序章
王宮に黒騎士現る。
寝起きに城門前の広場に集められ、大事件の触れを受けた王都の住民たちは誰もが腰を抜かしそうな勢いだった。
黒騎士と城の兵士たちとの衝突は、結果王国側に少なくない犠牲を出した。
戦いとしての結果は勿論敗北。不名誉にして王国……否、『中央』としては手痛い揺らぎだった。
元々先王の圧政により南と東の領地は治安が悪くなっていた。
そんな所に王城が襲撃されたなどと情報が渡れば言うまでもなく混乱は必至である。
だからといって到底隠し通せるものではない。
一人二人ならまだ何とかなっただろうが、百を下らない兵士が黒騎士たった一人に屠られた。生き残った兵士も多数が負傷している。彼ら自身やその家族には、最早無かったでは済まされない悲劇だった。
しかし、若いながらに名君と名高い女王とその側近たちである。
このような危機にあっても、民衆の混乱が思いの他小さかったのは、他ならぬ彼女らの采配の賜物だった。
「見ろよ女王様が……」
「あぁ、間違いない。女王様だ」
第一に、前回の襲撃とは違ってこの国の君主は生きている。
民衆の目の前に現れた少女王の姿は王都に暮らす民たちを安心させ、彼らが続く言葉を信じるための心の余裕を与えたのだ。
「皆、よく聞きなさい! 先にも話した通り、昨夜私は城にて黒騎士に襲われました。兵士たちは数多く殺され、その家族の方の悲しみは推し量るべくもない。しかし、彼らは断じて無駄死にではないわ」
簡易的に拵えられた演説台の上、小柄な体のどこから出るのか、というような声量で女王が演説を飛ばす。
「かつて父は、彼の黒騎士に敗れ殺されたわ。しかし私は生きている。兵士たちは、今度こそはと立派に私を、この国を守り、黒騎士を撃退したのよ。そして」
撃退は、していない。
話し合いで何とか帰ってもらっただけだ。
しかして誰一人女王の言葉を疑う者はない。
死した兵士たちの家族も、瞳の奥に光を宿して女王を見上げている。
確かに、騙せている。
強く輝く者の中に、影はどうしても見えずらくなるものだ。
「………」
演説台にもう一つの光が現れた時、
「皆、犠牲者を称えなさい。勇者はここに守られた!」
最早最初の陰鬱な空気は無かった。
女王の隣に勇者が立つと一帯から歓声が上がり、彼が浮かない顔をしていることになど誰も気づかない。
否応なく群集の注目を集める声と、生まれ持った存在感は事実の中に隠された一握りの嘘を見事に隠し通して見せたのだ。
明朝の電撃的な報せの混乱も何とか鳴りやみ、町人たちが各々の仕事へと戻っていく中、一人不機嫌そうな顔で歩く姿があった。
「あら勇者様、どうしたのこんな所で」
店の看板を出していた菓子屋の娘が、馴染みの顔に気づいて声をかけた。
声をかけられた勇者の少年は、相変わらず不貞腐れた顔ながらも「こんちわ」と小さく挨拶したものだ。
その手には、何やら細長い布包みの荷物を持っていた。
「城に入れてもらえなくってさ」
「なぁに? また女王様と喧嘩でもした?」
娘は普段の二人の様子を思い出してクスクスと笑っている。
しかして勇者の塞ぎようはそんな可愛らしいものではない。
事態の深刻さを嗅ぎつけた娘が少し表情を曇らせ、近所で同じく開業の準備をしていた町人たちも手を動かしながら心配そうな視線を送ってくる。
「ほら、黒騎士が現れたろ。あの時俺、牢屋に匿われててさ……城が襲われてたの知らなかったんだ」
「あぁ……」
この王都の牢獄は、城の裏手より少し離れた目立たない場所にある。
黒騎士は女王と懇意である勇者は城の中にいるものと信じ切っていたし、まして救世主と崇め奉られる存在がよりによって牢に匿われているとは想像もしていなかったのだ。
何せ、あちこちで「勇者はどこだ」と聞きまわっていた相手だ。彼の者が勇者を狙って王国に来襲したのは誰もが知るところだった。
本人が何も言わずとも、女王が勇者を守るために敵から遠ざけていたことは想像に難くない。
ただ、
「で、喧嘩になったのか?」
「話もさせてももらえなかったんだよ」
彼が黙って守られることを良しとしない性格なのは、この王都では皆が知っている。
そんな脅威が自分の知らぬ間に城へと攻め入り激戦の末に多くの犠牲を出した、などという話になっていては心中穏やかでいられないだろう。
いつの間にか隣の靴屋の男が話に割り込んできたし、他にも数名が井戸端会議に混じってきたが、気にする者はいない。これが彼らの日常だ。
勇者が虜から解放されたのは、兄が旅立った幼い頃だ。
それからは同い年の少女王と共によく町に降りてきていた。だから城下町の住民たちは皆二人の顔なじみだった。
勇者は懐からこぶし大の革袋を取り出して、
「城に入ろうとしたらリズに会う前にこれで頭冷やして来いって、門番の兄ちゃんに突っ返された」
やはりむくれ顔で言った。
中からはジャラジャラと硬貨の擦れる音がする。どうも駄賃を渡されたらしい。
完全に子供扱いされている救世主の有様に、通りの人々の雰囲気はいくらか和んだようだった。
「そういうことなら、ウチでお茶にする? もうすぐお店開くけど」
「ううん、今日は一人だし、いいよ。それよりも鍛冶屋に行こうと思って」
「鍛冶屋?」
きょとんとする人々に、勇者は抱えた布包みを開いて中のものを見せてやった。
「牢屋で変な剣を見つけてさ。鞘を貰おうと思ったんだ」
それはまるで霧のように実態の乏しい、不思議に光る白い剣。
ルカが牢屋に匿われていた際、彼がいた一室の隅に置かれていたものだ。
看守の男も最初は気が付かなかったが、剣は勇者の手に入るなり突然周りの人間の目にも見えるようになった。
まだ女王にも見せていないので、ひとまず持ち歩くために鞘を用意することにしたのだという。
この場に城の兵士がいなかったのは果たして幸か不幸か。
言うまでもなくその剣は、あの黒騎士が持つ物と同じ『勇者の剣』。
奇妙な剣に困惑しながらも、幼い頃から知る勇者のために鍛冶屋は鞘を拵えてくれた。
後で中身を見せられた女王たちが、全員そろって腰を抜かしたのは言うまでもないことである。




