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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~  作者: 霰
最終章 Chronicle ~勇者を求めて~
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3話


 誰も皆、何が起こったのかわからなかった。

 『フィンヴリル』。

 少年の声がその名を呼んだ瞬間、国境は蒼白の眩い光に覆われ、誰も目を開けていることができなかった。

 人間の兵士も魔族の戦士たちも、誰もが状況を把握できず、


「なんだ!?」


 光の中何かが弾けるような音に、誰かが叫んだ。

 やがて視界が開けると、魔界の黒騎士の姿はすでに森の入り口にはなかった。

 代わりに王国の陣の目の前、魔王と少女王の対談のまさに眼前に、新たな影が現れ、そして一人の命が消えていた。


「……!」


 黒騎士の代わりにそこに現れたのは、小さな影だ。

 艶のある長い黒髪に赤い瞳、ぼろぼろながら黒衣を纏った姿は共通している。

 だが年齢は十歳くらい。身長は兵士たちの胸までしかない。それなのに黒髪の先端だけが老人のように白髪になっているなど異様な姿をしていた。

 手にした獲物も、あの純白の勇者の剣ではなく、不思議な姿に変わっていた。

 それは非常識なほどに長大な大剣。主である少年の身長よりおよそ二倍はあろうかという巨大さだ。

 薄く幅広で、水晶氷のように透き通って美しい剣。

 大きい上にあまりに繊細で、到底剣としての使用に耐える見た目ではなかったため、小さな主と相まってまるで飾り物のようだった。

 しかし、


「ダ、ダイン卿っ!」


 その少年の前ではすでに、騎士の男が頭から股まで真っ二つにされて絶命していた。

 誰もが光に目をくらませている間に事を済ませていたらしい。

 少年はすでに巨大な剣を振り切った格好であり、巨大な剣身が地面にめり込み、その周りにいた勇者と女王、魔族王たちは盛大に吹き飛ばされていたのだ。


「ルカ! 大丈夫!? しっかりして!」


 元の身体が強靭な魔族王たちは少し飛ばされるだけで済んだし、少女と太后はそれぞれ魔王の腕と蜘蛛王の鋼糸に守られて無傷だった。

 だが勇者だけは無事で済まなかったらしい。

 彼は咄嗟に女王を庇った弟勇者は飛んできた石を体中に受け、額から血を流していた。

 打ち所が悪かったのか、上体を起こしながらも顔はぽかんと口を開けたまま表情を失い、全身を震わせている。


「ルカ、ルカ! しっかりなさい! どうしたというの!?」


 完全に呆けた様子の弟勇者を、少女王は必死に呼び続けた。

 自分を庇ったために怪我をしたのではないかとの純粋な心配だった。

 だが、違う。


「な、なんで……だ」


 弟勇者はよろよろと立ち上がり、健在を示した。

 ひとまず怪我の程度は大したことは無いらしい。

 しかしてどう見ても無事な様子ではない。

 弟勇者は突如現れた幼い剣士を見つめ、呆け顔のまま立ち尽くしている。

 彼だけではない。

 魔族はほとんど全員、人間たちもラモナス将軍以下、一定以上年季の入った古参兵たちは勇者と似たような様子だった。

 不審に思った少女王も、幼い剣士の顔をよく見つめ、


「……まさかっ!?」


 同じように愕然とした。

 彼女もまた、あの剣士の姿に見覚えがあったのだ。

 それもまだ幼い、少女王がまだ王女であった時に。

 あの紅い瞳を。

 眼光だけで父王を殺しそうなほど怒りに燃えていた、あの目を。


「なんでだ……なんでだ、兄貴……なんであの時の……七年前の姿、に……!」


 そこにあったのは七年前、弟を人質にされ齢十歳で魔界へと旅立った『先代勇者』イクトの姿だった。

 ルカはすでに黒騎士が兄であることを聞いていたが、まさか生き別れた当時の姿で兄が現れるなど思いもしなかったのだ。

 弟勇者は放心し、完全な木偶になり果てていたが、一方の兄勇者は止まってくれない。


「お前が……リズ、を……」


 ゆっくりと小さな首が動き、死神の瞳が棒立ちのルカを捉える。

 幼い子供の高い声が、心臓が止まるような気迫を纏って響き渡る。

 誰もが恐怖に身を竦めた、刹那。


「呆けるな、勇者っ!」


 少年の踏み込みと同時に、魔王の鋭い叫びが響いた。

 身に余る大剣を持ちながら、小さな剣士は凄まじい速さで弟勇者と少女王に迫る。

 同時に魔王も踏み込み、両者の間に割って入って剣を構えた。

 自らの弟を叩き斬ろうと大剣が振り下ろされ、寸での所で魔王がそれを阻む。

 そのまま鍔迫り合いになる両者。

 長身の魔王と小柄な幼子ではあまりにも体格差がある。

