6話
「……さて」
少女とも妖精とも離れ、岩場の影で一人きりになった少年は独り言ちる。
目の前には人工と天然の石の壁。
待たせている相棒は、目指す勇者は、いるかはわからないが恐らく人間の守護神、及びその手掛かりはこの壁の先にある。
魔界では常識はずれな戦闘力を発揮した恐怖の黒騎士。
だが守護神の加護なき王国の地で、彼は十全の力を発揮できないという。
故に、王国内の警戒が強まり兵士の数が増えると、見つかった時に衰えた力で戦わなければならない。
そのため力づくで大体の事は解決できるこの少年も、今回ばかりは穏便にこの壁を抜けることを強いられていた。
「山登りは……無理か」
どうにか会敵することなく、兵士を騒がせずに突破しなければならないが、検問と周りの岩山は高い。
元々ここは南方領の吸収を狙った王国、現中央領の前線基地だった。
人間の領地が現在の形に纏まった事で軍事基地としての役目は薄れたが、見張り用の高い望楼も堅固な門も健在だ。
岩だけの裸山は強引に登ろうとすればそれは目立つ。あっという間に見つかってしまうだろう。
「……一度離れるか」
突破に手こずってもいいように、少女とは中央領の所定の場所で合流する手筈だった。妖精も彼女の傍についている。
そもそも彼女には魔王の腕輪もある。離れすぎれば向こうもわかるのだし、急ぐ必要は無いだろう。
検問の前には西方から流れてきた旅人たちが今もたむろしている。
あまり検問の近くでこそこそしていると見咎められてしまうので、少年は荒れた山道へと戻ることにした。勿論、目立たないように。
――夜まで待てばいくらか人も減るか……? 夜陰に紛れれば兵士も……無理か。
そもそも人も物も豊かでない上、今まで中央と不仲だったこの地は人の出入りが少ない。
なので検問は突然増えた通行人を誰何するための人員が足りず、結果通行許可が中々下りない旅人たちはあのように溜まるのだ。きっと夜になっても人の目は変わらないだろう。
それは警備が薄いという事でもあるし隙の多さでもあるのだが、うっかり一人に見つかるともう取り返しがつかない。無関係の旅人たちにまで取り囲まれる。
――西の検問が使えれば、もう少し楽だったんだけど。
神気の加護が生きた土地であればこの程度の壁は一足で越えられるが、西方領では少女が手配されていたのが痛かった。遠回りをさせられた上に今度は少年が足止めを喰らってしまっている。
国境砦には少女を狙う敵がいたので、どうあがいても穏便にはいかなかったのだろうが。
「……ん?」
丁度そんなことを考えていた時だった。
潜む岩場の傍で話し声が聞こえ、隠れた少年の前を黒装束の一団が通っていく。
その姿は、どこかで見覚えのあるものだった。
散々相棒を付け狙い、間接的にだが彼自身の道をも阻んだ太后の刺客。
ここで出くわすということは、十中八九少女を追ってきたのだろう。
となれば見逃すわけにはいかないし、
「……いつかは邪魔されたからな」
意趣返しには丁度いいと思ったらしい。
荷物と路銀は馬車に乗せたまま少女に託してあるので、動きを阻害されることはない。
少年は気配を消し、白く光る剣を放ち、自分と似た黒装束の一団の背後へ軽やかに迫った。
――商人さん、ありがとうございました。
庇護者より一足先に王国中央領に辿り着いた少女は、南方領の旅を共にした行商人と別れるところだった。
中央領の南、検問を潜って北東にしばらく歩いた所にある小さな町が、庇護者の少年との待ち合わせ場所だった。
行商人は西側から来たと言う。西方領の検問で足止めを喰らっていたのはそのためだ。
なので東に逸れるこの町は少し遠回りになってしまうが、商人は護衛と離れた少女が一人で歩くのを心配して送ってくれたのだ。
ぺこりと頭を下げて道のりの礼を言う少女に、商人の男は町の入り口で後ろ髪を引かれた様子だった。
「お嬢さん、一人で大丈夫かい? なんだったら王都まで乗せていっても良いんだよ。どうせ街道は大体王都付近を経由するんだし、中央は治安はいいが歩くには広いぞ」
