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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~  作者: 霰
第Ⅵ章 温かな冬
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8話


 竜族領に、突如として太后の騎士ダインが出現した。

 何故来たのか、どうやって現れたのか、口では問いかけを発しながら、しかし少年はすでに剣を振るっていた。

 魔法の蒼い光を宿した剣の軌跡は、三日月形の氷の刃となって飛び長身の騎士に襲い掛かる。

 見てくれ通りに『蒼月』と名付けられた少年の技だ。

 魔法を用いた技術であるが、ただ氷を生み出すのではなく武器を媒介に術を放つこの技を、魔界では俗に『魔法剣』と呼ぶ。

 魔王も得意とするこれは、ただ魔法を発射するだけより遥かに威力が高く強力な技だ。

 最も、相手はこんな所にのうのうと出てこられるような男である。無論当たりはしない。

 男は自ら高い岩壁から飛び降りて攻撃を躱し、攻撃を受けて崩落する岩の中でも怪我をすることなく着地して見せた。

 少年が少女を、男が壁を背負った格好で広く間合いを取って向かい合い、さらにその外周を戦いの気配を感じた竜たちが取り囲む。

 苛立たしげにがちがちと牙を鳴らす音が四方から響き、睨みつける視線は全て人間の男に向かっていた。

 魔界最強の竜族と、恐怖の黒騎士。

 その群れの只中に、神気も魔法も扱えない人間一人が入り込んできた。

 待ち受ける運命はただ一つ、無残な殴殺だけだ。

 勝ち誇っているわけではないが、少年は威圧的な態度で男に剣を突き付けた。


「繰り返す。貴様どうやってここに来た。国境は今魔王が固めているはずだ。そこはフェンリル……狼王の所領だし、朱雀王も一緒にいると聞いた。竜族領の手前は蜘蛛王もいる。なのに何故ここに来れたんだ。答えろ」


