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少年オッタルとその妻ヤツィ

 動物の皮を貼った小さなテントに、草で編まれたマット、そしてたき火。

 馬のようなロバのような奇妙な動物が荷馬車と共に木につながれている。

 マットの上にオッタルの妻ヤツィは座って編み物をしていた。

 

「ああ、あなた。帰ったのだね。そちらの御仁は?」

「えっとー、拾ったんでよ!」


 オッタルの妻ヤツィは呪術師のようだった。

 フードを目深に被り、ポンチョの上から赤い宝石のネックレスをじゃらじゃらとつけている。

 オッタルより頭一つ高い美しい女性だ。


「私は、コートマン。行き倒れているところを夫君に助けていただいてね。

 すまないが、一晩だけ好意に甘えさせていただく」


 ヤツィは少し間、フードの下から私を観察し、そして立ち上がって礼をする。


「……ふむ、そうか。私はヤツィ。オッタルの妻だよ。

 短い間だけど、世話をさせてもらうね」


 私も頭を下げ、帽子を脱いで一礼する。


「うむ、世話になる」

「うう、ヤツィすまないでよ……でも、コートマンはすごい戦士なのだ!

 鋼の獣をあっという間にやっつけたのだ!もちろん、私も戦ったが……

 ほらこれ!狩ってきたでよ!」


 オッタルはうれしそうに布を広げて中の金属と剣を見せる。

 ヤツィはフードの下で苦笑するとポンポンと草で作ったらしいマットの上にオッタルを招く。


「ほう、それは……なかなかすごい御仁を客に招けたようだ。

 これだけ牙鋼があれば当分暮らし向きが楽になる。感謝するよ」


 ヤツィはこちらにぺこりと頭を下げた。


「いや、それも夫君の奮戦あってこそだ。

 それで宿代代わりになるのであれば、ありがたいのだが」


 私は近くの岩に腰を下ろし、ヤツィはウフフ……と笑う。

 なんとも、包容力のある女性だ。


「いや、十分すぎるくらいだよ。では大切にもてなさねばね。

 あなた、そういえば他の獲物はあるかい?」


 ここでオッタルは自分の腰に手をやった。


「あ!そうだ!ハクガンを捕ってきたでよ!あれ?ない?」

「これかね?」

「おお、コートマンが持っててくれたのだな!いやー、客人に申し訳ないでよ」


 私は背中に剣といっしょに背負った鳥を渡した。

 ヤツィは目を細めて笑い、受け取ったオッタルは額に手をやって笑った。


「おやおや、やってしまったねえ、あなた」

「またやってしまったのだ!私が羽をむしるからヤツィは鍋を用意して欲しいでよ!」

「ああ、解った。お客人あなたはゆっくりしていくが良いさ」


 仲むつまじい夫婦だ。こんな暖かい笑いのある家庭はあの街では無かった。

 ヤツィは馬車に戻っていった。料理を作るのだろう。

 私とオッタルはたき火を中心に座り、話を始めた。


 ■


 オッタルは私の横に座り、鳥の羽毛をむしっている。

 私はすることもなく、座ってたき火を見ていた。


「あー、ところでコートマン、剣を教えてくれると言う話なのだが……」

「ふむ、何かね?」


 やはり辞めたくなったのだろうか?

 その方が良い。夫婦水入らずの所に押しかけるなど気が進まない。


「これからごはん食べて片付けて、剣を作って……

 ってすると、どうしても明日になっちゃうのだ。

 そうなると教えて貰ったとして、コートマンが出発する頃には夕方なのだ。

 できればもう一泊してもらえないか?」

「いや、しかし……そこまで世話になるわけにはいかない。

 夫婦水入らずの所に赤の他人がおしかけるなど、あまりにも厚かましいのではないかね?」


 オッタルを見ると、こちらをまっすぐ見つめ返してくる。

 その背後には、夜の藍色の中に星々が煌めきはじめていた。

 少し涼しい夜風に、オッタルのかぶる獣皮が揺れる。


「いや、確かにヤツィと一緒に居れて楽しいし幸せだけど、

 二人だけだとたまに他の人との会話が欲しくなるのだ。

 それはたぶんヤツィにとってもそうなのだ」


 そういうものだろうか?