商人は気を遣ってくれたが、少女は笑って首を横に振った。
あの少年に何も言わずに移動するわけにはいかない。一応数日分の宿賃はあるから、と。
そう言われると、商人もこれ以上の追及はできなかった。
「はぁ、護衛がこんなはずれの町で女の子を一人にしやがって……気を付けるんだよ、お嬢さん」
数日世話になった馬車が平原の起伏の中に消えていく。
少女はそれを手を振って見送り、宿を探しがてらに町を眺めることにした。
西方領で立ち寄った時と同じく安穏とした雰囲気の町は、しかし多くが石造りで重厚な建物が並んでいた。
これも中央領では一般的な様式らしく、王都の建物も似たようなものだという。
木製だった西方の家と比べて頑丈だが保温性は無い。
その手前、秋深い町のあちこちでは暖炉が煙を上げていた。
暖炉自体は少女の実家にもあったものだ。だから彼女はそこまで気にした様子もなかったが、
「仕方ないんだけどねぇ」
隠れている妖精はこっそり溜息を吐いた。
これから来る厳しい冬の時期。野菜は採れず狩りも難しい。故に只暮らすだけでも大変な時期だが、魔界ではより深刻な問題があるという。
「こうやって薪を焚くでしょ? 人間はそのために木を伐るじゃない……木も生きてるから魂があるんだけどねぇ」
「……!」
要するに、木を伐りすぎても魔神が出現しやすくなるというのだ。
魔族はそれを心得ているので無暗な伐採はしないし、家は倒木を、薪も落ちた枝を使う。
しかし守護神を失い、その存在も忘れている人間は、と。
妖精は往来する人間たちを見ながら、切なそうに言った。
「……人間、増えちゃったなぁ。魔神と戦わなくていいから、人間はどんどん増えるの。でもって、家を建てたり燃やしたりするのにいっぱい木を伐るしぃ……魔界は大丈夫かなぁ」
「………」
「あっ、ごめんねおねーちゃん。イクトさんとおねーちゃんは知ってるからいいんだよぅ」
少女が暗い顔をしたので、妖精は少し慌てて謝った。
勇者を探し、人間の守護神を復活させれば魔界は、世界は救われる。
これはそのための旅なのだ。
親切にしてくれた魔族たちのためにも、できることはやりたいと思っていた少女だったが、
――守護神が復活したら、王国でも魔神が出るんですよね。
少し躊躇いがちに文字を綴り、妖精に見せた。
少女の頭の中にあるのは家族と、ここ数日の間に王国で出会った人々の顔だった。
優しい母と、三人の使用人。
服を恵んでくれた老婆に、いろんな話を聞かせてくれた酒場の主人。そしてここまで運んでくれた行商人の青年。
皆、少女に親切にしてくれた人々だ。
彼らが住むこの王国に魔神が現れるようになる。
あの大いなる災いは、魔族を苦しめてきたのと同じように王国の大地を砕き、そこで暮らす人間たちを間引くのだろう。
そして忘れてはいけない。
ずっと自分を守ってくれたあの少年。
王国から追い出されたと聞いたが、それでも彼だって人間なのだ。
例え世界を救うために必要だとしても、自らの故郷に魔神が現れることは何とも思わないのだろうか。
何より彼が求める勇者はどう思うだろう。
守護神と魔神のことを知った勇者は、果たして使命を聞き入れ協力してくれるだろうか。
考え始めると止め処ない。
頭の重そうな少女を見て、妖精もくたりと肩を竦めた。
「………おねーちゃんは人間嫌いにならないのね」
人間に追われ、魔界の黒騎士に救われた少女。
そんな経緯から魔族とはあっさり打ち解け、今も肩に妖精を載せている。
だからといってあの少年のように人間に冷たくなるわけではなかった。
あの不愛想な少年のことは、助けてもらった縁もあってずっと信頼していた。
王国に戻ってからはその地に住む人々の助けを借りてきた。
そんな少女が、相手が人間と見るや嫌って碌に言葉も交わさない、など土台無理な話なのだ。
そもそもこの少女は人好きしすぎる。
「……お嬢さん、なんでそんな膨れっ面なんだい?」
――だって、むすっとしてないとお代を吹っかけられるんですよね?
