目覚め
「死ねっ!頼むから……もう、楽になってくれ」
探索者の刃が私の胸に突き刺さり、血が吹き出る。
私の手から、剣がずり落ちていく。
だが私には苦痛よりも解放されるという安堵があった。
「長かった……あまりにも、長かったよ……」
私と探索者が戦っていた墓所内に光が差す。
降り積もった骨灰と埃がきらきらと舞った。
その骨は私の若き日の過ちにより滅びた街の住人達のものだ。
この骨灰は私の降り積もった罪そのものだ。
「ああ、ゆっくり眠れ」
探索者は強く勇敢な男だった。
立ちふさがるこの老いぼれとまともに戦ってくれたのだから。
その目には、確かに死に対しての尊厳が見えた。
きっと彼ならばアレを悪用はすまい。そう信じよう。
「君は……生き抜くと良い。君にはその権利と義務がある……
ありがとう、勇敢な戦士よ……」
体が、崩れ落ちる。
すべて、灰に……
ようやく、君達のいる地獄に行けるぞ、友よ……
■
深い、深いまどろみの中。
声が聞こえた。私を呼ぶ声が。
「……ーい、おーい!起きるのだ!」
手や頬を小さな手が叩く感触がする。
なにやらまぶしい。私は、目を開けた。
「おっ!起きたのか!おじいさん、こんな所で寝てたら死ぬでよ。大丈夫か?」
少年……だろうか。
いかにも未開の部族という感じの毛皮を被り、宝石や動物の牙などの装飾。
腰には短剣に近いナイフ。顔はあどけなく紅顔の少年といった年頃だ。
「あ、ああ……平気なようだ。すまないが、ここはどこで君は誰だね?」
私はゆっくり立ち上がり、帽子を被り直す。少年の顔が私の胸くらいに見える。
身体は……どうやら異常は無い。
色々といじくり回し過ぎた呪われた体は衣服すらも再生してしまったらしい。
忌まわしいことだ。
「ここはエトゥの草原で、私はカンギー族のラフィング・オッタルなのだ」
まるで聞き覚えのない言葉ばかりだ。
おそらく、私は相当な年月眠ってしまったのだろう。
見よこの大自然を。
赤い岩の大地に果てしなく続く草原、晴れ渡る青い空。
雄大で、心地が良い。
私が居た廃都ヤハガムとは大違いだ。
あの血と埃と汚染にまみれた都の残骸など、どこにも見当たらない。
「そうか……ありがとう、どうやらとても長い間眠っていたらしい。
どこも聞き覚えがない。ああ、私は……」
何と名乗ったものか。
あだ名はいくつもある。墓守、古老、外套の男……
ああ、これがいい。私などこんな名前で十分だ。
「……コートマン。私はコートマンだ。ええと、オッタル少年」
少年はにこっと笑った。屈託のない笑顔だった。
何の嫌みも無い笑顔など、何百年ぶりだろう?
私はそんな笑顔を向ける価値などない罪人であるというのに。
「そうか!あなたはコートマンというのか!私のことはオッタルでいいでよ。
それで、コートマンはこれからどうするのか?
見たところ、旅の用意も何もないけど……大丈夫なのか?」
まあ、大丈夫だろう。
屍同然で何十年も水や鼠程度しか食べずとも平気だったのだから。
げほ、と乾いた咳が出る。まるで身体が枯れ木にでもなったかのようだ。
実際、枯れ木同然の痩せ衰え背ばかりが高いうどの大木なのだが。
「ああ、こう見えて無駄に頑丈でね。なんとかなるだろう。ありがとう、親切に」
私は、歩き出していた。
この荒野の中、どこに行く当てもない。だが、もう使命も何もないのだ。
あの廃都はきっとなくなった。償いとしてやっていた墓守も討ち果たされた。
どうとでもなれと言う気分だった。
「待つのだコートマン!そのまま行ったらのたれ死ぬだけなのだ!
っていうか、今にも死にそうな顔色なのだ。
見捨ててのたれ死んだらとても寝覚めがわるいでよ!
せめて一晩でも泊まっていくのだ!」
じゃり、と靴底が砂を踏みしめて止った。
なぜだろうか。行く当てもなかったからか。
いいや、それが純粋な善意によってかけられた言葉だったからだろう。
あの陰気な街では、嘲りと罵倒しかなくそしてそれは私の行いにふさわしいものだったから。
「ああ、すまないね。こんな老いぼれを……
では、申し訳ないが一晩だけ厄介になろう」
私が振り向くと、オッタルはホッとした顔で私の手を引いた。
そんなに、私は死にそうな顔だっただろうか?
額に手を当てる。眉間にしわが寄っていた。
「なら、決まりだな!キャンプまで行くでよ!