 夫だけが楽しんで、妻はそれを冷たい目で見る……

 よくある事だ。私が居て夫婦に不和があっては困る。


「それは細君に確かめてからの方が良いだろう。

 聞かねば解らぬ事もあるものだ。旅の方針は夫婦で相談すべきではないかね?

 君一人の旅ではないのだから」


 オッタルは鳥の羽をむしり終え、戦闘で使ったのとは別の、小ぶりなナイフで解体していく。

 うまそうな血と肉の匂いが風に運ばれてきた。


「うーむ、それもそうなのだ。わかったのだ!後でヤツィと相談するのだ!」


 そこに、ヤツィが鍋を火にかけに持ってくる。

 手には大きめのミトンをつけていた。


「ウフフ、聞こえてたよ。私のことは気にしなくて良いよ。

 私は旦那の旅について行きたいのさ。

 それに、良い刺激になりそうだというのも、その通りだよ」


 ヤツィがたき火に据えられた大きめの石で作った簡易なかまどに鍋を置く。

 オッタルは肉の一部を木を削いで作った串に刺し、残りを鍋に入れる。

 オッタルが肉を入れ終えるとヤツィはそこに木の蓋をした。


「それでもお客人が遠慮するというのならば、どうだろう……

 ここから私たちの村まで一日で、そろそろ行商から帰るところだったんだ。

 村で荷下ろしを手伝って貰うというのはどうかな?」


 私は考える。荷下ろしそのものは問題ないだろう。

 ヤツィも本当に気にしていないようだ。

 どうせ行く当ても無し。あまり断りつづけても無礼というものだ。


「わかった。君達がそれで良いのならば世話になろう」

「やったのだ!ヤツィありがとうなのだ!」

「いいってことだよ。楽しい旅になりそうだね」


 オッタルがうれしそうに手を掲げ、ヤツィは楽しそうにそれを見る。

 本当に、仲が良い夫婦なのだな。

 ともかく、彼らを守りつつ村まで行こう。

 そこでヤハガムがどうなったかを聞かねばならない。

 私には、結末を知る義務があるのだから。


 ■


 じゅうじゅうと肉が焼け、脂がしたたる音がする。

 皮が焦げる匂いが香ばしく漂った。

 ぐらぐらと煮える鍋はトウモロコシ粥だろうか?


「そろそろ良さそうなのだ。ヤツィ、お酒を持ってくるのだ」


 オッタルは火から鳥肉を上げて皿に乗せ、腰につけた小袋から塩を皿の脇にちょっと盛る。


「はいはい、お客人に出すんだから、一番良いのが良いね。

 さて何にしようかな。蜂蜜酒か、猿酒かな、それとも黒トウモロコシ酒か……」


 ヤツィは楽しそうに目を細めてウフフ……と笑った。

 オッタルは少し悩み、えいと声を上げてこう言った。


「いっ、一番良いやつなのだ……!最初の一杯は一番良い蜂蜜酒なのだ……!

 剣の師弟の契りを交わすからにはこれは仕方ないのだ……だめ?」


 オッタルはちらっとヤツィを見る。

 ヤツィはうれしそうに微笑む。年下の夫をからかって楽しんでいるようだ。


「そうだろうと思ってたさ。

 いいよ、こっそり取っておいたのがあるのさ。だから大丈夫だよ」


 高価な、しかも売り物だろうに……いいのだろうか?

