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6話


 黒騎士が戦場に向かっているとの報せは、すぐに人間の少女王にも届けられた。

 そしてそれは西方領主邸に身を潜めていた太后一派にも察知されていた。

 元々、太后の謀略によって始まった戦いである。彼女の手の者は多くが戦場にいるため、早耳も不自然は無い。

 勿論、それは囚われの姫君も同様だった。

 領主邸の一室に軟禁されていた少女は、黒騎士の接近と共に部屋から出され、同時に魔界と王国で戦が行われていたことを知ったのだ。

 それも自分を餌にである。当然心中穏やかではいられず、護送する騎士に向ける視線は自然と険しくなった。


「………」


「おやおや、姫君。そんなに眉間に皺を寄せていると、折角麗しいお顔が台無しですよ」


 見るからに怒っている少女を、男は遠慮なく煽った。

 言わんとすることがわかっていながらの態度である。温和な少女でも少なからず神経を逆撫でされるのだから、うっかりあの少年でも現れたら即座に血を見るだろう。

 最も、怒ると無茶を始めるのはこの少女も同じである。

 負担が大きいと念を押されたが、だからといって黙ってもいられない。

 少女は強く集中し、術の発動によって全身を白く発光させた。


――どうしてこんなことをするんですか。目的は何なの。


「……ほう、接触しなくとも術を使えるようになりましたか。流石に王の血筋は成長が早いですね」


 少女の両脇は兵士が固めており、騎士の男は先導だ。近づこうとすれば止められてしまうが、声は目当ての男に届いた。

 とはいえやはり負担が大きいらしい。少女は短い質問を伝えただけで膝が崩れ、自分で立って歩けなくなった。

 少女にとってはこの質問こそ決死の大技だったが、聞かれた方は答える義理などない。

 だがこの騎士は策士であると同時に、他人の苦痛を見て喜ぶ陰湿な享楽主義者でもあった。

 何もできない少女が足掻く姿を楽しむため、男はあえて質問に答えたのだ。


「別に開戦の理由など、我々にはどうでもいいのですよ。『審判者』の前に斬られるべき者がいることが肝心なのです。『審判』は人間が斬られなければ発動しませんからね」


「……?」


 『審判』は『審判者』が罪ある種族を告発した時に起きる。

 少女は本人からそう聞いていたが、具体的に告発がどういうことなのかは知らなかった。

 あの少年は、今に至るまで自分がどうするかを決めかねている様子だった。

 元々彼は自分が何者か知った時から、家族と使命との間で進退窮まっていたのだ。

 だからこそ告発の条件などは考えないようにしていたのだろうが、この男はそんな心境など考えもしない。


「告発……『審判』の発動条件は、人間が彼に斬られること。貴女も知っての通り、他にも制約がありますがね。だからこれからタガを外すのですよ」


 薄く笑った顔で振り返りながら続けた。


「二つの絆を同時に破るのは、そう難しい事ではない」




 騎士ダインが黒騎士の姫君を護送する間、その主人は一足先に国境砦に現れていた。


「お母様!? いったいいつの間に」


 時は、今まさに魔界から勇者が連れられ、王国に返還されようとの場面だった。

 翼人族領に預けられていた勇者ルカは、彼らの翼を借りて国境に舞い戻り、魔界、王国両軍の間に引き出された。


「み、見ろ! 勇者様だ」


「ルカが帰ってきた!」


 純粋に信仰の対象として見る者も、個人として知っている者も、人間たちは誰もが彼の健在を喜んだ。

 特に親しい少女王や老将軍はそんな思いも一塩だっただろうが、彼らは将として感情を御していた。

 だからこそ、あの快活な少年の微妙な変化に気づくことができたのだ。


「……ルカ?」


 翼を背負った魔族に連れられ、近づいてくるのは間違いなく王国の勇者ルカだった。

 だが、どういうわけか瞳が暗い。

 いつも明るく活発な光を放っていた瞳には、遠目からも生気が感じられなくなっていた。

 軍の中には中央領から来た者もいるし、彼らは勇者と会う機会も多い。