宿に辿り着くや否や、妖精は少女の肩で吹き出しかけた。
それは西方領の町で、黒騎士が宿をとる時に取った手法だ。
宿で店主になめられると必要以上に金を取られる、と。あの少年に聞いたことを鵜呑みにしたらしい。
生真面目に真似をしているのが可笑しかったし、そもそも少女が同じことをやっても全く迫力がない。
結局、客の答えに宿の店主は大笑いし、気を良くしたのかその日の宿代は相場より半額も安かった。
素直な少女はこのように、人の好意を得るのが上手かった。
勿論本人に自覚は無いが、結局のところ誰かと敵対するのが苦手なのだ。
わけがわからないまま一番上等な部屋に通された少女を、妖精はにこにこしながら見つめていた。
――カンランちゃん、何で笑うの。
今度は本当に不機嫌そうな保護対象に、しかし妖精はさえずるように言ったのだ。
「んー……おねーちゃん見てると、ちょっぴり人間が好きになれそうだなぁって思って」
「?」
妖精は少し、遠くを見るように微笑んだ。
「……何度も言うようだけど、イクトさんと仲良くしてあげてね。あの人も……あの子もきっと、おねーちゃんと一緒なら幸せになれるよ」
「……?」
妖精族は長命な種族だという。
カンランも例に漏れず、見た目よりは長く生きている。
だから幼い頃に魔界に流れてきたあの少年のことも、少女よりはよく知っていた。
どんな風に故郷を追われたのかも、また。
「人間なのに人間が嫌いって、多分すっごく辛いことだからね。勇者を探すなら猶更……あ」
妖精は少し声を上げると、窓辺に寄って外を眺めた。
何かと思って少女が一緒に外を見ると、
「雪だ」
冬の先触れがちらちらと輝いていた。
暗殺者というものは、当然の如く奇襲の専門家だ。
標的をそれと気づかせる前に殺すからこそ『暗殺』なのである。
黒づくめの一団もその例に漏れず、主である太后に都合の悪い者を消すための暗部だった。
そんな奇襲の専門家たちがあろうことか背後を突かれ、敵に気付いた瞬間にはすでに半数が血を噴いて斃れていた。
もう半分も逃げるか戦うか、逡巡する間に首が飛び、何とか敵に背を向け走り出した最後の一人は首に手刀を喰らって失神した。
そうして一団を数秒で壊滅させた黒騎士は、しかしこれでも本調子でないという。
彼は自分の力を誇示するような性格ではないのでわざわざ刺客に言って聞かせたりはしなかったが、少女に語ったことは何も己惚れた発言ではなかった。
王国の住民なら、人間相手なら、どんなに手心を加えても戦いにすらならない。
その言葉通り、呆気なく葬った刺客の死体を手早く岩場に放り投げ、少年は捕らえた一人と共に同じ場所に潜んでいた。
「………」
生き残ったその者は手首足首を後ろで縛られ、口には猿ぐつわが嵌まっている。
さらにうつぶせに倒されて完全に身動きが取れない中で、恐怖の黒騎士が仲間の死体を暴くのを見ているしかなかった。
フードを剥がれ、北方由来の赤い髪と素顔を暴かれた娘が無感動に見守る中、やがて黒仮面の少年は死体の一つから目当てのものを見出した。
「……確かに王家の印だな。王と子供はともかく、妃が使っていいものなのか」
答えを求めるでもなく、少年は独り言のように訊ねた。
刺客の一人の外套の裏に付けてあったのは、金細工の豪奢なブローチだった。
盾を象った土台に刻まれている意匠は、剣とその柄に掛けられた王冠。
それは少年が言ったように現王家が用いるものだ。
当然の如く王家と関係者しか使う事の許されない貴重な品だった。
勿論、王国においては高貴な身分であることの証明であり、刺客たちはこれを見せて各地の検問を通っていたのだろう。
それは同時に彼らが太后の部下であることの裏付けにもなる。
一人の外套から乱暴にブローチを毟り取って懐にしまうと、今度は捕らえた娘の方に歩み寄った。
少年が一団を襲った第一の目的は、この手の品を手に入れることだった。
