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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~  作者: 霰
最終章 Chronicle ~勇者を求めて~
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幕間 『鎹絶ち』


 これは、ある日の少女と少年の語らい。

 王国から魔界への帰路、廃屋の影を雪除けに使い、そこで焚火を囲んでの事。

 炊事の最中、黒騎士の持つ小刀に、その姫君は反応を示して――




「ナイフ? ……あぁ、小刀か。確かにちょっと、普通のナイフとは違うね」


 少女の自己主張に気付くと、少年は手入れの手を止めて、鞘に納めた小刀を貸してくれた。

 少女は夕食のために、ナイフで猟果の兎を捌いていたのだが、少年が狩りに使った小刀をよく見ると、どう見ても普通の刃物と違うことに疑問を持ったのだ。

 戦闘用の小剣なら兵士との戦いで何度も見てきたが、刀身で波打つような文様も、見事な柄の飾りも他では見たことがない。

 この時の少女は『刀』という名前を知らず、庇護者の使う得物がそれであることも、たった今の説明で知ることになった。


「僕の故郷で剣と言えば、この刀って刃物が主なんだ。短いのだけじゃなくて長いのも対であるんだけど、こいつの相棒は人にやってしまったから」


 少女は、女王の暴露によって、黒騎士の少年が東方領出身であることを聞かされたばかりだった。

 なので故郷と聞かされれば、東方領の事についても気になり始める。

 今回の旅では、西・南・中央の三領しか巡らなかった。

 好奇心旺盛な少女は当然、見知らぬその地がどんなところなのかと少年に訊ねたのだが、


「……あまり良い所でもないよ。寒いし、厳しいし」


 次の瞬間、少しだけ後悔した。

 少女は自分の庇護者が故郷に愛着を持たないことを知っていたが、それは生まれた地でも同様らしい。

 寒い、厳しい、とは自然環境だけのことでもないのだろう。あまり感情を顔に出す少年ではないが、言葉尻にはどこか寂しげなものを感じさせる。

 これまで少女は、少年に故郷の質問をあまりしてはこなかった。

 出会ったばかりの頃はあれやこれやとしつこく聞いたものだが、本人が嫌がるのと狼王に止められたのもあって、以降は控えていたのだ。

 お互い気を許した今なら問題ないかとも思ったが、やはり軽率だったらしい。

 少女はしゅん、と肩を落として、少年に小刀を返した。

 だが、叱られた子犬のような反応は、微かに少年の心を緩めたようで、


「こら、そんなに落ち込まない。別に、そこまで秘密にすることじゃないから」


 言うと、苦笑交じりに答えてくれた。

 やはり、どこか哀しげだったが。


「今言った通り、東方領は寒い土地だよ。おまけに地面もぬかるんでいるか、岩場かでとにかく足元が険しい。代わりに鉄はよく採れるから、鍛造っていう、刀みたいな良い道具を作る文化ができたんだけど、それがあっても自然は厳格で、暮らす人間はいつも何となく……余裕がなかった」


「………」


 余裕がなかった、との言葉に、少女は何かを感じた。

 親しい、とは違うがきっと、とても近しい人の事を言っているのだろう。

 それも過去形ということは、その人とはもう会えないのだ。

 この少年の過去は、いつ、どこに触れても傷と痛みに満ちている。

 またしても大切な庇護者に心の流血を齎してしまったと、少女は密かに自分を叱ったが、それでも折角自分から昔話を始めてくれたのだ。

 せめて痛みを和らげ、吐き出させてやるほかになかった。


「……だから、そうぺたぺたくっつくんじゃないってのに、もう」


 いつものように寄り添う少女に、少年の反応も相変わらずだ。

 渋い表情をしながらも突き放すでなく、何だかんだで柔らかな温もりに心癒されながら、少年は続けた。


「この小刀は、父上の形見なんだ。銘は『鎹絶(かすがいた)ち』っていうんだけど……あぁ、鎹っていうのはね」


 鎹は、東方領では木材と木材を繋ぐのに使う金具であり、転じて異なる二人の絆、特に夫婦の縁という意味を持つ、と少年は説明した。

 そう考えると『鎹絶ち』とは不吉な名前だ。

 それも、この銘が付けられたのは少年の弟が、勇者が生まれた直後だったという。

 恐怖の黒騎士とて当時は二歳の幼子だ。名付けの現場を覚えているはずもなく、また聞きした話だと前置いてから、続けた。


「その時の東方領は、傾き始めていたから……父上は後継者の育成に必死で、僕も散々仕込まれた。だから、ルカが生まれるなり父上は、いきなり戦を教えようとしたんだって。まだ産着のルカに、この小刀を抱えさせて……それを見た母上は、それはもう怒った、らしい」


