序章
黒騎士とその姫君が魔界を出立する少し前の事。
国境の砦からは一騎の騎士が駆け出していた。
騎士と言っても鎧は纏っていない。もっと言うなら王国軍の徽章すらも付けていない。
そもそも騎士にしても兵士にしても若すぎる。
騎乗しているのは十代半ばくらいの少年だった。
黄色っぽしい肌に黒い髪はこの大陸では東方出身の特徴だが、ただ一つ爽やかな青い瞳だけが出自に似合わぬ見た目をしている。
小綺麗な服に、若い割には立派な長剣を腰に帯び、少年はまっすぐ駆け抜ける。
無論、進む方角は東だ。砦から西には魔界しかない。
目指すは王国の中枢たる王宮。
そこに至るまでには当然いくつもの検問が敷かれ、王都に入ってからは勿論その数も増えるのだが、
「長旅、ご苦労様であります」
「女王様がお待ちです。さ、お急ぎを」
「うん」
番兵たちの反応はどこに行っても似たようなものだった。
兵士たちは彼の姿を見るなり敬礼し、特に身元を検めようともせず道を開ける。
少年の方も特にその反応に違和感を感じていないようで、彼らに出くわすなり軽く手を挙げて会釈をしていく。
草原に開けた街道を、道中馬を替えたり休憩を挟みながらも安穏とした旅を続けておよそ十日。少年は特に問題もなく王都へとたどり着いた。
その街はかつては別の名があったが、今は単に『王都』と呼ばれている。
大陸北東部を広く占める人間の領地。
現在は『王国』と呼ばれているその地の中央に王朝が生まれてより現在まで、この重厚な白石の町は首都として存在し続けてきた。
巨大な城壁である『城郭部』に、城下町である『都市部』が囲まれ、さらにその都市部の中央には巨大な白亜の城が聳えている。
纏め上げた諸国への忖度で、現在の王朝はあえて自国の本来の名を使うことは無い。
一応人間たちは、魔族の脅威に対抗するために国を一つに纏め一勢力に団結した、という名目になっているからだ。
決して現在の王朝が力づくで他の国々を服従させたのではない、と。
だが、この城だけは例外的にかつての国の名前が与えられていた。
『ラグナス・セントリオン』。
かつて、人間たちを侵攻した魔王を討ち滅ぼした勇者の国。その中枢。
『終戦の国』の名が与えられた、王国でも最古の城だった。
王国が発足してより首都城であり続けたその城は、それ即ち今日に至るまで一度として落とされなかった事を意味する。
国の要たる不落の城。
多くの詩人たちが語り草にする白銀の姿は多くの――全てではない――人間たちの誇りであった。
そんな人間たちの誇りが粉々に打ち砕かれてから、まだ一年と経っていない。
魔界からの刺客『黒騎士』。
人間たちにとって魔界に住まう悪者とは多くの場合魔王を指すが、その魔王以下の魔族は王国と関わらなくなって久しい。だから人々にとって彼らはお伽噺の存在のままだ。
その点、単身で城まで討ち入ってきて、国の頭を力ずくで叩き潰していった黒騎士は、より現実的な脅威として王国の隅々まで一様に恐れられていた。
無論、王が殺された国は大混乱に陥る。
まして王国は一枚岩ではない。中央の力が緩めば直ちに統合されていた諸国が自治を取り戻そうと動き出し、瓦解が始まる。
望まぬ形で王国に纏められていた勢力の人間たちは、王の崩御に乗じて自分の国を取り戻そうとした。
それを治めなければならなかった中央が大急ぎで立ち上げたのが、先王の一人娘である姫君だった。
若年故当初は誰にも期待されていなかった少女王は、しかし見事な手腕で分裂しかけた王国を立て直して見せたのだ。
具体的には民心の掌握が上手かった。
彼女が故郷とする王国北から中央領は勿論だが、即位の後は父王が平定した後冷遇されていた西、南方領の民の救済を行っていたのだ。
そうして国庫を顧みず善政を行う事と、年若い故に政経を担当する官僚たちとは折り合いが悪かったが、貧しい者たちの多くは女王の政に感謝していた。
