1話
女王の耳に刺客の情報などが入っているのだから、勿論前線である軍部、とりわけ国防を担当する城兵部隊の詰所はすでにてんやわんやの様相だった。
「黒騎士が来るぞ!」
「砲を用意しろ!」
「弩を持て!」
人間一人を相手にまるで軍勢を相手取るような騒ぎだが、誰一人としてこの防備を過剰と感じることなく、兵士たちは黙々と石と鉄の砦の重装備を整え続ける。
揃い揃って統率された動きであり、ひっきりなしに指示を飛ばす声は隙を感じさせない。
ここは王国の首都を守る最後の防衛線だ。
『城郭部』と呼ばれる、王国統一戦の遺構の一つ。
王国がまだ統一されておらず、群雄割拠の時代からこの王都、ひいては王宮をを守り続けてきた不落の城塞。
かつてよりその威容に守られてきた民たちは、一度も敵を通したことのないこの城を誇り、いつも語り草としていた。
それはこの城に詰める守備軍の人々も同じだったし、多少の驕りもあった。
その全てが、今では過去形だ。
城の兵士も民たちも、誰一人城塞の防御に過信していない。そこに絶対の信頼はもうないのだ。
先王の崩御からまだ一年も経っていない。
その時黒騎士は、ただ一人でこの堅牢な砦を潜り抜け、いともたやすく王の命を奪った。
難攻不落な筈のこの砦が、敵と一戦も交えることさえできずに突破された。
しかもそんな離れ業をやってのけた怪物が、今またしても王国を脅かしている。
若い女王の身だけは何としても守らなければならない。
兵士たちの意気込みは並々ならぬものだった。
勿論、黒騎士の目当てが女王ではなく、消えた守護神の行方などとは露知らずだ。
「……どうなっているんだ?」
拠点にした宿屋の窓から外を睨み、少年は相棒の少女と共に首を捻る。
この中央領への侵入には、警戒されないよう注意をはらった。
国境砦では失敗したものの、そこで手配されたのは少女の方だ。
王国に入ってからは特に目立った騒ぎは起こさず穏便に進んでいた。
しかしいざ目的地の王宮、それを擁する王都に入ってみればこの始末である。誰かが明確に黒騎士、と呼んでいたので警戒されているのは少年に他ならない。
いつ誰に見咎められたのかと皆で記憶を漁ったが、二人も妖精も特に心当たりが無かった。
二人が王都に入ったのは二日前。
その時は今ほど警戒が強くなく、少年が先日刺客から奪った王家のブローチを見せれば王都には簡単に入ることができた。
それから一日は王宮への侵入のために周囲の警戒を確認し経路の確保に努めたのだが、いざ今晩にでも作戦を決行しようとした矢先に町には朝から厳戒態勢が敷かれていた。
王都の『城郭部』は当然の如く今まで抜けてきたどんな防護よりも堅く、守備兵の数も群を抜いていた。ここで見咎められればどれだけの血を見るかわからない。
警戒される前に先に王都に入ることができていたのは不幸中の幸いだろうが、問題は王宮の守りだ。
黒騎士の出現が感知されたのなら、砦のみならず王宮の守りも固くなっているだろう。
そうなると昨日までの偵察は意味の薄い行動ということになるが、
「どうするのイクトさん、今夜はやめとく?」
「……いや、予定通りにいこう」
「危なくない?」
「それはそうだけど、こう警戒されていると様子見も難しい。早いうちに済ませるべきだ」
妖精の危惧は最もだが、路銀も底を突きかけていたし宿に何泊もしていられない。
どうも夜には外出の規制も設けられたようで、またこっそりと警備を確認するのも難しいだろう。
警備の配置についてはこれでわからなくなったが、街や城郭の構造は少年が把握している。とりあえず道に迷うことはない筈だ。
二人は夜を待ち、ついに王宮への侵入を決行することになった。
王都は首都ではあるものの、王国全体の都市としては北方領の都に次いで二番手と言われていた。
今でこそ一つの名に纏まっているが、人間の歴史は領土を巡る戦いの歴史だ。
守護神を失い、代わりに魔神の脅威が消えた人間は急速に数を増やした。
それがいつの頃からかは知れない。だが増えた人間は当然の如く住処に場所を取り、生きるのに食料を取る。
数の多さ故に食い扶持は賄いきれず、食料、及び狩場の奪い合いが起こり、それが昨今まで続いた人間同士での争いに発展した。
現在の中央領もまた、かつてはそんな戦いの中で生まれた国家だった。
この王都も城塞にしろ町にしろ、多くの建造物は戦いながら組み立てられたものであり、それ故に都という割には建物群は質素で飾り気がない。
王宮を囲む街には似たような風情の建物が無数に並び、それによって迷路のように入り組んだ路地が形成されている。
