2話
小屋から外に出ると、確かに赤竜が健在そのものの姿で待っていた。
ただ、サリアの予告通り一人ではない。足元と背中に大小の人影が一つずつある。
遠目にだが、どうやらどちらも人間のようだ。サリアと違って耳も尻尾も無く、翼も鉤爪も生えていない。
赤竜は小さいほうの人影を載せたまま地団駄を踏んで暴れており、大きい方の人影はあたふたしながらそれを見守っていた。
巨大な竜が暴れる姿は、見慣れていても迫力満点だ。
少女も多少は焦ったが、サリアは呑気な声で、慌てる女に声を掛けた。
「大丈夫だよシオリさん。マルドクスさん、ちょっとはしゃいでるだけだから」
「あぁ、サリア……あら、その方は」
少女は振り返った女の目を見て、はっとした。
真っ白な髪に映える赤い瞳。端正な顔。細い体の線。
髪の色は真逆だが、その面差しは少女にとって、強い既視感を齎すものだった。
かつて共に旅した、あの少年。
彼も特徴的な赤い瞳の持ち主だったが、この女性の瞳は見慣れた庇護者と全く同じものだ。
「……うん、目が覚めたんだ。このコはリズちゃん。噂の『黒騎士の姫君』だよ」
見るからに動揺する少女を横目で見ながら、サリアは目覚めた客人を紹介した。
やはり呼び名の方はすっかり有名らしい。
姫君の単語が出るなり、銀髪赤眼の女性シオリは目を丸くして少女を見た。
「あなたが『黒騎士の姫君』……勇者を探しているという……」
少女は見た目に反応したが、シオリの方は名前に反応した。
こちらもこちらで、やはり相手から感じるところがあったようだ。
勇者を探す者としても勿論だが、称号に冠された大いなる存在。
人間を裁く魔界の黒騎士。
境界の住民には今のところ関係なく、仮に何か因縁があったとしても人間は恐れを抱きこそすれ、親しみなど湧かない存在の筈だ。
「あの、リズさん……黒騎士は……」
「……?」
だがこの女性、シオリはどういうわけかあの恐怖の存在を、あの少年をこそ気にしているようだった。
何かを訊ねかけたようだが、
「あっ、マルドクスさん、待って!」
横でサリアが声を上げた。
直後、吹き付ける暴風でシオリの言葉が遮られる。
発生源を見てみると、そこでは赤竜が巨大な翼で空を打ち、小さな人影を載せたまま空へ舞い上がっていた。
「あははははっ! たかいたかーい!」
「高イ、高イ……」
空の上から聞こえてくるのは、幼子の無邪気な笑い声と、機嫌のよさそうな竜の野太い声。
竜が子供好きというのは少女も聞いていたが、随分なはしゃぎようだった。
シオリは再び竜の背を見て慌てはじめ、サリアは呆れた顔で、浮上した竜ともうはしゃぐもう一人を見上げた。
「……んとね、リズちゃん。あの子なの、勇者。シオリさんの娘」
少女は眼を真ん丸にした。
サリアが指さした先に見えるのは、声に違わず幼い少女だ。
端正な顔立ちと白い肌は似ているが、髪はサリアに近い光沢のない黄色の髪、瞳は青。見た事は無いが、どうやら父親の遺伝子が強いようだ。
そんなことはどうでもいい。
今サリアは彼女が勇者だと言わなかったか。
見たところあの幼子は十歳前後。
少女が知る二人の勇者に比べて少なくとも五つは幼い。
この世界に危機が現れるときに現れる『三つの勇者』。
世界を害する種族を裁く『審判者』。
それから種族を弁護し、元凶を取り除いて慈悲を請う『守護者』。
そして残る一つの役職は、他二つの勇者の意見を吟味し取り仕切る、言わば勇者の長とも言える存在だった。
少女はその役職の重要性をよく知っている。
だから震える目で再びサリアを見た。
「……そうだよ、リズちゃん。あの子、ソレルともう一人、同い年のお姉ちゃんがいるの。どっちも十歳のちびっ子。それがリズちゃんお探しの勇者」
「……!」
『調停者』。
勇者の裁きの是非を問う存在。
一度起こった審判を、罪を犯した種族への処刑執行を、守護者の弁護を元に止める事ができる唯一の人物。
少女はそれを探して、大砂漠を渡りはるばるこの地を訪れた。
だが、いざ見つけてみれば、それは余りに幼い子供。
しかもそれがどういうわけか二人いるという。
少女は勇者が『三つ』と聞いていた。
魔界、王国の兄弟勇者に、双子姫が合わされば四人になってしまう。
そもそも肝心の双子の片割れが見当たらない、と黙って聞いているには疑問が多すぎる。
少女はサリアの手を取り、目を閉じて集中した。
「どうしたのリズちゃん……うわっ!?」
戸惑うサリアの目の前で、少女の全身が薄く白い光を纏う。
魔界から遠く離れていたが、ここには魔法を使えるだけの神気があるらしい。
口の利けない少女が身に着けた、意思疎通の魔法『念話』の術。
魂を身体から抜き出し神気と触れ合わせる都合、触れ合える神気の量が少ない魔界の外では多くの魂を露出させなければならず、その行使は負担が大きい。
なので質問は、双子の片割れの行方だけに留めた。
「あぁ、びっくりした。そっか、リズちゃん、人間なのに魔法を使えるんだね」
魔法は本来、人間が失ったはずの技術だ。
人間の暮らす『王国』には魔法の力の元である神気が薄い。
原料が無い以上モノは作れない。必然その存在は歴史と共に忘れられていった。
それを人間である少女が使ったことにサリアは大いに驚いていたが、
「……うん、それがあたしたちの事情。ここにいるのもそれが理由なんだけどね」
さておき、少女の問いは思念となってサリアの脳裏に直接届いた。
やはり双子の片割れがいないのには事情があったらしい。
思えば父親がおらず、母親のシオリが沈鬱な表情をしている所を見るに、穏やかな話ではなさそうだ。
サリアは南の荒野を見つめながら呟いた。
「はぐれたの……『騎士団』に家を襲われて」
彼女が告げたのは新たな敵の名前。
かつて王国の旅で聞きかじった、魔法同様に人間たちから失われた勢力の名前だった。