「死んだからですよ」


 それはつまり、魔王たちが敗れたということか。

 この言葉に少女は口元を抑え、竜たちは怒りに身を震わせた。

 魔界最強の戦士たちは、怒りに任せ今にも男に襲い掛からんという様子だったが、


「!」


 直後、全員が凍り付いた。

 彼らは種族としては魔界最強だが、個人の力でそれを遥かに凌ぐ存在もある。

 いかに竜が強くとも戦士一人では各種族の王たちには劣るし、この場にはそんな王たちにすら比肩する人物がいたのだ。

 彼らの勇者、魔界の黒騎士。

 彼の前では竜の怒りなど子供の癇癪に等しい他愛の無さ。

 勇者の力と、幾度も魔神と戦って積み上げた研鑽の力は大陸全土を見ても随一。

 神の加護も自然の加護も無い、ただの人間が及びつく相手ではないのだ。


「!」


 誰もが沈黙する中、男の足元がビキ、と音を立てて凍り付いた。

 竦んだのではない。物理的に凍ったのだ。

 冷気を操る黒騎士の魔法は、王国では使えないものだった。

 姑息な騎士の逃げ足を封じるため、派手な斬撃で気を惹き意表を突いたのだ。

 そうして地面に張り付けられた直後、再び氷の三日月が二連続で飛び、男の両肩に襲い掛かる。

 しぶとい男は剣を放ち、それをも弾いたが、


「嘘だな」


 次の瞬間、雷光のような素早さで少年が男に肉薄していた。

 踏み込みの動作も全く見えず、本当に瞬きの速さ。しかも男は剣を振り切ったばかりで隙だらけだ。

 直後の斬撃で、男の右腕は肩口から切り離され、剣ごとぼとりと地面に落ちた。

 獲物を失えばもう男に為す術はない。

 反撃の牙をもがれた騎士を、少年は強烈な蹴りで吹き飛ばし、氷ごと具足を引っぺがして岩盤に叩きのめした。


「この程度で魔王の相手が務まるか。王たちが一人でも神化すれば踏まれて終わりだ。神気を纏った戦士たちに囲まれて生き残れるか。勇み足だな、愚かな人間め」


「く、く……嘘では、ありません。死にましたよ、確かにね……」


「この期に及んでまだ妄言を吐くか。貴様如きに誰が殺されるものか」


 少年は岩にめり込んだ男の胸倉を掴み、力づくで引っぺがした。

 男は切り落とされた肩口から血を吹き出し、失血で顔は土気色、唇は紫になっている。

 被弾はたったの二発だが、一度は黒騎士の技を防いだこの騎士すらあっという間に死に体だ。

 王国で使えなかった魔法に、身体能力を強める神気の加護を受けた勇者の力は普通の生き物が相手にできるものではない。

 前回の戦いは少年側に大きな枷があったからただの人間でもつけ入る隙があったのだ。その状態でも両者には大きな実力差があった。

 黒騎士の力が最大限発揮されるこの地に来た時点で、この男に勝ち目は露ほども残っていない。


 にも拘らず、今わの際の顔は不気味に笑っている。

 金の瞳が面白そうに黒騎士の少年を見ている。

 言葉が無くとも他者の感情を逆なでするような視線に、少年は苛立ちを隠せなかった。

 自分より長身の男を片手で軽く持ち上げ、逞しい首を華奢な手で締め上げながら凄む。


「……言ったはずだな、次に会ったら必ず殺すと。だがその前に聞いておくことがある」


「ぐ、ふっ……私があなたに何か答えるとお思いで? 黒騎士殿……私は言うべきことはすべて言いましたよ。『死んだ』とね」


 既に致命傷は与えた。

 それでこうも口から挑発の言葉が出てくるのは、不快を通り越して不自然だ。

 微かに嫌な予感を覚えた少年は、剛力で男の首を苛みつつ問うた。


「……じゃあ誰が死んだというんだ。これから貴様を叩き斬ってその人の仇を取る。言ってみろ」


 叩き斬る、と言っておきながら今にも首を握り潰しそうだ。

 年齢相応の小さな手では、騎士の鍛えられた太い首を掴むには足りない。

 なのに規格外の力で空中に敵を縛り付けている。搾り上げられた男の喉笛はねじ切れそうになっていた。

 慣れている少女も、竜たちすら微かに怖気づく中、


「えぇ、死にましたよ……私がね」


 蒼白な男の顔はなおも不敵な笑みを浮かべていた。



 竜族領で戦いが始まる少し前の事。

 魔界と王国の境、獣族領では魔王の予見通りに王国からの来客があった。

 ただ、思ったより遅いというのが魔族たちの反応だ。

 黒騎士たちが竜族領へ旅立って随分経つ。

 竜たちが住む北の果てに比べれば、ここは随分南の領地で温暖な気候である。

 時と共に日が長くなり、雪も次第に緩くなってきた頃だ。


 最も、人間の旅程としては不自然は無い。

