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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~  作者: 霰
最終章 Chronicle ~勇者を求めて~
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4話


 冬解け間もない国境は曇天に覆われ、空からは粉雪が降ってくる。

 名残雪にしては強い冷気、そして風。

 それが湿った土を凍てつかせ、春の大地に霜を下ろし、そして次の瞬間には焼き尽くされていく。

 人間たちが去り、全力を出せるようになった魔王と竜たちは、地上を焼き尽くすような炎を以って暴れる幼子の前に立ちはだかった。

 一方の少年も己が剣の『真化』を現し、氷雪を操る彼自身の能力を全開にして魔族王の突破を図っていたのだ。

 天上からは、地上に起こる災いの全てが見える。

 恐怖の地と化した国境で相争う勇者たち、魔族たち。

 自分たちの力が遠く及ばない戦いに恐れ戦き、逃げ惑う人間たち。

 魂だけの少女は獣神の手に載せられながら、黙ってその眺めを見ているしかなかった。


「人間の姫君よ。汝には何の責もない事……気に病むな」


「………」


 獣神の野太い声に励まされながら、少女は自責の念に囚われていた。元はと言えば自分がダインに捕らわれたことが始まりだったのだと。

 幼くなった庇護者の姿を見ながら、埒のあかない焦りに駆られるだけ。

 今すぐ彼の下に駆けつけ、抱きしめてやらなければならない。

 人間との絆を取り戻せば、或いは『審判』を止めてくれるかもしれないのに、と。

 そんな思いを察してか、獣神はゆっくりと目を伏せた。


「……残念ながら、汝はこのままでは助からぬ。この神の前に現れたことがその証明」


「……!」


 この世界で死んだ者は魂を守護神に取り込まれ、生まれ変わる。

 逆に言うと、守護神の姿を見たということはすでに死んでいるということだ。

 その証明のためか、獣神は足元に目を向けた。


「見よ」


 獣神の膝下、獣族の集落の真ん中では、無数の光が少女の身体を囲んでいる。

 あれは全て、妖精族の魔法の光だ。

 妖精女王も倒れた少女を抱いて、全身を発光させている。

 魔法に長ける彼女らの中には傷を塞ぐ術を得意とする者がいる。少女は以前魔王にそれを聞き、ルネットを手当てしてもらったことも知っていた。

 だが、見るからに反応が無い。

 ぐったりと全身を弛緩させた自分の姿を見るのは気味の悪いものだ。

 多少冷静を失いながらも、自分がどんな状態なのかは少女にもよくわかった。


――私、本当に……。


 確かにあれは死んでいる。

 いかに魔法に長けていても、死者を呼び戻すことまではできないという。

 肉体から離れた魂の行方は、何もかも守護神に委ねるしかない、と。


「……我はこれから汝を取り込み、新たな肉体に渡す準備をしなくてはならぬ。それが世界の理なれば、神が侵すことは許されぬ」


「………」


 焦るのも慌てるのも先まで散々やっていたのだ。少女はただ哀しそうに俯くだけだ。

 辛い旅の中でも、まだ見ぬ世界に目を輝かせていた好奇心旺盛な少女だ。

 再会を果たせていない姉妹分のことも、実の姉妹であることが判明した王国の少女王のこともある。

 何よりもあの少年の事だ。

 これ以上足掻くことも喚くこともしないが、死を受け入れるにはこの少女は未練が多すぎる。

 獣神はしばらく黙ったまま、右の掌に納まった小さな魂をじっと見つめていた。

 戦いの喧騒を彼方に、しばらく両者の間には沈黙が流れるだけだったが、


「貴女が我が子らの友か」


 視界の外から、不意に新たな声が響いた。

 野太い獣神のものとは違い、澄みきった女性的な声だ。

 驚いた少女が振り返ると、


「……!」


 そこには、翡翠に輝く尾羽と黄金の羽毛を持った美しい鳥が、獣神にも劣らぬ巨躯で空中に浮いていた。

 少女は獣神以外とは接点を持ったことが無いが、姿を見るだけでもその巨鳥が守護神であることはわかる。

 巨鳥は獣神の手の中に顔を近づけ、厳かだが優しい声で語りかけてきた。


「私の名は『翼神』。翼の民、翼人族を統べる者。繰り返すが、貴女が『黒騎士の姫君』だな。私の子供たちが、いつもその名を囁いていた。獣の子らと比べると疎遠なようだが」


