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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~  作者: 霰
第Ⅰ章 魔界の黒騎士
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5話


 少女が拾われてから、何事もなくおよそ半月が経った。

 少年は相変わらず砦を眺めているし、少女も相変わらずその隣に座って延々と質問をしている。

 目当ての勇者は未だに現れていない。

 少女がここに来てからというもの、国境砦の正門は固く閉ざされたまま一度も開かれることはなかった。

 勿論、人など出てこない。

 少女は変わり映えのしない砦より、集落を見ている方が楽しかったので彼との時間は少し退屈だった。

 一方の少年は日々熱心に砦を睨み、探し人の姿を待っている。

 その場を動きはしないが、何故か落ち着かない。

 日に日に少年はそわそわと腰を浮かしかけるようになり、立ったり飛び上がって木に登ったりとどこか焦った様子だった。

 結局その日も少年は延々砦を見つめて、今はもう日が傾きかけている。

 そうも熱心に人を待つとは果たしてどんなわけがあるのだろうか。

 もう顔を覗き込んでも怒られないので、少女は遠慮なく聞いてみた。


――イクトは勇者様を探しているんですよね? 


「……うん」


――待っていたら、来るの?


「……探しに行きたいところだけど、君を連れては行きにくい」


 彼女が加わった今、あまり危険な長旅はできない。

 突然の襲撃者『黒騎士』により王国は王を喪った。

 それからすぐ先王の娘が女王に立ったが、だからといってすぐ国内の混乱が収まるわけではない。

 特に黒騎士の悪名は国中に広まっているだろうし、そんな中でこの少年が呑気に人探しなどできようはずもないだろう。

 事が事なのでほとぼりが冷めるのには相当な時間がかかるだろうが、少年の焦った様子を見るに時間的な余裕も無いらしい。


――何か、危ないんですか?


 焦燥の理由を訊ねてみても、この少年はそう簡単に話してくれない。まして出会って間もない少女相手では肝心な事は話しにくいのだろう。

 ただ、同行が前提となってしまった以上何も事情を知らないのはまずい。

 だからせめて急ぐ理由だけでも伝える必要があった。


「もたもたしていると……勇者は消される」


「……?」


 暗喩はわからないらしい。少女はきょろりと首を傾げたが、


「殺されるってことだ」


「!」


 直接そう言われると流石に顔色が変わった。

 それは確かに穏やかではない。

 しかし、勇者とは人間の危機に現れる守護者だと言われていた。

 少なくとも人間たちの間では、広くそういった認識になっていた。

 王国に危機が迫る時、人々の救済のために現れる伝説の英雄。

 かつて魔界との戦では先陣を切って数代前の魔王を討ち、王国に平穏を取り戻したと。

 民が病害に苦しむときには不思議な力で病を癒したと。

 日照りで作物が不作になり、飢えが国を覆った時には雨雲を呼んだ……等々、その英雄譚は数知れず各地に残っている。

 それらは御伽噺として誰もが知る物語だが、この世界ではただの伝承の域に留まらず、その存在と力を疑う者はいない。


「王国が勇者の出現を公に宣言したのは去年……首都が勇者を抱えている事を知ったら、内乱の機運がいくらか収まった。一瞬だけど」


「……?」


 王国は定期的に勇者の存在を公開し、方々に知らせている。

 勇者は広く人間全体を救ってくれる存在と信じられていたし、そんな人物を抱える勢力と戦いたがる者はいないだろう。

 それは勇者の伝説に肖りたい程の敵が王国の中にいるという事だが。


――内乱って……王国は魔界と敵対してるんですよね? そんな余裕があるんですか?


「……君、意外と良い質問をするね」


――意外は余計ですぅ!


 今度は筆談でなく表情で不満を訴えたが哀れ、鈍い少年には無視を決め込まれてしまう。


「王国が完全に統一されたのはほんの十数年前……それまでは、人間の国同士が覇権を巡って争っていた。それは知っているね?」


 少女は小さく頷いた。

 こちらは童話とはまた別の一般常識だった。

 古来より人間たちは魔族と争いながらも、群雄割拠の戦いの時代を過ごしていた。

 人間は知恵に優れ、高度な文明や複雑な社会構造を持つが、そのため一度他の派閥や勢力と対面すると互いの常識がすり合わず大抵は争いを起こす。

 自分たちの決まりの方が理に適っている、あるいは相手の間違いを指摘する。

 きっかけは様々だが、人間たちは古よりそうして争い、今日までその性格は変わっていない。

 そうした戦いの最中に度々魔族が介入し次第に王国と魔界は不仲となっていったという。

 それが何故かまでは誰も知らなかったが。


「今は人間同士の争いにもひとまず決着が着いて、人間の国は『王国』と言う名前で纏まった。でも、まだ自分の勢力の敗戦を受け入れられない連中も、今の王朝をよく思っていない奴も沢山いる」


