2話
文明の介入を拒む魔界の森にも、一切建造物の類が無いわけではない。
魔界の住民達も人間と同じように、ささやかだが家屋を築くことはある。
その多くは木や草を組んだだけの簡単なものだったが、一つだけ一際目を引く巨大な石の城があった。
古くから『魔王城』と呼ばれる、魔界の統治者が暮らす古城である。
一体いつからそこに建っていたのかは誰も知れない。
だが歴代の統治者『魔王』たちは皆、この城に住まい魔界全体に号令してきたという。
そんな、あちこちが苔生し、石材も古びて黒ずんだ城の一角での事。
「……それで、刺客の方は皆殺しにして残ったその娘を連れて来た、と」
ため息が玉座の間に響く。
庭のように広々としていながら、置かれた調度品は階段の上にかがり火と玉座ただ一つのみ。
その上には長身の男が気怠そうに腰かけていた。
一目見るからに人間ではない。
皮膚は灰のような色。首から下は鱗のような殻に覆われて、背からは蝙蝠の翼。
彫の深い顔の上には銀の髪が生え、更にその中から山羊のように太い二本の角が勇ましく天に伸びていた。
所謂『悪魔』を絵にかいたような大柄な体に、そのくせ金の瞳が輝く顔だけは随分と端正なものだった。
彼こそが人間たちが言うところの『魔物』。
この城の主であり、魔界に住まう全ての者たちの位階の頂点に君臨する人物だ。
「魔界の客を僕が勝手に増やすのはまずいだろう。だから一応許可を取りに来たんだ」
対峙するのは、例の仮面の剣士『黒騎士』だ。
恐ろしい風貌の相手にも一切怯んだ様子も無く、淡々と事情の報告をこなしている。
「他の王たちに話しても嫌がられないとは思ったけど……こういう事はやっぱり魔王に聞くのが妥当だろう、ゼマデリア」
黒い少年に請われ、悪魔……魔王ゼマデリアは片腕で頬杖を突いたまま相手を見やった。
「……ま、それは確かに道理だがな」
その事についてはあまり気にした様子も無いらしい。と、言うよりも片手間で聞いているという様子で、きちんと耳に入っているかも怪しい。
理由は簡単である。魔王には少女の件よりも気になることがあったのだ。
目の前の剣士は何も言わないが、魔王が知らぬはずもない大きな事件だった。
「で、人間共の王を殺したのはどういう訳なのだ『黒騎士』よ」
「………」
「貴様、事を成してから一度もここに来なんだな。いい加減訳を話してもらうぞ」
あまり触れて欲しくない話題だったらしい。黒仮面の少年は一瞬押し黙った。
しかし返す言葉の語勢は強いまま、あくまでも魔王と対等らしい様子で答える。
「勇者の居所を吐かなかった。それだけだ」
「……それだけか、本当に」
「ああ」
魔王も多少言葉に圧気を込めて詰め寄ったが、仮面の奥の眼光は揺らがない。
しばしの重い沈黙の後、魔王はもう一度溜息を吐いた。
「まぁ、こちらとしてもいずれは消えてもらう気でいたがな……貴様はもう少し慎重に動けんのか」
やれやれ、と若干威厳を欠いた脱力気味の台詞である。
重たそうに頭を抱えながら言う魔王に対し、黒騎士は立ち振る舞いに余裕が無い。少しずつ声が大きくなっていくようだった。
「もたもたしてたら手遅れになる……そうなる前に見つけないと」
「……イクトよ」
悪魔は少し真剣な口調になった。
イクトと言うのはこの剣士の名前だろう。
少女には耳慣れない響きだが、それでも短く純朴な響きだと思った。
しかし名を呼ばれた当人は、どういうわけか急に怒り出したのだ。
「馬鹿、その名で呼ぶな! 人間が聞いている」
「主も人間であろう。王の件といい、どうしてそう故郷を嫌う。どうしてそう同族に容赦せぬ。うっかり小娘まで斬らなかったのは素直に褒めるが……」
「………」
「貴様が探す勇者も人間なのだぞ。それが、貴様を仲間の仇と追って来るやもしれん。貴様は勇者とだけは敵対したくはないはずだ。だから我は最初に慎重になれと……」
「小言は間に合っているよ、魔王」
「……我を魔王とわかっているのならば、口を慎め、小僧。さもなくば……」
最初こそ穏やかだったが、魔王の言葉も徐々に怒気が強まってきた。