 しかしここで断ってもオッタルの名誉を傷つける事にもなるまいか。


「親切にありがとう、しかし良いのかね?高いだろうに」

「いいのさ。まだ瓶にたっぷりあるからね」

「分かった、二杯目からは普通の酒がぜひ飲みたい。よろしいだろうか?」


 ウソではない。彼らがどんな酒を普段飲んでいるか興味があるのも事実だ。

 私は元々民俗学の研究者だった。遺跡に赴き、いろんな部族と飲み交わしたり。

 楽しかった……だが、それで街を滅ぼした元凶『銀の血』を持って帰ってしまった。


「ウフフ、もちろんいいとも。ねえあなた」

「そっ、そうなのだ。お肉にはトウモロコシ酒がすごく良く合うのだ」

「なるほど、雑穀酒かウイスキーか……。あれは私も好みだ。是非頼む」


 あはは、とオッタルが笑い、ヤツィが笑う。

 始まってもいないのに、楽しい食卓だ。

 あの冷たい都市では、とうに忘れて久しいものだった。


 ■


 ヤツィが酒の入った陶器の瓶とショットグラスほどの杯を盛ってくる。


「よーし酒は行き渡ったのだ?じゃあ乾杯するのだ!

 昼間を照らした太陽に、夜見守ってくれる月に、我らを包むこの地の精霊に!」


 我々は杯を高く上げ、軽く打ち合わせた。


『乾杯!』


 杯を傾け、ゆっくりと味わう。

 最初に蜂蜜の甘い味が舌に感じられ、ついでアルコールの芳醇な香りとハーブの香り高さが同時に襲ってきた。

 蜂蜜の甘さとアルコールの辛さが喉を心地よく焼き、素晴らしい香りが後に残る。

 じんわりと身体にアルコールの巡る心地よいしびれを感じる。


「うまい……!」

「かぁーっ!たまらないのだ!」

「おいしいねえ」


 かんっ、と我々は飲み干した杯を置き、肉に手をつける。

 ぱりっとした皮の歯ごたえ、岩塩の舌に染みいるまろやかな塩味。

 そして、心地よい獣臭さと共に肉汁が喉を通る。

 最初に食べるまともな食事がこれでよかった、と身体が肯定している。


「うむ、これもうまい……ああ、素晴らしいものだよ」

「そうなのか?普通の肉だけど……でも気に入ってくれて良かったのだ。

 どうぞどうぞ食べるのだ」


 オッタルは木のお椀に鍋からお玉でトウモロコシ粥をすくって入れてくれた。

 肉片とハーブがほどよく混ざって見た目にも美味しそうだ。


「ああ、ありがとう」


 うむ、これもうまい。

 トウモロコシが甘すぎず、肉のうまみとハーブの香りが心地よい。

 塩味が良く効いて、食べているだけで滋養がついてくるのがわかる。


「うむ……うまいな。ありがとう、素晴らしい食事だ」

「そうなのだ!ヤツィの料理はとてもおいしいのだ!

 しかしコートマンはよく食べるのだ。よほどおなかが空いていたのだな」


 まあ、もはや空腹を感じられる身ではないが、まともな食事を忘れて久しかったのは事実だ。

 味気ない保存食の埃にまみれたビスケット、やせ衰えた鼠。

 あれは食事と呼べまい。


「ああ、ろくなものを食ってなくてね」

「それは申し訳ないことをしたのだ……もうちょっと早く何か分けてあげればよかったのだ」

「いや、年を取ると食欲もなくなるものだ。気にしなくても良い」


 気遣いがありがたいと同時に、申し訳ない気持ちにもなる。

 行き倒れを拾って、こんなにも親切にしてくれる彼らに、どれほど恩返しができるだろうか?


