3話
店主の長話が終わり、少女が解放されたのはもうすっかり日が暮れた後だった。
くたりと肩を落としながら、少女は部屋への階段を上っていく。
四部屋あるうち案内された一つに入ると、狭い部屋の中には簡素なベッド一つと申し訳程度に机と椅子が一組。机の上にランタンが置かれているだけだ。
黒騎士の少年は顔を隠したまま部屋の真ん中にいた。
椅子もベッドも使わず床に座り、荷物を広げて整理している。今夜はこの宿で過ごすというのに、まるで今すぐ発つかのような周到さだ。
「……終わった?」
相棒の顔も見ずに一言。
少女が返事に窮していると、髪に紛れていた妖精が飛び出してきて助け船を出してくれた。
「イクトさん、あのね」
一緒に店主の話を聞いていた妖精は、少女が何を知ったのか告げた。
国王を殺めた極悪人、黒騎士。
今までずっと自分を守ってくれた少年こそがその人であると。
彼を知る人々は皆知っていたことだ。だから少年も相棒がそれを知ったとて、特に気にした様子もない。相変わらず手だけを黙々と動かしている。
一方、今まで彼がそのように呼ばれていたことも知らなかった少女は少なからず動揺していた。
「………」
だが、それだけだ。
好奇心旺盛で話好きなこの少女が、いつものように質問をするでもなく黙って相手の顔色を窺っている。
珍しく一緒になって沈黙している少女の方を少年の顔がようやく向いた。
「……なぜ殺したのか聞かないの?」
内容が内容だけに、いつもの少女ならすぐに問い質してきそうなものだ。
訝しむ庇護者に少女はふっと微笑んで、作業をする彼の隣にぺたんと座った。
きっと聞いても答えてくれないだろうし、と切り出し、
――あなたは、何の訳もなくそんな事はしないと思うから。
そう伝えてもう一度笑った。
王様は殺されたが、自分は助けてもらったから、と。
黒仮面の向こうの瞳が、陰りなく微笑む顔をじっと見つめた。
大きな緑の瞳は日を受けた若芽のように美しく、相変わらず澄んだ光を湛えている。
この少女は本気で目の前の大悪人を信頼しているのだ。いちいち言葉が無くとも顔色を見るだけでそれはわかる。
少年からすれば彼女はほんの最近、突然目の前に降って沸いた存在だった。彼女にとっても自分はその程度だろうと思っていた。
だが、明らかに良家の娘だろう彼女はあっという間に異形の魔族たちと打ち解け、お世辞にも愛想が良いとは言えない庇護者にここまで素直に信愛を示してくれる。
心善く、屈託のない、優しい少女。
きっと何もやましいことも無い。
例え事情が分からないままでも、その人格は疑る必要もないのだろう。
だからこそ、少年も遠慮をしないことにした。
「……なら、僕も聞いていい?」
「?」
いつものようにきょろりと首が傾がった。
隠し事をするような性格でもないだろうし、質問は自由なのだろう。
なので少年は迷いなく問いかける。
「君は何者だ」
「……?」
小首を傾げたまま、大きな瞳がぱちくりと瞬いた。「どういう意味?」と顔に書いてある。妖精も小さな頭に乗っかりながら同じような表情をしていた。
いい加減この少年の愛想の無さにも慣れてきたが、質問も説明も言葉少なに済ませようとするので意図が伝わりにくい。
「素性を話して、と言ってるんだ」
言いなおされてようやく合点が言ったが、どうして今そんなことを聞くのか。
聞かれるまでもなく相棒の思いを察した少年は「別に疑ってるわけじゃない」とだけ前置いて切り出した。
「君は初めて会った時、刺客にわざわざ魔界まで連れてこられていたでしょ。だったら距離的に考えて君は西方領出身の筈だ。なのにわざわざ王国の事について誰かにに聞かなきゃいけないのはおかしい。いや、変なのはそれだけじゃないんだけど……国王の件と言いちょっとあんまり無知に過ぎると思って」
疑問については最もだが、それは出会った当初から感じていた筈だ。
これまで積極的に聞こうとしなかったにも拘わらず何故この期に及んで、とは女性陣二人共が感じていたことだった。
「それはそうかもしれないけどぉ、でも何で今更聞くの? 今まで話せる時間はたくさんあったのにぃ」
「カンランだって気にはなっていただろう。フェンリルも獣族の皆も気にしていて、でも聞かなかった」
「まぁ、そうだけどねぇ。獣神様とお喋りしてたしぃ……あー、ゴメンねおねーちゃん、忘れてないよぅ」
妖精はいくらか意図を察したようだが、こうして彼が魔族と話し始めると馴染みの薄い少女は話題に置いて行かれてしまう。
少し膨れて二人の注意を惹く少女に、黒騎士と妖精は揃って軽く謝った。
曰く魔族は、他人の出自について細かいところは気にしないのだという。なので彼らはこれまで少女の事情について深く頓着しなかったが、少年はそうではない筈だ。