イクトと呼ばれた黒い剣士も一切引き下がらない。全身から殺気を滾らせ、抜剣の気配さえ漂わせて魔王と睨み合う。
再び張り詰める空気。
だが再び、
「やめだ」
魔王が先に矛を収めた。
折れた、と言うよりは単に争いを避けるため紳士的になっただけであろう。
見てくれは悪魔ながら冷静で思慮深い王である。
相手の様子を見た少年もさっさと殺気を収め、にわかに空気を波立てた圧力はその場から霧散した。
「貴様との争いは無意味に長くなるからいかん。とにかく、事情は分かった。突然小娘など連れてくるから多少なりとも色気づいたかと期待したのだ、許せ」
「どういう意味だ……僕はたまたま拾っただけだ。他意はないぞ」
何となく説教臭くなった悪魔に、黒騎士は少しむっとして問い質す。
魔王は少年の言葉を鼻で笑って流すと、今度は少女の方を見た。
「それより、客の相手をしなくてはな。おい、小娘!」
魔王に声をかけられて、扉の向こうで少女はびくっと背筋を伸ばした。
「出てくるがいい。貴様も訳を聞かせよ。見ての通り、こやつも我も貴様に危害は加えぬ」
柔らかいが、有無を言わせぬ口調である。
黒騎士との鬼気迫る問答を聞いていた少女は、逆らってはいけない相手だとすぐに理解したらしい。
素直に扉の陰から出てきて、黒騎士の少し後ろに位置どった。
「……なんで僕の後ろに隠れる。別に彼は何もしないから、もう少し近づいてあげなよ」
黒騎士もいくらか声色を和らげていた。ぶっきらぼうは相変わらずだが、一応相手を安心させようとの意図は見える。
あまり広くない背に隠れていた少女は、覗き見るように魔王の姿を見た。
姿はやはり恐ろしい悪魔そのものだが、首に載った顔は美しく、眼光は妖しいがそれでいて優しい。
特に急かすでもなく見つめてくる悪魔の前に、少女は恐る恐る全身を現した。
対面した少女に、魔王は威厳たっぷりながらも穏やかに語りかける。
「さて、改めて、我はゼマデリア。この魔界一帯を治めておる。人は皆、我を魔王と呼ぶがな。貴様の名は……リズで良いのだな?」
少女は首を縦に振った。
「そうか、ではリズ。いくつかの質問に答えよ。まず、なぜ追われておったのだ?」
この問いには首を横に振った。
あれだけ大げさに命を狙われながら、理由は本人にもわからないらしい。
しかし、そんなものだろう、と黒騎士も特に追求せず話は進んだ。
「では、追って来た者どもの正体についても見当はつかぬのだな?」
少し考えた少女は、首をひねると口を開いた。
「………」
口を開いただけだ。
ぱくぱくと口を動かしながら、何かを伝えようとしているようだが、
「………」
ここに来て、魔王は気付いた。
この少女、まだ一度も声を発していないのだ。
物言わぬ彼女に代わり、黒騎士が答えた。
「……答えを期待しても無駄だ。このコ、口を利けない」
「………」
一瞬、威厳ある顔が表情を失った。
続いて、魔王首をひねって何か考え込むような様子になり、
「歳は」
「?」
かと思えば突然、いたずら者のような顔で意味の分からない質問を始めた。
「おいゼマデリア、何を」
「貴様は黙っておれ。して、いくつなのだ。指で示すくらいはできよう」
困惑しながらも、少女は素直に指で形を作ってくれた。
「十……五か。貴様も同い年ではなかったか? 黒騎士よ」
「だったらなんだ。それに僕は十七だ、二個上だぞ」
「ふん、正確な数字を覚えていられる程度ならば同じことよ。雛鳥が背比べをしてもさして変わらん」
「覚えてもいない年齢を持ち出して威張り散らすのか。ガキ臭い」
「何を……と、すまんすまん」
じゃれながらも、客の事は忘れない魔王だった。
一瞬怒りながらも次の瞬間にはにやにやと少女の方に目を向けたが、この悪魔はしかめ面より笑顔の方が気味が悪い。
初対面だからそう思うのかとも思ったが、黒騎士の口元も苦々しいので彼も同じ意見のようだ。
「親は? 健在なのか? 帰るところはあるのか」
凶悪な悪魔が顔に似合わぬ質問をするものだから、少女は大きな目をぱちくりさせて戸惑っていた。