 とりわけ親しかった者たちの中には、近づいてくる勇者の様子に違和感を感じる者が少なくなかった。

 そんな時に、国境砦の正門が開き、その中から今回の騒動の現況が顔を出したのだ。

 両脇を黒ずくめの暗部に固められ、戦場に似つかわしくないドレス姿。

 汚れないように両脇からスカートを持たれた格好は場違いそのものだったが、それでも王国の人間がその姿を見紛うはずもなかった。


「太后様?」


「太后様だ」


「なぜここに」


 何も知らない王国軍の兵士たちは、戦場と無縁の太后が突然こんな場に現れたことに驚き、ざわつきながらも道を空けた。

 逆に訳知りの魔族たちは、闖入者が何者か分かった瞬間に怒りを露わにした。

 鎮まったはずの獣たちが牙を鳴らし、鳥人間たちが身体を膨らませ、散々人間たちに恐怖を振りまいた巨大虫たちはおぞましい鳴き声を上げ始める。

 黒騎士の姫君をかどわかした憎き太后。

 守護神を消し去り、魔界に負荷をかけ、あの少年を同族の贖罪に走らせた『黒幕』の手先。

 魔界に生きる者たちは須く彼の存在を憎んでおり、その手先など直接目にすれば殺気立つのも当然だった。

 現に勇者の護送をしていた鷹男が人間の陣営に襲い掛かろうとしたが、


「……朱雀王!」


「同胞よ、落ち着け!」


 それは魔王と朱雀王が割って入って止めた。

 太后を捕らえるのは魔王たちも望むところだったが、今やるわけにはいかない。ここで襲えば折角の停戦が台無しである。

 だからこそ捜索と捕縛は停戦後に、と思っていたのだが、


――先手を打たれたか。


 魔界側が勇者の代償に王国へ求めたのは姫君の返還と太后の捜索だった。

 しかしてそれはどちらも表向きの条件ではない。王国の兵士たちは第一王女が自国に囚われていることを知らないし、自分たちの君主の母親を渡そうとはしない。

 彼らは魔界が、自分たちは勇者を攫っていないとの証明のために返還に応じたと思っている。戦後賠償の相談はその後だと。

 だが、太后が手出しできないこの場に現れた事で捜索の必要はなくなってしまった。

 そのようにするためのしたたかな策なのだ。

 太后は陣営を抜けて魔族と勇者の間に立ちはだかると、品定めするように一行の顔を眺め始めた。

名乗りも挨拶もなしである。

 魔族は礼節をそれほど気にしないが、こうも空気のような扱いをされると流石に腹も立つらしい。

 自身の戦士を抑えながらも、朱雀王の声は自然と低くなった。


「……おい貴様、太后だな? こんな所にのこのこと出てきてどういうつもりだ」


「あら、獣のくせに喋れますのね。失礼しましたわ」


「貴様……!」


 凄む朱雀王とその配下を抑えながら、魔王は勇者の手を引き前に出た。


「初めましてだな、人間。我は獣には見えんと思うが名を名乗る程度の常識もないか、下郎」


 今度は太后の眉間に皺が寄った。高飛車だが自分が言い返されるのにはなれていないらしい。

 とはいえひとまずは冷静になったようで、薄い微笑みを作り直した。


「これは失礼しました。私は王国先王が妃、ディアナ。魔王様とお見受けしますが、そちらは?」


「その目は節穴か? 見ての通りそちらの勇者だぞ。我らがさらったなどと出鱈目を抜かしたのは貴様だな。どう落とし前を付けるつもりだ」


 迫力たっぷりの魔王に対し、太后は飄々とした態度を崩さない。

 相変わらず確かめるように勇者の顔を見つめ、やがてわざとらしく首を傾げて見せた。


「……ふむ、確かに顔は似ているようですが、どうにも怪しいですね」


 要するに偽物だと言いたいのだろう。終戦に難癖を付けたい、もとい黒騎士の到着を待たせたいのだ。

 以前、ルネットが勇者を王国に帰そうとした時も危惧されていたが、まさにその通りの反応だった。

 これには沈黙していた勇者も黙ってはいられない。流石に顔を上げて抗議した。


「お、おい小母さん。どういうことだよ。俺だよ、ルカだよ。偽物なんかじゃ」


「待て『守護の勇者』、この女では話にならん。こういう手合いはまともに取り合うだけ時間の無駄だ……人間の女王よ!」