 見た目だけなら圧倒的に魔王が有利、の筈だったが、


「ぐ……この、暴れ馬め……! 怒りに飲まれて嘘も真もわからなくなったか」


「魔王様!」


 土筆のように細い少年の腕に圧され、悪魔の逞しい脚が地面にめり込んでいく。

 勇者の力に魔王が力負けしているのだ。

 劣勢を悟った少女王が叫び、兵士での救援を考えて陣容を見たが、


「戯け者! 貴様はとっとと軍を率いて逃げろ! これは『審判』。こやつの狙いは人間なのだぞ!」


 魔王が一喝してそれは止めさせた。

 だが元々王国軍を掌握していたのはどちらかと言えば太后だ。

 砦の中の動きまでは止める事ができない。


「……! やめろ!」


 砦の壁面で、大砲が火を噴いた。

 当然少年を狙ってのことだ。

 小さな体を、あわよくば魔王ごと吹き飛ばさんと、無数の鉄塊が豪速で飛来する。


 この少年が魔神と戦い始めたのは魔界に渡ってすぐ、丁度この頃からである。

 十歳の幼い身体で、少年は魔族たちを魔神の攻撃から守り続けてきた。

 竜の炎、大猿の拳、大海蛇の雷、その他あらゆる世界の災いを受けてきた。

 となれば当然、人間が作った火砲程度が効くわけがないのだ。

 魔王を押し切った少年は全身に魔法の光を纏うと剣を逆手に構え、左手を砦に向けて構えた。

 ただそれだけである。

 しかし彼の願いに応えた大自然は、季節と共に過ぎ去った冷気を勇者のために再び結集させ、


「……馬鹿な」


 瞬時に砲弾が凍てつき、そして着弾の前に空中で氷ごと粉々に砕け散った。

 人間からすれば非常識もいいところである。

 彼らにとっては技術の粋を集めた対軍用の武装だ。

 それがたった一人の少年に一切通じず、手をかざすだけで止められてしまっては作戦も何もあったものではない。

 奇しくも彼の動きは人間たちの戦意を完全に潰し、その気持ちを逃げ腰にさせた。

 逆に一連の攻防の隙に何とか立ち直った弟勇者は、やっと魔王に訊ねる余裕ができた。


「おい、魔王! これはどういうことなんだ! 兄貴はどうなっちまったんだ! それにあの剣は、一体」


「やかましい! 説明してやるから貴様は構えろ! 国を潰されたくなかったら何としても奴を足止めするのだ」


 勇者を叱り飛ばしながら、魔王は狼王に微かに視線を向けた。

 その背にはぐったりした格好の少女が載せられ、周りを蜘蛛王と朱雀王が固めている。

 彼らはこの地に集った魔族の代表だ。

 魔王は王たちの長として、全軍に号令をかけた。


「狼王よ! 魔族の衆よ! その娘を我が妹に届け、手当させよ。何としても目覚めさせ、この小僧の前に引き出すのだ。こやつを止める手立ては他にない……!」


 冷気を伴った斬撃が、未だ戸惑う弟勇者に襲い掛かってくる。

 魔王は両者の間に割って入り、猛吹雪のような攻撃から勇者を守り続けた。

 それは単に、これ以上人間を斬らせないために。


「皆、急げ……! もう『審判』は始まっている。冥界の扉は開かれてしまった……! これ以上人間が斬られれば、或いは……」


 逞しい魔王が、華奢な少年に太刀打ちできずあちこちから血を流し始めている。

 あの少年の狙いは人間だ。魔王は彼らを庇って戦っているのだ。

 となれば、残っていればそれだけ守る対象が増えて足手まといになる。


「……っ! 撤退! 全軍撤退よ! 異論は認めないわ、行きなさい今すぐに!」


 少女王の号令と共に、ようやく戦力以外の全員が動き始めた。

 人間たちは王国に、魔族たちは一人の少女を守り、太后を連行しながら魔界に、それぞれ転身する。

 逃がすまい、と少年は人間たちに剣を向けかけたが、


「グルルゥ!」


 遅れて来た竜王と竜戦士たちが巨体を生かしてその前に立ちはだかった。

 だからといって止まる少年ではない。

 暴雪を纏う大剣が竜王の角と衝突した。


「鎮マレ……我ラガ、幼子……怒リヲ……『フィンヴリル』ヲ、鎮メヨ……」


「フィンヴリル……?」


 何度も聞いたその名前に、弟勇者は反応した。

 大概に鈍い質ではあるが、これだけ聞けば魔族たちがあの剣の名を呼んでいることはわかる。

 竜王が少年を止めていることで余裕ができた魔王は、少し膝を屈して休みながら勇者の問いに答えた。


「あれこそ、イクトの剣本来の姿……それを現す勇者の奥義『真化』だ」


「『真化』……? 魔族王の『神化』とは違うのか」


 語感の近い言葉である。

 似ているのは語感だけではなく、本来の用途も大方同じなのだという。

 人間たちが神と共に失った知識という点も共通だった。


「どちらも本来は魔神を……討つべき敵を討つものだ。人間は身体が『神化』に適さなかったからな。古代の人間の王は己の代わりに武器に神気を結集し、神に変じて魔神に止めを刺したという」


