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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~  作者: 霰
最終章 Chronicle ~勇者を求めて~
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5話


 少女が目を覚ますと、そこは獣族の集落の真ん中だった。

 神々との対話の際に見たまま、彼女の周囲には銀鱗族以外のあらゆる魔族が集っていた。

 いずれも最初は心配そうな面差しだったが、少女の目がはっきり開くと、誰もが種族特有の形で喜びを表現したのだ。


「リズさん……! よかった……」


 そんな彼女を抱えていたのは妖精女王だった。

 どうやら相当負担のかかる魔法を使っていたようで、端正な顔は見るからに蒼白になっている。

 配下の小さな妖精たちも一部は地面に墜落して伸びていたが、少女の健在を確認すると主と共に全身で喜びを表現した。

 にわかに祭り騒ぎとなる集落の面々だったが、彼らの群れの中から現れた狼王は静かな眼差しをしていた。


「リズよ、よく戻った。ゆっくり休ませてやりたい所じゃが、状況は神々に聞いてわかっておるな」


 狼王が神々との対話について知っている事に少女は一瞬驚いたが、すぐに思い出した。種族の王と勇者は守護神と対話できるのだ。一般の民はともかく、王たちには天上のやり取りが聞こえていたのだろう。

 彼の言う通り呑気に休んでいる暇はない。

 今も森の向こうからは、あの少年と魔王がぶつかる音が絶えず響き渡っていた。

 彼の下へ行かなければならない。

 逸る少女は急いで立ち上がろうとし、


「!」


 そのまま転びかけて、妖精女王が慌てて身体を支えた。

 何とか足を前に進めようとするのだが、身体が異様に重い。

 視界が霞み、動くこともままならないこの感覚は、少女が最近体感した感覚とどこか似ていた。


「リズさん、落ち着いて……抜けきった魂が身体に戻るなど前代未聞なのです。まだご自身の身体を自由に操れないでしょう。普通の魔法の負担とは訳が違いますわ」


 そう、妖精女王の指摘通り、魔法の負担に似ていたのだ。

 魔法は魂の一部を身体から引き出し、神気と触れ合わせることでその意志を天変地異の形で現世に現す技術。言わば幽体離脱に近い。

 少女に至っては今まで完全に死んでいたので、魂の力を加減して使う魔法とは負担も訳が違うのだ。

 どだい立って歩くなど不可能な状態だったが、


「……ほら乗れ。お主一人では近づくことさえできんじゃろうが」


 彼女の前で狼王が地面に伏せ、背中を差し出した。

 この古参の王は、集落で過ごしていた頃はものぐさで通っていた。

 怠けている状況ではないが、こう積極的に働こうとする様が少女には微かに引っかかる。

 だがそれも当然のことだ。

 魔族は皆あの少年を愛しているが、この銀狼は他の者とは訳が違う。

 少女が背中に乗ったことを確認すると、狼王はぼそりと呟いた。


「……あれでも、息子として育ててきた」


「……!」


 王国から渡ってきた彼を引き取ったのは獣族で、この狼はその長だ。

 最初は引き取り手の家族がいたというが、度重なる魔神の覚醒でその一家も家長を喪い、妻と娘は境界に渡ってしまった。

 一人残された少年は魔神と戦い続け、傷付き倒れてはその地の王に運ばれてこの集落に、狼王の元に帰ってきた。

 そんな時、ものぐさなりに彼を慈しみ、見守ってきたのはこの王だったのだ。


「あやつが……あの子がこの地に現れたのも、こんなくすんだ空に、雪の降る日じゃった」


 雪の降り頻る春の空を見上げながら、狼王は遠い日を思い出す。

 この寒空の中たった一人、剣を抱えて魔界に現れたあの少年。

 真実に怒り、この地の犠牲を悲しみ、戦いに明け暮れていた。

 今国境で荒ぶるその姿は、まさに当時の再現だったのだ。


「この四つ足では、人間のようにはできなんだよ。撫でてやることも、抱きしめることも。お主はよく愛でてもらっていたようじゃが、本当は」


 年頃の少女の頭を無遠慮に撫で、人好きする質でもないのに少女に抱き着かれれば何だかんだ拒めなかった。

 少女自身もそんな彼を愛し、信頼を寄せ、日頃から目一杯の親愛を全身で伝えてきた。

 本当は全て、彼が望んだことなのだ。

 愛という心の糧を与えられず、幼いまま育つことができなかった彼は、誰よりも愛に飢えていた。

 勇者の力は気持ち次第。心次第。

 あの幼い姿はきっと、勇者の剣が引き出した彼の心の証明なのだ。

 誰に言われるでもなく、長く旅を共にした少女が一番わかっている。

 少女は狼王の首に抱き着き、ずいと顔を近づけて長い耳に口づけした。

 この手の愛情表現は慣れないことだったようで狼王は一瞬固まったが、すぐに白い牙を見せて笑った。


「ふっ……その調子であやつを戸惑わせてやっておくれ。知っての通りあれは敵には決して負けんが、代わりに一度愛を持った者には決して勝てん。お主の顔を見て剣が止まったその時は、わかるな」