少なくとも人間には懐疑的なところが見える彼が、どうしてか少女に対してだけは警戒が薄い。
少女は改めて質問の意味を問うてみたが、
「そもそも聞く気が無かったんだ……不誠実だから」
「?」
やはり意図が汲めない。
ただ相手の事を聞くのにそんな風に思う意味が分からなかったが、彼にとっては当然の事だった。
「だって僕は、自分のことをあまり話せないから。相手が敵ならそれでもいいし、欲しい情報は力づくで吐かせるけど……君は違う。僕は君を敵にはできない」
「……?」
黒騎士の少年は座ったまま体を回し、少女と正面から見合った。
魔族たち曰く、こうして対座するのは彼の生まれ故郷の礼儀だという。
こうして向き合うのは相手に誠意を以って向き合うという意図の現れ。
少女はまだそのことを知らなかったが、
「君は魔神の被害を見て、去っていく魔族たちを見て泣いてくれたな。なら僕は君を敵にできないし、彼らと同じように仲間として扱わないといけない」
「………」
続く言葉で何となく、彼の性根が理解できた気がした。
この少年は敵でない者にはとにかく誠実だ。
不器用なりに尊重するし、できる限りの礼も尽くす。
魔界の住民のために泣いてくれるならば、と。
「こっちは何も答えられないのに、君にだけあれこれ聞くのは不誠実だ。だから……答えたくないならいい。今の質問は忘れてくれ」
少女は瞬き、微笑んだ。
なんとも生真面目な理由が可笑しかったのだ。
何より自分が誠意を尽くすべき相手だと、彼は暗に言ってくれている。それが何より嬉しかった。
「この人カタブツなの」と、妖精も笑っている。
そういうことなら勿論少女に含むところなどない。
すぐにメモ帳が取り出され、
「特に秘密は無い……話せることも、多く、ない」
そそくさと書かれた筆談にはそういった旨が書いてあった。
復唱され頷くと、少女は本当に少しだけ鉛筆を動かした。
確かに言われた通り内容は短いが、
「……家から、出たことがない?」
ただの一言で仮面の奥の瞳が見開かれた。
少女の生まれは、少なくとも王国領。本人にわかるのはそれまでだった。
彼女は生家の屋敷で、母親と三人の使用人と共に暮らしていたという。
物心ついた時に父親はいなかったが、母は優しく、共に暮らす使用人たちも幼い頃から甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
何不自由のない暮らしだったが、彼女はただ一つ「家から外に出てはいけない」とだけ言いつけられており、生活に必要なものは使用人たちが仕入れてきた。
少しばかり窮屈を感じてはいたが、それでも彼らとの暮らしは幸せだった。
幼い頃、病で母を喪うまではそうして五人で暮らしていたのだ、と。
「……声が出なくなったのはその時だって?」
少年は昨夜、相棒の少女が語った内容を確認した。
二人はすでに町を出て、東へ向かう街道に差し掛かっていた。
少年が相棒の身の上話を聞いたのは昨日の事。
あまり明るい内容ではなかったのと、少女が話の途中で疲れて眠ってしまったのもあって当時は質問を挟めなかったのだ。
なのでより深い話は翌日となり、少年は相棒に気まずそうな視線を向けながら歩くことになった。
母を亡くし、失意のせいか声を失ってしまった少女を使用人たちはたいそう心配したが、それは彼女の災難のきっかけに過ぎなかった。
唯一の肉親と別れ、数年をかけてひとまず立ち直ったが、ずっと彼女を支えてきた使用人たちが一人、また一人、どうしてか家を出てしまったのだ。
心優しい老爺のアイルロ。
母と同年代の世話好きな女性、カティ。
十二歳までにこの二人が涙ながらに家を出ていき、最後の一人も去年には出ていったという。
ルネットという、こちらは少女より二つ上の侍女だった。
彼女もまた幼い頃、リズの遊び相手として屋敷に入れられた昔馴染みだった。
他二人が保護者のような距離感で仕えていたのに対し、ルネットは主人と年齢が近かったこともあり、少女とはまるで姉妹のように育った。
そのためどこからかの召喚にもずっと抵抗し、妹分にして主人である少女を一人にするまいと屋敷に留まってくれたのだが、ある日。
「陛下の……先王の達示だから、か」
ルネットはそれだけ説明し、他二人と同じようにどこかへと去っていったという。
生活に必要なものは誰かが庭まで運んできてくれたというので、ひとまず食うに困ることは無かった。
しかしそれからというもの、少女は一人で暮らすことを余儀なくされ、がらんとした屋敷の中で寂しい思いをしていたと。
そうしてなんとか一人で一年を越した頃からの事は、庇護者の少年や魔族たちも知っている通りだった。