それは本人の采配の巧みさのおかげもあったのだが、彼女には強い味方がいたのだ。
こと人間を纏める上では、この世に二つとない強大な求心力。
その力を持つ少年は兵士たちと親し気に挨拶を交わしながら城の正門を潜り、入るなり階段を元気よく駆け上がる。
遠慮会釈なく城内を走り、そのまま城の中でも指折りの豪華な扉に躊躇いなく手を掛けた。
「ただいま!」
そうして躊躇いなく両開きの扉を押し開け、
「おバカ! ノックくらいしなさいっ!」
「ぐえ」
次の瞬間少年の顔面には怒声と共に本の角がめり込んでいた。
怒鳴り声の主がこの国の女王エリザベート。
今は化粧直しの最中だったようで、鏡に向かい、椅子に座った後ろでは侍女が赤い髪を持ち上げながら苦笑している。
この二人、年の頃は同じく十四。
王族である少女王はそろそろ結婚を考える時期だったが、異性に対して慎みの無い少年はそんな彼女相手に何度も狼藉を働き、その度お仕置きを喰らっていた。
まして少女はこの国の長である。彼女に不敬を働けば当然少なからず処罰があるのだが、少年は実に気安く女王と接していたし、少女王は無礼を働かれても怒る以上のことはしない。さらには周りも別にそれを咎めはしなかった。
というのも、だ。
「まぁまぁ陛下、勇者様も悪気があるわけじゃないんですから」
城内の人々は勿論、王国中の人間たちが二人の関係を知っている。
少年――勇者ルカはこの通り人懐っこい人物だ。
彼は幼い頃に祖国を失った。
ルカが生まれた王国東方領は王国が発足して後も長い間頑健に自治を保っていたのだが、中央の干渉を徹底して拒み続けた故に先王によって滅ぼされた。
領主の息子の一人だったルカは虜囚として城に捕らわれたが、幼い彼は獄中にあっても明るく人懐っこかった。
看守が最初に絆され、次に掃除に来た兵士が顔なじみになった。やがてひょんなことから王女だったエリザベートと出会い、親交を深めた。
王国の兵士たちは故郷の仇の筈だったが、幼いルカは寂しかったのか誰とでも話したがった。
それが不思議な人望となりいつしか彼は牢から出され、女王と共に教育係が付けられて共に学んだ。
そうしているうちに、ルカに『剣の天啓』が下ったのだ。
勇者が、自分こそがそうだと知らされる際に受ける啓示を受けると共に、ルカは王国の勇者となった。
天啓を受けた人物は勇者の証となる力を手に入れ、ルカもその例に漏れず人間離れした怪力を得た。
干ばつに苦しむ村があれば大地を砕いて地下水を探した。
大雨が降れば丸太を担いで堤を作った。
純粋な少年は、己の力が人々を救うためにあると強く自負し、その思いのまま働いた。
必然、民たちの間で彼の評判は高まり、彼に依頼していたのが女王だったことで彼女の評判もそれに続いた。
以来彼は幼馴染となった女王の片腕として、各地を走り回る生活を送っていたのだ。今回もその帰りだった。
顔をさすりながら起き上がった勇者は少女王の支度が整うまで部屋から閉め出され、用意ができると淹れたての紅茶の香りと共に改めて部屋に招かれた。
侍女が用意してくれた焼き菓子をお供に、勇者はのんびりと密命の報告をする。
「貴族風の少女が魔界に入った、ねぇ」
「あぁ。お供が四人いたって言ってたけど、入って以来戻ってないって」
実に物騒な会話だが勇者と女王は優雅に紅茶を啜り、それを給仕の侍女がのんびりと世話している図だった。
一月前に『魔物』がひしめくという魔界に少女が入っていき、それ以来帰っていない。
その謎の姫君の事も気になったが、女王の懸念はお供の方だった。
王国と魔界は記録も残らないほど遠い昔に交流を断った。
なので両者を隔てる国境砦は簡単には人の出入りを許さないのだが、それを許可させる権力を持った者が一団の後ろ盾だったという。
それに心当たりがあった少女王は、カップを皿に置いて思案顔になった。
「……どうしてお母様が出張ってくるのかしら」
女王の母親は当然の如く先王の妻であり、一般に太后と呼ばれる人物だった。