 あの少年は魔法で冷気を操り、自前で馬そりを作って旅をした。さらには冬の寒さも個人の特性として受け付けないが、そういった特殊能力を普通の人間は持ち合わせていない。

 一行は三人。そのうち一人は見知った顔だが、やはり疲れた顔をしていた。


「………」


 魔王が自らの駒とした刺客の娘ルネットは、一瞬悪魔と目を合わせただけで特に挨拶もしない。

 魔王は元々細かいことに頓着しない。そうでなくとも理由はわかる。

 彼女が気にしているのは今後ろにいる者の目だ。

 あの騎士がいる間、ルネットは魔王と関係がある態度を取れない。


――あれがダインか。


 今わかっている中で、『黒幕』に最も近い太后の腹心。

 初対面だが、魔王は少女に与えた腕輪の力でその顔を知っている。

 彼らは元凶である以上、世界の事情も知っているはずだ。

 それがどういうわけか自ら魔界に乗り込み、こともあろうに事態解決の主要人物をわざわざ連れてきてくれた。

 例の少年が長らく探し求め、しかしすれ違いの連続から今に至るまで再会が叶っていない、ただ一人の家族。

 己の抱える黒騎士より先に、魔王は王国の勇者と対面を果たしたのだ。


「さて、まずはよくぞ来た。歓迎しよう、王国の勇者よ」


「……お前が、魔王」


 一行の先頭に立つ少年を、魔王は威厳に満ちた声で迎えた。

 対して勇者は、悪魔の姿に敵意と警戒を隠そうともしない。

 王国において魔王とは、『魔物』こと魔族とは、伝承に語られる人間の敵だ。

 勇者の剣から真実の知識を得ても、弟勇者は長年王国の常識の中で平和に暮らしてきた。敗戦国の後継として王国を追われ、人間と袂を分かった兄とは違う。

 刷り込まれた価値観と、それから彼個人の事情が、未だ魔界との融和を拒んでいたのだ。


「あんたは知ってるんだな? 兄貴がどこにいるのか」


「いかにも」


 返事を聞くなり勇者は瞳を輝かせ、自分より遥か長身の悪魔に掴みかかった。


「教えろっ!」


「断る」


「なんでだっ」


 魔王は笑うだけで答えはしない。詳しく語ることもない。

 この勇者は知る由もない事だが、彼の主人役である女王は兄弟の再会を望んでいない。

 『守護者』たるこの少年が兄が受けた仕打ちを知れば人間への不信が募り、本来の力を発揮できなくなる。それは魔界としても避けたいところだ。


「……貴様は兄の生存を確かめに来たのだろう? なら、生きていると知ればそれで十分ではないか。それで貴様の用件は済む。今度は我らの用に応えてもらうぞ」


「会わせろよっ」


 狼王を始め、今度は獣たちも笑った。朱雀王も目を細めて弟勇者を見ている。

 彼らの勇者と反応が似ているのだ。

 何度も彼ら魔族を救ってくれたあの少年も、家族が絡むと様子が変わった。

 世界や魔界のための目的もあったが、彼が過去王国に出向いたのはすべて弟に会いたかったからだ。

 この勇者も、兄が生きていると聞いて居てもたってもいられなかったのだろう。

 ただ、魔界の黒騎士は人を信じる純真さを失ってしまった。立場が逆なら、きっと後ろの騎士の甘言には乗らず魔界に赴くこともなかっただろう。

 そういった差こそあれ、黒騎士と付き合いのある者たちは、目の前にいる少年が紛れもなく自分たちの英雄の弟だと確認できたのだ。


 彼らからすれば再会を叶えてやりたいのが正直なところである。

 魔界の黒騎士の事情を誰より近くで見てきたのは、人間ではなく魔族たちだ。あの少年の気持ちはよくわかっている。

 しかしそれは倒すべき敵を討ち取ってからだ。


「者ども、勇者は避けるのじゃぞ」


「応」


 狼王の号令で獣戦士たちは勇者を素通りし、三人の王と共に騎士の男を取り囲んだ。

 傍にいたルネットも一緒に包囲を受けたが、ここで魔王は初めて彼女に声を掛けた。


「……ご苦労だった、娘。貴様は勇者の傍に」


「はい」


「な、なんだ。どういうことだルネット姉ちゃん」


 やり取りの後包囲の一部が緩み、ルネットは円陣に開いた穴から勇者の傍に歩み寄った。

 かくして包囲の中に残ったのは長身の騎士がただ一人。

 魔王は犬歯を見せて笑いながら、勇者とは随分様子の違う歓迎の言葉をかけた。


「さて、そちらもよくぞのこのこと現れてくれたな、『黒幕』の手の者よ。我らが黒騎士と、その姫君が随分と世話になった。何のつもりか聞いた後、存分に礼をしてやろう」


「何のことかは存じませんが、こちらもお目に掛かれて光栄です。偉大なりし魔界の王たちよ」


 礼を弁えているように見えて、その実は相変わらず挑発的な口調だ。

