序章
境界で事変が巻き起こり、魔界でも魔族たちの戦いが繰り広げられていた頃。
これまでは世界の神秘と無縁でいられた王国でも、ついに異変が起こり始めていた。
それも国の中心地たる王宮の中でだ。
騒ぎはベッドが並んだ医務室の一角で発生していた。
「これは……!」
「ルカ! どうしたというの……!?」
場面は先の戦いで脚を失い、引退した先代将軍ラモナスに、女王エリザベートの一行が見舞いをしている所だった。
一行は側近の騎士エミルと侍女のルネット、そして勇者ルカを合わせた四人。
傍らでラモナスと語らっていた勇者ルカの腰で、鞘に収まった『勇者の剣』が突然淡く輝き始め、同時に弟勇者が頭を抱えて苦しみ始めた。
当然、医務室内はすぐさま騒ぎとなり、部屋中の医官たちも大慌てで勇者に駆け寄ってきた。
「……天秤が……傾、く……」
「天秤?」
突然苦しみだしたかと思えば、勇者の口は不可解な言葉を紡ぎ出す。
周りの者は当然ながら、彼が何を言っているのかわからない。
だが、王国の守護者である勇者の異変は彼らにとって最悪の緊急事態なのだ。
単に慕っているということも勿論だが、この少年は人間でただ一人黒騎士とまともな勝負ができる。
今この医務室にいるのは、ラモナスを含めた半数が『フィンヴェルス』による負傷者だった。
あの破滅の一射を放った黒騎士を、ここにいる人々は本気で恐れている。
彼らは彼の者と唯一まともに対抗しえる切り札を過剰に頼りとしていたのだ。
だが、
「愛なる赦し……正義なる罰……天秤は正義に、傾い、た……」
「……愛? 正義……? ルカ様、何を」
不可解ながら、ルネットは勇者の言葉に何か引っ掛かりを覚えていた。
彼女は王宮内で唯一魔界に滞在したこともあり、勇者や神秘なるものの存在に多少の理解があったのだ。
勇者の役目は、裁判に似る。
赦しとは弁護。つまりは『守護者』だろう。
罰とは裁き。恐らく『審判者』を指すはずだ。
そしてその『天秤』とは、『三つの勇者』最後の一角。
それが傾くと言って、『守護者』が苦しみだす。
要は『天秤』が、勇者の判断の是非を裁く『調停者』に何か異変が起こったということではないのか。
つまりそれを探しに行ったあの少女は、と。
薄々ながら状況を察したルネットの顔色は、さっと蒼褪めた。
「まさか、お嬢様に何か……!?」
「何ですって!?」
側近の言葉に女王が狼狽え、それによって医務室内は更なる混乱に包まれる。
とりあえずベッドを空けろだの、手の空いている医者をかき集めろだの、喧々囂々たる状況の中で、
「……駄目だ、人間たち……勇者と、争うな……!」
当の勇者は頭の中に流れ込む景色だけを見、また声を聞いていたのだ。
光に包まれる荒野と、それを取り囲む大人たち。
そして響き渡る二つの声。
血を流し合う大人たちを見た、幼子たちの疑念と叱責の叫びが、他ならぬ自分を呼んでいる。
彼らの行いが世界を滅ぼすのなら、それを正さねばならない。
「やめ、ろ……違う……」
「ルカ様!」
「勇者様!」
ならばこの状況を作った者をどうするべきか、と。
赦しを求めるなら償いをせよ。
さもなくば世界のために裁かれ、消えよ。
「この人たちは……違う……悪くない、の、に……」
幼き『調停者』の声なき裁定は、弁護人である『守護者』に訴える。
人間の弁護者よ。世界を救うため、お前は何をするべきなのか?
同族と殺し合い、同族を追い立て、その先で新たな戦いを生んだ者たちの首魁を許して良いものか?
種族に赦しを求めるならば『黒幕』を、種族の悪を求めそれを斬れ、と。
弟勇者はゆっくりと輝く剣に手をかけ、
「……リズ、皆、逃げろぉぉぉっ!」
恐慌した声と共にそれを抜き放った。