 いきなりこんな所に現れて言いがかりをつけてくるような相手である。

 見るからに腹芸が苦手そうな勇者では話にならないだろう。

 ならば、と魔王は王国の陣中に声を飛ばし、少女王もすぐに反応した。

 魔王の呼びかけは、単に出てこいということだ。

 太后に代わって勇者の本人確認をせよという、わかりやすい要求だった。

 本来であればこんな乱暴な形で国家元首が出てくることはできないが、


「………」


 少女王は応じ、両軍の真ん中に出てきて太后の隣に立った。

 そして母親を一瞥したのち、勇者と久しぶりの対面を果たしたのだ。


「ルカ、無事でよかったわ」


「リズ……」


 勇者は女王を、黒騎士の姫君と同じ名前で呼んだ。

 魔王はこれが少女王との初対面である。

 同じ名を持つ姉妹王女。

 しかしあの少女と目の前の女王とでは、随分と雰囲気が違う。

 少女王は明らかに母親似で、気品ある佇まいは育ちの良さを感じさせる。純朴だった黒騎士の姫君とは似ても似つかない。

 何かの因果を感じずにいられないが、今重要なのは別の事だ。


「で、どうだ人間の女王よ。この小僧はそちらの勇者に相違ない筈だが、どうか」


 事実上はどうかわからないが、それでも女王は女王だ。その肩書は間違いなく国の最高位である。

 彼女が勇者を本物であると認めれば、その決定に異を唱えられる者は王国には存在しない。

察した女王はすぐに答えた。


「確かに。彼は私たちの勇者、ルカです。偽物などではありませんわ」


「では、これで停戦は成ったわけだな。あとのことは手筈通りに頼むぞ」


 こうして最終決定権を持つ者同士で手早く手打ちにしてしまえば余人は口出しができない。

 魔王は太后に極力喋らせないよう努めた。

 仮にも両勢力の頭同士の対談なのだ。二番手ごときが口を挟むのは許さない、との態度だった。

 だが、そこで水を差したのは二番手どころか一兵卒だったのだ。

 再び王国の陣営がざわつき、魔王と少女王は咄嗟にそちらを見た。


「……やはりあやつ、生きていたか」


「お姉様……!」


 開け放しだった砦の正門から出てきたのは死んだ筈の太后の騎士と、その手に連れられた黒騎士の姫君。

 それが戦場に姿を現したことで、再び両陣営に混乱が起こった。

 王国の兵士たちは死んだ筈のダインの登場に驚き、魔族の戦士たちは取り戻すべき姫君を見て冷静を失い、飛び出していこうとしたのだ。


「皆、鎮まりなさい!」


「止まれ、同胞たちよ!」


 魔王と少女王がはそれぞれ自陣を鎮めることを余儀なくされ、それによって二人に隙ができると同時に場が静まり返ってしまった。

 水を打ったようになる国境。

 大声を出せば両軍隅々までその声が響く状況。


「勇者よ、聞け!」


 そこに、普段の陰気さを露とも感じさせないダインの叫びが響き渡った。

 呼びかけられた当人以外も、誰もが一人の男と少女に視線を集中させる。

 男は移動していたが、それでも立っているのは王国の陣を少し出たくらいだ。

 だから、魔族たちは背後の森から迫る影に気づけずにいた。

 樹海の上空に、無数の黒い影が見えた。

 遠目には鳥のようにも見えるが、どこをどう見ても大きすぎる。

 魔族たちには見えておらず、人間には何なのかわからない。

 かつての世界を知り、魔族の知識を持つ『黒幕』の関係者以外には。


――来た。


 あれは竜の群れ。竜族の戦士たちだ。

 つまりあれの先頭には、姫君を取り戻しに来た魔界の黒騎士がいる。

 姫君と、勇者、そして黒騎士。

 『審判者』と、そのタガとなる二つの絆を持つ者たち。

 今この地に、すべての役者が揃おうとしている

「勇者よ。あなたが真に本物の勇者ならば、その証に」


 太后とその側近は不気味に笑い、そして王国の勇者に告げた。


「この娘……黒騎士の姫君を、殺してみせなさい」


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