見るからに怪しい風体の彼らが検問をくぐれるのは通行証やそれに準ずるものがあると踏んだのだが、まさに当たりだったのだ。
このブローチは身分証の代わりになるはずなので、これで安全に検問を潜ることができるだろう。
しかし、となれば皆殺しにするのがこの少年の常だ。奪うだけなら生き残りを作る必要はない。
生き残ったのは刺客の一団でも唯一の女性だったが、女だからといって手を抜くような甲斐性を魔界の黒騎士は持ち合わせていない。
目的がある。だから生かした。
ただそれだけのことだった。
「余計なことは考えるなよ」
冷たく言いながらも、少年は娘の口に付けた布に白い剣を当て、斬って外してやった。
「……っ!」
猿ぐつわが外された途端、娘はがちんと歯を咬み合わせた。
噛み付こうとしたのではない。死のうとしたのだ。
彼女ら太后の暗部は、自害用の薬を常に口に含んでいた。
最もそれは少年も承知だ。
彼は死体を漁った事でその存在も知っていた。
「言ったはずだ、無駄なことをするな。逃げられると思うなよ」
「………」
少年の手の中には、小指の先ほどの硝子のカプセル。
気を失っている隙に娘の口から吐き出させたものだ。それが手の中で砕け、数滴の液体がこぼれだした。
岩場に染みて消えていくのは、言うまでもなく毒薬だ。
かくして自害できなくなった刺客の娘は、しかし若さの割に冷静に目の前の剣士と対した。
「……その剣、替えた方がよろしいかと。見る人によっては、あなたが何者かわかってしまいます」
「………」
ぼんやりと輝く霞のような刃は、今も娘の眼前に突き付けられたまま。
そこらに投げ捨てられた刺客たちの武器とは明らかに違う。
これだけ目立つ剣を持っている人物はそう滅多にいないし、この少年は一度人間の前にこの武器を晒してしまっている。
先王の暗殺の時、王を守っていた兵士たち。生き残った者も多少はいるだろう。
彼らから聞くなどして知っていれば、他の人間にも少年の正体はわかってしまうのだ。
「何も話せることはありません『魔界の黒騎士』殿……殺してください」
淡白な声が潔く響いた。
刺客らしく往生際は良いらしい。が、勿論少年の方に殺す気はない。その気ならば既にやっている。
あの姦しい相棒がいれば絶対に使えない手段だが、と。
「……か……はぁ……っ!?」
少年は娘の胸倉を捕まえ、鳩尾に拳を叩きこんだ。
気を失っても困るので相当手加減しているが、そこは急所だ。
全身を走る激痛はいかに訓練しようと抗いようもない。しなやかな身体を信じられない力で囚われ、小さな顔を脂汗に濡らしながら、刺客の娘は悶え苦しむ。
若い娘の痛ましい姿を見ても、少年の顔色は一切変わらない。
命を狙う以上は知っているだろう。
本人も知らない、あの少女の素性。
敵対者にはどこまでも冷徹な声は、相手を慮ることなくただ自分の用件を伝えた。
「あのコは……リズは何者だ。何故命を狙うんだ。魔界の守護神は彼女に反応した。それは何故だ」
「……知りませぐ、ふっ」
「言っておくが、僕は人間にかける情けはない……貴様が死ぬのは別に構わないが、楽に逝きたいならさっさと答えるがいい」
どんなに加減をしても、黒騎士の力は人間の手に余るものだ。
たった二発の殴打で娘はぐったりと首を擡げ、もはや意識は朦朧としている。
苛烈な少年はそれを見てもいっさい対応を変えない。
たおやかな白い首を引っ掴み、重そうな頭を無理やり起こして視線を交わす。
はしばみ色をした娘の瞳はすでに光を失いかけていたが、そこに映りこんだ焔の色は意識を現実に引き戻す。
目的を果たすために、お前をどこにも逃がさないと、
「守護神に……勇者にかかわることの筈だ。絶対に答えてもらう……!」
仮面の奥には、焼くような真紅の眼光が輝いていた。
大体週に一回の投稿です。
ご愛読ありがとうございます。




