言うわけではなく、きっと嫁として娶るためには強さの証明が必要なのだろう。
「なるほど……結婚するためにはそれなりの強さを証明せねばならないとか、そういった話かね?」
「えっと、はい。そうです。普通の結婚でもある程度のお金とか家畜とかを納めるのはそうなんですけど。あの子は特別な祝福を受けてて……あの子に見合った強さも必要なんです。駄目……ですかね?お願いします!」
私は料理の皿を地面に下ろし、レイヴンと共に座った。
「構わないとも。私の技は別に秘匿するものではない。ただ、私のばかげた腕力に依存するものだから、どこまで教えられるかはわからない。それでも良いならば、喜んで教えよう。私の技が若者の助けになるのであれば、喜ばしい事だ」
「……ありがとうございます!」
レイヴンは深くお辞儀をして私の目をまっすぐに見た。
熱意ある若者の目だ。この老いぼれにはまぶしいほどの。
これは心して教えねばならないな。
「よかったのだ!いっしょに強くなるのだレイヴン!ありがとうでよコートマン!」
「いや、構わない。それよりさあ食べよう。料理が冷えてしまう」
「あっ!そうなのだ!暖かい内に食べるのだ!」
まずは熱々のウサギ肉からいただく。
口の中に草の香りと獣の匂いがかぐわしく漂い、ハーブのさわやかな風味が臭みを消してくれる。
肉のうまみと、塩味が舌で踊る。たまらない美味だ。
「うむ、うまい……!」
山盛りの煮豆も一口食べてみる。
これもうまい!ひたひたに入れられた煮汁はスープとして十分な味わいがある。
肉と共に唐辛子やコショウ、ハーブが入れられ、身体が温まり力がわいてくる味だ。
「そうなのだ!クロウ婆の料理も美味しいでよ!さあ、酒があればもっと食が進むのだ!じゃんじゃん呑んで食べるのだ!そして歌うのだ!」
この夜、我々はたらふく食べ、たっぷりと呑んだ。
そして、皆が寝静まった頃、私はバロネスに起こされた。