表向きは女王に次いで国の二番目の権力者だったが、娘である現女王はその意見を無視できない。
事実上権力の座としては頂点に位置する人物であり、そんな太后の指示とあれば国境砦は是非もなく開門する。
そして、そこまでしてやったことは素性の知れない姫君の護送。それも敵地である魔界に。
どこからどうみても胡散臭いことだった。
女王が更なる情報を求めると、勇者は得てきた情報を一通り女王に話した。
国境砦で巨大な『魔物』――魔神の事だが、彼らはその名を知らない――を見たこと。
並行して調べていた黒騎士については行方が知れないこと。
魔神については女王は国境で度々目撃情報があるのを知っていたので、特に気にした様子もなかった。
流石に黒騎士については気にしていたが、国境を出た者はいても入った者は認められないとのことだった。
「……まぁ、お父様が殺された時も黒騎士の侵入は感知できなかったけど」
「そもそも勇者様が魔界の近くにいるのに護衛が反応しないということは、本当にその場にいなかったということですね」
「……え、俺護衛されてたの?」
てっきり密命は一人旅だと思っていた勇者は一人で驚いていた。
実は黒騎士は近くにいたのだが、丁度魔神の相手で手一杯だった。
彼らはそれを知る由もないが、侍女の娘が当然のように話に割って入ってきても少年少女は特に気にした様子はない。
彼女もまた女王にとっては腹心であり、勇者の報告を共に聞ける立場にあるのだが、今それは別の話である。
女王が目下気になっていたのは太后が魔界に出したという姫君のことだった。
先王は武で名を馳せた王だ。その妻である太后もまたよく言えば行動的な、悪く言えば短慮な面がある。
元々良家の娘であった太后は何かにつけて威厳を振りかざすきらいがあり、人望の薄さもさることながら王家に逆らう者には容赦がない。
そのため女王が元敵国の民たちを救済しようとすると、彼らがかつて夫に反抗したことを理由に発言をさせず一方的に条件を付けようともした。
毎度の事少女王はこの母親を扱いかねており、即位して一年に満たない間にも様々な問題を起こしていた。
勇者の求心力を借りて女王はすさまじい速度で国を立て直したが、その裏には母親の無自覚な妨害があったのだ。
「……折角黒騎士がお父様を止めてくれたのに、何かあってまた混乱がぶり返したら困るわ」
「陛下」
先王は一勢力に纏まってなお一枚岩になれない王国を憂い、ある策を用意していたのだが、実行する前に黒騎士に阻まれた。
まるでそれを感謝するような主君の口ぶりを侍女が窘め、少女王は「わかってるわよ」と誤魔化す。
確かに父の仇に感謝するようでは不謹慎だが、そんなことより、と女王は勇者に姫君についての情報を求めた。
やがて「あぁ」と気の抜けた声と共に話が続く。
「そういえば番兵のおっちゃんたちが変なこと言ってたなぁ」
「変なこと?」
首を傾げた幼馴染を前に、勇者は兵士たちに聞いた言葉をそのまま答える。
「そのお姫様リズって呼ばれてたって」
「……リズ?」
この場全員がその名に覚えがあった。
女王も側近の侍女も揃って顔を見合わせ、勇者も自分で言ってて怪訝そうな様子だった。
「うん、変だよな。リズはここにいるのに……なぁリズ?」
少女王はこくりと頷いた。
それは確かに女王の愛称だった。その名で呼ぶのは母親と目の前の少年だけだったが、否な話だ。
一般人なら同じ名前の娘もいるだろうが、貴族なら女王が一通り名前を把握している。彼女の記憶の中に自分と同じ名の姫君は一人も浮かんでこなかった。
その場全員で首を捻っているとノックの音と共に報せの兵士が現れ、侍女がそれを取り次ぐ。
曰く、事は勇者が国境を発った後日。
困惑顔の側近が、主人に向けて伝言した。
「……そのリズなる少女が、兵士を殴り倒して国境を越えたそうです」
大体週に一回の投稿です。
ご愛読ありがとうございます。