 子供たち。

 かつて獣神も己が守る種族をそう言っていた。神々にとってはそういうもののようだ。

 翼神の出現を皮切りに、魔界入り口の樹海には次々と大いなる気配が現れた。


「我が名は『鎧神』。こちらもあまり人間とは馴染みないが」


 次いで現れたのは巨大な玉虫のような姿の守護神。ぎりぎりと鈍い声は聞き取りづらく、名前からはわかりにくいが見るからに虫族の主だろう。

 鮮やかな七色に輝く甲殻を持ち、身体は玉虫でありながら口には鋸のような大顎を備えた、美しくもおぞましい姿だった。


「『水神』。あの黒き勇者の姫なれば、やはり我が子らの友に相違ない」


 再びの女性的な声はたった一度遠目に見た大海蛇、銀鱗族の守護神だ。

 竜族領で見た時は海面から覗く背中しか見えなかったが、長い口から牙が無数に伸びた顔は厳めしい。それが海は無いこの地にあって、森の上に浮かぶように出現している。

 どちらも生物の姿をしながら、大きさはやはり山のように大きい。

 守護神たちの巨躯が獣神を取り囲み、一様にその手の中の少女を覗き込んでいた。

 凄まじい絵面だが、これでもまだ序の口である。

 遥か北西から、重々しい羽音が近づいてきた。

 錆びた歯車のように軋む鈍い音が一つ響く度、一帯には木々を吹き飛ばすような烈風が吹き荒れる。

 地上の魔族たちが反応を示していないため、神々の姿は今彼らには見えていない筈である。

 それでも最後の来訪者の気配には微かに地上がざわついたくらいだ。

 それだけその存在の接近は辺りの風や木々を騒がせ、目の当たりにした少女の心を大きく揺るがすものだった。


「こうして話ができる事、喜ぶべきか、嘆くべきか……我らが勇者の姫君よ」


「……!」


 重々しい声を発したのは、全身白銀の鱗に身を固めた巨大な竜だった。

 名乗りを聞かなくともわかる。

 この巨竜こそ、あの少年が最初に鎮めたという魔界最強の守護神『竜神』だろう。

 他の守護神と比べても更に一回り大きく、白日を反射して全身を輝かせる姿は息を呑むような雄姿だった。

 他の神々と同じく物理的に存在を測れるものではないようで、それだけの巨体で降りたっても地上の木々は一本として潰れず、やはり魔族たちは気付いた様子もない。

 だが巨大な神々が一同に会し、揃い揃って吹けば飛ぶような小さな魂を覗き込んでいるのは、見られている当人からすれば心臓に悪いものだ。

 思わず固まる少女に、神々はいずれも頭を並べ、まずは彼女を手に持つ獣神から話し始めた。


「……先も言った通り、我ら守護神は死した魂を集め、生まれ変わりを促すが使命。それを侵すことは世界の理への冒涜なれば、我らは汝を真実の死に至らしめ、新たな生を与えねばならぬ」