「討つべき敵……」


 それが何かはわかっている。

 兄勇者が裁くべきと感じたのは人間だ。

 あの剣はそれを斬るために相応しい姿へと変じたのだと、魔王は語った。


「じ、じゃああの姿は」


 武器が変化した所までは説明がつくが、兄勇者が子供に戻っている点は原因不明のままだ。

 ただ、魔王もそこからはわからないことが多いらしい。

「推測だが」と前置いて続けた。


「恐らく奴は……怒りに任せて剣に全力を注いでしまったのだ。そのせいで勇者の剣に飲まれ、逆に制御が利いておらん。剣の変化に巻き込まれ、フィンヴリルの望むままに、主としての全盛期の姿に変じてしまったのだろう」


「全盛期? あれが?」


 兄勇者は若返っているというより幼くなっている。

 いくらなんでもあの年頃の子供に最盛の力を望むのは無理があるし、少なくとも一瞬だけ見た青年の姿の方が見た目は強そうに見えた。

 だが、彼ら勇者の力は、必ずしも腕っぷしや武芸だけを言うのではない。

 その事を忘れている弟勇者に、魔王は静かに告げた。


「勇者の力は気持ち次第だからな。あれはあ奴が人間の贖罪と、王国に残してきた貴様への想いで暴走しているときの姿だ……一番感情を込めて剣を振るっていたのがあの時期だったのだろうよ。今やその思いも破れたがな」


「兄貴……」


 自分が知らない兄の姿に、勇者は悲痛な表情をしていた。

 牢屋でも呑気な暮らしをして、城の人間たちと打ち解け、今や女王と友達付き合いをしている彼にとって、ひたすら家族を想って戦い続けた幼子の姿はあまりに痛々しい。

 きつく拳を握る勇者をひとしきり見つめた後、魔王はようやく立ち上がった。


「……さて、まずは止めるぞ。あまりあの剣で暴れられると危険なのだ……見てみよ」


「あれは」


 弟勇者が示された場所、ダインの死体の地点を見ると、その足元に黒く穴が開いていくようだった。

 勇者は知らないことだが、あれは竜族領であの男が姫君をさらった際に開いた穴と同質のものだ。

 速度はゆっくりながら穴は少しずつ広がっていくようで、たった今真っ二つの男の死体が穴の中に飲み込まれたところだった。


「現世と冥界を繋ぐ時空の裂け目だ。フィンヴリルが振るわれたことで開いたのだろう……ダインはあの中に消された。おそらくもう蘇ることもあるまい。人間が斬られれば、その魂は全てあの中に飲まれる」


 魔王は穴に歩み寄り、中を覗き込んだ。

 間違いなくかつて見た時空の裂け目と同じもの。

 だが前回と違うのは、『審判者』によって正規の手段で開かれていることだ。

 二つの世界の境目までしか行けなかったあの男の魔法と違い、正当な力によって開かれた扉はしかと隔てられたものを繋いでいる。

 だからこそ、前回は見えなかった姿が穴の中に見えて、魔王は眉を顰めた。


 闇の彼方に、紅く発光する双眸が見える。

 地の底にいたのは、全身がしわがれた巨大な老人の姿の守護神だった。

 浅黒くなった肌にぼろぼろの腰布だけのみすぼらしい姿ながら、頭の上には黄金の冠が載って主に不相応な輝きを放つ。

 古の時代を知る魔王は、あの老人の顔に見覚えがあったらしい。

 声を低めて呟いた。


「……やはり堕ちていたか、冥界神」


「な、何だよ」


 不審がる勇者の視線を、しかし魔王は背中で断ち切った。

 たった今竜王が、幼い少年に尻尾を掴まれて巨体を丸ごと振り回されている所だった。

 すでに国境砦は木端微塵に崩れ去っており、その向こうには王国軍がまだ小さく見える。

 じきに竜たちは突破され、彼は人間を追うだろう。

 もう脱線している暇はない。


「行くぞ……勇者を止められるのは勇者だけだ。やはりこれ以上あの爺に生贄をくれてやるわけにはいかん」


 惑う弟勇者を引き連れ、魔王は再び小さな鬼神に挑みかかった。


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