 魔族はそもそも細かい礼節など気にもしない。それ故言葉の裏に潜む毒だけが真っ直ぐに見えてしまうのだ。上っ面だけの社交辞令は彼らにはただ反感を買うのみである。

 苛立つ彼らとは逆に、勇者には事態が全く分からない。

 馴染みの侍女がどういうわけか魔王と親しげに話し、出会って間もない騎士が魔族に取り囲まれている。

 一応彼は人間の守護者を自負している。事情は分からないが魔族に取り囲まれる人間を見れば静観はできない。

 割って入ろうとしたが、魔王がルネットに目配せをし、止めさせた。


「……勇者様、お待ちを」


「姉ちゃん、なんで」


「後でお話ししますから。心配せずとも、皆さんはいたずらに命を奪ったりはしませんよ」


 魔王は話を聞くつもりだろうし、魔族は無益な殺生を好まない。

 男が抵抗をしない限り、彼らの武器は威嚇以上の力を振るわないだろう。

 一人だけ例外もいたが。


「すまんな、ルネット嬢。獣の衆はともかく、俺は穏便に済むかわからんぞ。一人分借りがあるのでな」


 騎士を睨みながら、朱雀王が剣呑な声を上げた。

 彼は自分の民が一人消えているのだ。

 仲間想いな魔族は、その実身内を害されれば激しく怒る。

 朱雀王アスカ=カトルは若い王だ。感情の振れ幅も大きい。

 返答次第では冷静を保てる自信が無かった。

 したたかな騎士は、そんな様子を見逃さなかったようで、


「あぁ、あの梟の老いぼれですか。いけませんねぇ、人間相手だからと油断して敵の本拠に乗り込んできては。女王はともかく我が主が魔族など見つけて放置するとでも……」


 あえて挑発を重ね、そして若き翼の王はあっさり食いついた。

 いつの間にか一人の獣戦士の手から槍が消えており、それを手にした朱雀王が騎士に襲い掛かっていたのだ。

 翼人族は空を飛ぶために魔族で最も軽く素早い種族だ。

 彼らの翼は空にある魔神『翼神』を討つためにあり、巨大な翼の羽ばたきとそれにより起こる暴風、そして攻撃の三つを躱すために何より早さが必要だった。

 こと移動速度においては彼らに敵う者はいない。

 一度戦う気を起こせばその動きはまさに風の速さである。

 石の穂先は一瞬にして男の首の寸前まで迫ったが、


「止まれ、朱雀王!」


「くっ……おのれ人間! やはり俺の民を殺したな!」


 反応した魔王の声により、朱雀王の一撃は寸止めに終わった。

 従順に従いながらも血気盛んな鳥男は、怒りの収まらぬ様子で叫び、人間の騎士は涼しい笑顔でそれを見ている。

 このまま喋らせても何も良いことが無いだろう。

 魔王は朱雀王の肩を抑えて騎士から引き剥がし、代わりに自らが剣を取って男の間合いに立った。


「許せよ客人、折角来てもらってなんだが我らは少々機嫌が悪いのだ。手短に用件だけ伝えてもらえぬか。用さえ聞けば後は何とでもなる」


「……では、お望みの通り手短に」


 朱雀王が控え魔王が出てくると、男は口八丁を止めた。

 単に相手が挑発の効く人物ではないと判断したのだ。怒りを煽ることはいくらでもできるのだろうが、それで冷静を失わないなら意味がない。


 ただ勿論、この男の用件が穏やかなものである筈がない。

 言葉にすれば魔族たちの逆鱗に触れるのは必定だった。


「魔界の王よ。我が主、先王妃ディアナ様の願いは、先王を弑逆せし大逆人黒騎士と、彼の騎士を操り邪神の復活を試みた第一王女リーゼリット、両者の身柄の引き渡し」


「そうか、却下だ」


 話の終わりを待たず、魔王の大剣が閃く。

 次の瞬間騎士の左膝が本来の可動域とは逆方向に挫け、長身が縦に一回転して、顔面から雪の積もった地面に打ち付けられた。


「お前っ!」


「勇者様、お鎮まりを……!」


 剣の側面で殴ったようで切断はされていなかったが、強烈な一撃に具足が砕け、男の脚は骨まで潰れている。

 勇者は魔王が人を殺さないと言われたばかりだ。

 にも拘らず目の前で人間が重傷を負わされ、当然の如く怒りの声を上げた。

 剣に手をかけ殺気を剥き出しにする勇者を、ルネットが必死に抑え込んでいる。

 そうして騒ぐ勇者とは対照的に、質問を返す魔王の口調は冷淡で静かなものだった。


「喚くな。その娘の言う通り命だけは取らん。命だけはな……で、交換条件はなんだったのだ」


「くく……く、相手を殴ってから言いますか」


「なに、最初から取引を受けるつもりがないでな、我は用を聞くだけだ。聞くだけなら後でも先でも変わらんだろう。交渉など考えず、貴様はただこちらの望むことを喋ればよい」