「………」


 東方領は、男尊女卑の文化が根強いという。

 夫婦は常に夫が優遇され、妻は黙ってその意向に従うのが是とされた。

 だが、生まれたての赤子に武器を握らせる父親を、母親は看過に耐えなかったという。

 兄弟の母親は当然の如く怒り、産後の身体を押して猛然と夫に抗議したというが、頑迷な東方領主は聞く耳持たなかった。

 その頃には南方領は崩壊し、東方領には中央による自治の圧迫が始まっていた。

 それに対してあくまで徹底抗戦を望む父親と、その駒として行く行くは戦いに巻き込まれる子供たち。

 幼く可愛い我が子の行く末を憂いた母親は、やがて一つの決心をした。そう聞いた、と少年は語った。


「……母上はその件で父上を見限って、ルカと領外へ逃げようとしたんだって」


「!」


「でも、失敗した。母上は捕らえられ、ルカだけ取り上げられて、ご自身だけ領外に追放になった。だから僕も母上の顔は、よく覚えていないけど……それからの父上は、しばらく酒に溺れて腑抜けになったって、僕の世話役は言っていたよ。自業自得だろうに、ね」


 最後の言葉は、何となく嘲るような調子だった。

 余裕がなかった、とは彼らの父親の事らしい。

 確かに、自ら立つ事さえできない乳飲み子に、短刀を渡すなど狂気の沙汰だ。

 東方領には夫婦の中を子が取り持つという意味で『子は鎹』という言葉があるというが、結果的にその行為が妻の心を離れさせ、かくして夫婦は離縁となった。

 その時の出来事から、この小刀は『鎹絶ち』の名を与えられ、父親が死んだ後は少年の手に渡って、今に至るという。


「……と、まぁ、僕の身の上話なんて、こういうくだらないものばかりだよ。案外この刀にも父上が憑りついてて、領地を継がない僕に恨み言でも言ってるかもね」


「………」


 少女がほんの興味を抱いた品は、これほど深い因果を抱えていたのだ。

 厳しかったという父の、忌みじき思い出の結晶であり、形見。

 少年にとっては、母との縁を切ってしまった忌まわしい得物でもある筈だ。

 それでも、


「リズ……? って、何やってるんだ。そんな縁起の良いものじゃないってば」


 少女は、そんな曰く付きの刀に一つ、口づけをした。

 話を聞くに呪いのいくつかも宿っていそうな代物だが、お構いなしだ。

 過去の曰くを聞いてなお、少女はこの刀に恩がある。その使い手である少年にも勿論だ。

 少女は柄に当てていた唇を離すと、今度は庇護者の頬をちゅ、と啄んだ。


「ちょ、や、やめ……っ、なっ何、どうしたの……!?」


 少年は真っ赤になって慌てながら、くっついてくる顔を引っぺがした。

 少女は一瞬不服そうに膨れたが、何を思ったか串を打った兎肉をずい、と少年に押し付けた。焼いてほしい、ということらしい。

 全く不可解ながらも少年は素直に肉を焼き始め、手の空いた少女はその隣で、庇護者に見えるように筆談を始めていた。


「……ご飯が、食べられるのは、この刀の、おかげ……?」


 少年は、手帳に書いたそばから読み、少女の言葉を追っていく。

 確かに、魔界には鉄剣は無い。

 勇者の力にも耐える上等なこの得物を、少年は長年頼りとしてきた。

 実際、つい先も兎を捉えたのはこの短刀だったのだ。

 無いなら無いで他にやりようもあるだろうが、こうして便利に使っている以上、一方的に嫌うのも狭量な話といえた。

 少女の手は、まだ動いている。少年は肉の具合を見ながらも、相棒の手元を横目で確かめた。


「小さな頃の、魔界に渡ったばかりのあなた……僕を、守ってくれた、筈……か」


 読み上げると、少女はにこりとした。

 実際、少年は魔界に渡って人間の死角に襲われた際、この『鎹絶ち』と、対の太刀を用いて迎撃した。

 ならば絶ったのは、親子の縁だけではない。

 悪い縁もまた、この刀は絶ってくれたのだ。

 そして、それは自分にとっても同じである、と。


「……私にとっても、命の恩人、か。リズを助けた時は『勇者の剣』を振り回した気がするけど」


「!」


「いたた、わかった、細かい事は気にするなって事でしょ……まったく」


 頬をつねられて、少年は苦笑しながら謝った。

 こうして傍にいると、この少女は前向きで頼もしい事である。

 何となく遠くの弟が思い出されて、少年は懐かしい気分になった。


「『鎹絶ち』……悪い縁も絶つ刀、か。そう考えれば、確かに不吉なだけでもないのかな」


 少女はまた笑って、頷いた。本当に表情がよく変わるものである。

 だが彼女の言う通り、悪い縁は絶たれ、新たな縁がつながった。

 魔族たち、新たな家族、そして美しく愛らしい、自分だけの姫君。

 故郷を離れ、家族と別れ、その果てに得た出会いとしては、上等なものだ。

 少年の手は自然と、先は引っぺがした少女の頭に伸び、艶やかな金の髪を撫でていた。


「故郷を離れて、僕は魔王やフェンリル……君にも、出会えた。母上にも、良い縁が繋がったのかな」


 言いながらも、相棒の返事はわかっている。

 少年の視線の先では、笑顔が明るく輝くだけだ。

 絶対に大丈夫、と。

 目が細くなるような快い微笑みに、少年はまだ見ぬ南の太陽を想っていた――。


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