「………」


 納得は出来かねたが、どうすることもできない。

 少女は相変わらず暗い顔で俯くだけだったが、


「されども」


 竜神の重い声に思わず顔を上げた。

 黒目が縦に入った爬虫類特有の目が、ぎょろりと少女を見つめている。

 巨竜の目つきは鋭く迫力があるが、見つめ合うと不思議な安心感に包まれるようだった。

 にわかに落ち着いた少女に、深みのある竜の声が優しく響き渡る。


「この場にある神々は全員、あの幼子に己が子供たちを救ってもらった。それは本来勇者の本分にあらず、また我ら守護神を戴く子供たちとしても他に例無き事なり」


 呆けたように口を開ける少女に、続いて他の神々の言葉もかけられる。


「人間は理を侵し、幼子たちの裁きの天秤にかけられた」


「なれどあの子は理を超え、我らが子供たちの命を無数に救い給うた」


「恩義ある我らが勇者。汝はその姫君なれば、我らは彼から愛しき宝を奪うことを望まぬ」


 麗しい翼神もそうだったが、凶悪な顔をした水神や鎧神もまた、少女に向ける声音は底なしに優しい。

 命ある者たちの頂点に立ち、生を与え、死した後は自ら受け入れ新たな命へと誘う存在。それこそが守護神であると、かつてあの少年は教えてくれた。

 こうして己を慕う命を慈しみ、愛することが彼らの本質なのだろうと、大いなる存在を目の当たりにした少女は心から感じることができたのだ。

 議長分であるらしい獣神は、落ち着いた少女に再び視線で戦場を示し、他の神々と共に争う勇者と魔王の方向を見つめた。

 厳密に言うと、見ていたのは戦いの行方ではない。

 少年が纏う暴風雪が吹き荒れ、魔王の放つ炎がぶつかり、衝突の余波で雷が起こり大地を焼く様は嫌でも目を引くが、彼らが示したのはその足元だ。

 壮絶な戦いの中心にありながら、無謬の様子でそこにあり続ける黒い穴。

 『審判』の発生によって開くという冥界の扉は、先に見た時に比べて明らかに大きくなり、その奥底にあったはずの姿はいつの間にか表面近くまで浮き出てきていた。

 不相応な王冠を被り、しわがれ、惨めな老人の姿をした巨大なるモノ。

 少女を見るときは優しかった神々の目は、その存在に対してはどこまでも険しい。

 何も知らない人間の子供のために、神々は厳かな声で彼の者の正体を告げたのだ。


「見よ、姫君。あれこそが『黒幕』」


「かつて守護神を排し、己が術の力によって自ら神となろうとした、古の人間の王なり」


 古の人間の王とは、たった一度だけ王国で聞いた覚えがあった。

 いかな手段を持ってしてか、人間の守護神を冥界に堕としたと思われる人物だったはずだ。

 しかしそれは何世代前かもわからない太古の話で、竜や妖精と違って短命の人間が未だに生き続けている道理はない。

 それに神になろうとしたとは、一体どういうことなのか。

 首を傾げる少女に、神々はさらに古の知識を語ってくれた。


「あれは特異なる人間の子であった……常には神にしか扱えぬ魂を操作する力を持った故に、一部の人間たちの悲願を叶える手立てとなってしまった」


「あの者は剣にも術にも長け、必然人間の王となった。しかしあの者も含め魔神の犠牲を嫌っていた人間たちは、人間の守護神を現世より追い出そうとし、それを咎めるために勇者たちが現れた」


「だがあの者は勇者となった幼子たちすら、己が野望のために利用したのだ。自らの野心を見せつけ、自分から勇者の不評を買い、見限らせることで……」


 少女ははっとした。

 罪を犯し、その上勇者に見限られた種族がどうなるのか、彼女はよくよく知っている。

 それに起因する事態は、現在進行形で起こっているのだ。

 全ての視線が、暴走する小さな勇者に向けられた。


「あの者は審判者を利用し、冥界の扉を開かせて、自らと共に守護神を堕としたのだ。その後は冥界の魂たちを取り込んで神気に変え、堕とした自らの守護神も、彼の地を統べていた冥界神をも下して新たな神に成り替わったのだろう……そして再び扉は開かれ、今度は他種族の神をも脅かそうとしている」