 無様に地に伏し、口から血を流しながらも、男は皮肉な笑みを絶やさない。

 魔王はその鼻面に剣を突き付けながら、こちらはひたすら真顔だった。

 彼が無表情なのは、周囲に己の怒りを伝播させないためだ。

 狼王が相当頑張って抑えているが、獣族はあの少年との繋がりが強い。

 こうしてある程度いたぶっておかないと、挑発に耐えかねた獣たちが折角の手掛かりを八つ裂きにしかねない。彼らの留飲を下げるためにも、王として非情に徹していたのだ。

 単に相手が気に入らないから、いたぶって憂さ晴らしをしただけでもあるが。


「別に話したくなければいいのだぞ。すぐに我が城に招待しよう。そこで干し肉でも齧りながらゆっくり聞こうではないか……貴様の血を茶代わりに啜ってやろう」


 例の少年に向かって、かつての魔王は暗に「同族には慈悲を持て」と言った。

 しかして敵に容赦がない所は魔王も黒騎士も変わらないのである。

 何も知らない勇者は勿論の事、手下にされた娘も獣の戦士たちも、良いように人間の騎士を弄ぶ魔王は本物の悪魔に見えたものだ。

 その頭の中で思案が渦巻いているとは知らずに。


――なるほど、そういう名目であの娘を狙うか。王女であることも隠さずに。イクトは完全についでだろうが。


 きちんと太后の名前を出し、正式な交渉の体で取引を持ち掛けてきた。

 対価が何であれ、条件を蹴ればただでは済まさないつもりだろう。

 そして魔界は絶対にあの二人を渡さない。最後まで聞く前に交渉は決裂している。

 だからわざわざ聞く必要性は無いのだが、取引である以上向こうも魔界に何か差し出す用意があったはずだ。

 受け取るかどうかはさておき、敵の手札を見ておきたい。それが魔王の心理だった。


「……えぇ、そちらの要人を寄越せというのです。こちらもそれなりの用意はありました。だからこうして来たのですが、受け取ってはいただけないようですね」


「別に。どうせ交渉にならんのだし、欲しいものなら力づくで奪い取る。で、その用意とは何だ」


 言葉は物騒だが魔王は理知的で、あの少女程ではないが好奇心も強い。

 疑問を持ち、知りたいと欲するのは他者から、モノから、情報を引き出すためには必要な力だ。


 だが、この時ばかりは後悔した。

 これ以上この場で、この騎士に喋らせるべきではなかったのだ。

 長く人間との関わりを絶ってきた魔族たちは、人間が知力のためにどれだけ冷徹になれるのか忘れていた。

 彼らはここで、人間が黒騎士の怒りを買った所以を思い出すことになった。


「我々の条件はそこの勇者ですよ」


「なに」


「……!」


 王たちもこれには表情が強張った。

 いつの間にか交渉材料にされていた本人の様子は語るまでもない。

 ルネットも呆然としてすぐに勇者の支えに回ることができなかった。


「勇者は女王と懇意ですがね……交渉しようと思えば他に渡せる人間がいないのですよ。いや親子仲が悪いのは困ったものです」


 動きが止まった勇者と魔界陣営に、騎士の男はさらに畳みかける。


「女王と勇者が組んで動くと、民の手前太后ですら好き勝手できませんからね。彼さえいなくなれば、城の中は我が主の思いのまま。そうなれば息の長い重鎮たちの機嫌もとれて我が主は王国を完全に掌握するでしょう」


「……貴様」


 ここまで洗いざらいに吐くのは、勇者に聞かせるためだろう。

 審判を起こすのが目的なら、弁護人たる守護の勇者は邪魔だ。

 彼が人間を弁護できなくなれば、守護者としての役目は遂行できなくなる。

 騎士が語ったのは、始末の悪い王宮内の権力争いの構図だ。

 いま語られた城内の内輪揉めのために、王国の民たちや魔族たちは犠牲になってきた。

 統治が行き届かず苦しむ民のため、勇者の力を振るってきた少年には、それがよく分かっていたのだ。


「……南方領の街道で崖崩れがあった時、リズはすぐに支援を出すって言った。でも来なくて……岩は全部俺がどかした」


「あぁ、南ですか……我が主がいた北や、先王ご出身の中央とは犬猿の仲ですね。まぁ、間違いなく諸侯の妨害でしょう」


「その北方で村が雪に埋まった時、俺は西方で魔物が出たって聞かされて退治に行ったぞ。でもそこに魔物……魔族なんていなくて、帰ったら村は」


「全滅でしたか。辺境伯たちは好きに税収をしてますからねぇ。女王の目に触れれば本来は処断でしょうが、彼らは我が主と繋がりが深いですから、まぁ中央から手出しはできず、気の毒ですがそのままでしょう」