「そういえばコートマンは行き倒れていたんだって?なんでそんなことになったのだい?」

「ああそれは……」


 私は真実とウソの入り交じった例のカバーストーリーをそのまま話した。

 目線からして、ヤツィはどの部分がウソか分かったようだが。


「ふむ……なるほどね。何かわけありなのは解ったよ。

 そのことであなたが我々を驚かせないように気を遣って黙っていることも」


 お見通しのようだ。女の勘か、それとも先住民の知恵か。

 いずれにせよ、その目には深い慈愛があった。


「あなたにはずいぶんな試練が訪れたみたいだけど、大丈夫。

 全てのことは足りるように偉大なる精霊は取りはからってくれるよ。

 人生は、必ず帳尻が合うようにできてるんだ。

 昨日餓えていたあなたが今日こうして暖かい食事にありつけているように」


 私は神をもはや信じられない。運命が人生に帳尻を合わせてくれるなど口が裂けても言えない。

 私のせいで、罪も無い子供達が無惨に殺されていく様を嫌というほど見たのだから。


「……ありがとう。言葉を返すようですまないが、残念ながら私にはそうは思えない。罪も無い人々が理由もなくに殺されていくのを私は見た。

 彼らにも、何かそんな目に遭わされる理由があったのだろうか」


 ヤツィは静かに沈黙し、それからこういった。


「確かに矛盾しているかもね。

 でも、この場で議論を戦わせてどっちが正しいかなんて意味があるかな?

 言葉は所詮言葉だ。理屈よりも経験が正しい。あなたがそうであるようにね。

 だから、その悲惨な目にあった人たちの事は何とも言えない」


 そこには、単に反論しているのではなく、私を思いやる心があった。

 だからだろう、続きを静かに聞けたのは。


「だけどもし、あなたが朝起きて日の出に感謝できないくらい、胸の内に罪がとぐろを巻いているのなら……

 今の一瞬一瞬を大切に生きることだね。過去はもうないし、未来はまだないよ。

『今』と『自分』に集中すると良いよ。あなたを惑わせる過去や周囲から距離をとるんだ」


 その言葉は、不思議に心にまっすぐに届いた。

 きっと、そうやって許されることを私は求めていたのだろう。


「今……か。いいのだろうか、私は大きな罪を犯した。

 オッタル、君は私を尊敬してくれているが、私は何もできなかった老いぼれなのだよ……」


 大の男が、情けない話だ。出会って間もない人々に弱音を漏らすなど。


「確かにコートマンは何か悪いことをしたかもしれないのだ。

 でも、ずっとずっと後悔して、だから墓守なんてやってたのは解るのだ。

 前を見るのだ。やっちゃったことより、今何をすべきかがきっと大事なのだ」


 私は、こう一言言うのが精一杯だった。


「……ありがとう。君達の言葉はちゃんと届いているよ。私は、それだけでずいぶん救われた」


 うつむき、帽子を目深に被る。男の涙など、美しいものではない。

 ヤツィが優しく呟いた。


「涙を恐れてはいけない。涙は悲しみにあふれたあなたの心を解き放つから」


 乾いた地面に、涙がしみこんだ。

 しばらく、私は静かに泣くことしかできなかった。

 きっと、私は救われたのだろう。


「……すまないね、せっかくの宴で湿っぽい話など」

「いいのだ!さあ、嫌なことは飲んで忘れるのだ!さあじゃんじゃん飲むのだ!

 そして楽しい明日を描くのだ!それに、コートマンが本音を話してくれて私はうれしいのだ!」


 オッタルは私に陶器のコップを渡すと容赦なくトウモロコシ酒を注ぐ。

 私は、思い切りそれを飲んだ。薫り高いビールに似た味は、涙を流すのにふさわしい。


「……ありがとう、二人とも。もし私に出来ることがあれば何でも言ってくれ。恩返しがしたいのだよ」


 オッタルとヤツィはこれに間髪入れずにこう答えた。


「じゃあ、しばらく村に泊まっていくのだ!

そうすれば、それまでに身の振り方くらい思いつくし、私に剣を教えられるのだ!」

「そうそう、村には働き手が少し足りてないんだ。手伝ってくれると助かるよ」


 私は涙を拭いてこう答えた。


「喜んで。ありがとう、こんなにも親切に……」

「いいのだ!与える者は与えられるのだ!それが自然な成り行きというものなのだ!」


 我々はもう一度乾杯の杯を酌み交わし、私は素直に心から笑えた。

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