私の妻、ヤツィがいるけど、ヤツィは優しいからきっと大丈夫なのだ!」
妻が居るのか。
若いようだが、こういった部族ではそれが普通なのかもしれない。
ここで私は迷ってしまう。
若い夫婦の元に押しかけるジジイなどあまりにも厚かましすぎる存在ではないだろうか。
罪人とて、恥は知っているのだ。
「いや、しかし……悪いのではないかね?」
「ひ、一晩くらいならば大丈夫なのだ……きっと」
ひゅおう、と暖かい風が吹いた。
草と乾いた土、そして太陽の匂いがする。
「……わかった、すまない」
「うむ!行くでよ!」
こうして、成り行きで私は原住民の家に世話になることになった。
行く当てもないまま、その小さな手を取ったのは、温かさを求めたからだろう。
自業自得とは言え、すり減った人間性というのは浅ましいものだ。
■
半時間ほど歩く。もうすぐ彼のキャンプらしい。
だが、ここまで無言を貫くわけにもいかず、私とオッタルはある程度の情報を交換し合っていた。
「なるほどー、コートマンはずっと墓守をしてて、
つい昨日首になって、うっかり川に落ちてここにいたのだな」
「ああ、そんなところだ。どこをどうしてここに来たのかもわからないがね。
ヤハガムという地名を知っているかね?今どうなっているのか少し気になるのだよ」
つい昨日というのは体感時間で、川に落ちたというのもウソだ。
墓守をして、その使命まで失ったのは本当だがね。
「んんー、どっかで聞いたことあるのだ……
ひょっとしたら村の語り部か、開拓民の学者さんに聞けばわかるかもでよ……」
昼下がりの太陽はじりじりと我々を照らし、優しい風がぽつりぽつりと生える木々を揺らしていた。
横を流れる川は涼しげに水音をたて、澄み切っている。
あの廃都ヤハガムの濁ったどぶ川とは大違いだ。
「……そうか。街があるのかね?」
「んー、三日も歩けばあるのだ。良かったらそこまで送るでよ?」
「いや、道さえ教えてくれれば良い。そこに行ってみようと思う」
「そっかー……」
少しの沈黙、足音。そして空高く鳥が鳴いた。
「あっ!ハクガンでよ!ちょっと待つのだ!丁度良いから夕食に取るでよ!」
「ああ、わかった。隠れるかね?」
「あのくらいの高さなら問題ないでよ。よーし私の狩りを見るのだ!」
オッタルは懐からヒモで結びつけられた二つの石を撮り出した。
「なるほど、ボーラか」
「そうなのだ!えいっ!」
ひゅんひゅんと石の片方を持ち、振り回すとオッタルはボーラを投げた。
飛んでいったボーラは鳥の翼に絡まり、あっという間に落ちてくる。
くしゃりという音がして、我々の目の前に鳥が落ちてきた。
まだ、ばたばたともがいている。
「美味しくいただくのだ。偉大なる輪に安らかに還るでよ」
そう短く感謝の言葉を呟くと、オッタルはすみやかに鳥の首を折った。
「見事な腕前だな」
「えへへ、私はこういうのは得意なのだ」
オッタルは胸を張る。まだ幼いと言って良い身でしっかりしたことだ。
彼が被った獣皮の耳がひくひくと揺れる。
……頭の筋肉とつながっているのだろうか?
「なるほど。狩りに優れ、慈悲を忘れない。良い狩人だ」
「そんなに褒めても何もでないでよー!あはは……」
オッタルはうれしそうに私の背中をぱしぱしと叩いた。
孫でも居れば、きっとこんな感じなのだろうか?