「……お前、ら……!」


 王国の勇者は、自らが守るべき種族の醜態を聞いて怒りに震えていた。

 この様子では人間が告発されて審判が始まっても弁護できない。

 となると後は審判者さえ動けば、彼らの目的は果たされる。

 足を潰され地に伏しながら、男はにやりと笑った。


「……さて、私は秘密裏とはいえ、太后から魔界に送られた使者です。それが魔界で死亡したらどうなるでしょうね」


「……者ども、取り抑えろ!」


 男が懐から短刀を取り出した瞬間、狼王が吼え、魔王と獣戦士たちが倒れた男に殺到した。

 魔王も再び大剣を振るい、男が自らの喉を突く前に短刀を叩き落とした。


 空手となった騎士を獣たちが上から抑え込み、何とか自害を止めた、つもりだった。


「……! 狼王様、魔王様!」


「? ……!」


 取り押さえた獣戦士の一人が叫び、男の脇に手を入れ身体を持ち上げた。

 その様子はまるで糸の切れた人形のよう。

 全身が弛緩し、首も手足もだらりと垂れ下がっている。

 どう見ても死んでいる。

 短刀を止めたはずなのに、と誰もが思った時、歩み寄った狼王が何かを見つけた。


「小娘、これに見覚えはあるか」


 鼻先で示された地面には、雪に混じってとても小さな硝子の欠片が落ちている。

 硝子は火を使って加工するものだ。当然魔界にはない。

 それはたった今、男の口から零れたものだ。

 狼王の言う通り、ルネットにとっては見慣れたものであった。


「……刺客の毒薬です。かつては、私も」


 元は粒状の硝子球で、カプセルになった中には薬が入っているという。

 口の中で割って中身を飲めば、速やかに自害できる劇物だ。

 魔王は騎士の頭を掴み、顔を検めた。

 顔面蒼白で、口元は涎を垂らし薄ら笑ったまま。薄開きの目は光を失い瞳孔が開いている。


「……ちっ」


 当然、息は無い。

 こうして、黒幕に繋がる手掛かりの一人、太后の騎士ダインはあえなく死んだ。

 死体から得られる情報は無い。魔王は次の展開を考えなければならなかった。


 いや、その前に。


「………」


 魔族たちは一斉に勇者を見た。

 先は兄の生存を知り、再会への期待に瞳を輝かせていた。

 それが今、青い瞳には光が無い。

 同族に売られ、大人たちに失望した勇者の表情は、魔界の誰もが覚えのあるものだ。

 人間の守護者でありながら、審判者の兄と同じ道を辿った勇者の扱いを、彼らは考えねばならなかった。


「……王国に帰って、女王陛下にお報せしたいところですが」


「やめた方が良いだろうな。話を聞く限りこの男、王国でもそれなりに立場があるのだろう。それが魔界で死んだとなれば、女王も何か行動せざるを得ん。勇者が止めに入った所で、太后が偽物呼ばわりするなり魔界の手先として扱うなりして排除するだろう。ましてや貴様など、国境を渡れるかどうか」


 どのみち魔界で保護せざるを得ないということだ。

 となるとどの領地で預かるのか決めなければならない。

 真っ先に名乗りを上げたのは狼王だった。


「ならばワシが預かるか」


「いや、人間共め、使者が死んだのを口実に何かするつもりだ。前線はまずい。朱雀王に頼みたいが、良いか?」


 魔王と狼王が話を付ける頃、朱雀王はまだ男の死体を眺めていた。

 結局、彼は怒りのぶつけ処を失ったのだ。

 とはいえ彼は一種族の王である。個人の感情にいつまでも囚われてはいられない。

 やがて、溜息と共に首肯した。


「……承った。ルネット嬢はどうする、魔王」


「そうだな、それは」


 応えかけ、瞬きをした瞬間、魔王の顔色が変わった。


「……馬鹿な、有り得ん」


 普段は滅多に動揺などしない悪魔の顔色に変化が見えるのは珍しい。

 まして本気で声を震わせる姿など、魔界でも余程の古参しか見たことが無いものだ。

 狼王の声色もにわかに緊張を帯びた。


「どうした、魔王」


「……すまんが狼王、急用ができた。その娘のことは朱雀王と相談してくれ」


 返答を待たずそれだけ言い置いて、魔王は勢いよく翼を振るい飛び上がった。

 戸惑う住民たちの誰にも構わず、魔王は北西に向けて全力で飛んだのだ。


 魔王の右の瞼には、例の少女の視界が共有されて映っている。

 そこにいるのは黒騎士の少年と竜たち。彼女がいるのは竜族領だ。

 そして、竜の集落の岩壁の上にはすでにこの世にいない筈の人物の姿があった。


「何故そこにいる、ダイン……!」


 先に死んだはずのあの騎士が、健在な姿で黒騎士の前に立っていた。


 そう、ダインが黒騎士の下に現れたのは、獣族領で死亡が確認された後だったのだ。


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