 戦力を残しながらも周辺諸国が併合され、囲まれた格好で否応なく降伏せざるを得なかった国。

 自国の内政の事情から現王朝へ降る以外に無かった国。

 事情は様々あるだろうが、いずれも武力をちらつかされて、或いは実際に行使されての事には違いない。

 何でも力づくで事を進めれば後々に遺恨ができるものだ。

 一つ二つの小さな勢力なら特に恐れることもないだろうが、戦乱に消えた国の数は百を下らない。

 そしてそれらはほぼ全てが、間違いなく現王朝に不満を持っているのだ。


「そういうのが国内で結託して、自分の国を取り戻そうと揃って王様の首を狙っていた。だから気を逸らすために求心力として勇者を起てるし、不満のはけ口にするために自分から敵を作るような真似もする……で、その敵に選ばれたのが」


「ワシら魔界、と言うわけじゃ」


 割り込んできた銀狼は、相棒の隣で溜息を吐いた。

 呆れた様子ではあるが、憎々しげな気配は無い。

 そもそも人間である少年少女の隣で大人しく座っている時点で敵意など感じようも無いのだ。


「……この通り、魔族は王国と喧嘩する気はない。でも、勇者を起てるだけじゃ王国内の反発は収まらなかった。だから、今度は魔界と戦争を始める算段を始める。魔族を倒したら、魔界の領地をやる……みたいな触れ込みでね。今更そんな餌に引っかかる奴はいないけど、勇者が先陣を切れば話も違ってくる」


 宗教的な理由で人間全体に求心力を持つ勇者が戦いに赴くとなれば、王国に不満を持つ者も無視できないという事だ。

 そうなれば王国へ反旗を翻すための兵力を魔界に向けろ、と命令できる。


「………」


 少女は顔を蒼くして恐れたが、結局そういう理屈だった。

 例えそれで勇者が死んだとしても、勇者の仇討ちの名目で王国は魔界と戦い続ける事ができるし、やはり敵意を魔界側に逸らすことができる。

 ついでに反乱分子が魔族と共倒れしてくれれば万々歳。獅子身中の虫は目下の天敵と一緒に都合よく消滅し、現王朝は障害もなく安泰となる。

 少女にとっても確かによくわかる話だが、一つの疑問が生じた。

 否、疑問と言うより違和感だ。それもかなり単純な。

 彼の話には筋が通っている気がしたが、それは理屈の話であってどこまで現実と結びつくかは別問題だ。

 理屈は行動を伴わなければ現実に姿を現さない。少女の感情が語られた理屈に異を唱えている。

 少女が思う魔族の姿は、自分に親切にしてくれた陽気な人々のものですっかり固定されていた。


――皆さんが……勇者様を殺すの?


 信じられない、と言った顔だった。

 あの優しげな住民たちが、勇者だからと人を殺す姿はどうにも想像できない。

 少なくとも魔族たちに人間への憎悪や敵意は見つけられなかった。

 彼の話は、勇者が魔族と戦ってくれる前提のものだ。

 彼の英雄が先陣を切って戦ってくれなければ当然後続が続かないし、そもそもあの温和な獣たちが勇者に応戦するだろうか。

 或いは勇者であるというだけで獣たちは掌を返し勇者に牙を剥いて襲い掛かるのか、とも思ったが、


「殺さない。魔族は誰も勇者を殺さない。見ればわかるだろう」


 少年はあっさりとその可能性を否定した。


「魔族は腹芸を好まない。君にも友好的だったんだから、皆最初から人間と敵対するつもりも無い。それでも王国は、何とか魔界と敵対していたいんだ」


 自分の受けた印象と、彼らの人格が相違無いことを知って少女は胸を撫で下ろした。

 ただ、だとするならば勇者が魔界を訪れるのを待っていれば良いのではないだろうかとも思った。

 何も入口で見張っている必要はないし、探しに行こうとすることもない。

 魔族が勇者に危害を加えないのなら、歓待して事情を打ち明けてやれば済む話である。


「向こうだって魔族に戦意がないのはわかってるさ」


 が、理由も無く焦るような少年ではない。それについてはすぐに理由を話してくれた。


「王国は勇者に生きて帰ってほしくないんだ。魔族はこの通り友好的だから、勇者が一戦も交えず帰ってきたりしたら魔界との敵対関係が終わってしまう。どこか適当な所で暗殺でもする気だろう。君がやられたのと似たような感じでね」