 どうするべきかは勿論わかっている。

 抱きしめて、休ませるのだ。

 力の限り、彼の望むままに。

 少女は狼の目の前で力強く頷いた。




 国境の空を覆う暗雲はさらに深まり、強まる一方の雪と風に、春を迎えたはずの国境の地は再び雪と氷に閉ざされていた。

 その中央、冷気の発生源では相変わらず、小さな少年と長身の魔王がそれぞれ冷気と炎を纏った剣を手に激しく争っている。

 だが周囲の様子からもわかるように天秤は少年側に傾いており、魔王は既に満身創痍の状態だった。


「お、おい魔王、大丈夫か!」


 割り込む隙の無い弟勇者は、吹雪に耐えながら喚くだけだ。

 魔王の全身には既に細かい切り傷が無数に入っており、しかも切れたそばから傷口が凍り付いて凍傷になっている。

 勇者イクトの剣、フィンヴリルが持つ力は強烈な冷気だ。

 この剣が一太刀閃く度、発生した風圧は吹雪となって対した相手に襲い掛かる。

 例え剣を防いでも風までは防ぎようがなく、微かでも傷を負えば傷口が流血ごと凍てついて治癒を阻み、更に身体の芯まで冷気を送り込んで体力を奪っていくのだ。


「……やかましいぞ未熟者。役に立てぬなら目立つような真似をするな……」


 魔王は致命傷こそ避けていたが、それは歴戦を経た魔界の王だからこそできる芸当だ。力はあっても場慣れしていない弟勇者では到底太刀打ちできない。

 それも手心が加わった状態で、である。


「そちらに狙いが……戻るだろうがっ!」


 声に反応した少年が弟勇者を睨み、そちらへ襲い掛かろうとして魔王に止められた。


「心配せずとも……こやつは我を殺すことはせん。邪魔だから排除しようとしているだけだ。審判者は処刑台に上がっていない者を殺しはしない……!」


 審判者の狙いは飽くまでも人間。

 世界に害為した種族を冥界に葬るのがこの少年の使命なのだ。

 冥界送りは現状人間のためだけの裁きであり、他の種族を刃に掛けることはしないという。

 なので立ち上がれる限りは他種族の戦士でも時間稼ぎが可能という理屈だった。

 勿論、魔神の攻撃と拮抗できる以上の力が最低条件だったが。


「くっ……兄貴、俺だよ、ルカだよ! 目を覚ましてくれよぉっ……!」


 弟勇者がこの場に残されたのは、人間を弁護し審判者を止めうる存在『守護者』であり、ひとまずフィンヴリルを防いでも死なない程度の力があるからだ。

 だが本来、守護者は自ら『黒幕』を討ち取り、種族の有罪判決を止めるのが役目である。

 どれだけ弁護をしても下った裁定の否決、即ち審判を止める事はできず、守護者の声を聞いて審判の是非を問う存在は未だ現れていない。

 つまりは弟勇者がどれだけ頑張っても審判は止められないのだ。

 魔王も弟勇者も幼い審判者には勝てず、こうしてただ耐えるしかない以上、いずれは限界が訪れる。

 冷気と熱気の衝突で周囲一帯には絶えず雷が降り注ぎ、ただそこにいるだけでも危険なのだ。

 人間は言うに及ばず、翼を持つ者は暴風で吹き飛ばされ、水は中の魚ごと凍てつき、虫は冷気で足が止まって次の瞬間炎に、雷に焼かれる。

 戦場に残った竜たちも今は吹雪の影響で飛べず、見守ることしかできなかったのだ。外から援護を呼ぶのは不可能である。

 審判者は、一種族をたった一人の力で滅する存在。

 元々彼は『剣の天啓』を受けた瞬間からその力を有しており、更には魔神と戦い続けることで鍛えられ、この世の誰にも負けない戦いの力を得た。

 最早誰がどう頑張っても、どんな武器を以てしても、力ずくの手段では絶対に上回ることができない地上最強の剣士。それがイクトという少年だった。


 智謀を誇る者は彼の怒りを買うだけ。

 武を誇る者は己より強い相手には何の役にも立たない。

 勇者の力は気持ち次第。

 今の彼を止めうる力は、この世界にたった一つだ。


 瞬きの瞬間、魔王の右目に一瞬だけ、ここではないどこかの景色が見えた。

 それを見た途端、逞しい手が力を失ってしまった。

 安心して気が緩むなど、この悪魔には珍しい失態だった。


「魔王!」


 魔王の剣は吹雪の刃を防ぐ力を失い、主諸共に吹き飛ばされた。

 幼い少年に敗れ、宙を舞う悪魔の巨体。

 彼の視線の向こう、荒れ狂う吹雪の先には、狼に乗った人物が一騎。


――寝坊したな、小娘め。


 銀狼に跨る『黒騎士の姫君』。

 その健在を見た魔王は薄く微笑み、極寒の中に意識を手放した。


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