隣に立つ少年の顔を見ても、そっぽを向かれるだけだ。
妙な城に連れてこられ、する事はと言えば他愛のない質問に答えるだけ。
実際、この威圧的な風貌の二人は危害を加えてくる様子もない。
厳つい仮面の少年と、対照的に何故か人のよさそうな悪魔に囲まれる時間が流れるのみである。
疑問は尽きなかったが、少し俯いて、少女は首を横に振った。
行く当てはない、ということらしい。
「ほう……」
明るい話ではないはずなのだが、魔王は何故か面白そうに表情を歪めている。
一瞬意味ありげに黒騎士のほうを見て、一瞬考えると切り出した。
「では、お前は身寄りがないのだな?」
この人物……いや悪魔か、はなぜ機嫌が良さそうにしているのだろう。
まるで客人が天涯孤独であることを喜んでいるかのように見えた。
同情こそすれ、それで機嫌がよくなるとは、なるほど悪魔らしく趣味が悪いのだろうか。
頷いたり頭を振ったり応答こそできるものの、質問の意味が全く分からず少女は首を傾げ通しであった。
好人物の体で客人の身の上について質問を続けた魔王は間もなく満足したようで、「そうかそうか」などと口走りながら何度も首を縦に振っていた。
かと思えば直後、突然傍に控える剣士を指差し、
「……紹介が遅れたな。こやつはイクト」
「ゼマデリア!」
魔王がさらりと黒騎士の名前を紹介した。少年はやはり噛みつくように怒鳴ったが魔王はふっ、と鼻で笑うだけである。
「たわけ、その娘を見よ。貴様の名を聞いても何処の誰かの見当も付いておらんではないか。そんな者の前で正体を隠してどうするのだ……ほれ」
「なっ」
魔王は戯れるように黒騎士から仮面を剥ぎ取った。
少年も素早かったがこの悪魔も大概である。瞬時に彼の後ろに現れて事を済ませ、次の瞬間には玉座に戻って黒仮面を指の上で回している。
そして、
「……!」
仮面を剥ぎ取られた少年は、燃えるような真紅の瞳で少女を見つめていた。
元々中性的な雰囲気だったが、素顔を見るとやはり中々の美少年である。
服を変えれば男装の麗人と言われても不思議は無いくらいなのだが、やはりどうしても瞳が暗い。
顔立ちはどこかあどけなく、それでいて女性的なのだが、目つきの悪さが影響してか少女と間違えるほどでもない。不思議な均整の取れた顔だった。
「返せ!」
少年……イクトはこれまた目にも留まらぬ速さで魔王から仮面を奪い返した。
元の位置に戻るとすぐに付け直そうとしたのだが、
「もう面は割れたぞ、諦めよ」
「……ちっ」
一度見られてしまった以上、この少女相手に顔を隠しても意味は無い。
悔しそうに舌打ちすると、結局仮面を懐にしまった。
「ま、安心するがいい。貴様の顔と名を知った以上、その娘は魔界の一員だ。許可なく魔界からは出さん」
「……良かったね、魔界に住んで良いってさ」
不機嫌そうな少年を見て、少女はきょとんとした顔になる。
状況がわかっていないらしい彼女に、剣士の少年はますます面倒臭そうに肩を落とし、
「身寄りが無いならここにいて良いよって言ってるんだ」
懇切丁寧に説明してくれた。ぶっきらぼうだが人が悪いわけではないらしい。
魔王は相変わらず面白そうだが、頭の中ではいくつかの計算が動いていた。
彼もまた王である。自分の治める地で無暗に石潰しを飼うわけにもいかないのだ。
この屈強な悪魔を王に頂く国で非力な少女にできることなど、連れて来た少年にも見当も付かなかったが、
「時に小娘よ。行く処がないのならば一つ提案があるのだが」
直後、悪魔の提案に目を真ん丸にしたのだった。
世界観紹介……この世界の人間たち
文化レベルは全面的に中世くらい。
人間の多くはリズのような白色人種であり、他の人種、具体的にはイクトのような東洋系の人間などは希少とされる。
王国は人間全体での統一王朝であり、そのため彼らの信仰や文化は変化が少なくなだらか。
総じて知恵に長け、理に敏い種族だが、その分己の利益を追い求め内輪でも争いが絶えない。
魔界を敵視するのはそんな彼らをまとめるための指導者の方弁でもある。