「……!」


 要するに政治的な生贄である。少女はこれでやっと合点がいった。

 つまりは勇者が旅立つ前に見つけ出し、説き伏せて保護したいということだ。

 必ず旅立つ前でなければならない。仮に勇者が存命でも、魔界に入った後に姿を消せば魔族の仕業と騒ぎ立てるだろうし、そうなれば結局王国側の思う壺なのだ。

 何より、少年には勇者がすぐにでも旅立つ確信があった。


「お主は派手に暴れたからのう」


 国王の暗殺。

 国に直接襲来した脅威、黒騎士。

 首魁を喪い、混乱した国を収めるために勇者が差し向けられる事は想像に難くない。

 しかし、


「フェンリル」


「ぬ?」


 誰でも知っているはずのこの事件。

 だが少女は、狼の言葉に首を傾げていた。

 当事者の少年が非難の視線を送ってきた所で、狼は初めて気づいたのだ。

 一瞬ぎょろりと目を見開いて、相棒の少年に耳打ちした。


「……お主、自分のしたことを話しておらんのか? というよりこの娘、自国の王の崩御をなぜ知らんのじゃ」


「僕だって魔王に報告した時、話が見えていないようだったから驚いたよ。だからずっとどこから来たのか気にしていたんだ……それこそ主犯の僕が自分で話すのも何だし」


 色々と謎の多い少女だった。

 どこから来たのかも、なぜ追われていたのかも、事情も分からない。

 また、王国は一般人の教養はそこまで高くない。

 着ている服が上等なものだったので、もしやと思って筆記用具を渡したのだが、この少女はそこまで驚いた様子もなく礼を言い、普通に文字を書いている。

 王国において一般人は、商売などをしていない限り文字など書けない。貴族でも娘はそれほど勉学を修めず花嫁修業に勤しむものだ。

 貴族の花嫁修業と言えば社交術やダンス。普通に暮らす分には必要のないものばかりだし、家事を巧みにこなす少女には似つかわしくない。

 それでも、やんごとなき身分であることだけは間違いないだろうとは思っていた。

 服装にしろ、雰囲気にしろ明らかに一般人が持てるものではない。

 特に目立つのは右手人差し指にはまった、紫の宝石の指輪。

 宝石にも指輪自体にも目立った細工はないが、白い輝きは銀ではなく白金のものだ。素人目にも相当な高級品だとわかる。

 その実、そんなものを身に着けられる身分の娘が王の死を知らないというのは嫌に不自然な話である。

 少年と狼とで彼女の身の上について勘ぐりあっていると、


「……何?」


 退屈になったのか少女が手を挙げ、質問を再開した。


――そんな状態なのに、魔界は王国に何もしないんですか? 怒ったりは、しないの?


 確かに、そうなると魔界は長年にわたって王国から良いように利用されている事になる。

 あの魔王は器が大きいだろうが、しつこく他国にちょっかいを出されて黙っているほど甘くもないだろう。何らかの報復措置に出る事くらいは容易に想像がつく。

 人間の常識に当てはめるなら、だが。


「あぁ……それなんだけど」


 少年が口を開きかけたその時、狼の耳がピクリと動いた。


「イクト」


「うん?」


「説明の手間が省けたようじゃ」


「……全然有り難くないね」


 ぼやいた次の瞬間、突如大地が震撼した。

 視界が大きくぶれるような大地震である。

 魔界暮らしの二人は慣れているのか微動だにしないが、少女は座っている事さえできず地面にうずくまった。

 幸い揺れはすぐに収まったのだが、


「……!?」


 今度は空気の悪さが癇に障る。

 急に視界に靄がかかったようで気味が悪い。

 否、本当に靄がかかっている。

 森の入り口には急に白い霧のようなものが浮き始めた。夕暮れ時で薄暗くなってきた中、傾いた日光を霧が遮ってたちまち周囲が暗くなる。

 薄暗くなった中に薄らと輝く白い空気は、冷静に見ると幻のように美しいが、冷たい檻に囚われたような嫌な寒気が過ぎり、どちらかと言うと気味の悪さが目立つ。

 突如現れた謎の空気に混じり、森の中からは住民の騒ぐ声が聞こえ始めている。

 集落の方でも混乱が起こっているようだった。


「狼王様! イクトさん!」


 猫の姿の魔族が、慌てた様子で駆け込んできた。

 後ろの集落では、獣たちが忙しなく走り回っている。

 時折覗く武器の煌めきにただならぬ雰囲気を感じた少女は、不安を満面に庇護者の少年を見た。

 事態の説明を求めての事だが、


「……魔族がどうして王国と争わないのか、だった? 理由はね」


 少年の答えは先の質問と同時だった。


「『魔神』が出るから、だ」



世界観紹介……『魔界』


大陸北西部一帯に位置する魔族たちが暮らす領域。

広大で起伏に富んだ大自然が広がる秘境。

丁度中心に魔王の城があり、そこから東側の王国との境目には入口ともいえる大樹海が広がり、その中にイクトと獣族が住んでいる。

魔族たちが暮らす簡易な家以外には道などの構築物もなく、ほとんど手つかずの大自然の世界。


しかし随所には異様に大きな爪痕や不自然な傷、木々が吹き飛んだ痕など不可解な場所も多く、魔族以外の大いなる存在の影が見え隠れする。


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