どこを歩いても似たような景色が続く街は暮らすには不便だが、全ては侵入してきた敵を欺くためだ。
黒騎士の少年も何度かこの王都に来たことがある。
なので迷うことはなかったが、迂回しなければならない道や遠回りが多く、市街地を抜けて隔壁までたどり着くのも一苦労だ。
荷物の類は宿に置き、身軽になった少年の背には弓と矢筒が負われている。
少女も一緒にフードをかぶってとりあえずの隠密体制を整え、二人は夜陰に紛れて王宮の外壁すぐ近くに陣取った。
そこは警備が薄いが侵入口となる門も無い。前方は高い城壁で後方は民家だ。
どうやって侵入するのかと少女が首を傾げていると、少年は弓を取り矢を番えた。
よく見ると矢は矢尻に鉤爪が付いており、持ち手部分には縄が結ってある。
宿にいる間に拵えたそれは、少年手製の侵入用の道具だ。
「放ったら、こっちへ来て」
言うと、少年は鉤縄矢を天に向け放った。
それは寸分違わず城壁の縁に引っ掛かり、少女は彼の技に内心歓声を上げたのだが、
「? !?」
次の瞬間片腕で身体を攫われ、しっかり抱きとめられると目を白黒させた。
少女はしばらく驚いて固まっていたが、不愛想な庇護者がそんな様子に気付くこともない。
「ほら、何してる。掴まってて」
いくらか優しげだが相変わらず事務的な言いようだった。
少女が慌てて抱き着いてきたのを確認すると少年は縄を引っ張って強度を確かめ、そのままするすると壁面を登っていった。
城壁の上は例によって物見台になっているが、少年の予見通りそこは警備の目が疎らだった。
目の前が住宅なので、遠くを見るための警備は役に立たない。その裏を突いたのだ。
縄を回収すると少年は人一人を抱えたまま、まるで影のように物見の上を走り、そうして城壁の向こう側に飛び降りた。
「!」
『王宮』は平城だ。
平地にある戦闘用の城は、山城と違って坂を防御に使う事ができない。だが平地であるため水を引くことはでき、それを利用した堀に囲まれている。
つまり城壁の向こうに抜けるとそこはすぐに巨大な溜池。二人は深い水面に向けて自由落下する格好になっていた。
「手を離すなよ……!」
水面に激突する寸前、少年は背後の城壁を蹴った。
石材にひび入るような強烈な蹴りの反動は二人の身体を真横に吹き飛ばした。少年はその勢いで大河のような堀に点々と立つ大岩を足場に飛び移り越えていく。
神気の加護が無ければ魔界で発揮した力は出せない筈なのに、この少年の身体能力は毎度毎度常軌を逸している。
いい加減に肝が据わってきた少女は恐るべき庇護者の力を見ても驚かなくなり、彼の腕の中でぼんやりと考え事ができるようになっていた。
人間は魔神と戦う事が無い。
だから神気の存在なども感知できず、その力を使うこともできない。
だが一人だけ、そんな人間にも例外がいたはずだ。
人間の国にありながら、超人的な力で人々を救ってきた存在。
不思議な力で干ばつに雨を降らせ、常識離れの膂力で大岩をどかして道を拓き、剣を以って邪悪を滅する救世主。
彼は決して人間を救う存在ではない。それはわかる。
だが彼の力はまるで。
――勇者、みたい。
彼が勇者を求める理由は守護神の復活だったはずだ。
しかしこれだけの力を持ち、そしておそらく人間で唯一世界の理を知るのだから彼が自分でやればいいのではないか。
となればどうしてこうも勇者を求めるのだろう、と。
少女がそんな思案をしているうちに、二人は対岸の小島に辿り着いていた。
そうして最後の防衛線を突破すれば目的地はすぐ目の前だ。
「……!」
中央領に入ってからずっと見えてはいたが、いざその足元に迫ってみると圧巻の一言だ。
人工の池の中心に浮かぶ、月明かりに照らされた白亜の壁。
「そうか、君は王宮に来るのは初めてか」
いくつもの尖塔を戴く巨大な城が二人の目の前に聳えていた。
『王宮』。
賢君と名高き女王が治め、勇者を有する『王国』の中心地にしてこの旅のひとまずの目的地だ。
君主である以上女王はここにいるだろう。勇者がいることも、以前西方領で確認済みだ。
そして獣神の導きを信じるならば、消えた人間の守護神の手がかりも一緒に眠っているはず。
「行こう」
人間の守護神を取り戻し、やがて来る『大陸』全体の危機を食い止めるため。
少年の短い言葉を合図に、二人は王国の中枢へと乗り込んでいった。
二人はかくして誰に見つかることもなく辿り着いた筈であったが、
「……ダイン卿に報せを。城内を騒がせぬように」
気配に敏い少年には珍しく、つり橋の下から見慣れた影が自分たちを見咎めているのに気づくことができなかった。
大体週に一回の投稿です。
ご愛読ありがとうございます。