「……つまり君は、本当に自分の生まれも何も知らないで育ったと」
少年の問いに疑ったような響きは無い。相手が嘘などつかないことはわかっている。
これはどの程度相手の事情に首を突っ込んでいいものか、と気を遣った言葉だった。
どの程度、といっても彼女が語れる過去は本当にいま語った分だけだったのだが。
――お母様に会わせてくれるって、言われたんです。
それは少年が始末した刺客たちが、少女を屋敷から連れ出すのに使った文句だった。
勿論少女は不審に思ったが、男四人に囲まれて非力な娘が抗えるはずもない。
言われるまま魔界に連れていかれ始末されるところ、勇者を待って国境付近を見張っていた少年の目に留まり、救われた。
それがすべての経緯だった。
「……そうか」
少年の反応は重い一言だけ。
淡白にも聞こえるが全く感情を動かされなかったわけではないのだろう。反応に困ってそう言うしかなかったのだ。
少女の肩の上で妖精も似たような表情をしている。
しばしの沈黙の後、
「辛いことを話させて、悪かった」
「?」
少年が突然殊勝な言葉を吐いたので、少女は目をぱちくりさせた。
「何で君に出自を聞いたかだけど……君は獣神の声を聴いただろう」
「?」
聞いたも何も、あんな巨体が声を出せば誰でも聞こえるだろう。そう思って少女は首を縦に振った。
だが少年の答えは思いがけないものだった。
「あの声はフェンリルと僕……そして君にしか聞こえていない」
「? ……!?」
翠の瞳が一瞬きょとんと瞬き、次の瞬間大きく見開かれた。
口が利けていれば「あんな大きな声が!?」とでも叫んでいただろう。
そんな反応になるだろうと予見していた少年はさらに続けた。
「……守護神の声が聞こえるのは、特別な人だけなんだ。具体的には王と、後で王になる資格を持った人物だけ。魔族は世襲制じゃないから関係ないし、例外もあるけど……人間では王族だけだ」
「……!」
それはつまり、自分が王族かもしれないということなのか、と。少女は信じられないという面持ちで庇護者を見つめた。
勿論証明する手立ては何もないのだが、彼の言葉を聞く限りは他に考えられないことだ。
「今の人間で王になる資格を持つのは、守護神に縁ある家系か、魔法みたいに神気を扱う力が強い人だ。でも人間は守護神を無くしているから出自でしか図れないんだけど……わからないんじゃ仕方がない」
確かに獣神は、少女を指して自分たちに縁ある存在かと聞いた。
それが本当なら守護神を探しに行くよう命じたのもわかるし、何かの手がかりがあったはずだろう。
しかし少女は自分の出自について知らず、どこの家の者かもわからない。
掴みかけた手掛かりを棒に振り、少年は最初こそ落胆した様相だったが、
「良いんだ。どうせ守護神を見つけ出すには勇者を探さなきゃいけない。あれこれ詮索するのはその後でもいいんだし」
仮面に隠れていない口元が珍しく薄らと微笑み、続く言葉は優しかった。
「よくわかった……君は僕と同じだ。僕は金輪際君を疑わない。困ったら……必ず助けてあげる」
「……?」
自分と彼の何が同じだというのだろう、と小さな顔には書いてある。あんな強大な魔神すら相手取る彼と、ひ弱な娘の自分がと。
それでもやはりこの少年は、自分の事は答えてくれなかった。
少女に水を飲む暇をやると、少年は再び目的地に身体を向け立ち上がる。
平原のまっすぐ東。
王都への最短経路には一つの大きな影が佇んでいる。
現在二人がいる王国の西方と、王都がある中央領の、その境。
少年の記憶によれば、かつてそこには軍事用の砦などはなく、ただ簡易な関所があるだけだったという。
だが中央を囲む山脈の境には彼の知らぬ内に長城が築かれており、屈強な外観とは裏腹に大きく正門を開き、入るものを拒む様子はない。
西方の住民たちが、魔界との争いになった際に避難する目的で作られたという長城は、名目通りに民の移動を迎え入れるように見えた。
「……馬鹿なことだ。あんなもの作っても無駄なのに」
魔界に人間と争う意志は無い。
だが、それでも人間たちは魔族を疑い、あえて対話を受け入れはしないのだろう。
人間が想定した戦いは起こらない。だが魔界側からそれを伝えることもできない。
まして先王を殺めた黒騎士の言葉など、彼らが聞き入れるはずもないのだ。
見つかれば荒事が避けられない以上、今度こそは渡り方を考えなければならなかった。
「まぁ……なんにせよ、まずはあれを越えないとね。それ飲んだら行くよ」
そう言って勝手に歩き出した庇護者を、水筒を片付けつつ少女は慌てて追いかけた。
大体週に一回の投稿です。
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