その時、私の聴覚に低いうなり声が風の音に混じって聞こえた。
オッタルも鼻をひくつかせ、頭にかぶった獣の毛皮の耳が動く。
「……コートマン、少し隠れているのだ」
「ああ、私も気づいた。猛獣の類いかね?」
「そうなのだ、鋼の獣が近づいているでよ。あれはちょっと危ないのだ」
オッタルは真剣な顔でナイフを抜く。
良く研がれた鋼の刃がぎらりと光った。
被っている獣皮の耳が動き、毛が逆立った。
オッタルの視線の先を見る。
「ああ、ずいぶん遠くだが、こちらに走ってきているな」
「わかったなら隠れるのだ。危ないでよ」
猫科の大型猛獣のような体格に、身体から突き出る金属のトゲと刃。
尻尾は蛇のようにうねり、先には剣がついている。
あきらかに自然の生き物ではない。だが、私はあれをよく知っている。
あれは私たちが作り出したバケモノなのだから。
「コートマン、厳しい顔をしてる場合じゃないのだ」
「いや、あのくらいであれば私にも狩りの心得がある」
私は意識を戦闘に切り替える。
意識を集中し、高次元の領域『物置き』から我が剣を呼び出す。
果たしてそれは問題なく現われた。
私が両手を広げたくらいの長さ、手の平ほどの幅と厚み、長大な両手剣。
刃は鈍く銀に輝き、装いはごく質素だ。
「おわっ!どこから出したのだ!?」
「ちょっとした魔法を使ったのだよ。手品の類いと思いたまえ」
私は大剣を肩に担いで構える。
その様子を見てオッタルはある程度戦えると判断したのか、前を向いた。
「わかったのだ!いっしょに戦うでよ!」
「ああ、私の狩りをお見せしよう」
そして10秒もなく獣は来た。
「グルルオーッ!」
「うおーっ!行くのだー!」
真正面からオッタルが向かっていく。
横薙ぎに獣の尻尾の剣が振るわれた。
私は間に割り込み、身体ごと回転して相手の剣を弾く。
その隙にオッタルは獣の腹に潜り込みナイフを突き刺した。
「うおーっ!やったるでよー!」
「いや、これで終わりだ」
私は反動を利用して大剣を振り返るように回し、獣の尻尾を根元から切断。
さらにくるりと縦に剣を回し獣の首を落した。
オッタルの上に獣がトゲだらけの身体を落さないように軽く蹴りを入れる。
どう、と獣が血を吹き出しながら倒れた。
「大丈夫かね?」
私は返り血を浴びて真っ赤なオッタルを助け起こした。
獣はびくんびくんと痙攣している。
「す……すごいのだ!コートマンはすごく強い戦士だったのだな!」
素直な賞賛と輝く目。私にはまぶしすぎるものだ。
「いや、昔取った杵柄というやつだよ。私はただの老いぼれだ」
「いやー、それでもすごいでよ!尊敬に値するのだ!」
ワハハとオッタルは笑い、私の背中を叩こうとして血に濡れた手を見た。
「おっと、鋼の獣の血は良くないのだ。ちょっと川で洗ってくるのだ。
コートマンは獣が盗られないように見といて欲しいのだ」
「ああ、行きたまえ」
私は近くの岩に腰を下ろす。
戦いの高揚が冷めてみるとあの獣を見るのがつらくなる。
私の罪は、まだこの世界を蝕んでいるのだと。
とはいえ、何が出来るわけでもない。
私はぼんやりと沈みつつある夕暮れを見ていた。
燃えるような赤い太陽が荒野に没する。
美しい景色だ……
■
日が没した頃、オッタルはさっぱりして帰ってきた。
「いやー、すごかったのだ。あの剣は見事だったでよ!
よければ、教えて欲しいのだ!」
あれは改造手術によって強化された腕力ありきのものなのだが……
さてどうしたものか。
それでも、技のいくらかは教えられるかも知れない。
「……それが恩返しになるのであれば、そうしよう」
「十分になるのだ!っていうか、この獣を狩っただけでもおつりが来るでよ!」
そう言うと、オッタルは少しの間だけ獣に祈り、それから獣を解体し始めた。
血なまぐさい臓腑に、いびつに癒着した機械。私の汚い中身そのものだ。
「その獣はどうするのかね?」
「んー、とりあえず金属部分だけでも取っていくでよ。
肉は臭くて毒があって食べられないから……
半分はコートマンが取るのだ。これは二人で倒した獲物だから、山分けなのだ」
オッタルのナイフ技術は見事なもので、あっという間にトゲをはぎ取り、刃を抜いていく。
そして、尻尾の部分の剣を大事そうに布に包み、しばしじっと見る。
「こっ、これは……これはコートマンが持つのだ……
一番大きな手柄はコートマンだでよ」
こちらに剣を差し出してくる。
それでも、その目線は剣をちらちらと見て、物欲しそうだ。
この剣を薄汚れた私が持っていてもどうしようもない。
それよりは、この純朴な少年の宝になった方が良いというものだ。
「いや、私には自前の剣がある。それに、その剣は君に丁度良い長さだ。
君が受け取って欲しい。心苦しいなら、宿代と命を助けてくれた恩の対価と思いたまえ」
「えっ。ええー……いいのか?本当にいいのか?……じゃあ、もらっちゃうのだ!ありがとうなのだ!」
困った様子だが、口角がにやついている。本当にうれしそうだ。
それだけ喜んでくれたら、こちらもうれしくなるというものだ。
それで、罪が何か軽くなるわけでもないけど。
「ああ、構わないとも。それだけのことを君はしてくれたのだ」
そうして全ての金属を布に包み、オッタルは飛び跳ねんばかりに喜んで家路へと急ぐ。
「……これは、いいのかね?」
私は、忘れ去られた獲物、ハクガンを持ってそれを追った。
ともかく、私は知らねばならない。あの後ヤハガムがどうなったのか。
あの都の遺産が悪用されていないか、この獣のような私の罪が他にもないか。
それはまず、この少年に街までの道を聞かねばなるまい。