「あれが地上に這い出せば一巻の終わり。冥界の扉を閉じるには、審判を止めねばならぬ」


「なれど守護者は最早人間の醜態を弁護できず、調停者は未だ現れていない」


「然らば、彼を止める手段はただ一つしか残されていない」


 獣神は手の中の少女を押し戴くように掲げ、周りの神々はちっぽけな一つの魂に恭しく頭を垂れた。

 持ち上げられた少女は困惑顔で神々を見下ろすことになる。

 この大いなる存在たちは、どうして自分などにこうも腰を低めるのか、と。

 しかし、あらゆる命を統べ、また自らの子供たちに幾度となく暴走を止められてきた神々は、魔族たちと同じように使命に誠実であり、共に生きる命に優しいだけなのだ。

 高慢でも形式的でもなく、深く優しい神々の声は、しかと胸の奥に染入るようだった。


「許しておくれ、優しき人間の姫君よ」


「我らが外法に手を染め、命を弄ぶこと、本来であれば許されぬ」


「然れども世界を脅かす敵もまた外法の存在。我らも世界の御法を尊んでばかりはいられぬ」


「世界のためとはいえ、我らは我らの都合で汝を再び現世に戻すことになる」


「慈悲深き姫君よ。我らが世界のため、それを守ってきた勇ましき剣士のため、どうかこの不徳に容赦を与えたもう」


 少女は真顔のまま、彼らの言葉を聞くだけ。

 元々死にたくはなかったのだ。彼女にとって都合がいい話ではある。

 だがどうだろう。

 こんなに小さく、浅ましい存在のためにこうも頭を下げ、誠実に扱ってくれる愛深く大いなる存在に、どんな言葉をかければいいのか。

 少女は元々言葉を忘れてしまった身だが、そこに不自由が無くとも返す言葉などない。

 獣神が腕を下ろし、再び頭の位置が並行になっても、少女は黙って神々の顔を見回していた。

 彼らの姿はいずれも人外であり、その表情はわからない。

 だが獣神の口の端が微かに上がり、他の神々も微かに微笑んだように見えた。


「何も不思議に思うことはない」


「我ら親なり。親は子のモノ。我ら世界なり。世界は命のモノ」


「本来、それは人間も例外にあらず」


「例え理を侵せども、我らのいとし子に変わりなし」


「消えた人間の守護神も、本来は彼も、それは変わらぬはず」


 雌伏していた神々は再び立ち上がり、獣神が腕を伸ばして少女の魂を身体の上に差し出した。

 眼下では変わらず、妖精たちとその他の魔族たちが倒れた身体を取り囲み、必死で治療に当たっている。

 見たところ、傷は塞がり、出血自体は止まっているようだ。

 ただ、魂はそこに無い。

 身体と魂無くして命はあり得ないと、あの少年や魔族たちは何度も教えてくれた。


「身体と魂……別れた二つは決して戻らぬのが世界の理」


「なれど姫君、汝は身体に帰るがいい」


「妖精の子らの尽力で、汝が還る場所は失われておらぬ」


「世界のため、勇者のために、我らは甘んじて罪を受けよう」


 獣神は手に持っていた少女を、身体の上に落とした。

 先までふわふわと漂っていた少女は、再び重力を受けて落下していく。

 空が遠ざかり、守護神たちの輪郭が薄れ行く中、少女の耳には彼らからの最後の言葉が聞こえた。


 それは多くの魔族たちが彼女に託した願いと全く同じものだ。

 出会ったばかりの獣族たちも、お供として助けてくれたあの妖精も、未だ会ったこともない魔族たちも、彼を知るもの全てが同じように思っていた。

 勿論、少女自身も気持ちは同じだ。


――願わくば、我らが勇者に、再び同族への……家族への愛が取り戻されんことを。


 言い知れぬ感覚の中で少女は頷き、彼方に神々の微笑みを見ながら、その魂は肉体へと帰っていった。


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